第52話:帝都到着
アリス・マランビジーは知識と知恵を司る家系である。
そう言ってしまえば聞こえは良いが、結局の所戦争で失われた歴史資料の復元を押し付けられた末端の貴族である。
地位と権限が低い家系なのだ。
旧王家の血筋でこそあるが、その名誉は本家であるマリーエイジ家が独占している為、影が薄く肩身も狭いのがマランビジー家の実情である。
野心家であった祖父がの死因が事故死とされたこと。その後マリーエイジ家の当主がマランビジー家を断絶させようとした過去もあるが、それはもはやどうでも良いことである。
当時のマリーエイジ家当主もまた、同じく事故死であったのだから。
だが幸運なこともあった。
アリスの父は祖父に反発し穏やかな性格であったのだ。おかげでアリスはのびのびと育ったし、妹も流石にアリスほどでは無いがおおらかな性格である。
マリーエイジ家は、違った。
前当主の野心と思いをそのまま引き継いだ現当主。それはまさに子どもたちにとっての毒そのものだろうとアリスは思う。
何度かパーティで顔を合わせたことがある。
疑心暗鬼に陥り周囲全てが敵と思い込むギラついた視線。それに付き従う家族。
良く教育されているのだろう、子どもたちも当主と同じ視線を周囲に向けている。
そういう意味では、マリーエイジ家は前当主が亡くなった時点で終わりゆく家なのだとよく分かってしまう。
感情が先行し自ら敵を作ろうとするその様子は、懐に潜り込み籠絡する熟練の貴族たちにとってはもはや相手にする価値すらない路上の小石だろう。
ああ、嫌だ嫌だ。かかわらないようにしとこ。
それがアリスがマリーエイジ家を初めて目にした時の感想であった。
だがふと気づく。
その似たり寄ったりのマリーエイジ家の中にたった一人、微笑を浮かべ他の貴族の名家たちと渡り合っている子がいる。
年齢は、アリスと対して変わらない。
故に、まだ荒が目立つ。
その少女は、時折氷のように冷たい視線を実の父と弟妹に向ける瞬間があるのだ。
その少女は、マリーエイジ家で最も優秀で、最も期待されていた子だった。
やがて、一つの噂が漏れ聞こえてくる。
マリーエイジ家の当主が剣聖に決闘を申し込んだのだと。
そして、どういうわけだが十歳にも満たない子供に負けたのだと。
右腕を、失ったのだと。
いやそれどころかその場にいた[盾]全員がその子供に打ち負かされたらしい、と。
噂が噂を呼び、末端貴族のアリスの耳には真実など入ってくるはずもない。
それでも、そういったうごめく政治闘争に関わらないようにしていたアリスにだって、幸か不幸か手に入れてしまったものもあるのだ。
――マリーエイジ家当主が右肩から先を[魔術師ギルド]が製造した義手に付け替えていることから、とりあえず右腕を失ったのは本当らしい。
だが、現代の魔導医学ならば治せる傷のはずだ。
それを治さないということは、理由があってのことだろう。
当主の視線は、より一層憎悪に満ちたものになっているように見えた。
――ああ、嫌だ。本当に嫌だ。
パーティ会場から離れたアリスは、同じく一人家族から離れぽつんと佇んでいたアンジェリーナを見つけてしまった。
そして、アリスは言わなくても良い一言を、言ってしまった。
あの時自身でも何故声をかけたのかわからない。
寂しそうだなーとか、暇そうだなーとか、なんか疲れてそうだなーとか、とにかくいろんなことを考えていたような記憶が薄っすらとある。
自身も確かに暇であったし、元より日陰者のマランビジー家であるから、友人と呼べる者なのいなかったというのもある。
おもむろにアリスはアンジェリーナに近寄り――。
『あ、あのぉ……な、何か、お父さん、酷いですよねえ……』
あまりにも無礼で、不躾で、礼儀を欠いた最初の会合。今まで一度も会話のしたことがない相手に向けた、一言である。
これではただの悪口だ。それも、実の娘の前で傷ついた父親を侮辱したのだ。
アリスはすぐにはっとして、
『あ、あ、いや、わ、わ、わ、悪口、じゃ、なくて……』
否、ただの悪口である。陰口である。
しかし、アンジェリーナは目をまんまるにしてアリスを見、やがて口元を覆ってクスクスと笑いだした。
そして、彼女は言った。
『内緒よ? それ』
気がつけば、アリスとアンジェリーナは親友になっていた。
※
「よう、待ってたぞ」
懐かしい顔の青年が、兜のバイザーを上げ微笑んでいた。
黒竜は思わず破顔する。
「お、おお……トラン君ではないか。そうか、本国勤務になったと言っていたね?」
彼はあの後ダイン卿に誘われ本国の神殿騎士として勤務することになったのだ。
妻と共に移住したと聞いていたが――。
いや、妻は確か一度実家に戻ってから、だったか。
「ブラン――いや、ダイン団長の元で働いてる。まさか田舎の冒険者がこうなるとは夢にも思ってなかったけど……。なんか、そっち色々大変だったみたいだな」
「ああ……いやほんと、色々の一言じゃ語りきれないよ」
「だよなぁ……。末端の俺のとこにだって情報くらいは入ってくる。
ザカールのこととか、[司祭]のこととか……ミラのやつは、大丈夫なのか?」
トランが小声で黒竜の耳元で心配げな顔になる。
黒竜はすぐにうなずいた。
「うん。ミラ君は大丈夫。元気にやっているし、良い友人もたくさんできた。
私が出会ったときよりもよく笑うようになったよ」
すると、トランはぱあっと表情を明るくし、
「そうか!」
と笑顔になる。
ふと、黒竜は問う。
「ええと……トラン君が、私の――監視? 護衛?
両方ということになるのかな?」
トランは小声で、
「……ほんと、大変みたいね」
と苦笑してから言った。
「そう、両方。みんなおっかながっちゃってさ。
[古き翼の王]の監視なんてやりたくないって。
特別待遇で給料上乗せしてもだーれも集まらないわけ。
そんで顔見知りだからってだけで新兵の俺が抜擢されてさ」
「それでキミ一人か」
黒竜が苦笑すると、トランも同じく呆れ顔になる。
「ダイン団長が騎士団抜けた理由、少しわかっちまったよ」
「恐ろしい[古き翼の王]なら尚の事、監視を強める必要があるはずだ」
「同感。一応遠くからは結構な人数が監視しているはずだけど――」
「それ言って良かったの?」
「あっやべ……はは、今の無しで……!」
「ン、わかった。知らないふりをしよう」
「ただ、うちからは俺一人だけど、別にもう二人が来るって――」
「二人?」
「聞いてないか? [ハイドラ戦隊]から出すって聞いてたけど」
「ンン……? ああ、アリス君と、アンジェリーナ嬢のことかな……?」
そう言えば別れ際にメリアドールから、アリスとアンジェリーナが黒竜の面倒を見ることになったと言っていた。
何故二人なのか問うと、メリアドールが苦い顔で、
『……本国の指示。結局キミのこと、怖がってる人の方が多いのさ。
だからうちに所属してる子の中で貴族としての位低いマランビジー家が押し付けられて……アンジェリーナは志願だったか』
と答えてくれた。
それは、嫌な話である。
だが[グランリヴァル]でアリスの階級が低いとは微塵も感じなかった為、本当にメリアドールが頑張ってくれているのだなと彼女の評価をまた改めた。
アンジェリーナが志願というのは少し怖いものもあるが――。
黒竜は首をぐるりとめぐらし、周囲の様子を伺った。
既に、[ハイドラ戦隊]の飛空艇は全艦が着水済みであり、皆降りた後だ。
黒竜が乗っていた艦が最も遅いのだから、こうもなる。
『流石に本国で僕らとキミがセットなのはあまり良くない。
政治的なメッセージが強すぎる』
とはメリアドールの弁だ。
ガジット家の彼女といても、グランドリオ家のミラベルといても、本国の貴族らから忌み嫌われているらしいゲイルムンドのリディルといても何かしらの派閥への強いメッセージになってしまうのだというが、正直よくわからないので、『ほえー、政治』と従う他ない。
「流石にまだ来てない、か。……俺が早すぎたってのも、ある」
「そうなの?」
首を傾げて聞くと、トランはばつが悪そうにしてうなずいた。
「いてもたってもいられなくてな……。俺たちの恩人なんだ。
……なんて呼べば良いんだ?」
彼の口調は暖かく、黒竜は思わず笑顔になって答えた。
「仲の良い友人は、古くも無いし王でも無いけど翼はある、
だから[翼]くん、なんて呼ぶ」
「へえ! なら、[翼]君か? ミスターウィング?」
「任せるよ、トラン君。どちらにしても、以前話したとおりだ。
私の本当の名前は、まだ思い出せていない」
だが、友人は大勢できた。
それは救いである。
しばらく待つと、ようやく黒竜の護衛件監視役となるもう二人、アリス・マランビジーとアンジェリーナ・マリーエイジが姿を現した。
トランが敬礼すると、アリスがいつものようにだらしなくにへらと笑って手をひらひらと振る。
それを横目でチラと見たアンジェリーナが、少し気恥ずかしげな顔で同じように手をひらひらと振った。
※
[帝都グランイット]は、海へとつながる広大な[ビアレス湾]に面した貿易の拠点である。
千年前はまともに住むことすらできない沼地であったが、賢王が長い年月をかけて治水行事を行い、今に至るのだ。
そして、[ビアレス湾]から続く海を挟んだ遥か先に、[ハイエルフ]たちが収める[ルミナス連合]がある。
[ハイエルフ]は、エルフの中でも異端な存在である。
自然を捨て魔導をひたすら歩む彼らは、数こそ少ないが一人ひとりが剣聖級の力を持つと言われているほどだ。
とは言え、三百年前の[魔法大戦]の結果大きく数を減らし、国家との関わりを断つようになってはいるが。
それでも、警戒を怠るわけにはいかないのが、[グランイット]の主力である[蒼炎騎士団]の務めである。
国境付近の遠洋で。
それは、ゆっくりと、それは近づいてきた。
[蒼炎騎士団]に配備された最新の海上高速艇の内一隻が、突如として、まるで内側から食い破られるようにしてぐにゃりとひしゃげ、ねじ曲がり、魔導機関の爆発すらも無く消失した。
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