第53話:帝都観光案内
「はぁい、ここが[禁書庫]の入り口でぇーす」
アリスがにこやかに言うと、黒竜はあんぐりと口を開け、その巨大な純白の塔を見上げた。
頂上が遠い。東京タワーの五倍はあろう長大な純白の塔は、[魔術師ギルド]のものと同じく継ぎ目の一切ない不思議な作りをしていた。
「お、思ってたより大きいね……」
確か、城塞都市で呼んだ歴史書によれば、帝都地下深くに封印されているとあったのだが……。
そのままアリスがとてとてと歩き、[禁書庫]入り口を指し示した。
「一階から二十階までは観光地になっておりまぁーす」
「か、観光地……マジかアリス君……」
「大マジでぇーす。そしてなんとぉ!
翼くんでも入れる広さとなっておりまぁす!」
「お、おお……! 凄いねアリス君……!」
感激して言うと、アンジェリーナが補足で説明を入れる。
「この塔だけは、ザカールじゃなくて別の者が建築したとされているわ」
「ほう、別の者……。どなた?」
問うと、アリスのノリがおかしかったのか黒竜の口調がおかしかったのか、隣にいたトランが口の端を引くつかせて笑いをこらえているのを端目に捉える。
警備ってのも大変だと黒竜は内心思うと、アンジェリーナがチラとトランの顔を流し見てから黒竜に向き直る。
「[古の賢者]の名を聞いたことは?」
それは、確か――。
黒竜は、[グランリヴァル]の書庫で読んだ内容を思い出しながら答える。
「ああ、ええと、[暁の勇者]に付き従った……[盾]の一人、だっけ?」
すると、すぐにアリスが黒竜の目の前で両の手をクロスさせ言った。
「ぶっぶー! ハズレですー! 翼くん勉強不足ですぅ!
正解は、[盾]の後に発足した[剣]ですぅ!
あ、ちなみにこれ筆記テストとかだと割とよくある引っ掛け問題なので注意ですよぉ」
黒竜は、なんのこっちゃと言いたかったのを我慢し、
「そ、そうか、すまないね」
ととりあえず頭を下げた。
……というかそこは重要では無いはずだ。
[古の賢者]と呼ばれる大魔導師が、[暁の勇者]たちに多くの武器や魔法を授けたということはちゃんと本で見たとおり記憶しているし、戦後の街の建設にも大きく携わったともしっかり覚えている。
アンジェリーナがくすりと微笑んでから続く。
「そして[古の賢者]は、賢王ビアレスと共に、この[禁書庫]を建てた。
[グランイット城]とかもね?
結局、みんな内心ではザカールの建てた建造物のことを恐れているのよ。
だから、本当に大切なものは自分たちの手で作り出した場所に置いておきたいの」
……そういうものなのだろう。
未知というのは、やはり恐怖なのだ。
しみじみ思っていると、またすぐにアリスが口を挟んだ。
「そしてぇ!
賢王ビアレスと[古の賢者]は大の親友だったとも書かれていますですよぉー」
「……賢王友達多いね」
思わずつぶやき、しかしなぜだか納得した。
敵も多そうだが、友達も多そうなやつだ、という印象を記録から見て取れたのだ。
ああいうのが友達だったら、きっと楽しいのだろう。
ふと塔の巨大な扉から一人の男が姿を現した。
その薄緑のローブに身を包んだ壮年の男が黒竜の存在に気づくと、彼は一瞬目を細めた。
微かに感じた、『何だ?』という疑念は、こんな姿をしているのだからそうもなるかという常識ですぐに四散し、忘れ去られる。
アリスが男に気づき、素っ頓狂な声を上げた。
「ありゃー、お父様? なぁーんでこんなとこ来てんですか」
その男――レドラン・マランビジーはアリスの実の父親であった。
「ああ……アリスか」
レドランは娘に気づくと、微笑を浮かべながらゆっくりと近づいてくる。
アンジェリーナが彼の顔色を伺いながらペコリと軽く頭を下げるが、レドランは見向きもせずに黒竜のそばにまでやってきて言った。
「これが噂の、黒いドラゴンか」
彼がゆっくりと右手で黒竜に触れようとすると、トランがずいと体を挟み言う。
「失礼、マランビジー卿。
[アマルシア教会]として、
許可のあるもの以外の物理的接触は禁じられておりまして……」
思わず黒竜は、『え、そうなの?』と口を挟みかけたがぐっと堪える。
友人トランの仕事を邪魔してはいけないのだ。
すぐにアリスがずいっと顔をレドランに近づけ言う。
「そうよぉ。うちは立場弱いんだからぁ、
[教会]の言いつけは守らないとダメじゃぁーん? んへへへ!」
「……そうだね。私は――」
「んでぇ! お父様何してたの?
また変な本探してたの? エッチぃ本? んぐへへへ!」
「仕事だよ。この後も忙しくてね、私はこれで――」
「ええー! 久々に再会した愛しい愛しい愛娘にお小遣いくれたりご飯ごちそうしてくれたりお小遣いくれたりとか無いのぉ!? お小遣いー!」
その場を立ち去ろうとする父親のローブの袖をむんずとつかみアリスは駄々をこねる。
「……仕事なんだ。この後もやることが――」
「仕事がなんぼのもんじゃいでしょぉ!?
お仕事なんてぇ、ほっぽりだしてぇ、大切な大切な愛娘のために時間とお金を使うのがお父様の今やるべきことなのにぃ!」
アリスはそのままぐいぐいと父の服の袖を引っ張り続ける。
が、ふとその指先が左腕に触れた。
アリスは一度だけぴくりと指先を強張らせ、そのすきにとレドランはアリスの手を振りほどき背を向け言った。
「やるべきことが山積みでね。失礼するよ」
レドランは静かな足取りで、人混みに消えていった。
アリスは目をぱちくりとさせ、自分の指先を確認し、言った。
「お父様、怪我してた……?」
やがて黒竜はアリスに案内されるがまま、[禁書庫]の地下施設への入り口を守る衛兵の元にたどり着く。
彼女はにんまりと笑みを浮かべて言った。
「ダメ元でぇ、聞いてみましょ?」
「ダメ元て……普通に駄目じゃないのかな?」
黒竜は呆れて問うと、アリスは憤慨して言う。
「かーっ! [翼]くんって駄目駄目ですぅ!
夢を諦めた大人って感じ! ようは当たって砕けろです!」
「……砕けた結果取り返しのつかないことにならない?
一応私、相当危険視されてるよね……?」
「大丈ー夫です! その時はその時です!」
そう言って衛兵の元に向かおうとするアリスを、黒竜は慌てて止めに入る。
「い、いやね、大丈夫じゃないかもしれなくない?
その時はその時ってそれめっちゃ怖いのだけど私……」
アリスは黒竜の体をぐいと押す素振りをしながら、深々とため息をつく。
「んはー! [翼]くん小心者です!
良いですかー、世の中というのはやってみなきゃあ始まらんのですぅ!
やらずに色々うじうじ頭の中で考えて、結局なーんにもしませんでしたでは何の意味も無いんですう! 行動あるのみですよぉ!」
また黒竜は慌てて大きな顔でずいとアリスの進行方向を遮り、言う。
「い、いやいやアリス君、あれよ、あれ。勇気と蛮勇は違うよ的な」
「んではこれは勇気です! さあいきましょーレッツゴーですぅー!」
「い、いやぁ私、違うと思うなぁ!
ちょっと待ってアリス君私めっちゃ不安! 先行き不安!」
「だまらっしゃい! とうっ!」
アリスは足元に魔力を軽く集中させると、そのままふわりと飛翔し黒竜の頭を飛び越えた。
「ああ、ずるい!」
たまらず黒竜は声を上げると、すぐにトランもそれに続く。
「あ、マランビジー嬢それは不味いです!」
横目で見ていたアンジェリーナが「んぶふ!」と吹き出し、慌てて口元を両手で覆う。
遠くで警戒していた[禁書庫地下施設]入り口の衛兵が、怒鳴り声を上げた。
「そこのー! [禁書庫]は魔法禁止だと、書いてあるのがわからんのかー!!」
「うげ! しまった! そうでした! 忘れてました!」
アリスは慌てて飛翔の魔法を解除すると、トランはぎょっとして、
「い、いきなり解除は――!」
と声を荒げるも既に遅く、空中で浮力を失ったアリスは
「んぎゃあしまった!」
と叫ぶ。
トランが慌てて彼女を抱きとめる体制に入る。
が、黒竜が先に両翼を手のひらのように使ってアリスを抱きとめると、トランは盛大にため息を付き額に浮かんだ汗を拭った。
アンジェリーナが苦笑混じりでアリスの後頭部を拳でぐりぐりとする。
やがて小走りでやってきた衛兵が、アリスを見て絶句した顔になる。
「またお前か!」
――また?
黒竜はアリスの顔をまじまじと見る。
アリスは照れくさそうに笑うだけだ。
憲兵が続ける。
「全く、田舎の騎士団に就職して落ち着いたかと思えば!
これで何度目だ!? アリス・マランビジー!」
「え、ええー。二十回くらいからは数えてませんけどぉ……」
「私は百回まで数えた!
キミが地下に忍び込もうとするたびに、
こっちだって報告書を書かなきゃならんのだということは説明しただろう!
キミのお姉さんが何度頭を下げに来たことか……!」
「あ、それ間違ってますぅ。
私長女なので、その子は私のかわいいかわいい妹ですぅ」
「余計悪いわ! 妹に頭を下げさせて……!
果ては、父君まで使ってキミは! 怒るぞ!」
「んええ、もう怒ってま……ん? お父様も?」
アリスは目をパチクリとさせ、意外そうに首を傾げた。
憲兵がため息を付いて言う。
「つい先程のことだ。
緊急な用事でどうしても入室を許可してほしいと言って……全く。
この手口はキミが三十五回目に使ったものだ!
報告書にも書いたし、本当に緊急な用事だったのか確認するためにわざわざ上にまで掛け合ったのだから印象に残っている!
その嘘が! 実の父親を使えばまかり通るとでも思ったのか!」
「んん?」
アリスがひょいと片眉を釣り上げ、首をひねる。
ふと、アンジェリーナが、
「あの」
と小さく手を上げ口を挟む。
「通したのですか?」
憲兵は力強く首を横に振った。
「いいえ、通していません。マリーエイジ嬢。
自分の任務は、『いかなる理由があっても女王陛下と現剣聖以外は誰も通すな』であります。職務ゆえ、緊急な要件であっても」
それは所謂、融通の効かないお役所仕事である。
ふと、アリスがぼやく。
「お父様、どうしたんだろ? 地下って言ったってそんな大それた情報は無いのに」
思わず、黒竜は首を向けた。
「え、そ、そうなの?」
すぐに衛兵がぎょっとして続く。
「ま、待てマランビジー。まさかお前、既に……」
「ええー、違いますよぉー。
むかーし女王様にちょびーっとばかし聞いたんですぅ。
そんで教えてもらったんですぅ。『世界を揺るがすような知識は無い』って。
あとほんのちょっぴり内容も。んふーふへへ!」
すると、衛兵は呆れて顔を覆い隠す。
「陛下はお優しすぎる……。――ん?
じゃあ何故キミはこうして何度も何度も入りたがるんだ?
そもそも、いったい書庫に何をもとめているんだ?」
「んはー、わかってませんねぇ。ほーんとわかってません。
良いですかぁー、よぉーく聞いてください。
私はぁ、ここに何も無いのなら、
何も無いということを確認して満足したいんです。
お部屋の隅っこにだけ掃除しきれてない箇所があるって、
なんだかもやもやしません? するでしょ?
そこは綺麗だから大丈夫って言われたって確認したくなるでしょ?
私もなるんです。なのでちゃんとそこも確認して、よし!
と気持ちよく明日を迎えたい。ただそれだけなんですぅ。……なので通して?」
衛兵は絶句して肩を落とし、
「……公務に戻る」
と言って入り口の警備に戻っていった。
黒竜はアリスにずいと顔を近づけ、少しばかり小声になって問う。
「アリス君。……何も無いってどゆこと? 〝次元融合〟の秘密は?
私元の世界に帰りたいのだけど……」
すると、アリスは素っ頓狂な顔で答えた。
「ええー? それ誰に聞いたんですぅ?」
「……ミラ君、とか――」
黒竜は一度チラとトランを見る。
が、彼は衛兵たちに先程のアリスの非礼の件で何度も頭を下げている為黒竜には気づかない。
アリスが呆れて言った。
「あー、ゴシップですねぇ、[魔術師ギルド]の人って、そういう自分たちの持ってない知識を国が独占してるーとか思い込むフシがあるんですよねぇ。
無い無い、あるわけ無いっつー話ですぅ。というかそんな世界を揺るがすとんでもない知識が眠ってるならもっと厳重に保管しますぅ。
これでも昔、三回くらい侵入されかけてたりしますしぃ……」
黒竜は絶句し、問う。
「あ、あの……私、自分の世界に帰りたいんだけど……」
アリスはうーんと考え込み、やがて言う。
「んあー、でも[翼]くんのことはわかるかも?」
意味がわからず首をかしげると、アリスは続けた。
「女王様からすこーし教えてもらったんですけど、
地下にあるのは賢王様の旅の記録とか、そういうものがメインみたいなんです。
ので! [翼]くんがどうして千年経って良いドラゴンさんになったのかとかは、わかる、かも、しれません、可能性がすこーしあります! たぶん!」
「む……むむぅ……」
思わず黒竜は唸り、考え込んだ。
確かに求めていた情報とは違う、が……。
しかしある意味では本質をつけるかもしれない情報なのは確かである。
何故こうなったのかがわかれば、そこから逆をたどれば元に姿と世界に戻れるかもしれんのだ。
……とは言え恐れている可能性もある。
コーヒーにミルクをいれ混ぜたとして、さてその逆の方法でコーヒーとミルクを分離できるだろうか……?
……あ、いやできるか?
蒸留的な、あるいは遠心力的な、重さとか質量とかの違いやらで、最近の科学ならできそうな気はしないでもない。
いやしかしそういう問題では無い。
可能か不可能かは、何故こうなったのかがわからない限り検討すらもできないのだ。
アリスがにんまりと笑みを浮かべ、言った。
「[翼]くぅーん、地下に入れないのなら、良い方法がありますよぉ。
知りたいです? 聞きたいですぅ?」
「……たぶん良い方法じゃあ無いとは思うけど、一応聞きたいです……」
アリスは一応満足したのか、「んふ!」と笑って言った。
「簡単ですー。女王様かぁ、剣聖様に直接聞いてしまえば良いんですぅー!」
なんだか疲れてきた黒竜が深くため息をつくと、アンジェリーナがくすくすと笑って言った。
「ごめんなさいね? アリスってかわいいから」
正直意味がわからなかった。
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