第47話 失ったもの

「お、王よ――王よ……!」


 フードを深くかぶった男が、震える腕でザカールの首を拾い上げる。

 男は、ザカールの与えた[命の杖]を携えている。

 ザカールとて、全てが上手くいくとは思っていなかった。


 千年前だってそうだ。

 完璧だと確信していた計画は、破られたのだ。


 三百年前も同じだ。

 結局エルフも人も途中で矛先を収めてしまった。


 十五年前は、他でもないリジェットによって阻止されたのだ。

 そしてその全てにおいて、ザカールが生きながらえてきたのは結局の所、何重にも逃走経路を用意していたからに他ならない。

 千年前は全ての駒を破壊され、最終的には肉体を捨て[幽世]にまで逃げなければならなかったが、今は違う。


 フードの男が持つ[命の杖]が瞬くと、保険として蓄えておいたザカールの魔力が溢れ、残された首に吸収されていく。

 ザカールが仮面の奥で『ごほ』と咳き込むと、男は興奮した様子で言った。


「王よ、よくご無事で――。わ、わたくしめは、貴方様の従順な――」


 全てが、うまくいく訳ではない。

 それは相手側も、こちら側も同じことなのだ。

 ザカールは男を見、そして放った。


『レドラン・マランビジー! 〝強奪・肉体・精神(ロブ・ディライン)〟!』


 雷鳴が轟くと、フードの男は悲鳴を上げる間も無く意識と精神を殺され、次にザカールが目を開いたときには眼前にかつての自分の首が転がっていた。

 そして、ひとりごちる。


「完璧には、いかないものだ。――魔力も、力もまるで無い。

 ……やはりリドルの肉体とはかけ離れて――」


 その時だった。

 ザカールの左肩が熱を帯び、何だと思考したときには既に遅く、左腕は腐敗しぼとりと千切れ落ちていた。


「ぐっ――」


 ザカールはよろめき、片膝をつく。

 ザカールは、笑った。


「く、くく……リドルめ! そうでなくては困る。お前たちは、私の計画を打ち砕いたのだ……」


 リドルの呪いは、ザカールの魂そのものを侵食している。

 いや、それだけでは無い。じわりじわりと、魂全てを飲み込もうとしている。

 そして、ザカールは理解した。

 リドルもまた、自身と同じく――。


「最初から、自分の力だけで私を滅ぼすつもりだったというわけか――」


 ゼータの件も、そして剣聖が持ち出したあの得体の知れない鎧も、全てはザカールの今と同じく、保険でしかないのだ。


 ザカール自身も、危険を犯している。


 リジェットに使った[傀儡の言葉]と違い、[略奪の言葉]は対象次第では大きく自身の力を削がれることになる。


 リドルの肉体は、そういう意味では素晴らしかった。

 ザカールの莫大な魔力の殆どを持ち越すことができたのだ。

 だがこの肉体はそうはいかない。


 それに――。

 リドルの呪いが魂についてきているのだとしたら、おそらく[支配の言葉]にも……。

 ザカールは自分の仮面をリドルの首から取り去り、言った。


「それでこそ我が宿敵、[暁の勇者]だ」



 ※



 奇妙な夢を見ていた気がする。

 求めていたものが、もう二度と手に入らないとわかってしまったような。

 約束を待ち続けて疲れてしまったような。


 ――置いてきぼりにされてしまったような。


 そんな、夢。


『馬鹿言え、そう簡単に結果がでるかよ』


 不愉快な声で、誰かが言った。

 嫌な奴だと思った。次第に良い友人になった。でもやっぱり最後は嫌なやつだった。

 去年、子が生まれたと言っていた。

 友人の幸せを聞いて苛立った時、その友人を嫌なやつに仕立て上げているのは自分自身の心だと気づいた。

 余計に、疲れてしまった。


 だから、全てを捨てて逃げ出したのだ。

 ぼう、と目を開けたメスタは、見知った天井の明かりを見て深く息を吐いた。

 それは、懐かしいような、寂しいような、悲しいような、そんな夢。

 全身が汗でべっとりと湿っている。

 なんとも言えぬ焦燥感に襲われたメスタであったが、全身に走った鈍い痛みで思わず顔を歪めた。


「あ、メスタちゃん起きた」


 と聞き慣れた友人リディルの声に首を向けようとするも、体が固まっていて動かない。

 彼女の隣には、ぐったりとした様子で椅子に腰掛けているメリアドールの姿が見える。

 呼びかけようにも、肺の奥に痛みが走ると呼吸すらもままならず、メスタは浅く息を吐き困惑した。


 一体、何が起こっているのだ……?

 ここが[グランリヴァル]にあるハイドラ戦隊の一番隊宿舎、すなわち自分の自室のベッドの上であることはわかる。


 だが……故郷は、どうなったのだ? 師は? 皆は?

 ……敵は、どうなったのだ。


 ややあって疲れた様子のミラがやってきて深くため息を付き、言った。


「先生だってまだダウンしたままなのに……

 つーか毎日かけててなんでこんな治り遅いんです。……団長さん?」


 どこか棘のある口調で言われたメリアドールはぐったいとしたまま答えず、『良いからさっさとやってくれ』と言わんばかりに手をひらひらとさせる。


「……わたしだって、

 魔力空っぽになるまでを三日間ずっと続けてりゃ疲れるんですけど」


 言いながらミラは[再生魔法]と[治癒魔法]を左右の手で同時に使い、メスタにじんわりとかけていく。


「ぜんっぜん治る気しない……」


 ミラの表情に微かな苛立ちが見える。

 とは言え、どうやら皆は無事らしいことがわかりメスタは安堵した。


 それから更に四日間。毎日ミラとメリアドール、果ては他のハイドラ戦隊の面々による回復魔法をかけ続けてもらい、ようやくメスタは自分の力で体を起こすことができるようになっていた。


 全身の筋肉痛、鈍い内側からの痛みにメスタは眉間にシワを寄せ、メリアドールの言葉を聞いていた。

 それは、メスタが寝ている間になにがあったのか、という報告である。


 ザカールには逃げられた。だがかなりの力を削ったようだ。

 だがザカールの強さ、恐ろしさは[力]とはかけ離れた部分にあると[暁の勇者]らが書き残している。


 ザカールの本質は扇動者であり、学者なのだ。

 結局、里の優秀な竜人兵たちの多くは帰らぬ人となった。


 そういった事情も相まって、里にも近代化の波が押し寄せ、飛空艇港がようやく建造されることになったようだ。


 カトレアは、ザカールとの戦いで魔力の殆どを使い切りしばらくは療養していたようだ。


 リドル卿は――義父は、助からなかった。


 ザカールは逃げたが、首の無い死体としてリドルの葬儀は粛々と行われた。

 ろくに実感のわかないメスタは、


「……そう」


 と短く返し、呆然と天井を見上げた。

 どう、思えば良いのかがわからないのだ。

 泣けば良いのか、悲しめば良いのか……もっと長生きする人だと思っていた。

 それほどまでに、リドル卿は死のイメージからはかけ離れた人間だった。

 だがそれは、あんな穏やかな人が死ぬわけがない、という根拠のない思い込みに過ぎないのかもしれない。


 七歳の頃から、ガジット家の住み込みで働くようになり……もうすぐ、十年。

 ああ、そうか、とメスタは思う。


 もう私は、義父と過ごした時間よりもこっちにいる時間のほうが長いのか、と。


 それはどこか寂しく、虚しくもある事実である。

 結局義父は、わたしに何を伝えたかったのか……何を、させたかったのか。

 わからずじまいだった。


 メスタの体の痛みは、ザカールによって引き起こされた暴走の余波だろうと告げられた。


 そして、リドル卿は代々受け継ぐものでなく、千年間もの間生きながらえてきた本物の[暁の勇者]だと告げられる。


 メスタは困惑し、言葉を失った。

 メリアドールは、何を言っているのだ?

 千年、もの間を……義父が……?

 [暁の勇者]本人――?


 最後に、


「どうやらキミはゼータそのものらしい」


 となめらかに述べられたメリアドールの言葉でメスタは息を呑んだ。


「何を、馬鹿な――」


 とようやく言葉をひねり出すと、メリアドールは少しばかり視線を落とし、


「ああ、僕もそう思う」


 と苦笑した。

 すでに人払いはなされているため、今ここにいるのはメリアドールとメスタ、そしてリディルの三人だけだ。

 しかし、メリアドールは言った。


「実際のところ、僕にもわからない。族長だって同じさ。

 真相を知るリドル卿は……もう、いない。

 キミがゼータであることを証明できる人間なんて、誰もいないんだ。だ

 けど、問題は……ザカールも気づいていたらしいことにある。

 リディから聞いている。

 千年前の英雄そのものが、転生なのかどういう技術なのかは知らないけど

 そこに生きている、『かもしれない』。

 これだけでも国を混乱させるには十分だ。

 ……教会の連中だって動き出す。聖女様とか、そういう言い方してね」


 メスタは思わずリディルを見た。

 だがリディルはいつものように、ただまっすぐにメスタをじっと見据えているだけだ。

 そこに、疑いの色など何もないように思え、メスタは少しばかり安心した。

 メリアドールが言う。


「リドル卿から、何か……聞いてない?」


「そう、言われても――」


 メスタは考え込む。

 義父のもとで暮らしたのは、わずか七年。物心が付くまでの期間を考えれば体感はもっと少ない。


 義父は、言ってしまえば放任主義の人だった。

 メスタがその角の特徴から里の子供たちから嫌な目にあっても、疎まれても、ただじっとメスタがどうするのか、どう行動するのかを観察していた節すらある。

 それが嫌で――自分は愛されていないのかという思いもあり、メスタはガジット家に拾われたのを、義父に売られたのだと絶望していた時期もあった。


 しかし、それでも――。

 ふと、思い出す。


「先生、は――」


 記憶の糸をたどるように、少しずつ、少しずつメスタは口にする。


「なんだろう。なんか……変なこと、言ってた」


「変?」


 メリアドールが怪訝な顔になる。

 メスタは小さくうなずき、続ける。


「昔に、囚われるなって――」


 メリアドールが指を口元にあて、ふむと考え込む素振りをする。


「何歳の時?」


「……四歳くらいの時とか、色々……

 七歳でメリーのとこに行くまで、良く先生は言ってた。

 『過去に囚われる必要は無い。お前はメスタだ』って……」


 それは、今にして思えば、ということなのだろう。

 しかしそれ故にメリアドールはまた難しい顔になって言った。


「リドル卿は……。それなら、なぜわざわざキミを育てたんだ?

 ゼータという、それこそ最高の切り札たるキミを、そうでないと……?」


 それは、メリアドール特有の感じ方なのだろう。

 メスタは違う、と感じていた。メリアドールの感じ方とは別の――。

 ふと、リディルが寂しげな顔になって言った。


「リドルさんが本当のお父さんだからでしょ」


「――?」


 メリアドールがリディルを見、「血はつながっていない」と返す。

 リディルは小さく首を振り、言った。


「メスタちゃんどうしたら幸せになれるのか、一番に考えてた。

 でも里のこととか色々あって、隠さなきゃいけないこととかもあって……

 信頼してるメリーちゃんに預けるのが一番だってなった。

 ――だから、リドルさんは、メスタちゃんのお父さんだったんだよ」


 そして、メスタはようやく実感を得る。

 ああ、そうか。わたしは家族を失ったのか、と。

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