第40話:前夜

 メリアドールは苛立っていた。

 里の対応は最悪だ。

 事実、彼らは酷く秘密主義のようであり、国の端にある人里離れたど田舎ともなれば[ハイドラ戦隊]の名声など使えるわけもない。

 非常に不愉快な話だが、アークメイジが無理やりついてきたことは結果として良かったのだろう。

 そうメリアドールは自分を納得させ、何とか苛立ちを収めようと長いため息をつく。

 これでは、メスタも逃げ出したくなるわけだ。


 リドル卿は遺跡探索中の事故で亡くなったとだけ口頭で伝えられ、メスタへの相続手続きは淡々と行われた。

 結局、すべての手続を終えるのに数日かかると言われたメリアドールはそれに従う他ない。


 だが、アークメイジは違った。

 次の日、メリアドールらはアークメイジに連れられ、塔の上で待機していた[翼の王]の元へと案内される。

 やけに、アークメイジはピリピリしているように見え、メリアドールの胃はずしりと重くなった。

 また嫌味でも言われるのだろうか。

 だが、[翼の王]の前にまでやってきた彼女は直ぐに向き直り、真面目な声色で言った。


「情報を共有しておきたい」


 言葉の意図がわからずメリアドールは顔をしかめる。ミラも怪訝な顔になっていることから、本当に突拍子もない状況のようだ。

 だが、アークメイジが一切の動作無く魔法を発動させると、ミラは顔色を変えて周囲を様子を伺った。


「〝次元乖離〟……? あ、その上に、何か被せて……? 幻惑の、何かです……?」


 それは、現存する防御魔法の中でも最高位に位置する絶対防御魔法だ。そこにいるけどそこにいない、という矛盾を体現した魔法であり、敵からのあらゆる攻撃を無効化し、こちらから一方的に攻撃できるもので、自身の肉体と魂を別の次元に被せる魔法と聞いているが、メリアドールでは[完全詠唱]でも発動することはできない。

 だが、報告によれば先の戦いでミラはそれを発動させたと聞いている。

 メリアドールは自身の内側の嫉妬が、ちりちりと熱を帯びていくのを自覚する。


 ――ああ、嫌だな……本当に。


 まるで自分の小ささを見せつけらているようで不愉快だ。

 [翼の王]が言う。


「え、えっ……? き、聞かれちゃ不味いこと、とか?」


 その様子を見て少しばかり安堵してしまったメリアドールはこうも思う。


(自分よりも無知な存在を知って安心するというのは、愚かなことだ)


 と。

 メスタは先日から沈んだままだ。それに寄り添うリディルも珍しく落ち込んだ素振りを見せている。

 アークメイジが一度ミラの頭を撫でてから、「メスタ、お前も聞け」と言ってから皆に向き直った。


「リドル卿は、襲名であり、代々弟子がその名を継いできたと聞いておるな?」


 メリアドールたちは頷いた。

 それは歴代のリドルにだけ伝わる秘術によって行われる儀式であるとも。

 だが、アークメイジは言った。


「あれは嘘だ。リドル卿は名など継いでおらぬ。彼自身が、千年前の英雄そのものなのだ」


 思わず、メリアドールは言葉を失った。

 何を馬鹿な、という思考が


「――それを、母は……」


 という言葉となって漏れると、アークメイジは鼻で笑った。


「知っておる。当たり前だ。このことを知っておるのは、女王と、[盾]の旧剣聖、里の元長老。

 後は……直弟子の儂くらいであろう」


「弟子――?」


 メスタがアークメイジを見る。

 すると、アークメイジは珍しく優しい笑みを彼女に向けた。


「だから、頼れと言っただろう」


 その笑みは、ずっと昔、メリアドールが[弱属性]だと知る前に向けてくれた笑みである。

 メリアドールはぎゅっと奥歯を噛み締めることしかできない。

 どいつもこいつも、という言葉を飲み込み、ただ次の言葉を待った。

 アークメイジが言う。


「リドル卿、我が師は[古き翼の王]の復活を予期していた。

 理由は最期まで教えてくれなかったが。儂は……信じきれていなかった」


 アークメイジが、一度ちらと[翼の王]を流し見、言う。


「……だが母のことで、はっきりした。リドル卿は、真実を知っていたのだ。

 決定的な何かを掴んでいたのだ。そうして、ずっとヤツを追い続けている」


 アークメイジは一度メスタに顔を向け、続ける。


「メスタ、お前のことは儂にもわからぬ。

 だが、師は道楽でお前を育てたわけでは無いことくらいはわかる。

 であれば、お前は……[黒剣のゼータ]のゆかりの者かもしれぬ」


 [暁の勇者]のゼータ・ブラウン。その名は、メスタにとっては呪いであろう。

 元来、[竜人の里]では族長がブラウンの名を継いできたのだ。

 だが、かつての英雄ゼータと同じ捻じれ角を持った者が現れた所為で、里の政治は揺れたのだ。

 とは言え、こんな田舎のことだ。メリアドールは詳しいことまでは知らない。

 ただ、幼いメスタは[リドル卿]に連れられ里を後にし、メリアドール付きのメイドとなったのだ。

 それが子供にやることなのか。

 親友へのこの仕打ち、それだけでメリアドールがこの里を嫌いになる理由になる。

 アークメイジが[翼の王]に顔を向ける。


「翼の。貴様は何か知っているか? いや、思い出せたか? [記録]とやらでも良い」


「えっ。あ、いや、その、すいません、全然わかんないです……」


 どぎまぎと彼が答えると、アークメイジは小さく舌打ちする。


「……師は、千年もの間、[古き翼の王]の復活に備え、牙を研ぎ澄ましてきたのだ。

 それが、事故だと? ありえぬ。――竜人共は遺体の回収すらできていないのだ」


 メスタが、わずかに表情を明るくし、言う。


「じゃあ、先生はまだ生きて――」


 それは、彼女にとって希望である。だが、アークメイジは言った。


「いいや。師の性格を考えれば……こう長いこと姿を見せないのは考えられん。

 だがただの事故とも思えぬ。里の連中からしてみても、想定外であったのは様子を見ればわかる。

 愚かである。長からしてみれば千年生きた英雄の死、

 民からしてみれば弟子もなく途絶えたリドルの系譜。心中穏やかではあるまい」


 ふと、ミラが言う。


「何だか、リドル卿の死を隠そうとしているように見えました」


 だが、メリアドールは違うなという確信があった。あれは、隠そうとしているのではない。

 アークメイジが小さく首を振る。


「ミラ、それは正しいものの見方では無い。彼奴らは確かに愚か者よ。腐ってもおる。

 だが邪悪では無い。里の連中はただ、状況が飲み込めていないないだけなのだ。

 隠そうとしているわけでは無いのだ。ただ、どうすべきかも決断できぬほどに混乱しておる」


 そういう連中を、メリアドールは山というほど見てきた。

 なんとか理由を見つけて、決断をしない、という選択をしてしまうのだ。

 だが、メリアドールはアークメイジと見解が違う。

 即ち、それこそが悪であると考えるのがメリアドールなのだ。

 アークメイジが、皆の顔を見渡してから言った。


「儂がこの里を攻め落とすとしたら、この混乱に乗じる」


 皆に一瞬緊張が走る。


「[古き翼の王]の復活と、ザカールの件、そしてリドル卿。偶然では無い」


 その点は、メリアドールも考えは一致している。

 アークメイジがおもむろに言った。


「メスタ。お前宛の手紙は、誰が書いたのかという問題でもある。

 ――誘い出されたのかもしれぬ」


 皆が黙り込む。

 だからこそ、メリアドールはすぐにでも里を発つべきだと考えている。

 だが恐らくアークメイジの考えは真逆だろう。

 ふと、[翼の王]がおずおずと口を挟む。


「あ、あの、考え過ぎ……とかじゃ――」


 じろりとアークメイジが睨むと、彼はびくりと体を震わせて、


「――ない、です、か。すいません……」


 と肩をすくませる。

 アークメイジがこれ見よがしにと嫌味たらしくため息をつく。


「考え過ぎであったのなら、それはこの後何も起きないということだ。ならばそれで良い。

 ……だがそうで無かった場合、人が死ぬと言っている。

 準備をするのが騎士たるものの努めであり、魔導師である儂の仕事だ」


 すると、[翼の王]はもう一度おずおずと顔を上げ、上目遣いになって言った。


「だ、だったら、すぐにでもここを発った方が――」

「愚かである」


 アークメイジはそう吐き捨て、続ける。


「敵を知るべきだと言った」


 [翼の王]がしょんぼりと肩を下ろすと、アークメイジは、


「母の――記憶で、確信に変わった」


 と前置いてから言った。


「ザカールは、最後は自らが最前線に出てくる男なのだ。性分なのか、生来の傲慢さか――。

 そこに付け入る隙がある。ミラ。

 リジェットがお前に放った[支配の言葉]が一度失敗したという意味を、理解する必要がある。

 奪った肉体の記憶は奪えない、だからこそ、ザカールは自らが出てくる必要があるのだろう。

 ――リジェットがお前の名を間違えるはずが無い」


 ミラが息を飲む。


「え、で、でも、わたし……」


「いずれ話す。誰がお前を守っていたのか――。

 あのリジェットは、お前をミラ・ベルと誤認していた。

 ――ザカールはリジェットの本当の肩書に関しても、知り得なかったはずだ。

 もしもそれを知っていれば、リジェットの姿で何食わぬ顔で女王に近づき、

 [言葉]を放てばそれで終わりだった。それができる立場にいる男だ。

 だのに、それをしなかった。……何故だ?」


 アークメイジは一度ミラの髪に触れてから、考え、静かに言う。


「リジェットが――[暁の勇者]達と共にあった組織、

 [暁の盾]と双璧を為す[暁の剣]の一人であることを知るのは、儂と、師。

 そして現女王、旧剣聖の四人だけだ。

 それを知らず、更にミラがグランドリオであることも知らない上辺の層。

 裏切り者は、だいたいこんなところだろう」


 それは、即ち――。


「ザカールは万能では無い。多くのミスを犯し、そして倒せる相手なのだ。

 前線にさえ、出てきてくれれば。――今が、好機なのだ」


 皆が黙ると、彼女は一度そこで言葉を区切り、満天の星空を仰ぎ見て、


「ドラゴン研究をまだ続けていればな」


 とひとりごちた。

 それは、アークメイジが珍しく見せた弱音であった。

 彼女はすぐに表情を改め、皆に向き直った。


「今、この地において、ザカールの秘密を知らねばならない。

 ここで逃せば、再び[支配の言葉]が世界を駆け巡ることになる。

 それだけは避けなくてはならない。疑心暗鬼になってしまえば、後は内側から食い尽くされる」


 そう言ってからアークメイジはメリアドールに視線をやった。


「故に、今、この地を発つわけにはいかんのだ」



 ※



 こんな形で故郷に戻ってくるとは思わなかった。

 それがメスタの感想であり、同時にそれ以上の感情が湧いてこないのが現実である。

 師のことは突然で、現実味が無く、相も変わらずの故郷の様子をまざまざと見せつけられ、困惑している彼らを見、しかしメスタの心の内に湧いてくる感情は無い。

 師のことは、わからない。心の何処かでまだ生きているかもしれないと思い込みたいだけなのかもしれない。

 亡骸を見たら、泣いてしまうかもしれない。

 だが故郷に何の感傷も抱かなかったメスタは、それが少しばかり嬉しいことだと思えるようになっていた。


 ――もう、私の故郷はここでは無いのだ。


 帰るべき家は、別にあるのだ。

 この里にいる者たちの顔は思い出せない。

 いや、そもそもメスタ自身が見ようとしていなかったのかもしれないが、今となってはどうでも良いことだ。

 ふと、メスタは割り当てられた三人部屋のベッドの一つにメリアドールがいないことに気づく。

 彼女は後で来る、と言ってそれっきりなのだ。

 どうせ、とメスタは少しばかり考えてから、のそのそとベッドから起き上がった。

 突然、「うひゃうひゃ」と妙な寝言を言っていたリディルの目がぱちりと覚醒し、メスタはびくりと身をすくめた。


「どしたの? どこ行くの? トイレ?」


 こいつこういうとこ怖いな、と心の中でつぶやいてから言う。


「メリーのとこ。呼んでくる」


 すると、リディルはにこーっと笑顔になって言った。


「あたしメスタちゃんのこと好き」


「そーかい」


「そんじゃおやすみなさい」


「ン、おやすみ。起こして悪かった」


「すやすや」


「口で言うか」


 歪んだ関係だな、とメスタは自覚している。

 彼女を壊した者たちが悪人で無いが故に、そのやるせない感情のやり場はどこにもない。

 だが、リディルは他人に母親を求めていることはなんとなくわかるし、その対象が自分なのだということも、直感的に理解していた。

 とは言え、彼女の実の母親に言ってやりたいことは山程あるが。


 アークメイジが即席の付呪を施した扉を開け、メスタは外の通路にでる。

 発着場のある塔の中腹に部屋を借りている為、メスタは一度その通路をぐるりと周り上へと続く階段を登っていく。

 三階分それを繰り返すと、ようやく塔の頂上に出ることができた。

 案の定、行き場が無いため外で寝泊まりをするしかない[翼]の彼の足元で、メリアドールは外套を被って寒さに震えていた。

 [翼]の彼がメスタの存在に気づくと、彼はぱあっと表情を明るくする。


「あ、メスタ君。良かった。メリアドール君がね……」


「待て、違うぞメスタ。僕は……防衛上の理由でここにいるだけだ」


「いやいや、メリアドール君……」


「……何か?」


「いや、うーん……」


 彼は困ったように首をひねらせる。

 メスタは苦笑し、ずかずかとメリアドールに近づく。


「やあメスタ、眠れないのかい? それとも僕のことが恋しく――あ痛っ」


 ごちん、とメスタの軽く握った拳骨がゆっくりとメリアドールの頭上に触れる。

 メリアドールは、アークメイジのことが嫌いなのだ。それはわかる。

 だが……ミラのことまで嫌うのは、違うとメスタは考えている。

 恐らく彼が言葉を濁らせたのも、なんとなくそれを察しているからだろう。

 しかし、とメスタは思う。

 優しさと甘さは違う。

 彼は、甘すぎるのだ。

 ……ドラゴンに対して何だかおかしなこと言っているようではあるが。

 彼がアワアワと意味もなく周囲を伺ってから、


「ぼ、暴力はいけない」


 と小声で言った。

 お前本当にドラゴンか? という疑問を持った時、ふとリディルの言葉が脳裏によぎる。

 リディルは、怖いくらい勘が良い。

 そのリディルが、彼のことを『まるでドラゴンの姿をした人間』と言ったのだ。


「お前元人間か?」


 思わず口から出た言葉に自身でも驚いたメスタであったが、それは彼も同じなようだ。

 彼は見るからに驚き飛び退きそうになった後、慌てふためいて、


「あ、い、いや……」


 と言葉を濁す。


 ――何だ?


 メスタは思わず眉をひそめると、彼は小声で言った。


「……ダイン卿から、なんか聞いてる?」


 それこそ意味がわからず、メスタは、


「何がだ?」


 と首を傾げた。

 すると彼は一層困ったようにして、「ううん」と首をひねり考え込む。

 やがて彼は、


「すいません、何か、ええと、も、黙秘、というか、なんとか義務、みたいな……」


 思わずメスタは言った。


「……人間なのか?」


 彼はさっと両の翼で顔を覆う。


「ダイン卿に聞いて……」


 その仕草はまさしく人間のものであり、メスタは苦笑した。

 それは、希望でもあるのだ。

 ドラゴンに姿を変えられても、自我を維持することができる。その可能性そのものなのだ。


「……わかった。今度聞く」


 そう言ってメスタは足元で寒さに震えているメリアドールを右肩に無理やり担ぎ上げた。


「うきゃあ! な、何すんのメスタ!」


「んじゃ、また明日な、翼の」


「えっ? あ、ああ、うん。……迷惑かけるね」


「迷惑なものか。こいつの我儘には慣れている」


 言ってから肩に担いだメリアドールの尻をひっぱたくと、彼女はまた、


「ひゃあ!」


 と悲鳴を上げた。

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