第10話:最初の友達
「パーティ、解散しましたので」
厩の隣で寝藁を借りて休んでいた黒竜は、開口一番ミラにそう継げられて絶句していた。
「えっ!? ええ……、ど、どういうことなのそれは……」
黒竜は、昨晩盛大に悩んだのだ。
もちろんそれは、冒険者になったという期待と不安が原因である。
さあこれからこの人数でやっていくのだとか、みんな良い人そうで良かったとか、前衛がどうとか後衛がどうとか、そして貴族たちからの横やりもあるのだろうなとか、でもみんなでそれを乗り越えて何とか故郷に帰ろう、そして人間に戻ろう、よし頑張ろう、と決意をしたところだったのだ。
だが全部崩れた。
……実はすっごい仲が悪いパーティだったのだろうか。
いやひょっとして、自分が原因で何か色々あったのだろうか。
問うと、彼女は淡々と語りだす。
「今回の冒険の結果がトランの奥さんにバレて、トランが引退しましたので」
「え、ちょ、ちょっと何言ってるのか良くわかんない。……キミなんか怒ってる?」
なんだかピリピリしているように見え、黒竜はおっかなびっくり問うて見た。
「怒ってません」
ミラはつんとした態度を崩さず、黒竜の鱗にひっついた藁を手ではたき落としていく。
「……怒ってるよね?」
「……は? 怒ってないって言いましたよね?」
(ぶ、ぶちギレとるやんけ……)
じとりと睨みつけるミラを見て、黒竜は呆れ返った。
ミラはぷいと視線をそらし、黒竜の尻尾にひっついている藁を乱暴にはたき落としていく。
だがまあ、これでも年の離れた妹がいる身だ。
ミラは十五歳と聞いている。
まさに思春期真っ只中ではないか。
きっと何だか良くわからない甘酸っぱかったりするようなしないような思いと共に謎のポエムでも歌いたいようなことがあったのだろう。
黒竜は勝手にそう納得し、なるべく優しい声色を意識して言った。
「私でよければ……その、なんだ。こんなナリだ。力にはなれないかもしれないが、愚痴くらいは聞くよ」
その様子がおかしかったのか、ミラが目をぱちくりとさせてから少しばかり吹き出した。
「なんですそれ」
愛らしいな、と黒竜は思う。
妹はまだ十歳だったが、もう五年も経てば彼女のように突然怒ったりとかそういう時期も来るのだろうか。
「キミたちしか頼れる相手がいないのだ。この世界の情報にも疎い。ならば今、私の命運はキミたちが握っていると考えて良いと思っている」
故に、このやり方が正解なのかはわからなかったが、とにかく黒竜は下から出てご機嫌を伺うことにした。
事実、[禁書庫]の〝次元融合〟に関する情報が欲しい身としては彼女たちしか頼れる存在がいないのだ。
過去に何度か[禁書庫]に立ち入ろうとした者はいたらしい。
が、例外なくそういった輩は悪を働こうとするもので、他人を支配する魔法や不死の呪法を、最悪の場合は[古き翼の王]の復活をもくろんでいたという。
であれば、まさにその[古き翼の王]そのものと言わんばかりの黒いドラゴンが[禁書庫]への立ち入りを求めたとして、誰が認めてくれようか。
それどころか[魔獣]扱いの為、この街の図書館にすら入れないのだ。
すると、頼られるのはそんなに嫌いでは無いのか、ミラは少しばかり表情を綻ばせ、首を傾げた。
「そうです? あなたが蹴散らしたゴーレム。あれ一体一体が[黄金級]冒険者以上の強さですよ?……やろうと思えば、この街だって滅ぼせちゃうんじゃないですか」
その[黄金級]が実際どれほど強いのか良くわからないため返答につまった黒竜であったが、それとは別の感想を覚える。
――ああ、この子は少しやけになっているな。
パーティが解散してしまったことで、心の拠り所をなくしてしまったのだろうか。
今まで築き上げてきたものが突然崩れてしまい、もうどうでも良いやとなってしまったのだろうか。
あるいは――見知った人、白金級冒険者の全滅が絡んでいるのだろうか。
行方不明のリジェットという魔導師の男性は、この街を出発してから[アガレス山脈]までの数週間、ミラにずいぶんと良くしてくれたらしい。
ミラが首元につけている淡い緑色の石の首飾りは、リジェットが渡したものだとも聞いている。
とは言え、その辺の内情は流石にわからない。
黒竜はまた少しばかり考えてから言った。
「それは、わからない。でもねミラ君。私は……確かに、私は故郷に帰りたい。
できることなら今すぐにでも。だが、この世界にはこの世界のルールがある。
この街にはこの街の生活があり、そこに多くの人たちが住んでいるのだ。
だったら、私の事情にキミたちの生活を巻き込むわけにはいかない。私は、そう考えている」
なるべく、丁寧に、そして優しい声色を黒竜は意識する。
年頃の子は男女問わず、『うるせー知るか』で耳をふさいでしまいがちなのだ。
自分もそうだった。
理性に感情が勝ってしまうのだ。
理不尽に対して過剰に怒ってしまうのだ。
ちゃんと良く見れば、良く聞けば、良く知ればそれは理不尽ではなく自分も使うことのできる武器なのだと、気づくことができるのに。
一方的に世界は自分の敵だと思いこんでしまうのだ。
そして最後は気恥ずかしいポエムを書いたり歌ったりするのだ。
それは恥ずかしいし避けたい。
下手したら彼女の隣でそれを聞かされるかもしれないのだから。
それは、妹のポエム集を偶然見つけてしまった兄の居心地の悪い思い出である。
ミラが黙って耳を傾けてくれているのを確認した黒竜は、ゆっくりと続ける。
「昨晩、ずっと考えていた。私はどうすれば良いのかを。
何をすれば、元の世界に帰る算段――〝次元融合〟にたどり着くことができるのか。
答えはまだ見つかっていない。だが、やはりというか、今すべきことはすぐに見つかったのだ」
ミラが視線で「それは?」と問いかける。
黒竜は、自身を持って言った。
「金と、信頼が欲しい。金がなければ何もできない。
信頼がなければ[禁書庫]に近づくことすらできない。
だが、見ての通り私はこんな姿だ。
忌み嫌う者だっているだろうし、勝手に振る舞えば悪い印象を与えてしまう。
それは避けたい。今は街のルールに則って行動しなければならない理由があるのだ」
ふいに、ミラが言った。
「……『今は』って、言いました?」
しまった、失言だった。
不要な危機感をもたせてしまったのではと黒竜は内心ひやりとしながら彼女の顔色を伺った。
だが、ミラは真面目な顔を黒竜の耳元にぐっと近づけ、言った。
「わたしは……本当は、お金なんていらないんです。
義姉さんの病気だって、回復に向かってるし……。ブランが、助けてくれたんです。
良い治癒士を見つけてくれて。
それに、冒険者になってからたくさんの人が協力してくれたんです。
帰ってこなかった……リジェットだって……」
黒竜には、ミラが泣いているように感じられた。
黒竜は優しく、
「そうか」
と返す。
ミラが言った。
「わたし、みんなとまだ一緒にいたかったのに……トランに、冒険者やめろって言っちゃいました。
だって、もうすぐ赤ちゃん生まれるのに、冒険続けるトランは馬鹿で、
それ許してたアメリアはもっと馬鹿で、だけどアメリアはもう無理って、
ハハ、ほんと、ほんと馬鹿、馬鹿!!」
それは、彼女の心からの叫びだったのだろう。
優しい子なのだ、と黒竜は思う。
だが同時に別のことも思っていた。
それは――
(内容が断片的すぎて全然わかんない……何これ……)
そもそもアメリアって誰よ、と言いたくて仕方がなかったが、いよいよミラは嗚咽混じりで必死に涙をローブの袖で抑えはじめた為それも不可能だ。
とりあえず今得ている情報だけで必死にパズルのピースを埋めていき、黒竜は可能な限り当たり障りのない言葉を選び、さもわかったかのようにして優しく彼女の黒髪を翼で撫で、言った。
「キミは、強いのだな」
恐らく、恐らくだが、ミラは冒険を続けたかったがトランとアメリアなる者の為に自分からパーティを抜けたのだ。
きっとそうだ。そうであってくれ。
そう願いながら、黒竜は嗚咽を漏らす彼女に続ける。
「ミラ君。キミは、トラン君たちの為に、キミ自信がやりたいことを諦めてあげたのだ。
きっとそれは、皆が幸せに暮らすための、大切なことなのだと思う。
誰かのために――そういうことができるキミを、私は尊敬するし――友達に、なりたいと思う」
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