第9話:冒険者ミラ・ベル

 黒いドラゴンの冒険者登録がかろうじて完了した、次の日。

 行きつけであった東門付近の酒場に集まったミラたちは、テーブルを囲んで朝食を取っていた。

 ミラが果物のジュースを口に運び、小さくため息をつく。


「あれ何だったんです?」


 それは、昨日の――自称[ドラゴン殺し]の連中の件だ。

 ミラは、嫌いなものが多い。

 それは、風習だったり、仕組みだったり、人だったり。

 だから、本当なら引く手数多だった[魔術師ギルド]の推薦を全部蹴ってここにいるのだ。

 無論、大きく心を突き動かした別の問題もあるが――。


 ミラは、自分の言葉が棘だらけになっていることにも気づかずにジュースをぐいと口に含ませる。

 果物のジュースは、好きだ。

 特に[グランリヴァル]には、千年以上前から続く貴族、[チェルン家]が取り仕切る大規模な農業地区があり、新鮮な果物や野菜が安く手に入る。

 貴族嫌いなミラの、数少ない『まあ評価してやらなくもない』家でもある。

 ブランダークが苦笑して言った。


「見ての通りでありましょう。貴族たちの道楽というやつですな。偉大で高名な[ドラゴンスレイヤー]」


「……ふーん?」


 ミラはもう一度果物のジュースを口に含みながら、隣に座っていたメスタをじとりと横目で見、「元副団長さん?」と嫌味を言った。

 どいつもこいつも、貴族で名家で――結局は道楽か。

 無論、ミラだって貴族に一人も友人がいないわけでは無い。

 だがそういう子らは、基本的にその界隈でもはみ出しものなのだ。

 大抵の連中は、きらびやかな服を着て、美味しいものを食べ、毎日を笑って過ごしている。

 ――こっちは親なしの孤児院出身だというのに。

 何がどうとか、こうとか言われたところで。いくらでもある意味のない励ましの言葉を言われたところで、現実は変わらないし、動かない。


「……黙っていたことは、謝る。ごめん。だけど、あそこの副団長ってそんな大したことじゃあ無いから――」

「貴族だったんだ?」


 それは、ミラの妬みである。

 一年前、一人ぼっちで黙々と依頼をこなしていたメスタを誘ったのは、そして友達になったのは自分だという自負があり、立場も何もかも対等なのだと思っていた。

 それ故に、裏切られたという気持ちが微かにある。


「違うよ。道楽で拾われただけ」

「――? それで貴族の道楽の副団長?」


 言いながら、ミラはこだわりすぎていると自覚する。自分の口調が攻撃的になってしまっていることも。

 だが、メスタの表情はどこか懐かしむような、それでいて少しばかり嫌な思い出があるような、複雑な顔をしている。

 やがて小さく首を振り、メスタは苦笑した。


「メリアドール・ガジットはそういうやつだってことさ」


 ミラはきょとんとした顔になる。どういう意味なのだ?

 ブランダークが静かに言った。


「三年ほど前のことです。

 ――形骸化しながらも腐敗し、その権力によって謀略をはたらいていた[ハイドラ戦隊]。

 ……ミラ殿が貴族を嫌うのが良くわかるほど、彼らは自分の目から見ても酷い有様でした。

 本来は対ドラゴン用に結成された[暁の騎士団]の最強の隊であったというのに……。

 やがて、[暁の勇者]たちの所属する騎士団という権威だけが残り、

 ドラゴンはついに現れず時だけが経ってしまえばああもなりましょう。惨いものです。

 ですが、それをもう一度元の姿に戻そうと志した者がいましてな」


 ブランダークは木の椅子にそっと背を預け、懐かしむように天井を見上げた。


「彼女は紛れもない天才でありました。

 そして、腐敗した[ハイドラ戦隊]はエリートでは有りましたが、

 実戦経験を積んだ者は一人もいませんでした。

 だからこそ、年端も行かぬ少女との決闘に彼らは敗北したのです。

 結果として当時の団員の全てが隊を追い出され、今の人畜無害な……

 ごっこ遊びの[ハイドラ戦隊]が誕生したわけですな」


 だが、ミラは「人畜無害?」と首を傾げる。

 その言葉には、いるだけで有害だろうがと言う意味も含めている。

 それに、とミラは問う。


「[暁の勇者]たちが作った時に戻すんじゃなかったんです?」


 すると、ブランダークは笑って言った。


「理想は所詮理想ということです。

 それでも腐敗した組織が無力化されたのですから、我々国民としては十分ではあります。

 あれが少し前の[ハイドラ戦隊]でしたら、我々の話など聞かずに真っ先に彼の討伐、

 それも国の兵を無理やり動員して戦火を開くなんて真似をしたでしょうが……」

「なーんもせずに帰ってったもんな」


 ふと、ぼーっと頬杖をついていたトランがそう続いた。

 ブランダークが「ですな」と頷く。


「今頃彼らは、緊急会議と称する戦隊ごっこに夢中でありましょう。

 メリアドール団長殿はお人好しで有りすぎる故に、隊をまとめあげることが苦手な様子。

 ……この辺りの内情は、自分よりもメスタ殿の方がお詳しいやもしれませぬが」


 話題を振られたメスタは、やめてくれと言わんばかりに首を振り、言った。


「あいつにそんな志は無いよ」

「ほうっ」


 だが、思いの外ブランダークが食いつくと、メスタはため息をついてから言う。


「[ハイドラ戦隊]の復活は表向きの理由さ。あいつにとって都合が良かっただけ。実際のところは……正直――何だったんだろうな。いろんな嫌なものから、みんなの手を引いて……」

「ふーむ、でありますか」

「それよりも、問題はあのドラゴンのことじゃないのか?

 あいつら、[暁の勇者]の遺品とか集めるのは大好きだからさ。宝石集めと同じだよ。

 だからああいうのは絶対欲しがる。部隊の再建っていう表向きの理由としても」


 また、ブランダークが「ふむ」と考えてから言った。


「自分の見立てでは、[ハイドラ戦隊]は彼の首か、あるいは従属を求めているのではと考えていますが――。メスタ殿の見解は?」


 まさか、とメスタが笑って言った。


「メリーは――メリアドールは、そんな人じゃないよ。……甘い人だと思う。だけど、他の子たちのやりたいことなら想像がつく」

「ほう、それは?」


 と興味深げに問うブランダークに混じって、ミラは誰にも聞こえないよう小声で「メリーって呼んでんだ……」とつぶやいた。

 じゃあ、もう、メスタはミラなどよりもずっと彼女たちと仲が良いではないか。

 嫉妬している自分が、余計に惨めに思えてくる。

 メスタが続ける。


「着飾らせてはしゃぎたいだけさ。それで晩餐会にでも一緒に出して、自慢する。

 『我々[ハイドラ戦隊]は伝説のドラゴンを従えたのだっ!』ってね。

 みんなそれで十分だって考えてるし、

 逆に言うとそれさえ呑んでくれればいくらでも自由にしてくれて良いって考えるタイプ」

「ふーむ……。しかし、幼少時よりガジット家の住み込みメイドであったメスタ殿の言うことならば、信じるに値する情報でありましょう」


 ――住み込みの、メイド?

 それも、幼少時……。

 ならば、もはや大親友を通りこして家族のようなものでは無いか。

 ミラはぎゅっと唇を噛んだ。

 同時に自分の心の醜さも思い知る。

 初めての、対等な友達だと、そう思っていたのに。


「……そこまで説明したことは無いと思うが?」


 メスタが眉を潜め咎めるような口調で言うと、ブランダークは快活に笑って言った。


「メスタ殿はご自分が目立っていることを自覚すべきでありましょうな。

 ガジット家が[竜人]のメイドを雇った。年齢は七歳。働くにはあまりにも幼い子供である。

 この程度の情報ならばあちらからやってくるものです」


 ――七歳。


 ミラは、メスタより一つ年下の十五歳だ。

 メスタが七歳で現王家であるガジット家に拾われたのと同じ時期、六歳だったミラは[孤児院]で才を見いだされ、[魔術師ギルド]に通いはじめたのだ。

 それからミラは、[孤児院]では無くギルドの宿舎で寝泊まりをし、学び、本来ならば十六年かかる魔導過程をわずか四年で全てを終え、名声と、莫大な嫉妬と恨みを得た。

 アークメイジが実力主義に傾倒していたのも、原因なのだろうと今になって思う。

 ミラは、アークメイジには溺愛されたのだ。

 言われたことが全て出来たから。

 他の魔道士たちが苦労してやっとできる魔法を、ミラは一度見ただけで即実践し、応用できたのだ。


 [魔術師ギルド]は、才能の極地である。

 努力だけでは決して覆せないものがある。

 そして、魔法に関してだけ言うのなら、ミラは全てを持っていた。

 そこに通う大勢の貴族たちが、霞むほどの魔力と才能を――。

 皆、それなりに親から甘やかされ、期待されて[魔術師ギルド]へとやってきたのだろうことは容易に想像がつく。

 付呪の仕事も、魔法で動く自動人形ゴーレムも、[飛空艇]の動力も、街の明かりも、何もかもが魔術によって作り出されているのだ。

 魔法を自在に使うことは、即ち選ばれたものの特権であり、エリートの象徴である。

 その先に、他の名家を差し置いてミラはあっという間にたどり着いてしまったのだ。

 その妬みは、計り知れないだろう。


「――さて、本題に戻りますかな」


 ブランダークが少しばかり身を乗り出し、大きな腕をテーブルの上に乗せた。


「かろうじてでありますが、彼は冒険者登録がされました。

 ですが、この程度なら貴族界隈の圧力でどうとでもなってしまいましょう。

 彼は我々にとっての恩人でもあります故、

 このまま貴族連中らに連れて行かれるのを黙ってみているわけにはいきますまい。

 冒険者としての仁義が廃れます」

「あのドラゴンはなんて言ってるんです?」


 と、ミラが口を挟んだ。

 誰かのことを勝手に決め、勝手に話を進めるのは好きでは無い。

 彼の意志を尊重すべきではないのだろうか?


「『良くわかんないから任せる』ってさ」


 すぐにメスタが続くと、ブランダークが言った。


「ずいぶんと信頼されておりますなぁ」

「……心細いのかも」


 と、ミラは思ったことがそのまま口に出た。

 自分だって、一人の時はそうだった。十歳の時に魔術師ギルドを飛び出し、冒険者として四苦八苦していたところをトランたちに救われて、頼り切り、意志の選択を全て任せきりにしてしまっていたのだ。

 頼り切ってしまう、というよりも、すがってしまうという方が正しい表現かもしれない。

 結果として今があるのだが、それは人とめぐり合わせに恵まれたからにすぎない。

 即ち、ただ運が良かっただけである。

 ブランダークがまた何かを考え込む。


「トラン殿はどうですかな?」


 すると、先程から心ここにあらずといった様子のトランはげんなりとした様子になって言った。


「……アメリアに、泣かれちゃって」

「えっ」


 ミラが思わず声を上げる。

 アメリアとは、半年前まで一緒にパーティを組んでいた薬師の女性だ。

 ミラに声をかけてくれた、最初の人。

 綺麗でおしとやかな、理想の女性だった。

 パーティの戦利品の売買や、薬の調合、諸々冒険の土台として喉から手が出るほど欲しい縁の下の力の殆どを持ち合わせていた人でもある。

 今はトランとの間に子供ができたので冒険者を引退し、その代わりにメスタが入ったのだ。

 だからこそ、少しばかり苛立つものもあるミラは、またつい攻撃的な口調になってトランに言ってしまった。


「冒険者の妻なんだから覚悟がどうとかこうとか、言ってませんでしたっけ」

「おー言ってた、言ってたさ。つーかこのパーティだって立ち上げたのあいつだしな」

「え、そうなんです? それは初耳……」


 てっきりトランが彼女を誘ったのだと思っていたが……。

 ミラが困惑していると、ブランダークが口を挟む。


「懐かしいですな。あの時はトラン殿もアメリア殿も十五でありましたか?」

「へ、ぇ……」


 ふと、ミラは思い出す。

 アメリアが自分を誘ってくれたのは、ミラが十歳の頃だ。

 あの時トランは、『こんな子供に戦いをさせるのか!』と顔を真赤にして反対していたが……。

 ミラは今になって呆れ、同時に自分がこのパーティのほぼ初期メンバーだったことも知る。

 彼らは、同じタイミングで冒険者になったのだ。

 トランが頬杖を付きながら言う。


「でもさー……『やっぱ無理』って」

「あー……」


 ミラが呆れて気のない声を出し、ブランダークが、


「乙女心でありますなぁ」


 としみじみ述べる。

 ミラは再び果実のジュースを口に運びながら、またじろとトランをにらみ言った。


「……で、アメリアがやっぱ無理だとどうなるんです?」


 すると、トランは申しわけ無さそうに視線を落とし、深くため息をついた。


「『危ないことしないで』って……」

「危ないことしない冒険者ってどうなんです?」


 ミラが淡々と突っ込むと、トランは更に小さくなった。

 ミラは一度、トランの横顔を見てから、小さく鼻を鳴らす。


「だからあの時言ったじゃないですか。さっさと冒険者辞めて、定職につけって。ブランの誘いだってあったのに」


 彼が結婚を決めた際、ミラはそう進言したのだ。

 そもそも、最初に『子供と奥さんを置いて冒険に出かけるんですか』と怒ったのはミラであるし、それに対してのアメリアの反論が、『冒険者の妻なのだから覚悟はしています』であったのだ。

 故に、今ミラは非常に呆れ返っている。

 お前らちょっとふざけんなよ? という言葉が喉元にまで来ている。

 トランが慌てふためいて言い訳をする。


「だ、だがなミラ。冒険者ってのは――」

「ご自分の子供を父無し子にするつもりなんですか」


 ミラの言葉で、トランは黙りしゅんとなってしまった。

 それは、既に父と母を失っているミラの静かな怒りである。

 親のいない子の苦しみは、身にしみている。

 そういう意味では、同じように親のいないメスタだからこそ、本当の意味でわかりあえた友達だと思っていたのだが……。

 それでも、少しずつ内情を知れば、ギルドの宿舎で暮らしていたミラとやっぱりどこか似たような境遇であることもわかり、先程感じていた苛立ちは消えむしろきつく当たってしまった後ろめたさや申し訳無さのほうが勝っている。

 だが、胸のうちにある微かな思いもあるのだ。

 即ち、


(言ってくれれば、もっと仲良くなれたのに……)


 である。

 ミラは、メスタには自分のことを――トランたちにも言っていないことを、全て話してある。

 でも、メスタは話してくれなかった。

 たったそれだけのことが、子供じみた妬みとなって少しばかりミラの態度を本来のものから遠ざけた。

 トランは視線を落とし、言う。


「なあ、ミラ。……俺は、勝手な男だと思うか?」

「思うから言ってんです。そもそもお腹の大きなアメリアを残して冒険に行くこと、わたしは反対しましたよね」

「それは――。い、良い稼ぎになると、思ったんだ。……これが、最後って、そういうつもりだった」


 トランは一度言葉を区切り、頭を抱えた。


「……結局、俺が焦っていたってことなんだよな……。それにみんなを巻き込んじまって――」


 そして、全滅しかけたのだ。

 あのドラゴンが来なければ、誰も生きて帰ることはできなかっただろう。


 だが、ミラとしてはそこは別に気にしていないのだ。

 彼女にとっての問題は――想いは、そこではなく……。

 それは言葉にできず、かと言って心に思い描くことすらできない淡い感情である。

 ミラにはそれがまだ何なのかがわからないし、仮にわかったとしてももう終わったことであり、結果の出たことなのだ。

 トランは、アメリアと結婚したのだから。


「問題は山積みでありますなぁ」


 と、ブランダークが穏やかな表情で言った。

 だが、ミラがおもむろに言う。


「……わたしは、まだですから」


 それは、何に対してなのか自分でも良くわからない言葉だった。

 ただ漠然と、まだだ、と何かをそう思いたかった。

 彼女はちらと横目でメスタを見、言った。


「わたしは冒険者を続けます。まだ、終わりたく無いので」


 ――それは、何を?

 自問しても答えは見つからない、漠然とした何か。

 果実のジュースを一気に飲み干したミラはすっくと立ち上がり、言った。


「わたしには、お金が必要なんです」


 それは自分への言い訳である。

 孤児院への仕送りはしている。

 それなりの額は送っているつもりだ。

 ……孤児院でミラの母親代わりをしてくれた人は、病気にかかってしまった。

 治療費は、ミラが出している。

 決して治らない病気ではない。

 それを差し引いても、蓄えは十分ある。

 現時点でお金には困っていないのだ。

 それに実戦をたっぷりと詰んだ[魔術師ギルド]出身の若き天才魔導師など、誘いはいくらでもある。

 何度か貴族や商人から妾に、あるいは魔法の講師にと誘いもあったくらいだ。

 ミラが本当にお金に困っているのなら、その選択肢のほうが遥かに稼ぎは良くなるだろう。

 だがミラはそれを断り、男からの誘いを不快に感じ髪を短く切り、だと言うのに今『お金が必要だ』という理由をぶつけてしまったのだ。

 それは自分でも抑えきれない、何かに対する反抗である。


「だ、だったら――」


 とトランが食い下がるが、ミラは冷たく言い放った。


「わたしの事情に仲間の家庭を巻き込むつもりは無いと言ったんです。

 トランはちゃんとアメリアと一緒になって、お父さんをやってください。

 それと、ブランから神殿騎士に誘われてる貴方は、自分が恵まれているということをわかってください」


 そして、ミラは逃げるようにして酒場を後にする。

 今までで一番、胸の奥が痛んだ気がした。

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