第三章:城塞都市 遺跡探索編

第27話:メリアドール姫と魔術師ギルドへ 前編

 メリアドール・ガジットは憂鬱であった。

 それはいつものように隊の面々が適当な理由をつけて訓練をサボるから、というだけが理由では無い。

 メリアドールは、自分を不幸だとは思っていない。家柄、才能、容姿、全てにおいて恵まれており、その自負が少しばかり彼女を傲慢にしていた。

 だが、それが彼女自身の楔となって思考をネガティブに寄らせている。

 メリアドールの左手の甲には、[勇者の刻印]が刻まれている。

 それは一度、王家に生まれた子全てに受け継がれるのだ。

 そして王位が継承される際に、賢王が残した秘術により当主の元に統合される。

 代々そうして、グランドリオ家の[刻印]と、ガジット家の[刻印]は共に国を守る象徴として位置づけられてきたのだ。

 加えて、彼女は全ての精霊に愛される[全属性持ち]である。

 ……それが、いけなかったのだ。


 メリアドールは今にして思う。

 メリアドールに伸し掛かる周囲の期待は、無限だった。

 剣を教わり、魔法を教わり、概ね考えうる限りの英才教育を施され、結果として誕生したのはどっちつかずの出来損ないであった。

 剣ではリディルに歯が立たない。魔法でも……[魔術師ギルド]きっての天才と謳われるミラベル・グランドリオの足元にも及ばない。

 もしもメリアドールが王家の血筋でなければ、それこそ両手を上げて稀代の天才と称賛されたかもしれない。

 だが、それ以上の期待が重しとして伸し掛かり、メリアドールを押しつぶした。

 故に、メリアドールは自身が内心ではリディルとミラベルを憎んでいるのだと自覚していた。


 彼女にとって幸運だったのは、リディルが良い子であったこと。そしてメスタとの出会いだろう。

 周囲の期待に潰されたメリアドールは、兄と姉から向けられている嫉妬の目から逃げるようにして自分を偽った。


 [グランイット帝国]は、女王の家系である。

 嫁いできた男が早死にするというジンクスはあるものの、子を為すことは必須である。

 メリアドールは、次第に男のように振る舞うようになった。同年代の少女を恋人のように連れ歩くようになっていったのだ。

 それが歪んだ逃避であると理解しながらも、兄と姉からの目が妬みや憎悪から冷ややかなものに変わったのは、メリアドールにとって救いであるし、肉親から向けられたその冷たい視線は絶望である。


 かつて彼女を讃えていた者たちの視線は、もっと冷徹であった。

 子を為さないのであれば、そしてその勝手な振る舞いから女王の器ではないと見なされ、見限られ、代わりにメリアドールは自由を得たのだ。

 だから、メリアドールは自分を不幸だとは思っていない。

 少なくとも、良い友人には恵まれているから。

 こんな嘘つきの自分でも、慕ってくれる者たちがいるから。

 メリアドールは、虚勢を張って生きていくことができるくらいには、前向きになっていた。


 だが、彼女にとって不運だったのは、ミラベル・グランドリオが[ハイドラ戦隊]というメリアドールの巣にやってきてしまったことだろう。

 ミラベルは、正真正銘の、本物の天才なのだ。

 その存在を知った時、まず最初に同族意識を持ち、次に嫉妬し、やがて敬意を抱き、最後は軽蔑した。

 それほどの力がありながら、才能がありながら、ああも浅はかなミラベルという小娘はメリアドールにとって愚者そのものであり、だというのにメリアドールでは手が出ない圧倒的な魔力の持ち主なのだ。

 そして、それが本家の唯一の血筋なのだとわかれば、国を捨て一人の男を選んだ前女王の汚名と共にミラベルという小娘を妬んでしまった。

 だが、それが自身の歪みであると理解している彼女であるから、態度や表情には出さないように努めてはいる。


 そういう意味では、思ったことを平気で口にするリディルや真正面からぶつかっていくメスタのことを羨ましく思っていた。

 彼女たちのような素直さが自分にわずかでもあれば、ひょっとしたらミラベルに負の感情を抱き続ける必要はなかったかもしれないのだから。


 ともあれ、メリアドールは今、[ハイドラ戦隊]専用の獣車で[魔術師ギルド]へと向かっていた。

 未だに目覚める気配を見せないミラベルを救う、その助力を求めてのことだ。

 これも、メリアドールの仕事であった。



 ※



「こ、これ凄いねメリアドール君」


 黒竜が大きな口をあんぐりと開け、ぼやりとそうつぶやいた。

 [城塞都市グランリヴァル]の外れ、壮大な山々に寄り添う形で作られた大きな塔がある。

 階層にして七十階もあるその高く巨大な塔は、高名な魔導師であった[竜の司祭]ザカールによって設計されたものだ。

 他の歴史ある建造物と同じくドラゴンの時代の建造物であり、ザカールによる強力な付呪によって未だに外見は新築のように白く輝いている。

 それはある種、人知を超えた偉業であり、未だに同じ[付呪]を再現できたものは一人としていない。

 高みに近づくための研究こそが、その塔を管轄する[魔術師ギルド]の原点なのだ。


 メリアドールと同じく[魔術師ギルド]の長、アークメイジに会うためやってきた黒竜であったが、彼はまるで田舎の農村から出てきたばかりの農民のようにキョロキョロと落ち着かない様子で数々の塔を見やる。

 既に、世界各国に邪竜[古き翼の王]の復活は知れ渡ってしまった。

 本国で彼の処刑を望む声は根強い。

 どういう風の吹き回しか、女王である母がそれを抑えてくれているようだが――。

 ぐるりとギルドの領地と学び舎、宿舎を囲う、塔と同じく白亜に輝くなめらかでツギハギのない石の壁を見た黒竜が、


「これ、どういう原理……?」


 と訪ねた。

 これら全てに、魔法無効の[付呪]が施されていると説明してやると、黒竜は少しばかり困惑した様子になる。


「ぜ、全然わからない」


 これのどこが邪竜なんだ、とメリアドールは内心で苦笑しながら、答えてやる。


「魔法とは、世界との対話だからね。僕の意志が源、それを魔力という手紙に書き、世界に送る。

 すると漂う元素精霊たちが反応し奇跡を起こす。

 それの逆をやるのが魔法無効化の[付呪]ってわけ。……わかる?」

「わからない。凄いね」


 その言い草がおかしく、メリアドールは笑った。


「ふふ、まるで普通の人だね」


 言ってから、皮肉に聞こえてしまったかもしれないとメリアドールは後悔したが、なぜだか黒竜は嬉しそうにぱあっと表情を明るくして言った。


「いやぁ、すまないねほんと!」


 人間扱いされて喜ぶドラゴンがいるのか? という疑問が浮かんだが、やがてやってきた魔導士たちの姿を捉えたメリアドールは直ぐに気を引き締める。

 これから、嫌な者の相手をしなければならないのだから。


 やがて、その魔導士らに敷地の内部に案内されたメリアドールと黒竜は、[魔術師ギルド]の更に端に位置する最も古く巨大な塔、[探求の塔]へと足を踏み入れる。


 [魔術師ギルド]は特殊な空間だ。

 それは別に次元的なものではなく、雰囲気的なものである。

 一見すれば普通の学校があり、普通の宿舎があり、大人たちも普通に仕事をし暮らしている。

 だが、倫理が異なるのだ。


 [魔術師ギルド]では、才能が全てである。

 無論、努力が無価値というわけではない。

 だが、そういう論調を主とする者は、[戦士ギルド]や[冒険者ギルド]に行けば良いという空気が[魔術師ギルド]内にあるのだ。


 それは偏に、生まれ持っている素質によるものだ。

 魔法にはその人が個々に持ち得る先天属性がある。

 それは光、闇、火、水、雷、土、風、氷の八属性であり、後天的に変わることがない絶対的なものである。

 扱いやすさの差こそあれど、どの属性が強い、ということはない。

 全てに置いて利点と欠点があり、その点での優劣は[魔術師ギルド]内には存在していない。


 問題は、その属性を複数生まれ持った者の存在である。

 一つ持ちよりも圧倒的に優位なそれは、[魔術師ギルド]に置いては天才と呼ばれ、例え本人が多少鈍かろうと、学問が苦手であろうと、[魔術師ギルド]は徹底した教育を行い強大な魔導士を生み出してきたのだ。


 そして、メリアドールとミラベルは、世界に二人しかいない[全属性]持ちだ。

 特に、その[全属性]が[弱属性]であるメリアドールと違って、全てが[強属性]であるミラベルは[魔術師ギルド]創設以来――ザカールの再来とまで謳われるほどの強大な魔力の持ち主なのだ。


 故に、メリアドールはその才能が妬ましい。

 何故よりにもよってお前なのだという怨嗟の声が喉元まででかかったメリアドールは、ここまで心が醜く変質したかと戦慄し、重く息を吐ききった。


 ふと、こちらを品定めするようにしてこちらを見据える女性に気づき、メリアドールたちは足を止めた。


 塔の中心に位置する大階段の踊り場にいたその女性は、白くなめらかなローブに身を包んでおり、随所に散りばめられた儀礼用の[魔法石]が、彼女の地位の高さを知らしめている。

 腰まで伸びた長く艷やかな髪は鋼のように冷たい銀、どこか性的な熱を感じさせる茶褐色の肌の滑らかさは、女性の年齢を外見からは判別できないものにさせている。

 それもそのはずだ。

 長く伸びた耳が、長寿である[エルフ種]であることを示しているのだから。


 彼女らは、[エルフ種]の中でも特に強い魔力を持ち、種の母である森を捨て、自然を捨て、魔道に進み強靭な肉体を得た自らを[ハイエルフ]などと自称しているが、メリアドールにしてみればただの傲慢な[エルフ]である。


 同時に、メリアドールにとっての嫌な人であり、ミラベルにとっての良き人でもある。

 即ち、[ハイエルフ]に漏れず徹底した才能主義者。

 隣りにいた黒竜が、礼儀を知らぬ田舎者のようにおどおどしながらメリアドールとアークメイジを交互に見る。

 メリアドールは一歩前へ出、アークメイジに深く頭を下げた。


「お久しぶりです、アークメイジ」


 カトレア・オーキッドという彼女の名は呼ばない。それはメリアドールの意地であり、弱さでもある。

 すると、冷ややかな声色がメリアドールに向けられる。


「下位互換の姫君がご顕在で何より」


 それは、メリアドールを歪めた大人たちの象徴そのものに見えた。

 隣りにいた黒竜が困惑した様子で、


「え、ええ……」


 と小声で絶句した。

 メリアドールは顔を上げ、笑顔を取り繕った。


「お変わり無いようで、アークメイジ」


 それは精一杯の皮肉である。たかだか三百年生きているだけの、本来[エルフ種]ならば若造の彼女がこうも増長できるのは、三百年前の[魔法大戦]で高齢の[エルフ]が戦死したからに過ぎない。

 それを知るメリアドールからしてみれば、偉ぶる彼女の姿は滑稽なのだ。

 アークメイジがすっと目を細め、ゆっくりと階段を降りながら言う。


「――不愉快な小娘だ。王家に[全属性]が生まれたと知らされた時、儂は期待した。

 [竜戦争]の時代に途絶えた[全属性]が、ついに儂の元に現れたのだと。

 一族の悲願である。だがそれが[弱属性]だとわかったときの儂の絶望、

 お前ごとき小石にはわかるまい」


 数年の時を得て、既にメリアドールの怒りは烈火から決して消えぬ熱へと変貌している。もうじき憎悪と嫌悪に変わるのだろうが、それはもはや重要な問題では無い。

 気兼ねなく使い捨てられる女。それがメリアドールにとってのアークメイジであり、同じくアークメイジにとってのメリアドールなのだろう。

 そして、思う。

 きっとミラベルに向けられるアークメイジの視線は、彼女が最初にメリアドールに向けた期待と慈愛の眼差しなのだろう。

 その事実が余計にメリアドールの心を逆撫でた。

 本来ならばまともに通常の魔法すらも使えない[弱属性]のメリアドールが、努力だけでいくつかの[完全詠唱破棄]まで辿り着けたのだ。それは彼女の努力のと技術の賜物である。称賛に値すべきことである。

 だが、才能主義者であるアークメイジには癪に障るようだ。


 [ハイエルフ]に漏れず長身のアークメイジが、メリアドールを真正面から冷たく見下ろし、吐き捨てた。


「儂は、お前が代わりに死んでくれればと思っておる」


 殺してやろうか、と喉元まででかかった言葉をすんでのところで飲み込んだメリアドールは、見かねて何かを言いかけた黒竜の頬に指を触れさせ、それを制した。

 鱗を通じて感じる彼の暖かな体温が、メリアドールの心を冷静にさせた。

 メリアドールは笑顔で言った。


「アークメイジの知恵を貸していただきたく思います。自分も貴女と同じく、彼女を救いたいと思っています」

「お前如きが儂と同じと思うな。何故ギルドの誘いを蹴った。

 何故頭の足らぬテモベンテなどに預けた。

 最初から、我が[魔術師ギルド]に任せていれば、こうはならなかった。

 お前の浅はかさが、儂のミラベルをああも傷つけたのだ」


 アークメイジの声色に怒気が孕む。

 それは、ある意味では事実だろう。

 メリアドールはミラベルを隊に入れる際、どこからかその情報を嗅ぎつけてきた[魔術師ギルド]が彼女の専属の護衛につくという話を蹴ってしまったのだ。

 しかし、とメリアドールは言った。


「テモベンテ家は信頼に足る者です」


 お前たちよりもな、という意図をわずかに込めて、メリアドールは微笑む。

 アークメイジが鼻で笑う。


「信頼? お前にとって使い勝手が良いだけであろう?

 魔法は儂の管轄。儂の愛弟子を手篭めにしようとしているのは、お前では無いのか?」

「彼女は既に、[ハイドラ戦隊]の騎士です。私の管轄です」

「[魔術師ギルド]の[マスターウィザード]である。その肩書はまだ生きている。ゆくゆくは儂の――」

「あなた方からミラベルを守るのも団長の務めです」


 最後にそう言ってやると、アークメイジは苛立ちと共に「小娘が」と漏らし、口元を醜く歪める。

 黒竜が怯えた様子で、小さく言った。


「こ、こわー……」


 と。

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