ドラゴン殺しのドラゴン

清見元康

第一章:城塞都市 冒険者編

第1話:気がついたらドラゴンの雛

 ――暗闇だ。


 妹の買い物に付き合ってやったその日の帰り道。

 もう日がすっかり落ちてしまっていたのは別に良い。

 夏休みということもあったし、そんなに遠出したわけでも無いからだ。

 親に連絡もしてある。

 今日はやけに空が暗いな、と感じたのを覚えている。

 その割には肌寒さは無く、夕立が降るようは気配は無かった。

 ただ、暗いのである。


 そして、それはそこにいた。

 音も無く、ただただ唐突に目の前に現れた暗闇が、妹に覆いかぶさろうとした。

 咄嗟に、妹を突き飛ばし――。

 ……覚えているのは、そこまでだった。


 最初に思ったのは、嫌な夢を見たという感想だった。

 だが、次に確かな違和感を覚える。

 体がやけに――動かしづらいのだ。

 痛みは無い。

 寝違えたわけでは無いのだろう。

 ちゃんと手と足があり、首もある。

 だが、妙なぎこちなさがついて回る。


 なぜだ――。


 特に尾てい骨が、おかしい。

 何がどうおかしいのかはわからないが、とにかく……無いはずのものがついているという奇妙な違和感がある。

 それに、やけに首が重い。

 そうだ。頭ではなく、首が重いのだ。

 おもむろに、体を起こし――。


 指の――指と指の間に、薄い膜のようなものが張り巡らされている。

 その得体の知れなさにぞっとし、そのまま自分の体を確認していく。


 ようやく、気づく。

 今、自分は人間では無いのだと。

 この姿は、まるで――。

 ふと、自分のすぐそばに卵の殻が転がっているのを見て、確信した。

 今、自分はドラゴンの雛らしき存在になっているのだ、と。



 ※



 違う世界なのかもしれない。

 そんな漠然とした感想を抱く。


 だが別に、トラックに引かれたわけでも無いし、過労で死んだわけでも無い。

 唐突に呼び出された系だろうか? だが、そのようなキーアイテムを拾った覚えは無いし、海と大地の間なんて話も聞いたことは――。

 ふと、思う。


 ――あれは、夢だったのか?


 暗闇に、妹が連れて行かれそうになった、あれは……。

 …………妹?

 脳裏にその姿を思い浮かべようとし、ぞっとする。

 顔が、思い浮かばない。

 いや、それどころか名前すらも――。


 ――俺の身に、何が起きたんだ。


 家族の顔が、思い出せない。

 自分のことすらも……。

 馬鹿な、と戦慄する。


 自分の住んでいた県も市もはっきりと覚えている。

 昔一緒に遊んだ友人や、大学の教授のことも、何が口癖だったのかとか、どんなことをして遊んだのか、何を学んだのかも全て覚えている。

 だが、顔と名前と声がすっぽりと抜け落ちているのだ。


 恐怖を覚え、ぶると震える。

 何故、覚えていないのだ。

 一時的なショックとか、そういうのが原因なのか?

 いやあるいは……この何だか良くわからない肉体に精神が支配されつつあるとかそういう感じなのだろうか……?

 であれば、一刻も早く帰らなくてはならない。

 全てを忘れてしまう前に――。


 幸い(?)なことに、生まれてすぐらしいというのに普通に動くことができるのは助かった。

 いや、そもそも馬や鹿だって生まれてからすぐに立って歩くのだ、考えてみれば当然のことだ。

 となれば、情報を収集する意味も兼ねてこの広い建物を探索するしかあるまい。

 今自分は幼体とは言えドラゴンなのだ。

 恐らく強い、きっと強い、よくわからないが絶対に強いはずだ。

 少なくともそこらの獣的な何かに負けることは無いだろうという自信があった。

 そして、ドラゴンの雛は小さな翼を前足代わりにして歩きだす。

 どうやらこの種族は、二本の足で歩くタイプでは無いらしい。

 翼を手としても前足としても使う、四足歩行タイプのようだ。

 少し不便かもしれないが、今はそれが逆に助かっている。

 もともと人間には無い部分――尻尾は、ぴくぴくと微かに動かすことしかできないのだから。

 少なくとも翼を手として使えるお陰でとりあえずの活動には苦労しなさそうだ。

 後は、とにかく探索して情報を得るのだ。





 数時間ほど探索し、想定外の問題がいくつか見つかった。

 まず、敵に関してだ。

 雛とはいえドラゴンなのだからなんとかなるだろうとは思っていた。

 だがそういった予想は、敵がいることが前提の話なのだ。

 少なくとも今回の探索では、自分以外に誰かが住んでいる気配は見受けられなかった。

 もう随分と長い間放置されていた感がある。

 ここは、無人の要塞なのかもしれない。

 数時間ほど探索したとは言ったが、半分も探索できていない気がしている。

 分かれ道がいくつもあり、部屋らしき場所もあったが、あまりにも広大なため途中で断念して元いた場所に戻ってきたのだ。


 そして問題がもう一つ。

 出口、と思わしき場所が見当たらないのだ。

 それどころか窓のように外を確認できる箇所が一つもない。

 これでは今が朝なのか夜なのかすらもわからないではないか。


 それでも、この要塞内部がある程度の明るさを保っているのは、光を発する石のようなものが随所に散りばめられている為だ。

 この光る石は不思議なもので、一体何を動力にして動いているのかすらわからない。

 台座から外しても光続けているため、少なくとも台座から電力的な(魔力的な?)ものを供給されているわけではなさそうだ。

 更に困ったことが――。


「食べ物が、無い……」


 喋りづらい顎で何とかそうひとりごちる。

 そう、食べ物どころか飲水すら見当たらないのだ。

 幸いまだ空腹では無いから今すぐに必要というわけでは無さそうだが……。

 そもそもドラゴンは何を食べれば良いのかわからない。

 やはり肉、だろうか。

 空から滑空し、草食獣などを狩ったりするのだろうか。

 それとも雑食なのだろうか。

 肉だけでなく果物やきのこも食べるのだろうか。

 実は草食だったりしないだろうか。

 現実でも肉食獣より草食獣の方が体が大きいという傾向はある。

 象やキリンなんて最たる例だ。


 大きさ、で言うならば……この自分の種族は一体どれくらい大きくなるのだろうか。

 比較対象が無いためこのドラゴンの幼体が大きいのか小さいのかすらわからない。

 個人的には大きさはそのまま強さにつながると考えているので、少なくともライオンやそこらを軽く上回るくらいのサイズは欲しいものだ。

 生きて、帰らねばならないのだから。


 ……そう言えばゲームでは岩を食べるドラゴンなんてのもいたことを思い出す。

 実際岩を消化できるのかはわからないが……だとすればこの砦の壁が全部食料になるので助かるのだが。

 おもむろに、壁にかじりついてみる。


「……硬った。いや無理」


 主食は岩では無いらしい。

 では……本当に何だ?

 何を食べれば良いのだ?

 ……疑問ばかりが浮かび上がり、答えは一向に見つからない。


 もうどれだけ時間がたったのだろう。

 時計とまでは言わなくともせめて外の様子がわかれば、規則正しい生活とやらの真似事くらいはできるのだが、それも叶わない。

 ともあれ、疲労は感じるので少しばかり休むとしよう。

 まだ外敵が潜んでいる可能性は充分にあるため、警戒は必要だろうが……。


 だが、体を丸め目を閉じ、しばらくして気づく。

 一向に眠れない。

 いや、それどころか眠気すら無い。

 疲れた、という感覚はあるものの、こうやって体を丸めて休めているだけで充分なのだ。

 ……睡眠が、必要無いのだろうか。

 そんな馬鹿な。

 まぐろなどは常に泳ぎ続けていると聞いたことがあるが、それは寝ながら泳ぐということだ。睡眠が不要というわけではない。


 では、ドラゴンは――?


 結局、長いこと目を閉じ寝ようとしても一睡もできず、しかし体の疲れは取れてしまったので再び探索に出ることにした。


 また、数時間ほど探索し気づく。

 どうやらここは昔多くの人間が住んでいたようだ。

 同時に今の自分の大きさを知る。

 今自分は、人の使うコップ程度の大きさしか無いらしい。

 最初にテーブルを見つけた時はあまりの大きさに見上げてしまったが、自分が小さいだけだったようだ。


 同時に、手――即ち翼を羽ばたかせて飛ぶ手段も覚えた。

 これで探索が楽になるのは助かるのだが、結局のところ未だに窓一つ見つけられないのはどういうことなのだろう。

 壁に耳を当ててみても、外の様子はわからない。

 鳥の声どころか風の音すらしないのだ。

 相当壁が厚いのだろうか。


 だが、飛ぶことを覚えたのだ。これで探索はかなり進むはずだ。

 かつての人の住居、通路と言えど幼体ならば巨大なトンネルのようなものだ。

 何度か力の加減を誤り壁にぶつかりはしたものの、少しずつだが飛ぶコツをつかめてきた。

 まず、最初に力強く何度も羽ばたく。後は手のひらで空気をつかむようにして羽ばたきながら滑空する。とりあえずはこの繰り返しだった。


 探索は順調だった。

 幾つもの部屋を見つけたおかげで、概ねこの世界の人の営みを知ることができたのは非常に有意義なことだ。


 まず、この世界には少なくとも魔法的な概念が存在している。

 実際に手から火や雷を放つのかどうかは定かでは無いが、この光る石のようにエネルギー源がわからない道具がいくつも見つかったのだ。

 例えば、熱を放つ石。これは冬場に暖を取るものだろうか。

 同じように、いくつもの氷のように冷たい石が食料庫と思わしき場所から見つかった。

 最も、肝心の食料自体は無かったのだが。


 それにしても、もう昨日から飲まず食わずだと言うのに一向に腹が減らない。

何だか怖くなってきた。

 それとも、緊張や興奮からそれに気づいていないだけ、なのだろうか。

 とにかく何かを口に入れないと、知らない間に衰弱してしまうかもしれないという恐怖があるのだ。

 今度はコップや光る石にかじりついてみたが、やはり全く美味しいと感じない。

というかこれを噛み砕く顎の力が無い。

 丸呑みにするには大きすぎる。

 成長に栄養が必要なはずの幼体でこれならば、やはり鉱物は食べ物では無いのだろう。

 当たり前だが。


 更に通路を進むと、朽ちた扉の前に差し掛かる。

 だが、妙だ。

 見かけこそボロボロに錆びた金属製の扉に見えるのだが、淡く輝いてる気がする。

 これは、気のせいではない。

 発光する金属でできているのだろうか?

 何らかの罠かもしれない、という不安もあるが――。

 何もしなければ、何も進まない。

 恐る恐る、その淡く輝く扉に触れてみた。

 すると――


『ここには誰もいねぇ!』


 唐突に、怒りを孕んだ男の声がした。

 ドラゴンの雛は仰天して飛び退き、声のした方向を見る。

 そこにいたのは、白い甲冑を身に着けた鋭い目つきが特徴的な赤毛の男だった。

 だが、奇妙なことに体が透けて見えている。

 これは、一体――?

 今度は、女性の声がする。


『[竜の司祭(ドラゴン・プリースト)]たちはどこにいるんだ!? あいつらを見つけないと――』


 深くフードをかぶっているため表情までは確認できないが、酷く焦っているようだ。

 彼女の背後から、同じく透き通った体の老人が現れる。


『……急がねばなるまい。[古き翼の王]がいる限り、奴らの力は無限だ』


 これは――何だ?

 一体何を見ているのだ。

 彼らがドラゴンの雛に気づいた様子は無い。

 いや、それどころか――


『――敵、多数! アンデッドだ!』


 また、違う声がした。

 ぬらりと扉から現れた透き通った大男が、巨大な戦槌を構えて前へ出る。

 するとそのまま大男は戦槌を振りかぶると、何もない空間に向けて振り下ろした。

 赤毛の男が言う。


『くそ、数が多い! オルステッドはさっさと前へ出ろ!――あいつは!?』


 ようやく理解した。

 これは記録だ。

 どういう原理なのかはわからないが、今自分はこの地で起きた出来事を、映像として見ているのだ。

 あの光りが、再生ボタンか何かなのだろう。

 最後に、扉の奥からフルフェイスの兜を被った白い騎士が現れると、赤毛の男が、


『遅ぇんだよ!』


 と怒鳴った。

 同時に、彼らの姿が景色と一体化していき、映像はそこまでだった。


 原理はわからない。

 だが情報は情報だ。

 まずはこの結果があり、原因を探るのは後だ。

 ともあれ、得た情報を整理していく。

 とりあえず――この地はやはり砦のようなもので正解だったようだ。


 明らかに彼らは戦闘をしていた。

 ――何と?


 少なくとも、アンデッドを使役する何かと。


「[竜の司祭(ドラゴン・プリースト)]って、言ってたな……。オルステッドってのは、あの大きな男の名前、か?」


 男の名前はともかく、[竜の司祭]はいかにも自分と何らかの関係がありそうな名前だ。

 何せ、今自分はドラゴンの雛なのだから。

 だが……話の素振りから判断するに、何だかドラゴンに関係してそうな勢力が結構悪い連中のように思えてしまった。

 そもそも、死体操ったりするって悪役のやることではなかろうか。

 ならば、ドラゴンは世界的に悪なのだろうか?

 これこの姿のまま外に出たら真っ先に討伐されないだろうか?

 ……いや、よそう。

 記録の中にいた彼らは敵対関係にあるようなのだ。

ならば互いに互いを悪い連中だと思うのは普通のことだ。

 それに、実はドラゴンは良い人(?)たちで、あの赤毛の男たちが悪い人間なのかもかもしれない。

 口調も乱暴だったし。

 ――その時だった。


『違うよ』


 唐突にかけられた少年の声で、ドラゴンの雛はまた仰天して飛び退いた。

 そのまま床をゴロゴロと転がり、壁に背中をぶつけ、慌てて声のした方向を見る。

 そこにいたのは、黒い髪をした幼い少年だった。

 天井に備え付けられた光る石からの逆光で顔までは確認できない。

 だが、少年は記録では無い。

 間違いなくドラゴンの雛を真っ直ぐに見据えている。

 そして、次にまばたきをした瞬間、その少年の姿は消えていた。

 慌てて周囲を見渡してみても、既に人影ひとつ無い。

 ――確かに、今、ここにいたはずだ。俺に向けて負けるなと、言った。

 そして、その意味と意図を考える間もなく、周囲からくすくすと幼子たちの笑い声が聞こえ、やがて消える。

 何が――起こっているのだ。

 これは何なのだ。

 ドラゴンの雛は恐怖で背筋がぶる、と震えた。


「こ、こわー……」


 その時だった。


「う、う?」


 体が、唐突に重くなった。

 これは内側来る鈍い重さだ。


「あ、あ、れ、なんで、体、かっ――」


 途端に皮膚が固くなり、動くことすらできなくなる。


 まさか、死――。

 いやだ、それは、いやだ。

 なぜ死ななければならないのだ。

 まだ何もわかっていない。何もできていない。

 せめて、家族に、ひと目だけでも――


 だが、恐怖は一瞬だった。

 直後に硬質化した皮膚が剥がれ落ちると、そのまま体が内側から膨れ上がるような筋肉の膨張を感じた。

 同時に、「かはっ」と喉の奥から息を吐く。


「一体、何が――」


 ぜえと肩で息をして、ふと扉を見つめる。

 すると、先程は真下から見上げていたはずの扉が、今はちょうど真ん中辺りに目線があるのだと気づく。


「ん、お――」


 おもむろに、右の翼を広げてみる。

 それはつい先程よりも一回りも二回りも大きく――


「成長、したのか――?」


 どうやら、自分の種族は脱皮して成長するらしいことがわかった。

 これは朗報だ、と内心でガッツポーズを作る。

 どんどん大きくなれば、強くなれば少なくとも外的に怯えることはなくなる。

 元の世界に帰る算段が早くつく。

 少しでも早く成長して、脱出の糸口を見つけなければならない。

 

 ――異世界。


 彼は考える。

 この世界の人々と敵対しては、駄目だ。

 目的は破壊では無い。

 帰還なのだ。

 そして、彼は決意を固める。

 この世界で、人を見つけるのだ。

 そして友好を築き、帰るための知恵と力を貸してもらおう。

 そのためならば、この力を彼らのために使うことも厭わない。


 ――元の世界に、帰る。


 目的は、一つ。

 必ず家族の元に、帰るのだ。

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