異世界くノ一

三八式物書機

第1話 戦国から異世界へ

 安土桃山時代

 とある武将の屋敷。

 新月の夜。

 篝火だけが唯一の灯りとなっていた。

 真っ暗な屋敷の中を一人の女中がそろりそろりと歩く。そこはギシギシと音が鳴るように細工された鴬張りの廊下。

 しかし、女中は独特の足運びで音もさせずに廊下を進み、とある障子戸を開く。

 中には蒲団が敷かれている。

 女中は静かに近付く。そして、袂から短刀を抜く。

 その時、蒲団が跳ね除けられ、白刃が暗闇を裂く。

 「何奴?」

 男の怒声が室内に響き渡る。女中は彼の一刀両断の一振りを紙一重で躱していた。

 「権左!何事じゃ?」

 蒲団にはもう一人の男が寝ていた。

 「殿。忍びであります。お逃げください」

 刀を構える権左に言われて、殿は慌てて、奥の間へと逃げ出す。女中はそれを苦虫を噛み潰したように見送る。

 「よそ見とは余裕だな。所詮、忍びなど小手先の刀を振るうだけ。日頃、鍛え上げた武士の刀で切り刻んでくれる」

 権左は刀を振るう。剛腕にて、振るわれる刀は風を切り、激しい音を立てる。

 女中は紙一重で躱すも風圧で小さな身体が吹き飛ばされそうになる。

 彼女はまずいと感じ取った。圧倒的に力の差があった。このまま、斬り合いを続ければ、多分、自分は彼に負ける。それを実感させるのはこれまで、激しい修行に耐えてきたからでこそだった。

 だからと言って、任務を簡単には諦めない。

 女中は右手一本で短刀を操り、権左の激しい刀の振りを受け止めつつ、左手を袂に入れる。そして抜き出したのは一本のクナイ。小型のナイフのような忍者道具を彼女は袂から抜き様に投げる。それは権左の脇を掠めるようにして、その背後に居た殿の左肩に突き刺さる。

 悲鳴を上げた殿に権左は一瞬、気を向けた。その隙を突いて、女中は障子戸を体当たりで破り、そのまま、庭へと飛び出した。

 「奴が曲者だぁあ!!」

 しかし、すでに権左の大声で駆け付けた侍が槍や弓を持って、集まっていた。数は10人程度だろうか。権左とまでいかないまでも普段から刀や槍を振るう者達だ。彼女が相手をするには不利過ぎた。

 女中は着物の姿だとは思えぬほどの身のこなしで短刀を振るいながら、彼等の間を擦り抜ける。だが、それでも手練れの武士達が見す見す、彼女を逃がすわけが無かった。振るわれた刀が彼女の身体に傷を与える。放たれた矢が掠めていく。

 いつ殺されてもおかしくない状況でも逃げ出す為に必死に走る。

 だが、門に辿り着く前に更なる増援に阻まれ、井戸の前で囲まれてしまった。

 そこに権左も姿を現す。

 「貴様!殿に毒を盛ったな?解毒薬を出せ!」

 権左は切っ先を女中に向けて叫ぶ。その言葉に女中はニヤリと口角を上げて笑みを浮かべた。そして、こう告げた。

 「残念ですけど、殿の命はもう半時も無いかと」

 それを聞いた権左は刀を振り上げ、渾身の力で振るう。女中は身を捻りながら躱そうとするが、その背中を斬りつけられ、身体はそのまま、井戸へと落ちた。

 深い井戸の奥へと落ち、水に沈んだ。

 このまま、死ぬしかないか。

 仮に助かっても敵に捕まり、拷問を受けるだけ。忍びである以上、こうなれば、自ら死ぬしかないのだ。

 そう思いつつ、身体を水に沈むままとして、溺れ死ぬ事を選んだ。

 

 目が覚めた。

 女中は慌てて、周辺を見渡す。

 見覚えのない部屋であった。

 「捕まってしまったのか?」

 女中は驚き、身体を起こそうとする。突如、背中に激痛が走る。

 彼女が痛みに耐えて、呻いている時、女の声がした。

 「まぁ、声がしたらと思ったら、起きたのね。そんな怪我で身体を起こしたら、痛むでしょう。安静にしなければダメよ」

 女中は慌てて、声の方を見た。そこにはこれまで見た事の無いような姿の女が立っていた。

 「お、おまえ・・・何者だ?」

 あまりに驚いた形相で尋ねたせいだろうか。相手も少し驚いたような表情をする。

 「あぁ・・・そうね。驚くのも無理は無いわね。私はエミール。森で散策をしていたら、倒れているあなたを見付けたのよ」

 「森・・・確か・・・井戸に落ちたはずだが・・・井戸の底が川にでも繋がっていたのか・・・そうか・・・しかし・・・エミー・・・ルとか言ったな。お前は珍しい恰好だが・・・世に言うばてれんとか言う者の類か?」

 エミールの姿は金髪碧眼に白い肌。長身痩躯でワンピース型の洋服を着ている。それは女中の居た時代の者には見掛けない姿であった。

 「ばてれんって何か解らないけど、この国だと多い種族の姿だとは思うわ。あなただって、東方の人だろうけど、人族でしょ?」

 エミールに尋ねられて、女中は一瞬、何を言っているのか理解が出来なかった。そもそも人族という単語の意味が理解が出来なかった。

 「あの・・・その・・・」

 女中は口籠ってしまう。

 「それより、私は名乗ったのだから、あなたは?」

 エミールに言われて、女中はハッと気付く。

 「す、すまない。私は紅」

 「べに・・・変わった名前ね。良いわ。それより、あなたは魔獣に襲われたの?体中、傷だらけで特に背中に大きな傷があって。あと少し、治癒魔法が遅かったら、多分、死んでいたわよ」

 「魔獣?・・・獣みたいな輩ではあったが・・・」

 紅は少し考え込んだ。色々と解らない事が多い。しかしながら、負傷をしているとは言え、拘束はされていないし、手当もされている。相手は一人。多分、自分は敵に捕らえられていない。

 「あの・・・ここは何処ですか?」

 「ここはマリウス王国の東の辺境にあるフレッド村よ」

 「はっ?」

 紅は一瞬、固まった。

 「フレッド村は小さい村だから知らないのも仕方がないわね。あなたはトロルの街でも目指していたの?」

 「い、いや・・・その・・・ここは信濃では?」

 「シナノ?聞いた事が無いわね。それは隣の国の街の名前かしら?」

 エミールは考え込んでいる。それを見ている紅は何かの冗談かと思った。

 「とにかく、その傷じゃ、旅を続けるのは無理よ。しばらく、ここで安静にしている事。治癒魔法で傷が塞がったとは言え、完全に治るには時間が掛かるわ」

 エミールに言われて、紅は諦めたようにベッドに身体を横たえた。そして、天井を眺めながら、自分はきっと、何かの夢の中に居るのだと思いながら、目を瞑った。

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