宛先不明

鴫宮

宛先不明

 結局、渡せなかった。


 クラスの女子にあげる分は全部記名して、わざわざ丁寧にひとつひとつメッセージまで書いた。予備だといって余分にふたつ、宛先がないのを作って、そのうちのひとつにはわざと、ラブだとかハートだとかを描いたクッキーを入れた。デザインの違う袋に入れて、予備として渡すなら最後に。これは賭けだ。もしもこれが余ったのなら、義理だといって笑って、あの人に渡すつもりで。


 きっちり計算して余るように仕向けただけあって、一袋だけ余った。この時ばかりは自分の器用さが憎らしかった。どうしても、渡す勇気が出ない。あの人はいつも帰るのが早いけれど、今日は教室に残っているのなら渡してしまおうなんて、弱気な「もしも」をもう一つ付け足した。

 不思議な運命のように彼は珍しく帰りもせず教室に残っていたけれど。他に人は残っていて、これほど渡しづらい状況はないんじゃないかと、独りよがりな被害妄想ばかりが浮かぶ。

 渡せたとしたら、変な噂でも立ってしまうだろうか。俺たち付き合ってることにされてるんだって、と言った彼の顔を思い出す。ラブコメの主人公でもヒーローでもない私たちは決してそんな関係ではなくて、どちらかといえば悪友のような関係なのに。それはないでしょなんて笑って返した、一か月前の出来事。シチュエーションだけはいかにも青春な、でも成立しそうにない関係の走馬燈ばかりが駆け巡る。声をかけようかと前向きな検討が浮かんだ瞬間、彼は荷物だけを残して教室から出て行った。

 そのあとは簡単だった。それとない理由をつけながらずるずると教室に残っていたのをやめて、隣のクラスを訪れてどうでもいいような話をする。一緒に帰ると約束した友人の部活が終わるまで、ここで待つことにした。もう一度会えたら。いくら付け足しても一向に守らない約束ばかりが積み重なっていく。


 自分の教室に放置した荷物を取りに戻ると、いつのまにか彼は帰っていて、後悔とも安堵とも知れない気持ちが広がった。

 家に帰れば、貰ったチョコレートの中に渡せなかったクッキーも混じっている。いつもなら思い切りが良いはずの自分の意気地の無さを親の仇のように思いながら、貰ったものを仕分けた。日付の長い既製品は後で食べる。手作りの、生チョコなんかを先に食べなければ傷んでしまう。

 最後に残ったのはやっぱり自分のクッキーで、こんな気持ちになるなら最初から予備なんて作らなければ良かったと死ぬほど後悔した。自分でラッピングした袋の封を開けて、そういえばバレンタインにあげるクッキーは友達の意味なのだっけ、そんな少女趣味な雑学を思い出しながら、チョコレート風味のそれを口に入れる。

 宛先不明のクッキーの味は、どこか頼りなくてもどかしい味がした。

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