第1話 星と花の噂

 スカートの端を少し持ち上げて、石畳を小走りに通り過ぎる。

 満天の空の下、通り沿いには一年中色とりどりの花が咲き乱れ、辺りには自分と同じ人、ロボット、クマの縫いぐるみまでもが思い思いに動き、街灯に照らされて話し、笑いあっていた。


「私はあのミルクというものをずっと飲んで見たかったんだ」

「私もこうして歩いたり走ったりしてみたかったの」

「ら~♪ら~♪私の歌を聞いて、私の持ち主が毎晩私に歌ってくれていた歌よ」


 まだ此処に来たばかりの者達程はしゃぎ、動き話せる事を喜んでいる。


 此処は人に愛される事で魂を持った人形達が行き着く世界。


 青いドレスを白い指で摘み上げ、金髪を揺らしながら彼女はその合間を行き交い、やがて一つの喫茶店に辿り着いた。

 ドアベルの音が心地よく響く。中に入ると珈琲の匂いが鼻腔をくすぐる。

「ローズ!」

 先に座り紅茶に口を付けていたのは黒いウェーブの髪に、ワインレッドのドレス、あちこちにバラの装飾があしらわれた上品な貴婦人。

 バラとダイヤのビスクドール、ローズである。

「やっと来たのねメイ、ほら座りなさい、貴方はコーヒーでいいんだっけ?」

 最高のビスクドールであった彼女からは仄かにバラの香りが漂っている。彼女が繊細な細工が施された茶器を持ち上げる姿は、それだけで絵になっていた。そんな彼女にメイが見とれていると、カップ越しに「何よ」と彼女が覗く。

「ローズ、私人形だった頃から貴方の事を知ってたわ。アルと仲良くしてくれた、カティアのお店にいた子でしょう。一度だけカティアがあなたを見せにアルのお店に来てくれた時、なんて綺麗なお人形だろうって思ったもの」

 それが今ではこんな風にお話しできるようになるなんてとても嬉しいの、とメイが笑う。

「こんなものそんなに意味ないわ」

 つんとそっぽを向くローズにメイが首を傾げる。

「綺麗だなんだっていったって、私はただの商品だもの。お金にする為に作られて、カティアも私が珍しくて高く売れると思ったから仕入れたのよ。ディスプレイのあなたとは違うの」

 つんとローズがそっぽを向いて言う。

 それに大きくメイが瞬きする。

「それは……私は付属品の花のブーケを失くしてしまっていたし、商品としての価値もあまり無かったから……」

 うーんと、とメイが虚空を見上げて思案するが、やがてローズに笑いかけた。

「それでもきっと、カティアはローズの事大事に思っていたと思うわ」

「どうしてあなたにそんな事が分かるのよ?」

「どうしてって……」

 上目遣いでちらりとメイがローズをみやるがローズはふんと腕を組んで視線を逸らしてしまう。

「カティアは私を売っていたのよ?それにどうせ金で私を買ったやつが出たって、物珍しいだけの人形なんてすぐ飽きるのよ。あー全く良い事なしだわ人形なんて」

 うーんと呻きながらコーヒーに口を付け、メイも木の床を見る。

 そんな事ないと思うけどなぁと、メイが呟いた。

 とはいえ、何故ローズがこんなにも頑なな態度をとるのか、その理由をメイは知っている。

 間を取り持つようにメイがコーヒーに口を付け、暖かいものが喉を通り人心地つくと、ぽそりと話し掛けた。

「あのねローズ、この間クマのアルトが……」

「駄目よ」

 遮る様にローズが口を開く。彼女はわざとらしくため息をついて髪をかき上げた。

「今言った通り人間なんてね飽きっぽいのよ、それは、確かにあなたは売り物じゃなかったわ。でもアルだって例え無くなったら無くなったで平気な顔してるわよ。そういうもの」

「そうかな」

「そうよ、だから貴方は此処に居ればいいの。余計な事考えなくて良いのよ」

 うーん、と暫く思案し、やがて、うん、とメイが頷く。

「ローズは優しいね」

「!」

 頬杖を付いてそっぽを向いていたローズが、驚いてメイへと向き直る。

「やっぱりカティアはローズの事大好きだったよ、じゃなきゃ、こんなに優しい子になる筈ないもの」

「ちょ、急に何よ、馬鹿じゃないの?私は優しくなんか……!」

「ねえローズ、クマのアルトが、星の夜に花を超えて、とうとう消えて無くなっちゃったんですって」

 今度はメイが遮る様にことばを続けると、ローズが水を掛けられたように勢いを失った。

「……知ってるわ」

 だが構わずメイは続ける。

「アルトは持ち主に会えたのかな?」

「さあ、でも会いに行っても、どうせ早々に新しいお気に入りでも作ってたんじゃない?」

「そうかしら?でもそうならきっとアルトも喜んだわ。持ち主の子が自分が居ないと不安で泣いちゃう子だったから、どうしても戻りたいって、そして自分が居なくても大丈夫になって欲しいって言ってたみたいだし」

「……それで自分が消えちゃしょうがないじゃない、ほんと考えなしなんだから」

「その持ち主の子、ご両親を亡くして、一人きりで慣れない親戚に引き取られていたんですって」

「……………………」

 黙り込むローズにもう一度メイが微笑む。

「ほら優しい」

 むーっと黙り込むローズに、メイがクスクスと笑う。

 そして落ち着いてこう言った。

「だからローズは私を止めるのよね」

「当り前よ」

 ぴしゃりとローズが言い放ち、続ける。

「満天の星の夜に強い願いを持った人形が、行きたい場所と時を強く思いながら花の横を横切る。すると、その世界のその花の咲く場所に行くことが出来る……ただし」

 その先をメイが引き受ける。

「あまり世界を行き来しすぎると、やがて魂は摩耗し消えてしまう」

 「気が知れないわ」とローズが吐き捨てた。そしてツンと澄まして後を続ける。

「アルは貴方を大事に思っていたっていうんでしょ?なら貴方が本当に消えてしまったら具合が悪いんじゃないの?それに例えアルが酷い目に遭ったのだとしても、それはそれ、これはこれでしょう?貴方がそこまでする必要は全くないじゃない」

「ええ、でも」

 言いながらメイがゆっくりとコーヒーに口を付ける。

「本当はローズも分かっている筈よ」

「……いいえ分からないわ」

「そんな事ないわ、だって」

 カップから顔を上げ、メイは穏やかにこう言った。それを聞いたローズが少し哀しそうな顔をする。

「人に大事にされたお人形は、持ち主の事が大好きなものだもの」

 そしてカップの中身を飲み干しそれじゃあまたね、と立ち去る彼女にローズが小さく「馬鹿……」と吐き捨てた。


 満天の夜空の下、花に囲まれた街灯を金髪のビスクドールが小走りで駆け抜ける。

 此処は星と花の、人に愛された人形の行きつく世界。

 そこには祈りにも似た願いを持った人形達がいることがある。

 このビスクドールもそんな一体。


 このビスクドールの胸にあるのは、


 ―――時を超え、今の私があなたの元へ行けるのならば。

 私は幸運の花を探し当て、貴方を救う事ができるでしょうか。


 ブルーデージーの花はどこ?


 強い思いを持ち、メイはチェリープラムの咲く木の道へ駆け込んだ。

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