第15話:信仰の街7
翌日、まだ雨が降っていた。
シューは出発の準備をした。雨が降っているからもう少し待とうとオイラは提案した。しかし、これくらいの雨なら大丈夫だ、とシューはカバンを背負った。
平場へ続く廊下を歩いていると、栗毛の女の子がウロウロしていた。迷子かと思いオイラ達は近づいた。昨日の子だった。
「どうしたの?」
「トイレに行ったら、お部屋がどこかわからなくなったの」
子供は怯えと幼さが残った顔だった。まだ怯えている。
「それなら僕たちといっしょに行こう」
シューは同じ目線に屈んだ体を起こし、手を差し伸べた。女の子は手を動かさずにいた。シューは体面悪そうにオイラを見ながら、女の子の両肩に両手を載せて押して行った。
部屋では昨日のもうひとりの女性がベッドから身を起こしていた。
女の子は部屋に入るやいなやシューの手から離れ、女性のところに駆けていった。ベッドの近くに来た女の子を女性は両手で撫でた。
「どこに行っていたの?」
「おトイレ」
抱かれながら答える女の子を抱えながら、女性はオイラ達に気づいた。姿勢を正した。
「あなたたちは?」
「その子を連れてきました」
シューは女の子のことを言った。女の子は頷いた。
「それはそれは。ありがとうございます」
「いえいえ」
「あなたも、ここの方ですか?」
「いえ、違います。旅のものです」
「そうなんですか。実は、私も昔、旅をしていました」
「そうなんですか」
シューは合わせた。情報収集だ。
「そうなんです。いろいろなところを旅しました。芸術の街、山奥の集落、何もない街。色々とありました」
「僕の先輩になりますね」
「先輩ってほどでもないわ。それに今はもう旅をしていないわ。この子と一緒にこの街に暮らしているわ」
女性は女の子の頭をさすっていた。可愛く愛でていた。
「その子は、あなたの子ですか?」
「そうよ。5歳になるの。私の宝」
女の子は、へへー、という顔をしていた。宝物と言われることが嬉しかったのだろう。
「かわいいですね」
「そんなお世辞言わなくてもいいわよ。でも、ありがとう」
「お世辞では」
シューは面食らったようだ。見透かされていたようだ。
「でも、この子も5歳になるのかー。ということは、旅をやめてから5年になるのかー」
女性は遠くを見ていた。その顔には悲哀の影が落ちていた。
「お子さんを生んで旅をやめたのですか?」
「ええ。落ち着こうと思って、この街に」
「この町の出身ですか?」
「いえ、そういうわけではないのです。生んで少し経ってから、たまたまこの街に来たの」
「そうなんですか。ところで、旦那様は?」
シューの言葉を聞いて、女性は息をした。言いにくそうな口を開けた。
「旦那とは別れました」
「それは失礼しました」
シューは謝った。すこし気まずそうだった。
「謝ることじゃないわ。気にしていないから。旦那はね、旅先で出会ったの。同じ旅人でね、意気投合したの。それで一緒に旅をすることになって、そのうち互いに好きになって、結婚したのよ」
女性は少しはにかんだ。ノロケ話を聞いてオイラは背中がノミが這うように痒かった。
「ではどうして?」
「この子を産んだ後のことよ。私、すごく不安になったの。産んだ子のことを不安に思ったの。自分はどうなってもいい、けど、この子には幸せになって欲しいの。出産の時も、自分は死んでもいいからこの子だけは元気に生まれて欲しいと思ったわ。それは叶って嬉しかったわ。でも、これから先はどうなるのかしら。旅は楽しいけど危険がいっぱいだわ。私一人なら死んでも悔いはないわ。自分で進んだ道だから。でも、この子はどうなのだろう?旅をしたいと決めたわけではないのに旅をさせていいのだろうか?それでこの子が死んでもいいのだろうか?そう考えると、不安でいっぱいになったの」
女性は女の子を撫で続けていた。大切な宝物として丁寧になでていた。
「それで旦那と喧嘩になったの。旦那は、自分が命をかけて守るから旅を続けようといったわ。でも、私からしたら、そんな命を懸ける時点でもう無理なのよ。私や旦那だけなら命がどうなっても構わないわ。でも、この子はどうするの?そう言ったわ。でも、あの人は分かってくれなかったわ。自分で子供を産んでいないからわからないのよ、きっと。それで、私はもっと不安になったわ。安心して身を任せていた旦那が信用できなくなったもの」
撫でる手は優しかった。子どもは心地よさそうだった。
「そんな時、この街に来たの。この街では一生懸命に働いたら安心な生活ができたわ。いい服、いい食事、いい家、いろいろなものをこの子に与えることが出来る。この子を笑顔を見て、私は安心したわ。だから、私はここで暮らして一生懸命働くことを決めたわ。すると、旦那が反対したわ。この街にいたら私が壊れてしまう、と言ったわ。自分たちのような旅をしてきたお気楽な人間がひとつの場所で責任を持って働き続けることは無理だ、と言ったわ。俺がここで出稼ぎするから私と子供は違う街で暮らすように、と言ったわ。でも、私はもうあの人を信じていなかったわ。私は旦那を振り切って、この街で暮らして働くことを決めたわ。そして、旦那は私の前から去っていったわ。おそらく、今頃どこかを旅しているわね」
撫でる手が止まった。そして、小刻みに震え始めた。
「私、馬鹿だわ。こんなボロボロになって。この子にも苦労をかけて。働き続けることができなかったわ。体が痛くなって、動かなくなったわ。なんで働いているのかわからなくなって、働けなくなったわ。私は、私は何をしてきたのだろうか。旦那の言うことを聞かずに旦那の言うとおりになって。私だけなら別にいいわよ。でも、この子はどうなるの? 私が働かなかったらこの子はどうなるの? でも、体が動かないの。頭が動かないの。心が動かないの。この子はどうなるの?」
震える手に目から雨が落ちていた。そして、泣き崩れる。
オイラ達はかける言葉を見つけられず、静かに部屋を出た。
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