啓蟄


 ~ 三月五日(金) 啓蟄 ~

 ※蕎麦屋の湯桶ゆとう

  意味:話にわきから口出しすること。

  注ぎ口が角に付いてることにちなんで。




 勉強が嫌いな奴は。

 勉強を押し付けてくる人を嫌う。


 その行為は。

 紅玉をどぶへ投げ捨てるが如く。

 

 どれだけありがたいことか。

 価値も知らずに。


 ただ嫌う。


「い、いじわる立哉君は、あっちに行ってて……」

「ちゃんと見張ってないと、またマンガ読むだろお前」


 さんざん気にかけてやってるのに。

 俺を嫌う勉強嫌い女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 これ以上不機嫌になられると。

 俺まで機嫌が悪くなる。


 しょうがねえ。

 ちょっとはええけど。


「んじゃ、昼飯にすっか」

「き、今日は暖かいから、外に出たい……」


 昨日に続いて。

 今日も外食か。


 傷みそうな食材があるにはあるが。

 晩飯で使い切れそうだな。


「…………はあ。しょうがない」

「駅の方、行ってみたい……、ね?」


 言うが早いか、飴色の髪を翻して。

 あっという間に出て行ったんだが。


 俺はジャケットを手に、後を追って。

 そして閉じかけた玄関を再び開く。


 長そで一枚で十分。

 ほんと、やたらとあったかいな。



 ……この地に来て。

 二度目の春。


 たったの一年で。

 俺を取り巻く環境は。

 がらりと変わった。


 そして。

 俺自身も随分変わったもんだ。


 遠くの山々を仰ぎ見るようになり。

 野に咲く花に目を落とすようになり。


 今も、気付けば視界に入るのは。

 春を告げる草木と。

 ぬかるみ始めた土と。


 そして……。


 どうなんだろう。

 こういうのは見せない方がいいんだろうか。


 俺たちより一足早く。

 春の暖かさにつられて。

 外に出ていた先輩。


 ふむ。


「おお。あの雲、飛行機雲か?」

「飛行機雲は、飛行機から発せられた水分が凍ることによって発生するんだけどね? 急旋回すると翼の端の辺りで気圧の下降が起きて飽和水蒸気量に達して雲が生まれることが……」


 多分。


 こいつは、カエルなんて平気だと思うけど。

 でも、なんとなく気になって。


 俺は、秋乃が見上げた空を見つめながら。

 寝ぼけまなこの先輩に手を振った。


「しかしあったけえな。でも、三寒四温って言うくらいだし」

「週明けから、また冬みたいになるって言ってたね……」

「気温差、十度近くあるんだろ? 真冬みてえな温度になるな」

「でも、今日は啓蟄だから。ぽかぽか……」


 穏やかな会話。

 ぽかぽかな陽気。

 ダラダラとした歩み。


 俺は、時間を大切にするから。

 今という時を、すごく贅沢に感じていた。


「そうか、啓蟄……、ね? カエルとか……、出てきてないかな?」

「おお、やっぱそうだよな」

「なにが?」

「いや、こっちの話。カエルだったらすぐ後ろに……」


 そう言いながら振り返ると。

 俺たちのすぐ真後ろに。



 人間大のカエル。



「……学校と言い町内と言い。ここはほんとに意味が分からん」

「春になったからね! おなかが空いて起きて来た!」


 俺の常識という狭い世界の中ではあるが。

 着ぐるみで街中をうろつく女は一人しか心当たりがない。


「とっととデパートの屋上に帰れ」

「なんか食わせてちょ!」

「いや、今日の格好なら、語尾はケロにしろ」

「食わせてケロ?」

「食わせねえよ」

「語尾、ケロにしたのに! そんなこと言う悪い子は、こケロ!」

「うはははははははははははは!!!」

「い、今のは面白かったので、ご一緒にお昼行きましょうか……」

「やたっ!」


 やれやれ。

 でも、秋乃がそう言うんじゃ仕方ねえ。


「じゃあ、どんな店でもどんな量でも文句言うなよ?」

「言わない言わない! 久しぶりに道端の草以外のものを食べられる……」


 相変わらずどうなってんだこいつの食生活。

 いや、大げさに言ってるだけか。


「秋乃、そば屋かパスタがいいって言ってたよな」

「サラダパスタ……、かな?」

「おお、あったかくなったからな。さっぱり目に……」

「葉っぱはもういやだし! お肉食べさせてちょ!」

「口を挟むな。あと、俺たちの間に顔を挟むな」

「おにぐうううううう!!!」


 駅前に入って、結構賑やかになって来たのに。

 ほんとこの町、おかしい。


 カエルを間に挟んで歩いてる俺たちに。

 集まる視線の量が少ないこと少ないこと。


 これよりおかしな光景が毎日のように発生してるとでもいうのか?


「ああもう、ゲコゲコうるせえなあ」

「ケロ!」

「じゃあ秋乃。なに肉ならいい?」

「カ、カエル肉以外なら何でも……」

「うはははははははははははは!!!」


 俺は、カエルと顔を見合わせながら大笑いした後。

 こいつに希望を聞くことにした。


「もう、お前が決めろ。食べたい肉はなんだ? 豚? 牛? 鶏?」

「人間肉以外なら何でもいいでケロ」

「うはははははははははははは!!!」


 デパート前。

 一番人通りのあるあたり。


 俺が腹を抱えて。

 思いやりのある会話に爆笑していたら。


「あ! いたいた! 今までどこほっつき歩いてたんだ!」

「お腹空いたから、知り合いの家にいったら留守だった……」

「もう休憩時間終わってるだろ! さっさと持ち場に戻れ!」

「ひええええ!? お、お昼ご飯~!!!」


 ありゃあ、ついてねえなあ。


 あわれ、カエルのお姉さんは。

 デパートの制服着た男の人に連れて行かれちまったんだが。


 俺は手を振って別れを告げた後。

 当初の目的通り、サラダパスタが食えるファンキーな喫茶店を目指して歩き出したんだが……。


「どうした?」


 秋乃が。

 がくがく震えたまま一向に歩こうとしない。


「ま…、まさか……」

「なにがまさかなんだよ」

「デ、デパートの地下に、珍しい食材のスーパー」

「ああ。食い物の勉強で連れてってやってるとこな。そこが?」

「ワ、ワニ肉の隣に……」

「うはははははははははははは!!!」


 安心しろ。

 ろくに飯も食ってない、痩せたカエル。


 売りもんに使うより。

 子供に風船配らせた方が使い道あるだろうさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る