遠山の金さんの日


 ~ 三月二日(火)

    遠山の金さんの日 ~

 ※朱に交われば赤くなる

  意味:親父と関わるとニートがうつる




 卒業式の翌々日に行われる。

 選抜学力検査。


 去る者。

 迎える者。


 意識せざるを得ない、世代の移り変わり。

 止めることのできない時間の流れ。


 一週間の自宅学習期間を利用して。

 将来とか。

 恋とか。


 なんとなく頭の中を整理しようと思っていたんだが。


 その、後者の方が。

 居間でせんべいを食っている。


「もう一回聞くけど。…………で?」

「社会科の勉強……、よ?」

「おかしいだろ」

「じゃあ、古文」

「いとおかしいだろ」


 自宅学習すらまともにせず。

 俺の家で時代劇見てるこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 飴色のさらさらストレート髪を。

 どてらの中に封じ込めて。


 緑茶をすする姿は。

 日本の冬としては正しいんだが。


「季節、間違っとる。もう春」

「でも、今日は肌寒い……、よ?」

「学生としても間違ってっから。自分の家で勉強しろお前は」


 せめて午前中一杯くらい我慢できんのか。


「こ、これ見終わってから……。お父様のおすすめ回……」

「そしてお前もだ。仕事しろ」

「ごめんよお兄ちゃん! でも秋乃ちゃんがこんなに夢中になってくれるなんて嬉しくて!」

「やかましい。今すぐ止めろ」

「そんなこと言わないでよ、もう九十分だけ……」

「だけって言葉くっ付けていい時間じゃねえからな、九十分」


 模試一教科分やって間違えたところをしっかり覚えることができるほどの時間じゃねえか。


 笑えやしねえ。


「ほら、秋乃。親父と一緒にいるとニートがうつるぞ?」

「ニートじゃないよ!?」

「昼の十時にせんべいかじりながら遠山の金さん見てるやつを世間じゃ何て呼ぶか知ってるか?」

「うぐ。……ぼ、僕も古典の勉強中だよ?」

「いとわろし」


 俺がバイトに行ってる間とか。

 秋乃を呼んでは洗脳してたと凜々花が報告してくれていたわけだが。


 でも、秋乃のヤツ、気に入って見ていると言うよりは。

 ただ何となく眺めてるだけって気がするんだけど。


「これの良さを分かってくれるなんて……! 我が同志よ!」

「面白いです。同志ではないけど」

「ここ! ここから好きなシーンでね? じっくり見て欲しいな!」

「はい……」

「くう! かっこいい……! そして、来るぞ来るぞ! 金さんの名ゼリフ!」

「あ、おトイレ」


 ほらやっぱり。


 秋乃はポーズボタンを押して。

 いいシーンとやらを一刀両断。


 しかもトイレから戻ってくると。

 台所の皿が気になったのか。

 カチャカチャと洗い始める。


「どうぞ、ポーズ解除してください。ここから見れますので……」

「いやいや! ゆっくり見て欲しいなあ!」


 やっぱりな。

 ものすごく好きって程じゃねえみたいだ。


「残念だったな、同志じゃなくて。ほら、先に勉強するから、それ止めろ」

「いやいやいや! 中途半端なところで止めたらもったいないよこんな神回!」


 しらんがな。


「ニートだけじゃなくてウソつきもうつるからこいつに近寄るな」

「ウソなんかつかないよ!? 何の話?」

「この間、凜々花にウソ教えやがって。日本最古のお金がワドウカイホウとか」

「いやいやいや! 僕の頃はそう習ったんだって!」

「ウソつけ。富本銭ふほんせんくらいちゃんと覚えろ。あと、ワドウカイホウじゃなくて和同開珎わどうかいちんな」

「ほんとにそう教わったんだよ信じてよ!」


 信じられるわけねえだろ。

 年号もめちゃくちゃに教えやがって。


 大化の改新が645年とか。

 鎌倉幕府が開かれたのが1192年だとか。


 ウソばっかり。


「とにかく、DVDはそこで終了。秋乃は歴史の勉強してろ」

「……遠山の金さんは、実在する人物?」

「遠山景元か。町民の権益や自由、娯楽を守るために何度負けても上司と戦い続けた立派な人って教科書とかには載ってるな」


 町人は自分たちを守ってくれる景元をもてはやして。

 歌舞伎とかでやたらと持ち上げたって話だ。


「そうなんだ……。じゃあ、その辺のこと覚えよ……」

「いいね」

「時代劇見ながら」

「だめだね」


 どうしてそうなる。

 そして大喜びで秋乃がトイレ行く前のシーンまで巻き戻すなよ親父。


「こら、効率悪くなることくらい分からねえのか」

「そこを何とか! お奉行様!」

「ええい、ならぬならぬ」

「そ、それじゃ……、この話だけ、見よ?」

「もう三十分も見てるのに?」

「いやいや! 二話いっぺんに見ようよ!」

「子供か! 今すぐ終了! 俺も勉強の効率悪くなる!」


 俺が口を尖らせると。

 秋乃はペンケースを持って廊下でなにやらごそごそやった後に。


 ふんぞり返って偉そうに戻って来た。


「何やってんの? 靴下伸ばして履いて。みっともない」

「しずまれい!」

「……ほんと、何のつもりだよ」

「時代劇を二時間見たかったところ、半分にされてお父様は一時間の損。立哉君は勉強を邪魔されて一時間の損。私は、この後一時間も勉強させられて損」

「一時間じゃねえ。せめて二時間、午前中一杯はやれ」

「三人とも一時間ずつ損で丸く収まるから、後三十分見てからお勉強で一件落着」

「それは大岡忠相」


 いちいち文句を言ってたら。

 お奉行様、急にどてらとトレーナーをずるっとはだけると。


「おうおう! この肩に入った桜吹雪が目に入らねえってのか~!」

「うはははははははははははは!!! 一輪だけじゃねえか桜! はあ、もういいや。三十分だけだからな」


 赤のサインペンで仕込んでおいた桜の絵。

 そんなもので強引に俺を納得させたお奉行様は。


 着崩した服を整えてから。

 お代わりのお茶と共にテレビの前に戻っていっちまった。



 ……まあ、一時間は勉強するって言ってるわけだし。

 今までの秋乃から比べれば。

 大きな進歩なのかもしれん。


 でもな、名奉行。

 残念ながら。

 俺だけかなり損することになったぜ。



 ……桜吹雪と一緒に。

 桜色の何かの紐が見えたせいで。


 丸一日。

 勉強なんか手につかなくなっちまった。




 ……誰が何と言おうとも。


 損だから。




 ほんとだから。


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