忍草子

俺から目を離すなよ

第1話

はるか昔、朱という国があった。

 水運に恵まれ、年々豊作のその国は、皇帝が治めていた。

 民は皇帝を尊敬しまた、深く感謝していた。

 皇帝は、裏の仕事をする兵を飼っていた。

 人々は彼らを忍ぶ者、すなわち、忍と呼んだ。


 一人の子供が囲まれていた。うずくまり手のひらで顔を覆っている、その子はずいぶんと幼い、まだ5,6歳くらいだろう。

「お前なんか存在していいと思っているのかよ」

それに比べ囲んでいる者たちはずいぶんと年がいっている。がっしりとしっかり筋肉ついた体、うなじで束ねた髪、みるに、十、十一歳くらいだろう。

「白国の生まれの癖に、俺たちの一員みたいな顔してんじゃねぇよ。」

「そうだよ、お前の分の空気が無駄なんだよ、さっさと死ねよ。」

あびせられるのは心にもない言葉。

「うぐっ、うぐっ」

 覆った手の端から、雫がこぼれる。

「なぁ、お前を庇ったやつがどうなったか知っているか?」

 中でも一番体格がいい者が見下すような笑みを顔に貼り付けて言った。

「しらねぇよな?」

 体格がいい男が隣に立つ少し小柄な男の子に向かって言う。

「おいっ、つれて来い。」

「えっ、でもあれは……」

 ためらうように男の子が言葉をつむぐ。

「いいからつれて来い!」

 有無を言わさぬ口調で男が言う。男の子は「ひぃぃ」とおびえるように体を縮ませると、囲んでいる輪を抜けって言った。

 再び男は子供を見下ろす。

「おもしれぇくらいにさぁ、折れるんだよ」

 下品な笑みを浮かべる、それに同調するように、子どもを囲んでいるものも似たような笑みを浮かべる。

 「何が」とでもいうように、覆った手の隙間から子どもの目が揺れる。

 ズルッ、ズルッ、先ほど輪を抜けた男の子が何かを引きずって戻ってきた。

 にやり、と男は笑う。

 眼の端で男の子が引きずっているものを認めた子どもは、顔を覆っていた手をぽとりと地面に落とす。

「骨がさぁ」

 さも面白いことを言ったとでもいうように彼らの世界は笑いに包まれる男の子が引きずってきたもの、それは人間だった。七、八歳くらいの男の子だ、左目が何かで焼かれたのかと思うほどただれ、もとは新しかったであろう衣は、おそらく自身の血と土で汚れている。手足はあらぬほうに折れ曲がり、折れ目は赤黒く変色している。黒い髪は、無残にも切られている。

「よ・・・・・・う・・・・・・にぃ・・・・・・」

 ほとんど息で子どもが声を出す。

 引きずられた子どもの目は固く閉じられている

「よう・・・・・・にい・・・・」

 もう一度子どもが呼びかける。

 周りを囲む男たちが笑い声を上げる。

 ドクンッ

 子どもの中で何かが壊れた。

「かっはっ……」

何かを吐き出すように子どもは両の手をつく。

「はっ……あっあっあっぁあっああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 徐々に叫び声が大きくなっていく。

 布を裂くような、つらい声が当たりに響いていく。本能的な恐怖で、逃げ出してしまいたくなるような声があたりに広がる。

 何かを求めるように子どもが地についた手を引きずられた子どもに伸ばす。

「ああああああああああ……」

 その日、その森にいた者で、子どもの悲鳴を聞かなかった者はいない。


 何かをつかむように伸ばした手に大きく、冷たく、柔らかいものが触れた。

 ぱちり、と少年は目を開けた。

 目に映るのは先ほどまで見ていた夢ではなく、雲ひとつない、澄み渡った青空、そして、太陽をつかむように伸ばされた自分の手が目に入った。

 大きく開いた手は、自分のものではない、少年のものよりも少し大きい手が添えられていた。

 そっと前髪が上げられ、額に手を置かれ、少年は自分が汗をかいていたことに気づいた。

 ひんやりとした手がほてった体に心地よく少年はもう一度目を閉じる。

「大丈夫か?双色」

 少年、双色を案じるような耳に心地がいい声が聞こえた。

 双色は、目を開け、声の主を、その手の主を探す。

「葉兄…」

 双色の顔を覗き込むようにしていた少年の名を呼ぶ。

「ん?」

 彼は少し首をかしげた。顔の左半分を隠すように伸ばされた、つやのない黒髪が揺れた。髪の間から見える細いつり気味の右目のしたには、黒い、黒い、くまができている。外に出ているというのに肌も青白く、まるで死人のようだった。背の中ほどまである髪を先端近くでゆるく一つにまとめている。

「お前随分うなされていたぞ。」

 葉が口を開いた。

「悪い夢でも見ていたのか?…………もしかして……」

「なんでもないよ大丈夫」

 葉の言葉をさえぎるようにそう言って双色は腹筋だけで起き上がる。

 うなじのところで止められた、異国出身であることを示す赤黒い髪が揺れる。握られたままだった葉の手をぎゅっと握る。

「ちょっと悪い夢見ただけだから、それよりもまた葉兄徹夜したでしょ」

 少し苦笑いを浮かべながら双色が言う。

「ああ、」

 ははっと葉がごまかすように笑う。

「ばれたか。」

 冗談めかしてそう言うと、

「ちょっといい薬草があってね。新しい毒ができそうなんだ。それに夢中になっててね。」

と腰につけた布でできた入れ物の中から、薬草を取り出した。

「それと同時に解毒薬を作るから、双色と双色の親父さんにはまた耐性をつけてもらわないとね。」

 葉はここではない、どこか、とても、とても遠くの場所を見ているように行った。

「へぇ、……、また新しいの作るんだ、そういえば、僕はもう全種の毒に耐性がついていたよね?」

確認するように双色が問う

「ああ、大丈夫だ。もし新種の毒が世界のどこかで作られて、お前が殺されそうになっても俺が、お前を救う。」

真剣な顔をしてようが言った。


「!!」

 その一息後、二人の少年は同時に振り返った。

まわりには何も変わったところはなく、先ほどと同じように高い木々が揺れている。近くを流れる川の音が聞こえる、

「葉兄!」

 双色の厳しい声が静寂を破る。

 葉は、双色をちらりと一瞬見るとこくりとうなずく。

 タッと、双色が朱国の忍装束の裾を翻し、足音も当てずに駆けていく。

 その後ろ姿を見送り、葉は、ゆっくりと歩き出す。積もった葉の音を立てないように、衝撃を与えないよう気をつけながら、一歩一歩歩みを進めていく。

 (さっき感じた気配あれは隣国の青国の忍のものだった。)

 ひやりと葉は背筋が冷えたような気がした。

(どうやって侵入したんだ?)

 バッと振り返り、ゆっくり辺りを見回していく。

(この森は朱国の忍のもの)

ざわざわと不穏な風が木々を揺らしていく。

(少しでもおかしな気配があれば、味方であろうと……殺される。)

 冷たい頬にじっとりと汗が浮かぶ

(どうやってどうやって、目をかいくぐった。)

 右目がかっと見開かれた。

 腰につけた袋に手が伸びる。

 じりっと葉は一歩下がる。

 がざがざっ

 茂みを揺らしながら出てきた者、それは忍の子だった。子どもながらに忍装束をまとい、長い髪をうなじでまとめている。

「やーい」

 子どもの一人が叫んだ。片手に投げるのにちょうどいい石を持っている。それをちゅうにぽぉんと投げながらニヤニヤと笑う。

「忍の癖に忍の仕事をしない役立たずさんよ。」 

 そのうちの一人が手に持った石を葉に向かって投げた。

「!」

 ぐっと葉羽目を閉じ、衝撃に耐える動作をする。

 ガァンッ

 幸い石は葉の頭上を過ぎ葉の後ろにあった木に当たる。

「父上や母上が言っていたんだ」

「『葉は仕事をしない』『いつも森の奥にこもって外にでてこない』」

 はじめに投げたものに続くように周りの者も投げ始める。

 ガァン、ガァン。

 石は葉に当たらない。周りの木々に当たるか降り積もった葉の中に落ちていく。頭を守るように、頭を抱えた腕の隙間から子どもたちを見る。

「!」

グッと葉は葉を食いしばる。

一人の子どもが投げた石が葉の腕に当たる。

 ボキッ

 ただの石が当たったときとは違う音が鈍く響く。

「っう……」

 葉は目を閉じ痛みに耐える。と、

「うわぁ」

子どもの一人が悲鳴を上げた。

見ればその首に腕が巻きついている。

子どもの首に腕をかけているものは、その子どもの影になって姿が見えない。

「……ぐあぁ」

 苦しむように手で腕をかきむしる。

それでもその者は手を緩めない。

子どもの爪がその腕に赤い筋をつけていく。

「ぁぁ……」

がくんと子どもの首が落ちる。

「しっ、死んだ?」

子どものひとりが声を上げる。

ドサッ、瞬きひとつの間にその子どもは葉の上に落とされる。

「どこへ行った!」

そう声をあげたものの前に影が現れる。

片方の足に体重をかけ、もう片方の足を高く振り上げる。足にかかる遠心力をを利用して、その者は体を回し子どもの頭に蹴りを叩き込む。

体のバランスが崩れ子どもが倒れていく。

目は白目をめき、手足の先がかすかに痙攣している。どうやら脳震盪を起こしているようだ。

ザクッ、ザクッ、ザクッ、

その者はわざと足音を立てて葉の前に来る。

「誰だ」

地を這うような声が響く。本来の明るく少し高い声こらは想像もできないような低い声だ。

「誰がこんなことをした。」 

その者は、双色は、葉の前で肩を怒らせ、子どもを睨む。

「葉兄は、葉兄はなっ」

ぽんと、双色の肩に手が置かれた。

「もういい」と言うように葉が目で訴える。

「でもっ、葉兄……腕が……」

先ほどまでとは一転した泣きそうな声で双色が言葉を紡いでいく。

「いいんだ、帰れ。」

双色に向かって薄く微笑むと葉は子どもたちに向かって声を出す。

「今すぐここから去れ、去ねろ」

有無を言わせぬ口調。

子どもたちは視線を交わらせ、倒れた二人を引きずっていく。

葉に怯えるような目線を残して。

「うっううっ……」

去っていく子どもの背から視線を双色に戻す。

彼の目からは、大粒の涙があふれている。

腕でそれを拭おうともせずに、ぽたり、ぽたりと彼の頬を顎をつたい地面に落ちていく。

「葉兄、ようにぃ……、ごめん、ごめん、」

葉は少し困った顔を双色に向け、自身の袖で双色の涙を拭う。

「泣くなよ……」

「僕の、僕のせいで……」

水の粒は止まらない。

「十年前も、今日も、今日までも、ずっと、ずっと葉兄はぁ」

「お前は悪くない」

そう言って葉は少し腰をかがめ双色と目線を合わせる。

「十年前も、今日も、全部、俺が悪い。」

ずきりと痛みを感じないはずの左目が痛んだ。

*   *  *

 

 双色は捨て子だった。

朱国のはずれ、唯一白国と接している村のはずれに血まみれで倒れていたところを双色の養父始雲が見つけた。

 そのとき、偶然一緒にいたのは幼い葉だった。

 「始雲さん、あの…」

 始雲の袖を葉が引っ張り、ある方向を指差す。

 「ん?あれは……」

 一瞬で血の気が引いていくあの顔を幼い葉は今でもしっかりと憶えている。血まみれの子どもの姿も、においも、かすかな呼吸の音も――

*   *  *

  「ねぇ、よおにい、よおにい、」

 血まみれの子どもは、可愛らしい顔をした男の子だった。その国では珍しい赤黒い髪を揺らし常時葉に付きまとっていた。葉も双色のことを本当の弟のように思い始めていた。

「ん?何」

 しゃがんで薬草を摘んでいた葉は少し振り返るようにして双色を見る。可愛らしい大きな瞳がきらきらと輝いている。

 「何してるの?」

 「あぁ、珍しい薬草を摘んでいるんだよ。」

 そういって摘んで薬草を双色の前に持っていく。

 「これはね、人々の病気や怪我を治すすごい薬のもとになるんだよ。」

 「なんでわかるの?」

 不思議そうに双色が首をかしげる。

 葉は少しいたずらをする子どものような笑顔で双色の問いに答える。

 「においだよ。」

 ぽんっ、双色の鼻をつつく。

 「におい?」

 そうつぶやき双色はその薬草のにおいをかごうとするように顔を近づける。

 「ぜんぜんしないよ?」

 しばらくして顔を離し双色は葉を見る。

 「秘密にできるって兄ちゃんと約束できる?」

 柔らかく彼の目が弧をえがく。

 「うん!」

 できると双色は力強くうなずく。

 「実はね、兄ちゃんはね、普通の人、」

 少し双色が不思議そうな顔をした。

 「あぁ、双色や始雲さんよりもね、」

 幼い双色にもわかるよう噛み砕いて言う。

 「鼻……においをかぐ力、と耳

えーと、音を聞く力がね強いんだよ。」

 「つよい?」

 「うん」

 葉はうなずく。

 「どれくらい?」

 「えーと」

 葉は双色を見る。

 (どれくらいだろう)

 「何倍も」

 そういってにっこり笑う、つられて双色もにこりと笑った。

*   *  *

 双色がいじめられているのに気がついたのはいつだっただろう。

 泥だらけ、血だらけで帰ってくる双色を見るようになったのはいつだっただろう。

 「大丈夫か?」

 そう葉が問いかけても、双色はにこりと笑って

 「大丈夫、ちょっと転んだだけ。」

と言うばかり。

 葉は心配しつつも何もできないでいた。

 さくっ、さくっ、

 土の上に足跡がついていく。

 「………おい………」

 かすかな声が聞こえた。

 ばっと葉は振り返り辺りを見回す。しかし、その罵声の持ち主は見当たらない。

 「!」

 葉はある方向に見切りをつけて走り出す。

 どんっ、ごっ、がしっ、がしっ、

 何かを蹴ったり殴ったりする音が聞こえる。

 それは葉が一歩踏み出すごとに大きくなっていく。

 耳元で風を切る音が聞こえた。

 自分の息の音が聞こえる。

 ………ざっざっざっざっざっざっ

 なかった足音が聞こえるほどの速さを出して葉は駆けていく。

 (もしかしたら……)

 心の中で不安がよぎる。

 ふるふると首を振り、不吉な予感を振り払う。

 (大丈夫……)

 ざっざっざっざっ

 「双色!」

 足音が止まったのと、葉が叫んだのは同時だった。少し開けた広場に出ていた。衷心付近では葉よりも年上の十、十一くらいの子どもが集まっていた。

 彼らは驚いたように葉を見ている。

 「…………よ……う……にい…」

 輪の中心からかすかな声が聞こえた。

 「!」

 葉の瞳が悲しみに耐えるかのように揺れる。

 「どいて」

 ゆっくりと子どもの輪に近づく。ぐいっと一番輪のはずれに、葉の近くにいた子どもの肩を引く。

 「なんだよ」

 そういってその者は葉を睨む。

 葉は前に壁のように立つ者達を押しのけ輪の中心へ向かっていく。

 苦しみに耐えるかのように表情が歪む。

 「双色!」

 そう言って中心で倒れていた子ども、双色に駆け寄り、その体を起こす。

 「酷い……」

 葉の口から思わずそのような言葉が漏れた。

 可愛らしい顔は、泥と血にまみれてみる影もない。口内を切ったのか唇の端から血がこぼれている。腫れあがったまぶた、頬が痛々しい。

 「……っう!」

 ぐっと葉は双色を抱きしめ、囲む子どもを見上げる。

 「許さない」

 口をついてでた言葉に子どもたちも驚いたようだ、しかし一番驚いたのは葉だった。

 「なぜ、こんなことをした。」

 その問いに答えようとした子どもの一人が口を開きかける。

 「否」

 それをさえぎるように葉が言葉を発する。

 「貴殿らにそれを問うのは愚問が……こいつに不満があるのなら」

 そこで葉は言葉を切る、ある一種の覚悟を決めた目で子どもたちを見据える。

 「兄貴分であるこの俺がその積を負おう」

 子どもたちはしばらくほうけていたが。数度葉の言葉を口内で噛み砕いたのだろう、品のない笑みを浮かべ口を開いた。

 「そうかい、じゃあ……」

*   *  *

 双色の養父、始雲の前に二人の子どもが横たわっている。一人は双色で、安らかな寝息を立てている。

 「くぅ……」

 もう一人は葉だった。全身がずたぼろにされている。

 ぐきっ

 始雲はあらぬ方向に折れ曲がった手を基の一えと戻し、添え木を当て固定していく。

 「ぐあぁぁぁ」

 聞くに堪えかねる悲鳴が葉の口から漏れる。始雲は少し眉を上げた、そしてぎゅっと眉を寄せる。

 「何でこうなった……?」

 こんな子どもが…?おそらくもう開かない左目を持つことになったのか―――

*   *  *

 「葉」

 葉が十ほど、双色が九つほどに成長したある日。始雲が葉に声をかけた。こっちに来いとでも言うように手招きしている。

 「葉兄」

 葉の袖を少し引き、双色が葉を見上げる。

 「ん?いいよ、一緒に行こう。」

 そういって葉は双色の手を引き始雲の下へ向かう。

 「お前に一つ伝えておかなければならないことがある。」

 おもむろに始雲が口を開く。

 「この前完治したその骨、完治したと言ったが、前のようには戻れていない、二度と開かない左目のようにな。」

 そう言って始雲は葉の手をとり軽くたたく。

 ばきっ

 軽くたたいたのには似つかわしくない音が響く。

 「……っ………」

 必死に歯を食いしばり悲鳴を口の中だけにとどめる。

 「葉兄?」

 不安そうに双色が葉の顔をのぞきこむ。

 「折れた……」

 「えっ」

 「そうだ。」

 始雲は厳しい目を葉に向ける。

 「軽くたたいただけでお前の骨は折れた。もともと骨が弱かったのかも知れんが。」

 「先のことが最大の原因でしょう。」

 葉が始雲が言おうとしていたことを先に言う。

 始雲は驚いたように目を瞬かせるとこういった、

 「そうだ、お前はこれから、走ることも戦うこともできない、幸いお前には毒を作る力がある、これからはそれに専念しろ。」

 「はい」

 葉は始雲に顔を見られないよううつむかせる。

 血が出るほど唇をかみ締め、今にも泣きそうな自分の顔を……

*   *  *

 「葉の忍としての人生を奪ったのは僕だ。」

 「違う、違うんだ双色、あの時俺が首を突っ込んだのが悪いんだ。お前が気に病むことはないんだ。おかげで毒の技術も上がったことだし。」

 そういって葉が笑う。双色の不安を拭い去ろうとするように。

 「だから。泣かないでくれ、俺は、大夫だから……」

 葉の袖がぐしゃぐしゃに濡れていく。

 (どうしたらいいのだろう?)

 双色は泣き止まない。

 ぽんと双色の肩に手が置かれた。

 「泣くなみっともない」

 驚いた双色が顔を上げる、葉も同じように驚いている。

 「お前に仕事が入った、」

 おごぞかな雰囲気で始雲は語を紡ぐ。

 「葉を守れ」

 「「はい!?」」

 始雲述べた、あまりに当たり前のことに、双色は。

 自分が一人では生きていけない、守られているのだということを実感し。

 双色と葉は素っ頓狂な声を上げた。

*   *  *

 さわさわと緩やかに吹く風が、木々を揺らしていく。森のはずれに皇帝の住む城のような、豪華な小屋が立っていた。豪華だがこじんまりとしていている小さな小屋だ。

 中で一人の男が書付をしている。長い前髪に隠されて目元はうかがい知れない。しかし口元は非常に整った容姿をしている。

 ふわりと彼が顔を上げた。

 「来たか。」

 そうつぶやくと、傍らに積み重なった巻物の中から一つを選び抜き取る。

 と、同時に小屋の中央ぽかりと開いていた空間に一つの人影が現れた。

 「顔を上げよ」

 そういわれて人影は、始雲は顔を上げる。

 「これを見よ」

 そういって男は巻物を始雲のほうに投げた。

 するすると紐を解き中を見る。視線が細かく上下してる。

 「青国の間者から情報が入った青国の忍がこの森に侵入しているらしい。」

 始雲の眉がぴくりと上がった。

 「狙いは、葉だ。」

 その言葉に完璧な無表情を保っていた、始雲の表情が崩れた。

 「ほう、あの小僧はそれだけの価値があるのか。」

 長い指で顎をなぞりながら男は尋ねる。

 「葉は、解毒剤を作ることができない、作られない毒を作ります。もちろん葉自身は作ることが出来ますが……彼が青国に渡ると厄介かと……彼の国と朱国は中が悪い……」

 すっと手を上げ、男が始雲の言葉を止める。

 「そう、よい。では、貴殿に頼みがある。葉を守れ敵国に渡してはならぬ。」

 そこでふと思いついたように言う。

 「そうそう、貴殿には、双色などと言う白国の養子がいたな、そやつにも守らせろ。」

 そう言うともうよいとでも言うように男が手を払った。

*   *  *

 「青国の忍が入り込んでいるようだ。」

 始雲は、双色と葉に向かって言う。

 「何が起こるかわからない。上忍共が駆除しているが、狙いがわからない以上、最悪の状況を考えて動かなければならない。」

 始雲は、青国の目的が葉であることを意図的に伏せた。

 「葉、お前の作る毒は特別だもし捕らえられたら、舌を噛み切って死ね。」

 始雲は無表情にそう吐く。

 (葉兄は道具じゃない。)

 双色の胸がきゅうっと苦しくなり、泣き止んでいた涙がまた溢れそうになる。

 「わかりました」

 ぎゅっと葉が双色の手を握った。「大丈夫だ」とでも言うように。

 始雲は。こくりとうなずいた。

 ふっと顔を上げる、始雲が、葉が、双色が。

 葉と双色は、あたりを見回す。

 風もないのにあたりの茂みが揺れ始める。

 「何?」

 葉の手を引き双色は背に隠す。反対側の手で腰に着けた二本の短刀の柄に手をかける。

 ガサガサッ、と大きな音がして、先ほどの子殿が出てきた。

 「なんだ、子どもか。」

 そう言い始雲は肩の力を抜く。

 「「違う」」

 驚いたように始雲が双色と葉を見る。

 双色は両手を柄に掛け一気に引き抜き構えを作る。双色と背をあわせ葉が腰の入れ物から数個けむり球を手に滑り込ませ子どもたちを見ている。

 「どうしたんだ?」

 始雲が不思議そうに尋ねる。

 「気づかないんですか?」

 突然一人の子どもが襲いかかってきた。先ほどの卯木とは比べ物にならないほど速い。

 双色の斜め前から駆け直前で上にはねる。

 「あれれーもう気づかれちゃいましたかー?」

 子どもに似つかない残忍な笑みを浮かべ始雲の首もとに刃を走らせる。

 「!」

 ガキイィィィィィン、

 刃が当たる寸前に刃と始雲の間に体を滑り込ませた双色は、一つの短刀で受け止める。

 「父義上!」

 叫びながらもう一つの短刀で自然落下してくる「子ども」の心臓を狙う。ときゅうに体をしゃがませ誰もいないはずの後ろに足払いをかける。

 先ほどまで双色の頭があった位置を短刀が通る。見事に足払いにかけられたその者はあっけなく倒れる。

 ぐりっと水月を踏む。

 「がはっ」

 そのものが胃液を吐く。振り向きざまに双色が短刀を繰り出す。「子供」はどの刃も巧妙によけていく。

 「双色!」

 葉の声がし、あたりに灰色の煙が立ち込める。バット双色は下がり、葉と背を合わす。

 「どうだ?」

 葉が尋ねる。

 「かなり強いよ、数もあるから、危ないかも。」

 あたりを警戒しながら双色が言う。二人の回りを黒い影が走る。

 「もうすぐだ……」

 葉がぽつりとつぶやく。ぱたりと黒い影が倒れた。それに続くようにばたばたと倒れていく。

 「この霧には、毒が仕込んでいる。それも即効性のやつをな。」

 そう言って葉が薄く笑った気がした。

 徐々に霧が晴れていく。子どもの数はなくなっていた。

 「何だ……これ」

 子どもの数の何倍かの大人の忍が二人を囲んでいた。

 「父義上は……」

 助けを求めるように双色が始雲を探す。

 「……」

 しかし、始雲はそこから少し離れたところで数人の忍と戦っている。

 「葉…どうしよう……」

 不安そうな今にも泣きそうな声を双色が出す。

 「焦るな、ひとりひとりは大した事はない。」

 落ち着かせるように葉が言う。

 「でっでも。」

 双色が何か言おうとしたとき、一斉に忍が飛び掛ってきた。

 「双色」 

 敵がかかってくるまでの短い間に葉の声が聞こえた。

 「生きろ」

 ぶわっと。双色の目から涙が溢れた。かかってくる忍を跳び上がって避け、高く刷り上げた足で脳天を蹴る。ぐわっと仰け反ったところを新たな忍が出てきて双色の足を掴む。

 「うっ」

 柄に挟んでいた、とても小さな刃を敵の目めがけて投げる。

 「うわっ」

 敵が目を押さえて、蹲る。

 四方から刃が襲ってくる。その一つ一つを双色は紙一重で避けていく。

 (はっはやい)

 ちりっと一つの刃が頬を掠めた。

 (これじゃあ、反撃する暇がない、何か、何か、きっかけを……)

 「捕らえました」

 ひときわ大きな大きな声が上がった。

 一秒、ほんの一秒、その場にいた者の動きが止まった。その間に双色は、声のあがったほうを見る。

 「葉兄!」

 そこには青国の忍に髪のみを持たれ、機能えから中に手足を放り出された葉の姿があった。常時隠している左目の傷があらわになる。

 「あっ……」

 その姿が、昔の、子どものころの記憶と重なる。

 どくんっ、どくんっ、どくんっ、どくんっ、

 いつもは気にもかけない心臓の音が妙に耳につく。体の中央、そのまた深くで何か獣のようなものが暴れだす。

 「あっああ」

 そう叫びながら、双色は葉のいるほうへ駆ける。しかしつぅっと足が引っ張られ倒される。背に何か重いものが乗り、首もとに何か冷たいものが当たる。

 「こいつどうしますかぃー?」

 敵の声がどこか遠くに聞こえる。

 「ああああああああああああああ……」

 口の中に土が入り込むのにもかまわず双色は声をあげる。

 (葉兄、葉兄、ようにい……)

 ぷつんっと双色の意識が途切れたように首ががくんと落ちる。顔が土に押し付けられる。

 「うっ、はは、ははは、ははははははははははは」

 不気味な笑い声があたりにあたりに響く。ある者は四方を見、ある者は怯えたように目を泳がせる。そして、ある者は、変なものを見るような目で双色を見つめた。

 「そ………ぅ……し…ょく……」

 ううっと薄く目を開けた葉がその名を言う。

 ゆらぁりと双色が立ち上がった。背に乗り体を組み敷いていた者が何も出来ずに立ち退く。ざわっ、ざわっ、彼の回りの空間が開けた。うつむいた顔から見える口元は笑いを刻んでいる。

 「くっ、くくく」

 双色が、顔を、上げた。

 何も変わっていないはずなのに心なしか目が少しつりあがっているような気がする。

 「なっ、なんなんだこいつ……」

 敵の中の一人が声を発した。

 「俺かぁ、俺は双色だ。」

 パンッと声を発したものの前に双色が現れた。

 「さっきとなぁんにも変わらない双色君だよ。」

 そう言って、その者の刀を一瞬で抜き取り、首を刎ねる。

 「かはっ」

 切られた喉からキェェェと音がした。

 「かぶってた猫ののいたね!」

 ぐっと刀を後ろに向かってつき、後ろに立っていたものの腹を突き破る。

 くるりと一回転しながら蹴りを繰り出す。

 すべてにおいて急所を狙っていた。

 「「「…うわぁ…」」」

 悲鳴を上げるごとに人が事切れていく。

 ぎろりと双色は葉をつかんでいる者を睨んだ。

 「ひっ、ひぃ」

 その恐ろしさに思わずその者は葉を離す。

 ビュッと葉が落下していく。とそれを受け止める者がいた。双色だ。

 彼は、ぼそりと葉の耳元で囁く。

 「大丈夫?葉兄?」

 その声は、たしかに先ほどと同じ、可愛らしい、優しい声だった。

 「ここで待ってて。」

 そう言って葉を近くにあった岩穴に置く。

 「すぐに終わらせるから」

 ぎらりと双色の両目が輝いた。

 動けずにいる敵に向かう。

 双色が目の前に来てやっと、呪縛が解けたように動き出す。

 「俺は、俺等は、半端ねぇ猫かぶりなんだよ。」

 的確に急所を狙いながら。取り戻した自分の短刀で敵の首を取りながら言う。

 「嫌なことなんか、全部忘れてしまうような、なっ」

 ぴしゃっと初めて彼に返り血がつく。血塗れの手で敵の喉、頚動脈を締め上げる。

 「都合がいいよね」

 そう言って双色は自嘲的に笑う。

 「……」

 敵が数歩下がる。

 (死にたくない、死にたくない、死にたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくないしにたくないしにたくないシニタクナイシニタクナイシニタク)

 敵の思考が、一つのこと、生きることに支配されていく。ビュッと音がした。目の前に双色が迫っている。

 心臓がえぐられ、意識が遠のいていく中。

 最後ににやりと笑う口元が見えた。

 「あはっ」

 口元だけで双色が笑う。

 ぱんっと敵の頭を蹴りだけで地面に叩きつける。ぐっしゃっと音がして頭が砕ける。

 「あははっ、はは」

 取り付かれたかのように双色が笑う。

 その体は返り血で真っ赤になっていた。


 何かの声が聞こえた気がして葉は目を開けた。

 「つぅ……」

 身を起そうとして体に力が入らないことに気がついた。

 「あはははははははっ」

 笑い声が聞こえた。

 「?」

 視線だけで声が聞こえた方を見る。

 と、大きく目が見開かれる。

 かすかに唇が震え、言葉にならない声で言葉を、名を紡ぐ。ぽろぽろと目の端から涙がこぼれる。

 「双色……」


 空を見上げて双色は笑っていた。

 あれほどたくさんいた敵は全て肉の塊と化している。落ち葉は、一つ残らず真っ赤に染まっていた。

 「あはははははははははははっ」

 目の端に必死に近づいてくる葉の姿が見えた気がした。

 「ははは、はは、ははは、は…はは……」

 徐々に声が小さくなっていく。

 回らなくなった頭で目の前の人物の名を述べる。

 「葉兄…………」

 ぽろりと身から涙がこぼれた。

「ごめん」

 そう言って双色は葉にもたれ掛るようにして倒れる。

 そして、そして、葉もそれに続くように、どさっと、倒れた。




 長く続く朱国の歴史の中で、闇に葬り去られながらも国を支えたものがいた。彼らは忍と呼ばれ、愛するものために人を殺した。その中で、双つの色を持った忍の名を        双色と言った。


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忍草子 俺から目を離すなよ @mokekeb

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