第5話 家を出る決意

 私と父の生活は、ゆるゆると過ぎていった。

 父にひげを剃ってもらい、ちゃんとした格好をしたら、まるで王様みたいな気品と威厳が出る。

 ご飯もしっかり栄養のあるものを食べているためか、最近は肌ツヤも良い。干してふかふかの布団になってから快眠できるようになったのか、目の下のクマもすっかり消えていた。

 一年も経つと、父は別人のようにスッキリした小綺麗な見た目になっていた。


「アガルトさん、ご飯できたよ〜」


 いつの間にか砕けた口調になっていた私は、そう言って父の書斎をノックする。

 彼は中で何やら慌てて物を入れたのか棚を閉じるバタンという音がして、扉が開いた。


「あっ……アガルトさん」


 私はそう口にした。

 彼はまた嫌そうな表情をしている。

 最近は私が呼びかけるたびに、父はそんな顔をしていた。

 何か言いたそうに口をモゴモゴさせた後、彼は自身の頭をガシガシと掻き回す。


「……行くぞ」


「? うん……」


 何か言おうとして諦めたらしい。

 父の後ろについて、私は居間兼台所に向かう。

 自分よりずっと大きな背中を見上げながら、私はぼんやりと思った。

 ……なんで、近ごろ、私が呼びかけるたびに嫌な顔をするんだろう?

 もしかして掃除しろとか、ひげを剃れとか、鬱陶しいことを言い過ぎたのかな?


「…………」


 一緒に暮らして一年経って、ようやく本当の意味で打ち解けてきたような気がしていたのに……そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。

 私はしょんぼりとしながら台所で父と食事をした。彼も無言だった。

 ちらりと見ると、また何か言いたげにしていた父と目が合う。すぐに視線を逸らされてしまった。

 ……もしかして、出て行って欲しくなったのかな。

 それを言い出せないだけかもしれない。

 私は胸が苦しくなって、ぎゅっと目を閉じた。

 その時、玄関の呼び鈴が鳴る。お客さんだ。


「はぁい」


 私は椅子から降りて、玄関扉を開ける。

 そこには赤銅色の髪の青年がいた。見た目は二十代前半くらいだろう。茶色の外套を身にまとっている。

 彼は父の仕事相手で、友人のディオラルドさんだ。


「いらっしゃい! ディオラルドさん」


 私が笑みを浮かべると、彼はニカッと笑う。八重歯が口から覗いた。


「よう、フィー。また大きくなったな」


 彼は私を、フィオナの愛称のフィーと呼ぶ。

 ディオラルドさんは私の両脇に手を差し入れ、まるで赤ちゃんにするみたいに空中で回転させた。


「わっ、アハハッ……」


 そんな体験なんて今までしたことがなくて、つい面白くて笑ってしまう。

 私は数回ぐるぐる回された後、床に降ろされた。

 なぜか、父がオーガのような形相でディオラルドさんを睨んでいる。


「ディオラルド……。フィオナに軽々しく触るな」


 冷たい父の言葉を、ディオラルドさんは笑って流した。


「別に良いじゃん〜。だって、フィーはこんなに可愛いんだもんな? 大きくなったら俺のとこに嫁にくるか?」


「ディオラルド!!」


 そう激昂する父に、「はいはい」とディオラルドさんは軽くいなした。

 その後は、二人は仕事の話を始めたので、私はそっと自室に戻ることにした。

 ディオラルドさんは仲介屋で、父に魔導具や魔法薬の制作を依頼しにきていた。

 私はしばらく部屋で一人で魔法書を読んでいたけれど、つまらなくなって本を閉じる。


 父はこの一年で、たくさんのことを私に教えてくれた。

 おかげで前よりも魔力が制御できるようになったと思う。


「やっぱり出ていくべき……なのかな?」


 窓から外の景色を眺めながら、そう呟いた。

 父の身の回りのことをすることで彼の役に立っているつもりだったけど……彼の厚意に甘えて、家に住まわせてもらっているのは確かだ。

 私は父の仕事をたまに手伝うことはあるけど、報酬が高くて危ない依頼は父がさっさと一人で済ませてしまう。

 私がほとんど家計の助けになっていないことを自覚していた。

 父からしたら、厄介者に感じても無理はない。


 ……ディオラルドさんに相談してみようかな。


 私はそう思い、ディオラルドさんが帰ろうとした時に「外まで見送るため」と父に嘘をついて、二人で家の外に出た。


「あの、ディオラルドさん……」


 私はそう彼に呼びかけた。

 私の深刻な表情で何かを察したのか、ディオラルドさんはその場に屈んで視線を合わせてくれる。


「どうしたんだい? フィー」


「あ、あのね……ディオラルドさんはアガルトさんの友達でもあるよね? だったら、アガルトさんが私のことをなんて言ってるか知らない?」


「えっ、どういう意味?」


 目を丸くしている彼に、私はまくしたてるように話した。

 この頃、父の様子がおかしいことを。

 私が話し終えると、ディオラルドさんは苦笑していた。


「ははぁ……。なるほどね。本当にアイツは言葉足らずだよねぇ」


 何かを納得したように頷きながら、ディオラルドさんは続ける。


「ま、俺がなんやかんや言うより、直接見た方が良いと思うよ。アイツはものすごい……なんというか、君が思っているよりずっと……アレだから」


 そして、なぜかディオラルドさんは私に父の書斎の机の引き出しの中にある日記を読むよう勧めてきた。

 父は大雑把だが意外とマメなところもあり、日記をつけているらしい。

 ──でも、勝手に読んで良いものなのかな……?

 そういうのは隠したい事柄がたくさん書かれているだろう。無断で見て良いものとは思えない。

 ためらっている私の頭をグシャリと、ディオラルドさんは撫でた。


「君はまだ子供なんだから……もっと大人に甘えて良いんだよ。過去のことは忘れて、もっと周りを……アガルトを信用すると良い」


 その優しい言葉に、じんわりと涙がにじむ。

 私は十六歳まで生きた記憶があるのに、過去に戻ってからは肉体に精神が引きずられるのか、涙もろくなってしまっている。


「ありがとう。ディオラルドさん……」


 私の言葉に、ディオラルドさんは微笑んだ。

 彼の姿が見えなくなるまで見送り、目元の腫れが治まってきた頃に家に戻る。

 てっきり、もうとっくに自室に戻っているだろうと思っていた父が、不機嫌な表情で居間に立っていた。


「……アガルトさん?」


 困惑して私が呼びかけると、父は身を硬くして吐き捨てるように言った。


「……お前は、本当にディオラルドに懐いているよな。俺よりも」


「えっ……」


 父は小馬鹿にしたように鼻で笑う。


「そんなにディオラルドの方が良いなら、奴に弟子入りしたらどうだ? 奴も魔法が使える。お前の目的を達成するには充分だろう?」


 その言葉の棘に、私は唇を噛みしめて湧き上がる感情を堪えた。

 ……こんなにひどい言葉を彼から言われたことは今までない。

 確かに魔法を制御できるようになりたいという大義名分で、彼に弟子入りした。

 けれど、彼と一緒に暮らしかったのは、何より私の父親だったからだ。

 私には、そばにいるための理由が必要だった。


 私は耐えきれなくなり、父の横を通り過ぎて自室に駆け込み、鍵をかけた。

 ポタポタと涙が頬をこぼれ落ちる。


 ……やっぱり、お父さんは私のこと邪魔なんだ。


 明日、家を出て行こう、と心に決めた。

 これ以上、私の嫌な記憶を彼の中に残したくない。



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