第3話 弟子入り

 私がそう言うと、彼は瞠目どうもくした。

 しばらく何か考えるように顎を撫でた後、「……入れ」と言って、私を家に入れてくれた。

 ゴミが廊下に山積みになっており、通路にはギリギリ人が通れるくらいの幅しかない。

 私は気が遠くなった。

 ……実の父親が汚部屋の住人だったなんて……。

 怪物のように扱われる大賢者の彼よりも、魔の森の生き物達よりも、この家の汚れっぷりの方が怖い。我が父、生活能力がなさすぎる……。


 案内された居間兼台所のような一室は、ゴミの山が家具のようになってさえいなければ、それなりに広くて居心地が良さそうだった。

 巨大な木の幹を縦にはんぶんこにしたような机には、書きかけの紙や魔法道具が散らばっており、とても食卓とは思えない。


 父は机の上のよく分からない物達を手で脇に寄せ、私に座るように勧めた。

 何日洗ってないんだと思うような汚れたコップを手に持つと、彼は何か呟いた。途端に、コップが綺麗になる。浄化魔法だ。

 なるほど……まったく整理整頓も掃除もしている様子はないのに、父の服がそれなりに清潔なのは浄化魔法のたまものなのだろう。

 彼は部屋の隅の流し台に向かうと、取っ手のようなものを上下させた。すると綺麗な水が出てくる。


「えっ!? そ、それ、どうなっているんですか?」


 水を飲むなら、井戸から汲んだ水を樽に貯めて使うのが一般的だ。その水はどこから湧いてきたのか……。

 彼はしれっとした表情で答える。


「森の中の湧き水から、【転移の魔法陣】を使って水を引いている。この鉱石の筒には浄化魔法陣が刻まれているから、どんな水でも綺麗なものが出てくる仕組みだ」


「すご……」


 さすがは大賢者と呼ばれるだけのことはある。

 しかし、浄化魔法をもってしても部屋は汚い。さすがに物を整頓する魔法は存在しないのだろう。

 父は私の前に水を置いて、向かいの席に腰かける。


「……それで? 先ほど、お前は俺の娘だと話していたが……」


 私は居住まいをただして、父に向き直った。


「はい。ジェーン・ボーランという名前に聞き覚えはありませんか?」


 私は母の名を出し、ここにやってきた事情を──十年後に起こったことまで全て彼に話した。

 たまに相槌を打ちつつ私の話を聞き終えた父は、居心地悪そうに身を動かした後、目元を手で覆って大きくため息を吐く。


「……そうか。ジェーンは死んだか……」


 そのかすかな言葉に愛情と後悔が混じっている気がして、私は父の中に母の影を見つけようと、じっと彼を見つめてしまう。


 ──何を考えているのかな……?


 黙りこくっている父に、私は不安を覚えた。

 彼からしたら私が実の娘だという確証はないはずだ。

 出ていけと言われたら、どうしよう……。帰る場所なんてないのに。

 私はもじもじして、膝の上で拳を握りしめる。


「あ、あの……私の話を信じてくれますか……?」


 気弱な声になってしまった。

 父は一拍置いて、「ああ」と頷く。


「お前の周囲に、俺の魔法の気配があるからな。……十年後から過去に戻ったというのは、俺がジェーンに授けた魔法だろう。何かとんでもないことが起こった時にやり直せるように、俺が彼女に与えたものだ。……魔法は譲り渡すことができる。ジェーンは自分のためには使わず、娘のお前に魔法を残したのだろう」


「そう……だったんですね……」


 ──お母さんのおかげで、私は助かったんだ。

 それを知り、胸の奥がじんと熱を帯びる。

 耐えきれなかった涙がぽろりと私の目の端からこぼれた。

 父がいきなり立ち上がり、動揺したように口早に言う。


「なっ、泣くな! 子供に泣かれると、どうして良いか分からなくなるっ」


 彼は慌てて私の元までやってくると膝をついた。

 拭くものを探したが見つからず、己の袖でごしごしと私の目元をこする。痛い。力加減が分からないらしい。


「お前が俺の娘だというのも、本当だろう。お前のまとう魔力は俺のものに、よく似ている。……それに魔力が強い者は子供も強くなることが多い。俺の虹眼がお前に受け継がれたんだろう」


 私は頷いた。

 父は戸惑いぎみに、私に尋ねる。


「……それで、お前はなぜ俺のところへやってきた? 何を望む?」


「私は……」


 ──お父さんと一緒に暮らしたい、です……。

 そう言いかけて、口をつぐんだ。


 嫌がられたら、どうしよう。

 彼は森の中で一人で暮らすくらい孤独を愛する人だ。

 私はぎゅっと瞼を閉じる。

 脳裏に義父と義母の顔が浮かんだ。

 ──利用価値がないものをそばに置くなんて、そんなことをする大人はいないだろう。

 ましてや、彼は冷酷非道と恐れられる男なのだ。

 私は困り果てて、部屋の中を見回し、『これだ!』と良い方法を思いついた。


「私は魔法を制御できません。そのせいで、十年後、魔力を暴走させてしまいました。なので……アガルトさんに、弟子入りしたいです……」


「俺に弟子入り?」


 彼は予想外だったのか、眉をよせて聞き返した。

 私は焦って深く頭を下げる。


「はい! どうか、住み込みで修行させて下さい! もちろん、料理や掃除もやりますから……っ」


 私は伯爵令嬢ではあったが、王立学園の魔法科に入ってからは、寮で炊事・掃除も自ら行っていた。

 料理に関しては家に戻るたびにマグラからレクチャーしてもらっていたので、それなりのものが作れる自信はある。


 父はしばらく押し黙っていたが、ぐしゃりと己の金髪を掻き回して、目を閉じる。


「俺は弟子は取らない主義だが……ま、良いだろう。ここに住むと良い」


 そうして、私と父の共同生活が始まったのだ。




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