なみのうえのみやこ〈2〉
翠里の街は島で最も栄えている
王宮を頂点に、螺旋状に張りめぐらされた石積みの城壁に沿って丹塗りの家屋が並んでいる。藍碧や琥珀色に艶めく瑠璃瓦、珊瑚のように赤い
日避けのために被った紗布を透かしても目が眩む。真赫が湊で調達してきた馬の背に揺られながら圧倒されていると、馬と並んで歩く水沙比古が声をかけてきた。
「まだ気持ちが悪いか?」
「え?」
「城下に入ってから黙りこんでいるから」
気遣わしげに紗布の内側を覗きこもうとする仕草に苦笑が洩れた。
「大丈夫よ。何もかもはじめてで、驚きっぱなしなの」
水沙比古はひとつ瞬き、噛みしめるように頷いた。
「ああ……そうだな」
七洲では晩秋だったというのに、人や家畜が行き交う大路は夏の風が吹いていた。
砂埃にまじって
伊玖那見の民とおぼしき人びとは、水沙比古や真赫たちと同じように彫りの深い容貌と浅黒い肌をしていた。褐色や藍色に染めた芭蕉布のゆったりとした長衣を帯で締め、袴や裳を穿いているひとは少ない。
こうしてみると、水沙比古が伊玖那見人だという事実がしっくり来る。身成こそ七洲人だが、少年の姿は南国の風景に違和感なく溶けこんでいた。
「異人だらけだな」
水沙比古がぼそりと呟いた。
確かに、伊玖那見人と同じくらい外国人とすれ違う。大半は
たまにいずこの土地から旅してきたのか見当もつかない風貌の持ち主もいて、私の目は右に左に滑りっぱなしだった。
「わが国は古くから海の交易路の要所なのですよ。七洲や大陸諸国だけでなく、南の遠洋の島々からも舟が渡ってきます」
先導役の真赫が白い歯を覗かせて説明する。
「伊玖那見より更に南にも国があるの?」
「ありますとも。大陸の南の果てに突きだした半島から連なって、無数の島が浮かぶ多島海が広がっています」
私の質問に頷き、彼女は太陽が昇ろうとする南の方角を指差した。
「
伊玖那見では父親が異人という混血児は珍しくない。筆頭は藩王家で、大神女や水沙比古の母親は大陸系の血を引いているらしい。
「香彌王女の父君は七洲人でいらしたそうです。国を離れる際は、父君の縁故を頼って七洲に渡られたと聞き及んでおります。卑流児王子と稚神女の父君も同じく七洲の方でした」
水沙比古の肩が揺れる。
「水沙比古の母上は亡くなられているのよね。父上はご健在なの?」
「いえ、残念ながら。蕾王女の夫君は舟乗りでしたが、七洲に向かう途中で嵐に見舞われて舟もろとも……舟の残骸だけが浜に流れ着き、王女は悲しみのあまり――」
真赫はわずかに口ごもったあと、「臥せりがちになり、そのままお隠れになられました」と小声で続けた。
私はとっさに水沙比古の様子を窺った。
しかし、少年の表情には心配していたような翳りは見当たらなかった。
「おれの本当の父親は、和多の舟乗りだったのか?」
「申し訳ありません、氏族までは……。ですが、腕利きの舟長で風を捉えることに長けていたことから
「風速、か」
水沙比古は口の中で反芻し、ふっと相好を崩した。
「おれは生まれたときから舟乗りの倅だったのか。王子の身分より、そっちのほうが嬉しい」
屈託のない感想を聞いた真赫は微苦笑をこぼした。
下船の前に聞いた説明では、城下に宿を取って王宮からの迎えを待つそうだ。丘陵地の中腹付近まで登ってくると街の賑わいはいちだんと華やぎ、大きな旅籠や酒房が目立つ。
「このあたりは治安もよく、上質な店が揃っております。当面の宿を見つけてきますので、しばらくお待ちになっていてください」
真赫と白穂が宿の手配に出かけているあいだ、私と水沙比古は護衛として残った黒金に連れられて近くの市を見物することになった。
大路を外れたところに開けた広場には、日避けの布を張った露店がひしめいていた。
色とりどりの鮮魚や籠いっぱいに盛られた果実、舶来の織物や装飾品が所狭しと並べられた光景は、まるでおもちゃの宝石箱をひっくり返したかのよう。
四方の海からあらゆる品が集まるという文句はけして誇張ではないのだ。圧倒されながら目移りしていると、黒金がほほ笑ましそうに口を開いた。
「媛様、あちらの店などいかがですか? わが国の螺鈿細工を取り扱っているようですよ」
「螺鈿?」
「貝の中には、貝殻の内側に真珠や蛋白石のような光沢を持つ種がありましてな。それを砕いた破片を漆地や木地の彫刻に嵌めこんだ細工物ですよ」
黒金に先導されてやってきた一角には螺鈿細工の店が並んでいた。
思わず驚嘆の声が洩れた。
櫛や鏡、髪飾り、かわいらしい小匣。漆塗りの表面にあしらわれた螺鈿が陽射しに当たって虹色にきらめいている。異国の花鳥の図柄や、波線や渦を重ねた紋様など多種多様だ。
「すごい! とてもきれいね」
「伊玖那見では昔から盛んに作られておりましてな。七洲や大陸の国々では、特に高貴なご婦人への贈り物として喜ばれるそうですよ」
確かに、どれも値が張る品ばかりだ。うかつに手を伸ばせず紗布越しに眺めていると、店の主人が声をかけてきた。
「何かお気に召したものはありますかい、お嬢様」
異国訛りのある陽気な口調だ。びっくりして顔を上げると、敷物にあぐらをかいた青年と目が合った。
年齢は二十代前半。亜麻色の長髪を一本に編んで垂らしている。
小刀で入れた切れ込みのような一重まぶたをした、癖のない顔立ち。鉛色の双眸を覆う円形の
袖の広い羽織のような形状の袍を胸元の留め紐と帯で締め、筒袴を穿くというスタイルは大陸風だ。はるばる海を越えてきた旅の長さを物語るようにくたびれている。
青年はにっこりと笑った。したたかそうで人好きのする表情だ。
「どうぞお手に取ってごらんなさい。藩王家御用達の細工師が腕によりをかけた品ばかりですよ」
「藩王家の?」
黒金が眉をひそめると、青年はいかにもな仕草で耳打ちした。
「ちょっとした伝手がありましてね。もちろん藩王家への献上品とは比べ物にはなりませんが、御用達の看板を許された工房で作られた一品ばかりですよ」
青年は商品のひとつを手に取り、恭しく差しだした。
「こちらなどいかがですか?」
華奢な造りの手環だ。細く削りだした木製の環に漆を塗り、淡い青や紫の螺鈿で小さな花の図柄があしらわれている。
「これは……まつむしそう?」
「ええ。螺鈿の光沢が花びらの色合いをよく表現しているでしょう? 一見地味だが、清楚で美しい。いま身につけていらっしゃる手環ともよく合いますよ」
反射的に右手を引っこめると、青年は目敏くほほ笑んだ。
「七洲の翡翠を伊玖那見に持ちこんで加工した手環とは、なかなか珍しい。翡翠も細工も上等だ、売ればかなりの値になりますよ」
「……売り物ではありません」
「ご無礼を。商売柄、どうしても目利きの癖が抜けませんでね」
ひょうきんな物言いに騙されそうだが、どこか隙を見せがたい青年だ。
思わず警戒していると、水沙比古が一歩前に出て威嚇のように得物に手をかけた。
丸眼鏡の奥のまなざしが水沙比古に注がれる。青年は両眉を持ち上げた。
「これはこれは――」
「なんだ」
「いやあ、驚きました。話には聞いていましたが、本当に瓜がふたつだ」
青年は丸眼鏡を上げたり下げたりして、つぶさに水沙比古を観察している。黒金が咳払いをすると、「おっと、失礼いたしました」と空々しく謝罪した。
「おぬし、藩王家に伝手があると言ったな。いったい何者だ?」
「
璃摩は西の海を隔てた大陸の一国だ。『龍の爪』と呼ばれる大きな半島の南東部に位置し、七洲とも国交がある。
「実はちょっとしたご縁がありましてね。いまは稚神女の食客として、王宮でお世話になっているんですよ」
「何ぃ?」
黒金が語尾を跳ね上げる。私と水沙比古は顔を見合わせた。
青年――海燕は意味深長に声量を落とした。
「七洲からお戻りになられた王子とお連れの媛様の件も承知しております。まさか、こんなところでお目にかかるとは思ってもみませんでしたがねぇ」
紗布の内側を覗きこむような視線に体が強張る。まるで値踏みされる
「瓜がふたつとはどういう意味だ?」
「どうって、そのまんまの意味ですよ」
水沙比古の問いに海燕は瞬いた。
「ははあ」黒金の表情を見て膝を叩く。
「なるほどなるほど。こりゃあ面白……いやいや、大変なことになりそうだ」
「おい」
「一介の食客が余計な口を挟めないんでね、どうかお許しください。なに、稚神女にお会いすればおわかりになりますよ」
海燕は手にしていた手環をポンと放り投げた。
水沙比古が片手で受け止めると、「お代は結構ですよ」とにんまり笑った。
「お詫びとお近づきの印に。ご入り用の際は、どうぞこの海燕めにお申しつけください」
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