第13話

十五、

てて……」

 この程度の傷で我ながら情けない、と思いつつラムルは、顔をしかめた。熱はすっかり引いていたが、包帯の下の傷口がひきつって痛むのだ。それでもこうして外出できるのだから、運が良かった方なのだろう。

 ラムルは、城内の通りをゆっくりと南下している。

(ーーしかし、アイツらは何者だったんだ?)

 遠乗りで襲撃されてから三日が経っていた。その間、熱にうかされながらも何度となくあの時のことを思い出したが、賊が自分たちを狙っていた、という確信は増すばかりだ。どうみても一直線に向かってきたのだ。とはいえ、その動機に心当たりがないのもまた事実だ。

(うーん……)

 どんなに頭をひねっても、己が命を狙われる理由が出てこない。

 自分で宣するのもしゃくだが、これといって特徴のない凡夫である。遊興で借金があるでもなく、官衙やくしょで高い地位にいるでもない。女難どころか、許嫁のはずのサラに拒否される始末である。

(ま、それが唯一の怪我の功名だな)

 サラは毎日、見舞いに来てくれる。顔を見られるのは正直嬉しかったが、負傷させた責任を感じているゆえと思うと、何だか自分が酷い卑怯者になったようにも思えるのだった。

 ラムルが、ザビネという見知らぬ男を訪ねて行くのはサラを見かねてのことだが、自分でも気づかぬうちにそうした後ろめたさを感じていたからかもしれない。

 見舞いに来たサラには今やジナがピッタリと貼りついていて、余計なことを仕出かさないかにらみをきかせているのだった。サラは、ラムルの怪我の原因になったことと、自由に外出できなくなったことで、かなり落ち込んでいる様子だった。

 ジナが席を外した際に訊いたサラの行きたがっている場所というのは、意外な場所だった。そしてサラが、あまりに意気沮喪しているのでラムルは、つい安請け合いしてしまったのだった。

 教えられた〈乳鉢小路〉は、確かに分かりづらい場所だった。

 サラが再びザビネのもとに行きたがっていたのは、ガイウスの行動の裏付けをとるためであった。教えられたガイウスの病の話はラムルにとっても寝耳に水であったが、ガイウスがハーリム医師の元に通っていたという行動とつき合わせると、その理由も明らかだと思われた。ガイウスは、親友の医師に治療を受けていたのだ。ガイウスが受け取っていたという包みの正体も、病の薬とみて間違いないと思われた。

 であるならば、ガイウスの死と、ガイウスの追っていたという事件、それにハーリム医師の線は、それぞれ関係がなかったと考えるべきなのだろう。

 だがやはり、自分の耳で聞いて確かめずにはいられない、とサラは言っていた。この、徹底して自分で確かめようとする姿勢はーー本人は否定するかもしれないがーーまさに辣腕の捕吏とりかただったガイウスそのものである。けだし血は争えない、とはこのことであろう。

 その人だかりが目に入ったのは、〈乳鉢小路〉の手前にある繁華な里坊だった。小さな店肆みせ仕舞屋しもたやが混在した一角である。ラムルが近づくまにも、人はどんどん増えていった。

 群衆は通りの一隅いちぐうを取り囲むように半円形の垣根をつくり、半ば道を塞いでいた。ほとんどは近所の住民のようだったが、中には仕事へ向かう途中の職人風の男や、子どもまで混じっている。

 口々に感想を述べあう野次馬の声が自然に聞こえて来ると、どうやら人死ひとじにが出たようだった。

「ひでえもんよ」

 背の高い職人が、ひときわ声高に騒ぎ立てている。

「真正面からこう、ばっさり、ってなもんよ」

「つ、辻斬りかな」

 相棒らしき小太りの男が、さも恐ろしげに返した。

「かもしんねえぞ」

 のっぽが小太りをおどかすようにいう。

「おめえも夜道は用心しねえとな。間抜け面で歩いていると、後ろから光るもんを持った奴が……」

 ひええ、と小男が悲鳴を上げた。それを聞いた群衆からいっせいに笑い声が沸き起こった。

 ラムルはなるたけ半円から離れて先を進んだ。砂漠で、刺客の死体に対面したときの忌まわしい記憶が頭をよぎった。しかし図らずも人ごみのすき間から、粗末なむしろを被せられた死体の足が見えてしまって、慌てて顔を背けた。

 どたどたと官人やくにんらしき男たちが姿を現したのはそのときである。金吾衛きんごえい捕吏とりかたに、小者が二人つき従っている。

 捕吏とりかたは、邪魔だ、と野次馬を散らしながら人垣をかき分けた。ずかずかと死体の前にくると、無造作にむしろを取りはらった。それを見送っていたラムルは、不覚うっかり、まともに死体を見てしまった。

 死体はまだ若い男だった。蒼白な顔は、自分の身に起こったことを理解できないというようにポカンと口を開けている。黒い口髭が特徴的で、そのくびには無惨な傷痕があった。ラムルはギョッとなった。無責任な野次馬の言葉とは違ってそれは、切り傷などではなかった。まるで野生の獣に喰い千切られたようなあとなのだった。

「おい、このむくろの身元がわかる者はおらんか?」

 捕吏が野次馬を見渡して言った。すると、あのう、と手を上げた者がいる。

「おう、知ってるのか?」

「知ってるってほどじゃありやせんが……」

 進み出てきた男は、ぞろりとした深衣きものをだらしなく着流していた。無精髭の貼りついた皮膚はくすんでいて、眼の下の隈が不摂生な生活を思わせる。

其方そのほうは?」

 捕吏の詰問に答えるには、男は界隈で酒肆さかばを営む者であり、死体は自分の店肆みせの客だと言う。

「たしか、杏林おいしゃさまの助手で、ザビネとか言う奴です」

 立ち去りかけていたラムルは、その言葉に驚いて振り返った。

(ザビネだって?)

 ラムルは、無惨な姿に変わり果てている男を改めて眺めた。

(これが、サラが会いに行こうとしていた男だと?)

「ほう、昨夜はいかがであった?」

「へえ、ゆんべも来てましたよ。しこたま飲んでくだまいてました。ここんところ毎晩ですよ」

「む? 奴さん、そんなに懐があったかかったのか?」

「いやぁ、だいぶツケもたまってましたがねぇ。何でも近々、銀子かねが転がりこむからって息巻いてうちの店肆みせ酌婦おんなに言い寄ってましたが……夢でも見たんでしょうよ」

「ほうほう、銀子かねねぇ……」

 捕吏はあまり真に受けた様子ではなかった。むしろ、先ほどの野次馬の開陳した辻斬りの線を追うよう下働きに指示している。捕吏とりかたは明らかに、半ば破落戸ごろつきじみた平民ゾック斃死のたれじにに触手が動いていない様子である。

 どうもキナ臭いぞ、とラムルは顔をしかめた。

(ーー辻斬りだって?)

 それでは、あの獣の噛み痕のような奇妙な傷はどう説明するつもりだろう。

 ふと、これは偶然だろうか、という恐ろしい疑惑が湧きおこってきた。

(ーーまさか、な)

 考えすぎだ。浮かんだ想像を、ラムルは打ち消した。サラが訪ねたために、ザビネは殺されたのではないか。

(ーーありえない)

 しかしその疑義うたがいは、完全には消えてくれなかった。ラムルは検分を続ける捕吏を横目に、先ほどの酒肆さかば老板てんしゅに近づいた。そして、ザビネが言い寄っていたという酌婦について訊いたのだった。


 酒肆さかばの西の里坊の巷曲よこちょうは、〈乳鉢小路〉以上の裏町で、さらに入り組んでいた。ひしめく家々は、のきなみかしいでいたり、壁の一部が崩れている。

 路地のどんづまり、背後が澱んだ溜め池なっている地所に酌婦しゃくふの家はあった。

 ラムルが来意を告げると、ちょっとまって、とその娘は、ラムルを溜め池のほとりまでつれだした。

「家には寝たきりの親父と、弟たちもいるからさ」

 アマンという酌婦は、赤毛を左右に下げた陽気そうな姑娘しょうじょだった。何とはなしに婀娜あだな年増を想像していたラムルは、やや面食らった。

 年齢としは、サラと同じくらいとみたが、二つ下だという。おなごの年齢としは測りづらい。そして何気ない仕草が思いの外、色っぽいのだ。ラムルは落ちつかなくなった。

 酒肆さかばに出ていることは、一応は、家では秘密なのだという。一応というのは、父親は見て見ぬふりをしているからだ。ガキみたいにふてくされてんのさ、と娘は言った。

「そりゃあさ、娘が客をとっているんだから、面白くないだろうけどさ。でもてめえがあのざまだからね」

「客?」

「まあ、そのおかげで弟たちもおまんまが食べられるんだからね」

 カカカ、と豪快に口を開ける。笑うとソバカスの浮かんだ顔がいっそう魅力的だ。キョトン、としていたラムルは、娘の言う「客」の意味にようやく思い至って、急にドギマギした。

「そ、それで今朝、亡くなったザビネさんのことですが」

 ラムルは話を戻した。そうそうあのひとね、とアマンは手を打った。

「あの可愛いらしいひとでしょ。そうか、死んじまったんだよねぇ」

 アマンは、しおらしくため息をついた。

「可愛らしい?」

 アマンの言葉は、こちらの予想を小気味いいほど裏切ってくれる。

「そ。だってあんなに必死になって口説いてくるんだもの。そりゃもちろん、こっちは商売で相手しているだけなんだけどさ。でも悪い気はしないわよ」

 そういってアマンは片目をつむった。ラムルはこの娘のことが、だんだん好きになってきた。

「近々大金が入るから、そうしたらお前の親父さんを医者に診せて、二人でホーロンを出てやり直そうなんてさ」

「やはり、大金が手に入ると言っていたのですね」

「うん。なに夢みたいなこと言ってんだろ、と思ったけどね」

 面白いことに、アマンの感想はあの老板てんしゅとそっくり同じだった。

「ザビネさんは、昨夜もいらっしゃたそうですが」

 アマンの証言は、老板てんしゅと一致していた。ザビネは夕方に現れ、深夜帰っていった。始終ひとりだったし、酒肆みせは常連で埋まっていて、不審な人物は見かけなかったという。ということは、ザビネを殺した犯人は、酒肆みせの外で待ち伏せして殺害の機会を窺っていたのだろう。

「どうして、どこから銀子おかねが入るかは、言っていませんでしたか」

 ラムルは質問を変えた。

「うーん……」

 アマンは、少し上むきの鼻にしわを寄せた。足元では、溜め池のにごった水面みなもが、強い日差しを反射して鈍く輝いていた。水はかすかな異臭を漂わせている。

 そういえば、とアマンが口を開いた。

「一度、よくわかんないこと言ってたと思う。『俺の胸ひとつでお城が引っくり返る』とか何とか」

 アマンが、考え考え口を開いた。

「お城が?」

 反射的にラムルは、北西の方角に目をやった。低い街並みの向こうに、ホーロンの権威と権力を象徴する、宮城の尖塔がのぞいていた。

 それは、まったく意外な言葉だった。ザビネのいう「大金の出どころ」とは、あのやんごとなき場所に関わるものなのだろうか。それに、本当のことだとしても、普通に考えればまともな金ではないだろう。

(おそらくは……)

 ザビネは、何者かを恐喝していたにちがいない、とラムルは思った。そして、その恐喝相手に殺されたのだ。

(そいつは、あそこに潜んでいるのかもしれない)

 蒼天を背景に優美な曲線を描く宮城の輪郭が、ふいに禍々しいものに映った。

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