6 金縛りにかかるため、虐められていた過去を振り返る

 今日は月曜日。

 居酒屋のバイトが定休日だ。


 定休日ってことは……迷惑な酔っ払いに……会えない……。


 数日前の僕だったらウサギのように飛び跳ねていただろう。

 迷惑な酔っ払いに絡まれずに済む。仕事しなくていい。家の中で好きなことができる。

 そんな風に思いながら飛び跳ねていた。


 しかし、今はどうだ。

 肩を落として落胆している。


 迷惑な酔っ払いに絡まれることがないと、精神的ストレスを蓄積することができない。

 バイトがないと身体的疲労を溜めることができない。

 つまり『金縛りちゃん』に会うことができないということ。


「――くっ」


 奥歯を噛み締める。強く拳を握る。

 そして床を強く殴る……ことはしない。

 ここはボロアパートと言えど“賃貸契約をしているボロアパート”だ。

 賃貸契約をしている以上、自らの意思で床を壊すわけにはいかない。

 ベットの足の部分と冷蔵庫の床、洗濯機の床だって沈んでいるけど、自分の意思で壊すわけにはいかないんだ。

 だから強く握った拳を開く。


 そして深呼吸をする。


 深く深く息を吸う。

 金縛りちゃんの艶やかなストレートの黒髪から漂ってきた香りをもう一度嗅げないかと、そんなことを思いながら鼻で深く深く息を吸った。


 無臭だ。

 いや、少し臭いかも。生活臭ってやつだな。

 男一人で暮らしてるんだ。このくらいは許せる範囲だろ。


 酸素でいっぱいいっぱいに膨れ上がった肺は、苦しみだす。

 その苦しみに耐えられず息を吐いた。

 それを何度か繰り返す。

 繰り返すことによって覚醒したばかりの頭がさらにスッキリするのだ。

 スッキリした頭なら休みの日でも『金縛り』にかかる方法を思い出すかもしれない。

 そんな期待を胸に思考を巡らせる。


 休みの日でもストレスを溜められる方法。

 またポップコーン屋に並ぶか?

 あそこなら平日でも混んでるはずだ。

 またカレー味のポップコーンを食べたいし、ありっちゃありだな。

 でも休みの日に毎度毎度ポップコーン屋に並ぶのはちょっとな。

 身体的にも精神的にも疲労するのは間違い無いけど、懐が寂しくなる未来が視える。


 不摂生な食事を……と思ったけど、それだけじゃダメだよな。

 夜間頻尿の心配もあるし、健康の面でも心配になってしまう。


 もっと、もっとこう、簡単に精神的ストレスを溜める方法。


 模索する。

 記憶の蓋を次から次へと開けて最善の方法を探す。

 すると割と近い記憶に最善の方法になり得るかもしれない記憶があった。


「……走馬灯」


 『金縛りちゃん』に殺されてしまうのではないかと勘違いしていた時に脳裏に浮かんだ走馬灯。

 それが精神的ストレスを溜めるためのヒントになったのだ。


 走馬灯の時に浮かんだ忌々しい記憶を思い出してみるのはどうだろうか。

 かなり精神的ストレスを溜められるはずだ。自信はある。むしろ自信しかない。


 虐められたこと。恥をかいたこと。なんでもいい。

 まずは学生時代の記憶から思い出してみよう。

 走馬灯の時に浮かばなかった記憶の底に眠っている嫌な思い出も。


 でもそれを実行に移すのはまだだ。

 まだ早い。


 僕は二度『金縛り』にかかった。

 そして二度『金縛りちゃん』に会った。


 振り返ってみれば、僕は何をした?


 ただ硬直して泣いていただけではないか?

 情けない。本当に情けない。

 金縛りの最中だから仕方ないと言えば仕方ないのだが、それではダメだ。


 金縛りにかかっている時に何かしらのアクションを起こさないとダメだ。


 体を動かせるようになりたい。

 『金縛りちゃん』に触れたい。

 艶やかなストレートの黒髪を触ってみたい。

 耳にも触れてみたい。

 手にも触れてみたい。握ってみたい。

 願わくば、溢れんばかりの柔らかいおっぱいを……おっぱいを揉んでみたい。

 いや、いきなり揉むのは流石にダメだろ。

 でも、布団の中に潜り込んでるわけだし、害もなさそうだし……。

 いやいやいや。ダメだ。おっぱいは我慢しておこう。

 エロい目的ではなく純粋に『金縛りちゃん』に触れてみたいんだ。


 あとは声を出せるようになりたい。

 『金縛りちゃん』と会話がしたい。

 会話をするってことは、その分『金縛りちゃん』の声を聞くことができる。

 あの甘い声を。銀鈴の音色を。

 たくさんたくさん聞きたい。


 体を動かす方法……声を出す方法……こういう時は検索だ!


 金縛りの最中に体を動かしたり、声を出したりした体験者がネットに体験談を載せている可能性は高い。

 その体験談を参考にすれば、金縛りにかかっていたとしても体を動かせたり、声を出せたりするかもしれないのだ。



『金縛り 動いた』

『金縛り 動く』

『金縛り 動く方法』

『金縛り 動かし方』

『金縛り 声』

『金縛り 声を出す方法』

『金縛り 声が出た』

『金縛り 叫んだ』

『金縛り 会話』



 思いついたらとにかく検索。

 スマホは『か』と打つと予測変換で『金縛り』が一番最初に出るようになっていた。

 こんなに検索しているのだ。当然と言えば当然だ。


 金縛りの最中に自由に動いたり声を出したりするのって、もはや金縛りじゃない気がするんだけど。

 まあ、細かいことは気にしないことにしよう。



 ネットには参考になりそうなブログや呟き、体験談動画などがたくさん見つかった。



 すぐにでも実践してみたい事もあった。

 それは指先に意識を集中させて指先を動かそうとする事だ。

 そうすることによって指先から徐々に全身が自由に動くようになるとのこと。

 “金縛りから解放される方法”と書かれていたのが気がかりだが、試してみる価値は十分にあると感じた。


 平常心を保つのも効果的らしい。

 振り返ってみれば、平常心とは無縁と思えるほどの状態だった。

 恐怖で怯えてい理、『金縛りちゃん』に興奮したり、緊張したり。とにかく平常心なんて保てていなかった。

 リラックスした状態なら体を自由に動かす近道になるかもしれない。

 これも実践してみよう。


 あとは声を出す方法だよな。

 叫んだりした体験談はたくさん出てきたけど、金縛りの最中に会話をしたっていうのは見つからなかった。

 当然だよな。幽霊と会話をすると霊界に連れて行かれる的な都市伝説もあるわけだし。そもそも幽霊に対する恐怖心で声も出せないよな。



『…………き…………ぃの?』

『…………な………………ぅの?』



 金縛りちゃんが喋っていた時のことを思い出す。

 銀鈴の音色に鼓膜が癒された時のことだ。


 どちらもハッキリと聞き取ることができなかった言葉だ。

 それでも疑問形で喋っていることだけはわかる。

 『金縛りちゃん』は僕に何を聞きたかったのか。


 声を出す方法は不明だ。

 でも体を動かすことができれば、きっと首の筋肉も動いて声を出せるようになるはず。

 こればかりは試してみないとわからないけど。



 さて、ある程度調べることはできた。

 『金縛り』についての知識が増えたところで、不摂生な食事を取るとしよう。


 身支度を整えた僕はケーキ屋へと向かった。


 もちろん誕生日でもなければ記念日でもない。

 いや、違う。今日は記念日だ。

 『金縛りちゃん』に二回会った記念の日だ。


 僕はケーキ屋に入った。

 不摂生な食事を取るためと記念日をお祝いするために。


 ケーキ屋は美人な女性店員さんが多いイメージだ。

 そのせいで僕は、おどおどしながらケーキを購入していた記憶がある。

 しかし、今はそれがない。

 決して店員さんが美人じゃなかったわけではない。

 きっと『金縛りちゃん』の美貌を見てしまったからだろう。


 艶やかなストレートの黒髪。

 こぼれ落ちそうなほど大粒でキラキラと輝いた黒瞳。

 ぷるぷると柔らかそうな透き通った桃色の唇。

 小さくて可愛らしい耳。

 雪のように白い純白の肌。

 溢れんばかりに実ったたわわ。


 どこを見ても完璧。パーフェクト。

 超絶美少女の『金縛りちゃん』を知ってしまったから、おどおどしなくなったのだ。



「ショートケーキとウサギさんケーキ………………あっ、ウサギさんケーキ二個にしてください」



 ケーキを三個購入した。 

 ウサギさんケーキを二個購入したのは一個を『金縛りちゃん』に食べさせたかったからだ。

 だって今日は『金縛りちゃん』に二回会った記念日をお祝いする日だから。

 『金縛りちゃん』も一緒に食べないとね。

 そもそも幽霊って食事とか取るのか?

 そういうことは僕が声を出せるようになったら直接聞いてみよう。


 帰り道、ケーキが三個入った箱を瞳に映しながらバイト先の客のことを思い出す。


 そういえば、二十代くらいの綺麗なお姉さんに五十代くらいのハゲたおっさんがプレゼントとか渡しているのを見たことがあるな。

 別のお客さんも女性の方にプレゼントを渡してたりしてたっけ。

 結構そういうお客さん多いよな。


 綺麗なお姉さんに好かれたいがためにやっている行為だと思ってた。

 気持ちが悪いとも思ってた。


 でも違う。


 好かれたいがためにプレゼントしてるんじゃない。

 買ってあげたいから、喜んでほしいからプレゼントするんだ。

 だって今の僕がそうだから。

 『金縛りちゃん』に喜んでほしいからケーキを買ったんだ。


 もちろん全員が全員そうじゃないことぐらいはわかる。

 やましい気持ちでプレゼントを贈る人だっている。


 でも僕が見てきた五十代くらいのハゲたおっさんたちは違う。

 あの笑顔……あの笑顔は紛れもなく“綺麗なお姉さんを喜ばせよう”としている笑顔だ。


 おっさんの気持ちが、なんとなく分かってしまったよ。

 僕も少しは成長したかな。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 ボロアパートに帰ってきた僕はケーキを冷蔵庫に入れた。

 そして、傷だらけの押入れに向かう。

 この傷は最初からあった傷だ。さすがボロアパート。


 押入れの中から奥底にしまってあった卒業アルバムを取り出す。

 小学校、中学校、高校の三冊だ。


 思い出に浸るわけではない。

 精神的ストレスを存分に味わうために見るのだ。


 これも全て『金縛りちゃん』に会うため。 

 『金縛り』にかかるための行動だ。



 卒業アルバムに写る自分の顔を見るだけでも胸が苦しくなる。

 僕を虐めていた奴等の顔を見ると胸がえぐられるような不快を感じる。

 虐められていた僕を見て笑っているだけの連中も不快だ。



 クラス全員から無視されていた時期もあった。

 半分だけ開いた窓に向かって筆箱を投げられた事もある。筆箱が窓の外に出るまで何度も投げられていた。

 靴を隠された事もある。上下反対にされた事も。左右反対にされた事も。靴紐を固く結ばれた事もある。

 プールの授業では女子の前で水着を下ろされた事もあった。

 グランドの水溜りに落とされたこともある。


 卒業アルバムを見ることによって『走馬灯』の時に脳裏に浮かばなかった忌々しい記憶も次々と蘇る。


 思い出すだけで笑い声や罵声が聞こえてくる。


 実に不快だ。

 苦しい。

 過呼吸になりそうだ。

 頭も痛くなってきた。

 心が、精神がすり減っていく。



 卒業アルバムは予想を遥かに超えるほどの精神的ストレスを与えてくれた。


 これも全て『金縛り』にかかるため。『金縛りちゃん』に会うためだ。


 卒業アルバムを捨てようかと考えていた時期があったが、役に立つ日が来るとは。

 捨てなくて正解だった。ありがとう過去の自分。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 布団に潜り目蓋のカーテンを閉じる。

 真っ暗闇の中でも鮮明に学生時代の記憶が脳裏に浮かぶ。

 それでもひたすらに眠る努力を続けた。


 嫌な事があった日や嫌なことを思い出した日は、必ずと言っていいほど眠れなくなる。

 バイトが休みのせいで身体的疲労も少ない。このままでは眠れないのではないのかという懸念がある。


 朝まで眠ることができなかったら『金縛り』にかかることはないだろう。

 それだけはなんとしてでも避けたい。

 こんなにも精神的ストレスが蓄積してるんだ。絶対に眠らないとダメだ。もったいない。


 睡眠の質が下がることによって『金縛り』にかかりやすくなるというブログをネットで見たことがある。

 この眠れない状況は、逆にいいのかもしれない。


 眠れさえすれば『金縛り』にかかる気がする。そしたら『金縛りちゃん』に三度みたび会えるはずだ。


 いつか眠れるだろう。

 いつの間にか寝ているだろう。

 そう信じてながら寝返りを何度も打って眠れる体勢探す。


 布団に入ってから何時間が経っただろうか。

 時計を確認するために目蓋のカーテンを開いたら、さらに眠れなくなると思い辞めた。


 たまに意識が朦朧もうろうとする時がある。

 半分寝ている状態だろう。

 すぐに起きてしまうのは精神的ストレスが原因だ。

 完全に入眠障害に陥っていた。

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