価値観

考作慎吾

第1話

 男はこれで何度目が分からないが、目の前の小銭を数えだす。

 百円玉が3枚。

 十円玉が7枚。

 一円玉が4枚。

 合計三百七十四円。これが男の全財産である。

 数えてもお金が増えるわけもなく、男は目の前の現実に頭を掻き毟った。

 どうして俺がこんな目に遭わないといけないのかと運命を呪っていたが、この状況は男が作ったものだ。

 男は半年前、友人と共に初めて行ったパチンコで大勝ちをし、その後も勝ちが続いた。男はこれを職にして食べていけるのでは?と考えた。

 そうと決めた男の行動は早かった。男は務めていた会社に退職届を叩きつけて大手を振って辞めていった。

 男は新たな生活に胸を躍らした。しかし、現実はそう甘くはない。男がパチンコ生活を始めた途端、負ける日が多くなった。俺は運が良いから巻き返せると貯金に手を出して今に至る。

 男は考えた。このままでは雨風をしのぐ程度の安アパートさえ追い出されてしまう。その前に食べ物も買えなくなる。

 男は苛立ちのあまりダンッと床を叩くと床に置いた小銭が一枚転がっていき、隙間風がある壁に吸い込むように消えていった。

 男は慌てて小銭をかき集めて数える。百円玉が一つなくなっていた。今の男には大金が無くなり、男はガクリと首を垂れて落胆する。

 このままでは死んでしまう。何か良い方法はないだろうか?そもそも何で俺はこんなに苦しんでいるんだ?そうだ、金がないからだ。金がないなら手に入れればいい。

 そうするにはどうすればいい?アルバイトをして働く。ダメだ、履歴書を買う金がない。そんなものを買うのだったら美味い物を買いたい。

 私物を売れば多少は楽になるか?それも無理だ。今の俺にはせんべい布団とヨレヨレのスウェットしか手元にない。

 友人や家族に金を借りる?ダメだ。以前、パチンコがしたいからと金を借りようとして縁を切られたんだった。

 何かいい方法はないのか?お金がないならお金のある所から貰えばいい。金がある場所……。あ、そうか。

「そうか、銀行から金を盗めばいいのか」

 男はポツリ呟いた。声に出すとその方法が1番効率が良く多くの金が手に入ると思えるようになった。

 男は早速近くの銀行に向かった。銀行の目の前で男はある事に気付いて立ち止まる。

 銀行から金を盗むには相手を脅さないといけない。拳銃なんて物は持っていないし、刃物も随分前に売って手元にない。腕力で言う事を聞かせるほど腕っぷしがいいわけでもない。

 何かいい物がないかと辺りを見回すと、数件先にワゴンセールで積み上げられた商品がある。役に立つ物かとウキウキして男は近寄るが、商品が分かると舌打ちをした。

 ワゴンの中には色とりどりの水鉄砲が入っていた。カラフルな見た目を除けば本物そっくりな造形をしている。

 男は頭を掻き毟って呻いたが、そんな彼の事を通行人は誰も気に留めない。数人は男の言動を視界の端で捉えたが関わりたくないと無視を決め込み、残りのその他大勢は手元にあるスマホを見ていて男を気にも留めていなかった。

 男は弱者の自分に助けの手を伸ばさず、高級な電子機器を見せびらかすかのように持って歩き去る通行人に憎しみを覚えた。半年前なら男も通行人と同じように持っていたが、貯金が尽きる頃に最初に質に入れて手放した物だ。

 唸りながら睨みつける男は、ふと何か思いついたのかワゴンから水鉄砲を引ったくると金を手に入れる為、走り始めた。


***


 数時間後、準備の整った男はゴミ捨て場で拾ったサイズの合わないコートを羽織って銀行に入った。

 男はキョロキョロと辺りを見回した。平日の昼間には数人の客が座っていた。

 シルバーカーを横に置き、カードを持って順番を待っている老人。小さな男の子と一緒に絵本を読んでいる主婦。人気アイドルの写真が入ったチャームを付けたスマホを弄る若い女。

 男はその中でターゲットを決め、隙が出来るのを待っていた。


「26番でお待ちのお客様」

「あ、はーい」


 呼ばれた人物が一瞬、銀行員に目を向けた。男はその一瞬を逃さずに呼ばれた人物の持っていた物を奪い取った。


「キャッ!な、何⁉︎」

「動くな!こいつがどうなってもいいのか⁉︎」


 女の悲鳴をかき消すように、男は女から引ったくったスマホを掲げてそう叫んだ。スマホのすぐ横にはコートに隠していた水鉄砲を構えている。

 台詞と男の持っている物に驚愕と騒めきが起こるが、男の持っている物が水鉄砲だと察すると、変な事に巻き込まれたと微妙な空気が流れる。しかし、スマホを奪われた女は以前怯えたままだ。


「や、やめて。それだけは……」

「ちょっと、何怯えているの?あれはただの水鉄砲じゃない」


 震える声で懇願する女に主婦が落ち着かせようと優しく声を掛けるが、女はギッと主婦を睨みつける。


「ただの水鉄砲?冗談じゃないわ‼︎あんなのがスマホにかかったら壊れちゃうでしょう⁉︎」


 女はものすごい剣幕で主婦に詰め寄る。女の鬼のような表情に隣にいた子供が泣き始めた。


「そこ、動くな‼︎」

「あ、ああ。ごめんなさい。何でも言う事聞くから、スマホに何もしないで」


 男の言葉に女は態度をガラリと変えて再び低姿勢になる。

 女がスマホに執着するのも訳があった。女はアイドルオタクというもので、スマホには数ヶ月後にあるコンサートの当選番号が入っている。今日はそのお金を振り込む為に銀行に寄ったのだ。女にとってスマホは命の次、いや命より大事な物なのだ。


「本当か?俺の言う通りにしなければ、スマホを床に叩きつけて何度も踏みつけた後、ヒビの入った液晶画面に水鉄砲をかけるからな」

「ひ、ひぃぃぃ!聞きます、聞きますから‼︎」


 男は自分の思惑通りにいきニヤニヤしながら要求を始める。


「そうだな。お前の貯金を全額下ろして、俺に渡して貰おうか」

「え、そ、それは……」

「言う事聞けないのか?それなら仕方ないな」


 男はスマホを大きく掲げると、女は慌ててそれを制する。


「待って!分かった。今すぐにおろすわ‼︎」


 女はカードと通帳を握り、急いでATMに駆け寄る。


「おっと。ここにいる全員、警察に連絡するなよ?そうすればこのスマホはオジャンだ」

「全員聞いたわね⁉︎余計な事をするんじゃないよ‼︎」


 女は暗証番号を入力しながら、大声で命令する。

 女の怒号に怯えて泣き続ける子供を主婦は慰め、老人もこの異常な事態をどうすることも出来ず目をウロウロしていた。


「お、お待たせしました!これが全財産です。150万あります」


 女はお金の入った分厚い封筒を男に差し出す。男は水鉄砲を持ったまま封筒を引っ掴むと、すぐに中を見て確認する。

 女の言う通り、中身は1万円札がぎっしり入っていた。


「ふん。こんなもんか」

「も、申し訳ありません!」

「まあいい。ここを出るから俺と一緒について来い」

「は、はい!」


 男が女を連れて銀行の入り口まで行くと、男は窓口の方へ振り向き声高々に宣言する。


「これはこの女が好意で金を渡したんだ。くれぐれも脅迫で警察や警備員に連絡するなよ。な、そうだろ」

「はい、その通りです!」


 男にそう振られて女はガクガクと首を縦に振る。


「そういうことだから。またな」


 男は踵を返してスマホを持っている片手で振って立ち去る。女の悲鳴付きの退場にその場にいた全員はしばらく呆然としていた。

 男は満足気に手元の金を歩きながら数える。これで当分の生活は大丈夫だ。スマホを奪って脅迫して正解だった。

 スマホは本当に便利な機械だ。商品を注文して購入したり、懸賞やコンサートに応募したり出来る。そんなスマホを奪われてしまえば、大抵の人が従わざるおえない。

 これは凶器や本物の銃を持って人質を取るより金は掛からない。まあ、今回は盗んだ物だからタダなのだが。

 男は自分の作戦が成功したことにニタニタと笑っていると、黙ってついていた女がおずおずと声を掛けてきた。


「あ、あの。私のスマホはいつ返してくれますか?」

「お、そうだな。そろそろいいか」


 男がそう呟くと、女の顔はパァッと明るくなる。


「ほ、本当ですか⁉︎」

「ああ、それじゃあ……。ほーら、取ってこーい」


 男はそう言うとスマホを車道に向けて放り投げた。緩いカーブを描いてスマホは車道の真ん中に落ちたと同時に車が通って下敷きになった。車が通り過ぎるとバキバキの画面になったスマホが次の車の餌食になっていた。

 女はその光景に頭を掻き毟って絶叫をあげる。男はそんな様子に大笑いをしながら、全力で逃げ出した。

 女がスマホに意識を向けている為、男を追いかけることをせず男は見事人混みに紛れることに成功した。

 男は懐にある大金でこれからどうするか考える。

 腹一杯に飯を食いたいし、銭湯に行って体を綺麗にしてサッパリしたい。こんなボロボロな服を脱いで小綺麗な服を身に付けたいし、ホテルに入ってフカフカのベッドでゆっくり休みたい。

 あれこれ男の頭の中で想像するが、男のやりたい事は決まっていた。

 そうだ、パチンコに行こう。

 折角金があるんだ。これを資金にしてまた稼げばいい。今までは運がなかった。今日はついているから、久々に大勝ちするはずだ。

 男の耳にはジャラジャラと鳴るパチンコ玉と機械が当たりを告げる派手な音が聞こえていた。7が揃ってチカチカと点滅する機械に心躍らせながら、男は銀行の向かいにあるパチンコ屋に足を踏み入れた。

 一時間後、銀行員の通報で銀行で捜査をしていた警察が目の前のパチンコ屋で打っている男を見つけ、男の幸せはあえなく幕を閉じた。


終わり

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