第7話「Hello Say Goodbye」

 セイラムは小さな街で、大半の住民が避難した今はゴーストタウンだった。

 摺木統矢スルギトウヤは、妻子を残してきた青森の町並みを思い出す。適度に田舎いなかで、適度に都会で、そしてやっぱり田舎な雰囲気がこの土地にもある。

 空を見上げれば、パンツァー・モータロイドを輸送するヘリコプターが行き交う。

 やはり軍も、リレイド・リレイズ・システムを新地球帝國しんちきゅうていこくの残党が狙うと見てるのだろう。


「そう言えば、あの改型零号機かいがたぜろごうきが……まさか、そんなカラクリだったなんてな」


 隣のクレア・ホースとが、統矢の独り言に小首をかしげる。

 統矢は、別れ際に御統霧華ミスマルキリカが言っていた事実、その真実が思い出された。

 青森校区の戦技教導部に保管されていた、プロトタイプの古い機体……それが89式【幻雷げんらい改型零号機かいがたゼロごうきである。ピーキーながらもハイパワーで高トルク、極めて高度なチューニングが施された機体だが、突然不安定になったりとである。

 その理由を先程、統矢は聞いた。


『驚いたよ、統矢。勿論、瑠璃ラピスも絶句してたね……フフフ、君たちの先輩はロマンチストなんだな』


 子供の姿でニヤニヤ笑って、霧華はどこか嬉しそうだった。

 零号機は元々、五百雀辰馬イオジャクタツマたち三年生のさらに先輩が残した機体である。青森校区の改型の、その全ての雛形になった機体だ。

 その妖しい挙動の原因は、常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターの中、炉心にあった。


『驚くなかれ、辞世の句が彫ってあった。君がため、我が身を燃やし、死地に発つ……調べたが、ベース機体の89式【幻雷】は、こいつは初期ロットの一機だね。軍で長らく使われ、あちこちの部隊を転々とし、五体満足のままで兵練予備校へいれんよびこうに払い下げられた』


 知らなかっった事実がある。

 勿論もちろん、僅かなフリクションも許されぬ動力部の内側に、傷がついていては不具合の元だ。でも、統矢にはそれを残した名も知らぬ先輩の気持ちが、痛いほどよくわかった。

 君がため……その想いを胸に秘めて、多くの人間が死んでいった。

 全て、平行世界のもう一人の自分……スルギトウヤの身勝手な戦いが生んだ犠牲者だ。


『まあでも、今までもガタピシと使ってきたんだから問題ないだろう? ボクは直さなかったし、瑠璃も手を入れなかった。時々止まるのも、妙にパワーが出るのも、全部一人の卒業生の辞世の句が原因だったんだよ』


 そのままメンテナンスを終えて、今も改型零号機は戦っている。

 機体を受領して戦う少女は、もう少女という年齢を脱して久しい。生きていたことにも驚いたし、まだ戦うことに痛々しい気持ちも込み上げる。

 それでも、彼女が求めるままに統矢は軍の内部で働きかけ、機体を融通した。

 大いなるモルモットとして幽閉されている統矢には、それしかできなかったのだ。


「統矢殿、こんな田舎町に、その……リレイド・リレイズ・システム? というのが来てるのでありますか?」

「そうなんじゃないかな? 多分」

「多分、って……今なら軍に動員をかけて、大部隊で対処することが可能です! 危険な代物しろものであれば、残党たちに襲われることも考慮して」

「んー、それもそうかあ。でもな、クレア」


 街をぶらついていた統矢は、小さな家具屋のショーウィンドーに立ち止まる。アンティークな雰囲気のソファが並んでて、そこだけ小さなリビングになっていた。

 そういえば久々に日本に帰るが、まだ家族への土産みやげも買っていなかった。


「んー、こういうのを家に置くのもいいな。また帰ってくつろぎたいって思えるもんな」

「統矢殿~、ですから自分は」

「わかってるよ、クレア。軍は恐らく、動かない。動けないんだ」

「ど、どうしてでありますか?」

「大部隊を動かせば、ここに例のシステムが来てることを敵に教えてしまう。のみならず、一般人たちもこのセイラムになにかがあったと知るだろう」


 軍の情報統制は完璧だろうが、万が一ということもある。

 大きな組織ほど身動きが取れないというのは、その組織の中にずっといた統矢には酷く実感だった。自分への待遇には不満があるが、それをもたらす軍に同情しないでもない。

 平和を取り戻す戦いはシンプルだったが、それを維持する作業は煩雑はんざつに過ぎる。

 それでも、尊い平和を守っていかなければならないのが、今の軍に求められた使命だ。


「……敵は、来るでしょうか」

「きっとな。まあ、俺たちはせいぜい怪我しないように、それと」

「あ、あのっ、統矢殿! 先程の、その、りんな……という女性の名は、えっと」

「ああ、幼馴染おさななじみだ。正確には、

「例のシステムとはどういう関係が」

「システムそのものらしいんだよな。俺も直接会ったことはないけどさ」


 その時だった。

 不意に、静まり返った街にベルが鳴り響いた。

 電話の音だ。

 思わずビクリ! と身を震わせたクレアが、驚きのあまり抱き着いてくる。それに構うことなく、彼女をぶらさげたまま統矢は周囲を見渡した。

 音のする方へと耳を澄ませば、すぐにわかった。

 通りの向こうにある、古い電話ボックスの中で電話が鳴っている。

 安心させるようにポンポンとクレアの頭を撫でて、そっと統矢は彼女から離れた。そのまま公衆電話に駆け寄り、やや迷ったが中に入って受話器を取る。

 瞬間、懐かしい声音が鼓膜をくすぐった。


『統矢? あは、統矢だよね? こっちの世界の』

「ああ、こっちの世界の摺木統矢だ。久しぶり、りんな」


 そう、回線の向こうに更紗サラサりんなの声が弾んでいた。

 もう統矢は大人になってしまったが、りんなの声はあの頃のままである。そして、あちら側の世界では彼女の死を契機に、地球人類は監察軍かんさつぐんと呼ばれる異星人との戦争に突入した。

 そして、禁忌きんきの呪いを人類は生み出した。

 異星人の技術をも取り入れた、まるで魔法のような科学の産物……リレイド・リレイズ・システム。因果を調律し、異なる平行世界同士の行き来を可能にするパンドラの箱。登録した人間の人格と記憶をコピーし、遺伝子情報と引き換えに並行世界へ生まれ変わらせる悪魔の装置だ。

 その中枢部にコントロール用の人格として、りんなは埋め込まれているのだ。


「最初に謝っておく、りんな」


 統矢はちらりと、電話ボックスの外を見た。

 クレアは少し驚いているようだが、会話は聴こえていないようだ。それに、彼女は盗み聞きより周囲の警戒に気持ちを尖らせている。つくづく生真面目きまじめでいい子だと思う。彼女たちのような子供がこれから先、兵士をやらなくていい世界のためには……どうしても、禁断のシステムには無事にまた別の並行世界へ旅立ってもらわなければならない。

 それがりんなとの再度の別れでもしょうがない。

 違う世界のりんなとでも、別れは辛いが耐えられる。

 今の統矢は大人になって、そうまでして守りたいものを沢山得ているからだ。


「ごめん、りんな。君のトウヤは永遠に封印された。君のシステムの力を持ってしても、死んでいない人間を生まれ変わらせるのは無理だと思う」

『ん、そっか……いやー、そんな気してたんだよね』

「わ、割りと軽いな。悪いな、すまん……お前のトウヤを奪ったのは、同じ統矢の俺だ」

『でも、それでよかったっての、わかるよ? トウヤさ、あいつ馬鹿だから』

「俺もよくそう言われた。そういうとこ、やっぱり同じなんだな。平行世界同士でも」


 そっと硝子ガラスにもたれかかって、統矢は受話器片手に天を仰いだ。

 大昔、今から百年近く前……人類は繁栄の絶頂にあった。一人が一台、高性能な携帯電話を当たり前のように持っていた。あらゆる端末を繋ぐネットワークは、この地球を覆って全ての世界を等しく並べていたのである。

 そういう時代に絶滅した公衆電話が、今ではそこかしこにある。

 パラレイドとの永久戦争は、人類の文明を一気に百年以上巻き戻してしまったのだ。


『統矢さ、謝ることなんてないよ? わたし、逆に言いたいんだ……ありがとう、って』

「俺に? なんでまた」

『トウヤを止めてくれて、ありがとっ! なんだよもー、めっちゃ重いやつじゃん? ごめんね、大変なことさせちゃってさ。こっちの世界にも、ホントごめん』

「ん、いいよ。他の奴らはどうかは知らないけどさ……もういいんだよ、りんな」


 戦争は、終わった。

 それでもまだ、散発的に戦いはある。

 この場にも今、こうしている瞬間にも迫っているのかもしれない。

 だからこそ、生命を賭して戦った統矢は胸を張って言える。

 戦いは終わったのだ。

 まだ戦い続けている者たちにも、戦いの終わった世界は広がっている。終わりを受け入れられないからこそ戦う者がいて、その者たちを倒すために戦う者たちもいる。

 ただ、もう……りんなはそんなしがらみから解き放たれてもいいはずだ。


「こっちにはあと、どれくいらいいられる?」

『いやー、それはちょっとわからないんだよねえ。まあでも、わたしは消えることはないから。むしろ、天文学的な数字だよ? 同じ平行世界に二度目の実体化って』

「あ、そうなんだ。でも、だったらラッキーだよな。こうして話せたし」

『わたしが元いた世界線と、今のこの統矢の世界線……この二つだけが複雑にからまっちゃった。他の無数の世界線では、それぞれ無数のわたしと統矢と、みんなとが普通に生きてるんだけど』

「俺だって普通だぜ? ごく普通だったよ」


 迷ったけど、言うことにした。

 そういえば、告白してないことだけが心残りだったから。


「普通に、当たり前に思ってた。ずっと一緒だったから……好きだったよ、りんなのこと」

『にはは、照れるにゃー? でも、今は?』

「俺、れんふぁと結婚したんだ。子供も娘が一人いる」

『そっか……本当に平和になったんだね。れんふぁ、元気? あの子さー、わたしに似て超美人じゃない? いやー、遺伝子って偉大だわ。……トウヤもね、小さい頃のれんふぁを凄くかわいがってた。自分だって子供のリレイヤーズなのに、もっと子供のれんふぁをね』


 初耳だ。

 だが、りんなの声は徐々に小さく遠くなってゆく。

 別れの時が来たと思った。

 それが必然で、別れるためにこうして出会ったのだ。

 これが初めての再会で、最後のふれあいになるかもしれない。


『そろそろかも……でも、今日は話せて嬉しかったよ、統矢。本当はさ……トウヤはわたしが止めなきゃいけなかった。そのわたしが引き金になって、あの世界は』

「りんなの代わりに戦えて、りんなに代わって止められたなら……いいさ」

『ん……そうだ、そっちのわたし、そっちのりんなは……あ、いや、いっか! 聞かないでおく! ドチャクソにかわいい女の子ってのは知ってるし!』

「はは、そういうとこだぞ、りんな。うん……そうだよな。そういうがさ、ずっと側にて……俺はでも、失って初めて知ったし気付いたよ。遅かったけど、遅過ぎはしなかった」


 別れの時が来た。

 りんなの声が遠ざかり、そしてサヨナラと共に消えてゆく。

 どうやら無事、この世界線に実体化したリレイド・リレイズ・システムは再び旅立つらしい。安堵あんど寂寥せきりょうとが同時に襲ってきて、統矢は鼻の奥が湿っぽくなるのを感じた。


「じゃあな、りんな……俺の知らないりんな、さよなら」

『うん、さよなら。ありがとね、わたしの初めての統矢。ちゃんとれんふぁを可愛がれよー? 泣かしたら呪うかんね? そっちの世界線に、色々送り込むからね!』

「おいおい、世界の平和を背負うのはもう二度とゴメンだよ。……じゃ」

『おう、ほんじゃね』


 電話が切れた。

 小さい頃、まだ家が隣同士で幼馴染同士だった、ずっと今後もそうだと思ってた空気のままで別れた。

 あの日、別れも言えずに死別した刻の隙間が埋められた気がした。

 それでも、そっと受話器を戻して外に出れば……空に不穏な虹が揺らめく。頭上を指差しクレアが拳銃を取り出す中、統矢は敵の襲来を前に胸がざわめくのだった。

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