第5話「原母龍の残した乳海」

 エレベーターが最上階に到達すると、クレア・ホーストは一時場をした。

 自分の父親を殺した人間を前にして、十代の少女に平静を求めるのはこくだ。そして、自分を殺していいというかたきを前に、彼女は軍人としての立場を貫いた。

 レイル・スルールへの怨恨えんこんを、決して彼女は忘れないだろう。

 だが、それを殺意で解消した時、自分もまた彼女と同じになると感じてくれたら……それは、摺木統矢スルギトウヤにとっても救いのある未来に思えるのだった。

 仮面を再び被って、レイルは統矢を奥へと案内してくれた。


「レイル、お前は……これからもそうやって生きるつもりか?」

「ああ。ボクは殺し過ぎた。そのことで恨みを持つ者に出会えてたら、この命を差し出して裁きを受け入れたい。……でもね、統矢」

「うん?」

「今まで、ボクに家族を殺された人間に沢山会ってきた。残された人間の悲痛な叫びを浴びて、言葉の刃で切り刻まれたし、暴力に晒された。その権利が、彼らにはあった。でも」」


 ――でも、レイルを殺そうとする人間は一人も現れなかった。

 人類は皆、失い過ぎたのだ。多くの命が散って、そしてようやく訪れた平和……そこでは、さらなる流血を求める人間などいなかったのである。

 だから今、レイルは顔も名も隠して生きる。

 それが彼女の贖罪しょくざいであり、全うすべき生のあり方なのだ。

 不器用なレイルの生き様を、統矢は心の中で今も支え続けている。

 消えぬ罪、つぐない切れぬ罪があるのなら、統矢とて背負っている。

 戦争に関わった全ての人間が、勝者と敗者の別なく心に刻んでいるのだ。


「こっちだ、統矢」


 奥の部屋へと統矢を導き、レイルはドアをノックする。

 すぐに「どうぞ」と返事があった。

 ただの一言でしかないその声に、統矢は以前と変わらぬ涼やかさを感じた。染み渡る清水のように、どこまでも透明な声音。そして、とても強い声色だった。

 ドアを開くと、そこは執務室になっていた。

 目的の人物は、大きな机の上で誰かと会談中らしい。

 ノートパソコンの画面と話しながら、ちらりとその女性を見た。だが、一瞥いちべつして、手でレイルに指図して、そのまま仕事の対話を続ける。

 雨瀬雅姫ウノセマサキは五年の月日が経過して、見目麗しい才女に成長していた。

 髪を切ってスーツ姿で、敏腕女社長の覇気に満ちている。


「ども、雅姫さん。って、商談中か」

「だね。統矢、そっちのソファに座ってて。ボクが今、コーヒーをいれるから」

「サンキュな、レイル」

「今のボクはなんでも屋だからね。PMRパメラでの戦闘からお茶汲みまで、なんでもござれさ」

「オフィサー様様ってことか」

「みんな便利に使ってくれるし、ありがたいよ」


 広い室内は、隅に応接セットがあった。

 統矢はとりあえず、高級そうなソファに身を沈めて周囲を見渡す。まだまだ復興は道半ばで、人類の文明レベルは停滞気味だ。22世紀にもなったのに、書類は紙でファイリングされてるし、ネットの普及率も三割程度である。

 それでも、統矢の持つタブレットが珍しくない程度には世界は蘇りつつある。

 そう思っていると、不意に雅姫がノートパソコンをくるりと回した。


「待たせたわね、摺木一尉。彼女も、久しぶりだから少し話したいそうよ」


 相変わらず、抜身のナイフみたいな存在感だ。

 かつて、ティアマット連隊と呼ばれる精鋭部隊があった。日本皇国軍のはみ出し者、腕はあるが諸問題を抱えた者や政治的に貶められた者を集めた愚連隊ぐれんたいである。

 その残存勢力はそのまま全員が軍を辞め、今はこのギルガメッシュ商会に籍を置いている。

 英雄王の名を関するこの会社は、裏社会では有名な地球最強の民間軍事組織PMPである。

 地球にはまだ、パラレイドこと新地球帝國しんちきゅうていこくの残党によるテロがあとをたたない。軍でも手を焼く散発的な暴力に、ギルガメッシュ商会は即応戦力として対応していた。

 それに、統矢にとってはビジネスパートナー……いうなれば、である。

 雅姫が向けてきたノートパソコンの画面には、懐かしい顔が微笑ほほえんでいた。


『久しぶりですね、摺木君。元気でしたか?』

「ご無沙汰してます、桔梗キキョウ先輩。昔みたいに、統矢でいいです」

『ふふ、相変わらずですね。……統矢君、細君さいくんは、れんふぁさんは元気ですか?』

「ええ。今回の帰国では、施設に戻る前に休暇が取れる予定です。久々に家で、家族三人水入らずで過ごすつもりですよ」

『よかった、思う存分甘えてきてくださいね?』

「桔梗先輩こそ、辰馬タツマ先輩と離れ離れだと寂しいんじゃないですか? あ、逆が……辰馬先輩、また寂しくて泣いてるんじゃないかなって」


 画面の中で、マタニティ姿の女性が笑っていた。

 彼女の名は、御巫桔梗ミカナギキキョウ

 今は、御巫重工の会長を務めている。

 桔梗は以前、統矢の愛機を整備する予備パーツのために、所有する持ち株の全てを御巫重工に売却してしまった。創業者の娘が、完全に御巫重工と縁を切ってしまったのである。

 だが、戦後の民需が活性化すると、経営者としての手腕を求められて復帰した。

 会長という立場だが、実質的に御巫重工を取り仕切る立場にいるのである。

 桔梗は大きくなったお腹を撫でながら話を続ける。


『もうすぐ三人目が産まれるんですが、なかなか日本に戻れなくて』

「でもまあ、暇だとろくなことがないですよ、先輩」

『そうかもしれませんね。……幽閉生活が長い統矢君が言うと、酷く実感、ですね』

「いえいえ、これでも俺は結構楽しんでますから。それに、やること、やれることは山積みですよ」


 そうこうしていると、雅姫が話に割って入った。

 彼女には、ギルガメッシュ商会の社長としての責務もあるのだ。


「同窓会中に悪いが、私の案件もある。桔梗、例の話は通してもらえるか?」

『新型PMRの件、ですわね。先行量産機のロールアウト時に、優先的に供給しますわ。それと、97式【轟山ごうざん】の近代改修、および予備パーツもすぐに』

「助かる」

『お互い様ですの。それじゃ、雅姫さんも無理だけはしないでくださいね? 統矢君もです』


 画面の中の桔梗は、手を振り笑顔を見せてくれた。

 その姿が消えて、ようやく雅姫はドッと豪奢ごうしゃな椅子に沈み込む。

 そこには、敏腕社長をやってる女性の素顔が浮かんでいた。


「まったく、仕事が減らん! 残党軍は相変わらずだし、このレベルの軍事組織を維持する資金と根回しがな……まあ、愚痴ぐちを言っても始まらん。摺木一尉、よく来たな」

「雅姫さんも元気そうでなによりです」

「それより、だ……89式【幻雷げんらい】の改型零号機かいがたゼロごうき、あれは予定通り処理しておいた」


 机の上に両肘を突いて、組んだ手と手の上に雅姫は細いおとがいを乗せた。

 そして、酷く悪役じみた笑みを浮かべてくちびるを歪める。

 ぞっとするような美しさがあって、同時に悪戯いたずらをたくらむ悪ガキのような無邪気さが感じられた。


「改型零号機は軍から退役機体として受領したが……。これでいいんだな?」

「ええ。怪我人とかは」

「まさか。うちの連中はそんな素人しろうとじゃない。それは、改型零号機を持ってった奴らも同じさ。……摺木一尉、あまり危ない橋を渡るのは感心しないな」

「彼女たちはまだ、必要です。いえ……こんな時代だからこそ、必要なくなるまで戦うつもりでしょうからね。俺は、自分にできることをして、手を貸すだけですよ」


 古い仲間たちを頼って、暴れ馬だった改型零号機を確保、修理と改修を経てギルガメッシュ商会への払い下げを軍に承諾させた。

 だが、納品されるはずの機体は突如、武装勢力に襲われて強奪された。

 

 勿論もちろん、人類同盟軍から統矢は疑われていた。

 それでも、疑念を持たれる程度で命の心配をしないくていいのが今の統矢の立場だ。もし、統矢に不正や悪事の疑いを持って軍事法廷が開かれたら……その瞬間、世界中の友人が決起するし、一部は暴発するかもしれない。

 名も功績も秘匿ひとくされた英雄を慕う者は、その秘密ゆえに無数に存在するのだ。


「雅姫さんの方はどうですか? 例の計画の進展は」

「ん、今のところは平和だ。レイル、そうだな?」

「ええ。まだこっちの世界では、監察軍かんさつぐんは現れてないね。ハワイの天文台も、外宇宙からのコンタクトを受信してない。無数の電波望遠鏡衛星も相変わらず沈黙してるよ」


 ギルガメッシュ商会の真の目的……それは、来たるべき接触、ファーストコンタクトの主導権を握ることにある。異なる世界線の地球では、地球外知性体との接触は悲劇的な戦争を招いた。

 それを知るレイルも手を貸して、こちらの世界線では準備が進んでいる。

 人類同盟軍より早く察知し、先にコンタクトを試みて平和裏にレールを敷く。こちらに戦闘の意思がないことを伝えてから、世界中の政府に手引をしようというのだ。


「監察軍とやらは、必ず来る。その時、別世界の未来を知るからこそ、冷静な対処で平和裏に話を進めたいでしょう? ……あの人は、子供の戦わなくていい世界を望んだあの人は、そう考えると思うの」

「同感ですね。……ここ、ニューヨークでしたね。美作総司ミマサカソウジ三佐が亡くなったのは」

「二階級特進して一佐よ? それに、死んだだけ……いなくなっただけで、まだ私たちの中に生きている。一佐の望んだ景色に、いつか私たちは辿り着くわ」

「ですね。とりあえず、幼年兵ようねんへいの制度が廃止されただけでも進歩ですよ。……全部、美作一佐の働きかけのおかげです」


 かつて、おとりや弾除けのために使い捨てられていた子供たちがいた。

 終わりの見えない永久戦争の中、幼年兵と呼ばれる少年少女たちの命が散っていった。無駄死、犬死、必要のない犠牲だったケースは枚挙にいとまがない。犠牲にしていい数合わせとして、多くの子供が総力戦の中で死んでいった。

 それをよしとしない世界が、ようやく平和の中で訪れようとしていた。


「で、摺木一尉。例の組織はそれとなくサポートしてるけど……うちも民間企業だし、できることは限られてるわ。それと」

「それと?」

「改型零号機の話、聞いたかしら? 瑠璃ラピスが徹底的に整備してわかったんだけど……なんで不安定なのか、暴走気味なのか。ふふ、面白いわよ?」

「笑える話なんですか?」

「逆よ、逆。泣けるじゃないの……切ないわね。ま、今は不具合は解消されてるんだけど」


 その時だった。

 コーヒーカップを二つ持ったレイルが、ドアの方へと振り返る。

 それは、ノックもなく扉が押し開かれるのと同時だった。


「統矢殿っ! 大変であります! あ、失礼を……で、でもっ! 司令部から緊急の命令が! 第一級非常事態宣言、SSSアラートであります!」


 クレアの気色ばんだ声が、意外な現実を伝えてくる。

 それは、運命の悪戯なのか、それとも歴史の必然なのか。

 統矢は、ただ黙ってそれを冷静に受け止めた。

 数多あまたの世界線をいびつに結んで絡み合わせる存在……本来交わらぬえにしを複雑に編み込んでしまったシステムが再び顕在化しようとしていた。

 それは、統矢にとって……かつて恋した少女との再会を意味していた。

 それが別の世界線、平行世界の同一人物でも小さな動揺が鼓動を高鳴らせていた。

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