第3話「職人~MEISTER~」

 ラングレー基地に並ぶ格納庫ハンガーの中は、むせ返るような熱気に満ちていた。

 その空気を吸い込み、摺木統矢スルギトウヤは懐かしさに胸を焦がす。

 けた金属とオイルの臭い。

 整備員たちのひといきれと、口々に叫ばれる声。

 ここにはまだ、臨戦態勢を維持する緊張感が確かに存在していた。そして、ラスカ・ランシングはそれがさも当然のように前を歩く。逆に、クレア・ホーストは物珍しげに周囲を見渡していた。


「クレア、パンツァー・モータロイドが珍しいかい?」

「は、はいっ! その、自分はまだ訓練でしか乗ったことがなくて、ですね」

「必要があればパイロットとしての任務も回ってくるさ。……それが戦いでないなら、一番いいんだけどね」


 キョトンとしてしまったクレアを尻目に、統矢はかばんからタブレットを取り出す。

 幼馴染おさななじみの形見で、今となってはかなり古いモデルだ。

 地球はパラレイドとの……新地球帝國しんちきゅていこくとの戦争を終えて、ようやく平和な時代を取り戻していた。停滞していた文明が再び進歩を始めたが、百年遅れでまだまだ民需は発展途上だ。それでも、昭和中期程度の暮らしが徐々に過去のものになりつつある。

 見慣れぬPMRパメラを見付けて、統矢はカメラを起動し被写体を次々と記録した。


「統矢殿、あの……」

「ん? ああ、うちの娘が好きなんだよ。ん、あれは新型だな」

「ユーロ圏で配備されてる制式量産機、【ヘカーテ】ですね。パーツの六割が、マキシア・インダストリーの機体と共通規格でして、生産性と稼働率、整備性が強みであります」

「詳しいね、そうか……いやでも、あれは動かしてみると結構軽そうだな」

「広報の仕事で、自分も今やちょっとしたPMR博士でありますから」


 まだ、人類同盟軍は軍事力を維持し、再編成している真っ最中である。

 各国間での利権争いや冷戦構造、地球人同士がいがみ合うだけの余裕が生まれたのが一つ……それと、まだまだ地球にはスルギトウヤの残した悪意が散らばっていた。

 そのことを思い出していると、先を歩くラスカが振り返る。


「それで? 統矢、アンタ……アタシに用があって来たんじゃないの?」

「いや、まあ、うん。日本を出るのも久々でさ。ラスカにも会っておこうと思って」

「なっ……そ、そう! そうなのね! 相変わらず、しょうがない奴! ……アタシは元気、よろしくやってるつもり。ねえ、安心した?」


 不意にラスカが、昔の面影おもかげ垣間見かいまみせる。

 容姿こそ立派な大人の女性になったが、ほおを赤らめ伏目がちに呟く姿はあの日のままだ。そして、以前と同じツンケンとした言葉の節々に、柔らかな感情が滲んでいる。

 それが感じ取れる程度には、統矢も大人になったということだろう。


「ま、ついでだけどな。お前、新兵ルーキーの訓練であちこち飛び回ってるから、なかなか会えないだろうし」

「……チッ、ついでか。まあ、そうよね。アンタ、今じゃ一児のパパだもん。で? れんふぁは元気? あと、あのガキは」

「ガキは酷いな。二人共、平和に暮らしてるよ」

「そうでなくちゃね。アタシたちの残党狩りだって、一時期本当に忙しかったんだから」


 新地球帝國の残党の、その残党がまだいる。

 スルギトウヤを討って戦争は終わったが、残された者たちの中に戦いを諦めない人間がいるのだ。それも、かなりまとまった数で、まだまだ散発的な抵抗が続いている。

 すでに連中には、帰るべき故郷がない。

 こちらから見て平行世界にして未来、彼らの世界線では戦争が終わっているからだ。

 それはいわば、

 家族も友も、恋人も……監察軍かんさつぐんと呼ばれる異星人に殺されてしまった者たちの悲壮な戦いは今も続いている。


「それより、どう? 統矢、久しぶりに勝負しない?」


 すぐにラスカは表情を取り繕うと、クイと親指で格納庫の奥を指差す。

 そこには、先程訓練を終えた彼女の愛機が運び込まれていた。今は洗浄作業中で、加熱した関節部や装甲が白い水蒸気を巻き上げている。

 89式【幻雷げんらい改型四号機かいがたよんごうきは、あの戦いの時点で旧式化していた機体だ。

 今はアンティークレベルの骨董品で、世界でも稼働している個体はラスカのアルレインだけかもしれない。役目を終えて過去の遺物となったPMRだ。

 真紅のボディは傷だらけで、塗装もあちこち剥げかけている。

 だが、完璧な整備と調整が今もラスカの卓越した操縦技術を表現し続けている。

 その整備手腕を発揮する人間が、ラスカと共に今も戦っているのだ。


「悪い、ラスカ。やめとくよ……俺、もう何年もPMRに乗ってないんだ」

「あ、そういう……ゴ、ゴメン。そうだったわ。ったく、ムカつくのよね、上層部の連中も! 統矢レベルのパイロットが使えてたら、現場の人間だって楽できるっての!」

「お偉いさんはさ、怖いんだよ。DSUTERダスター能力者がさ」

「ばっかみたい。統矢は統矢、あっちのトウヤじゃないんだからさ」

「ま、そう言うなよ。これでも一尉いちい待遇でいい暮らししてるし、俺が給料泥棒でいられるってのは平和なことさ」


 ラスカは肩をすくめて、大げさに溜め息をついてみせた。

 そして、その視線をクレアへと滑らせる。

 戦後の最強エースに見詰められて、慌ててクレアは身を正した。


「クッ、クク、クレア・ホースト准尉じゅんいでありますっ! エース中のエース、【月紅セレーネ】ラスカ・ランシング中尉にお会いできて光栄であります!」

「いいわよ、そゆの。フン、思い出しちゃうわね。ま、いいわ。准尉はPMRは?」

「パイロットを希望していますが、まだ」

「あ、そ。まあ、転属したら連絡を頂戴ちょうだい。たっぷり絞ってあげるわ」


 昔のラスカを知る統矢としては、軽い驚きに笑みが浮かぶ。

 以前の彼女は、抜身のナイフみたいな女の子だった。終始苛立いらだってて、触れる全てを無遠慮な言葉で切り裂いていた。故郷であるブリテンは消滅し、父親も軍人として市民のために散った。その過酷な運命に母親は耐えきれず、ラスカは異国の地日本で孤独をつのらせていたのだろう。

 でも、今は違う。

 人類同盟軍屈指のエース・パイロットとして、彼女なりに未来を探して模索中だ。

 旧知の仲間の今に触れて、統矢は自然と気持ちが穏やかに凪いでゆく。

 そんな時、作業機械の轟音や金属音の奥から、張りのある声が突き抜けてきた。


「なんやこれ、ちょぉ待ちぃ! 予備パーツのストック、発注されてへんやないの!」


 決然たる怒りといきどおりの声だ。

 それが関西弁で響いて、そのなまりの中に厳しさがとがっている。

 それでいて、まるで我が子を叱る母親のような責任感が感じられた。

 そう、女性の声だ。

 統矢がこの基地に寄った理由の一つが、声を荒げていた。

 弁明する男たちが口ごもる方へと、自然と統矢は歩き出す。


「え、あ、その、班長。規則もありますし、兵站へいたんの方でも」

「じゃかしい、ボケッ! せやったら自分、このラングレー基地が襲われたらどないするん? ただでさえ人手不足で、定数割ってんで? しかも、パイロットの半分はヒヨッコや」

「いやでも、ありえないですよ。ここは北米最大の軍事拠点ですよ?」

「残党軍がもしまだ、次元転移ディストーション・リープ可能な機動兵器を持ってたら? 可能性の数字で見るんやないんよ……その可能性がありえるかどうかを考えへんとあかんて」


 その人は今日も、油に汚れたツナギの作業着を着込んでいた。

 タブレットに滑らせる指もまた、黒く肌が荒れて見える。

 それでも、彼女は部下を叱って怒鳴ったあとで、理由を端的に説明して理解をうながした。統矢も昔、無茶を繰り返して怒られたのを自然と思い出してしまう。

 伝票の束を抱えた男たちが去るのを待って、統矢は声をかけた。


「お久しぶりです、瑠璃ラピス先輩」


 そう、彼女の名は佐伯瑠璃サエキラピス

 ラスカたち、特務教導隊を支える縁の下の力持ち……整備班長だ。

 瑠璃は振り返ると、統矢を見て満面の笑みを浮かべる。

 先程まで激していたのが嘘のように、彼女はニコニコと駆け寄ってきた。


「なんや、統矢やないの! どないしたん、自分」

「ちょっとだけ時間が取れたので、寄らせてもらいました」

「ラスカにはおうた? って、いるやないの。ラスカ! 見てみい、統矢や。なんや、えろう久しぶりに会う気がするわあ。……グヘヘ、ええ男になったやないの」


 ラスカが露骨に嫌そうな顔をしたが、構わず瑠璃は統矢に身を寄せてくる。勿論、彼女の言葉は冗談だ。今は学生時代の恋に決着をつけて、仕事一筋で働いているのが瑠璃という女性である。

 それでも、ひじでうりうりと小突かれると、統矢はこそばゆい。

 そして、この格納庫を戦場とする整備の鬼は、笑顔はそのままに仕事を続けていた。


「せや、ラスカ。どやった? 改型四号機、ええ調子やろ?」

「ん、右足の膝下バネしたが少し硬いわ。どうしても踏み込みが少し遅れる。まあ、コンマ数秒だけど」

「なるほど、あとで調整したろ。せやな、四番から八番までのダンパーをチェックして、リコイル量をいじったるわ」

「うん、頼むわ。アタシのアルレインはやっぱさ、いつでも完璧じゃないと」

「うんうん、わかるわあ。そゆの、日本では常在戦場じょうざいせんじょうて言うんで?」


 先程の模擬戦は見事なもので、統矢にも改型四号機は完調状態に見えた。

 だが、乗り手としてはまだまだ詰める部分があるらしい。

 そして、どこまでもパイロットの要求に応えるだけの力が、瑠璃にはあった。あの戦いの中、少女は技術者として洗練されていったのだ。多くの痛みや苦しみが、瑠璃色るりいろの原石を削っていった。研磨された宝石の輝きは、常に多くの死と責任で磨かれたのである。

 その瑠璃を頼った統矢もまた、全幅の信頼を寄せている。


「それで、瑠璃先輩」

「わーっとる、大丈夫や。統矢……?」

「ええ。俺の権限ではなにもできないんですが、腫れ物扱いも慣れてくるとやれることが見えてくるんですよね」

「難儀なやっちゃな……もち、バッチシやで!」


 拳に親指を立てて、サムズアップで瑠璃がウィンクする。


「戦後のどさくさに紛れて、うちら戦技教導部の改型は散り散りになってん。桔梗キキョウの改型弐号機は博物館やし、改型参号機と改型伍号機は大破して廃棄処分や」

「改型壱号機は月での戦いで一足先に欠番扱いですよね。……でも、改型零号機は」

「いやあ、探すの滅茶苦茶めちゃくちゃ大変やってんで? 調べに調べて、軍のモスポールリストに入ってたのを見つけたんよ。で、機体番号をすり替えてジャンク品としてゲットや」

「なにからなにまですみません。危ない橋を渡らせてしまって」

「せやで、統矢。感謝せえよ? ま、危ない橋くらいやったらいつでも渡ったるわ」


 かつて、戦技教導部が予備機として死蔵していたPMRがある。原因不明のトラブルを無数に抱えた、暴走と操作不能のリスクが同居する機体……戦後すぐに行方不明となっていたが、それを統矢は瑠璃に探してもらっていた。

 そして、完璧な整備と調整を施し、とある組織に……民間企業に渡してもらった。

 そのことで、瑠璃は技術者特有の好奇心に満ちた瞳を輝かせるのだった。

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