第106話 先行き



<テンジン>


テンジンは村を遠くに見下ろす小高い丘にいた。

村の方に頭を下げている。

しばらくすると、ゆっくりと頭を上げて見つめていた。

・・・

もうこれで帰ることはないだろう。

こうやって見ていると、嫌なことなど案外忘れるものだな。

いろんなことがあった。

それももう済んだことだ。

何だろう・・自然とありがとうという言葉が浮かんでくる。

いい思い出などほとんどないというのに・・。

いや、村の人たちは苦しく辛い思いをした。

拙者も同じだった。

だがその元凶は今はない。

それでも今度は新たな元凶ができようとしている。

チベット政府が第二の中国になろうというのか。

自分が居ては迷惑がかかる。

長には言ってある。

自分は帰って来なかったと。

伝言が来てバッキンダック主席の騒動で死んだのだとメッセージを残してきた。

自分がいなければ政府も動くこともないだろう。


テンジンはそう思うと、もう1度頭を下げて村を後にした。


<テツ>


俺と神崎はヒースロー空港に到着していた。

イギリスなど、いや海外など旅行などしたこともない。

今は自分の足で勝手に動いているが、こうやって空港から入国したことはない。

俺は完全におのぼりさんの雰囲気だっただろう。

神崎が毅然とした態度で言う。

「テツさん、こちらです」

神崎が俺を先導してくれる。

少し歩くと空港ロビーに出迎えの人が3人いた。

女の人が1人と後はがたいの良い男2人だ。

神崎が迷わずに彼女たちの前に歩いて行き挨拶をする。

おそらく英語で話しているのだろう。

俺には言語変換のスキルが自然と備わっているので普通の会話で聞こえるが。


「ようこそイギリスへ、ミス神崎」

「こちらこそご招待いただき、ありがとうございます」

神崎と相手の女の人が握手をしていた。

「えっと、こちらが日本の帰還者の方ですか?」

女の人が俺の方を見る。

神崎もその視線につられて俺を見る。

「えぇ、佐藤鉄さんです」

神崎が紹介してくれていた。

女の人が微笑みながら俺の前に来た。

「ミスター佐藤、ソフィといいます。 よろしく」

ソフィが片手を出してきた。

俺の頭にパッと浮かぶ。

ゴル〇13なら、相手に利き腕を預けるほど俺は自信家ではないとでも言うのだろうか。

だが、俺はそんなストイックじゃない。

それにこんな美人が手を出しているんだ。

両手で掴みたいぞ。

俺も片手を出してソフィの手を握る。

・・・

ん?

握った瞬間に違和感を感じた。

俺のその反応を見てソフィが微笑む。

「ミスター佐藤、わかりましたか。 すみません試すようなことをして・・あなたの魔素を計ろうとしたのですが、即座に拒否されましたね」

ソフィが丁寧に謝罪をしてくれた。

俺は別にどうでもいい。

魔素を知られようがどうということはない。

それに完全にはわかるはずもないだろう。

「ソフィさん、俺も自分で意識してシャットアウトしたのではないのですよ。 自然とそういう反応をしてしまうようです」

俺の反応にソフィが微笑む。

おぉ、金髪美人の微笑みはきれいだな。

決して人種差別ではない。

何て言うのか、エルフのようなイメージだ。

だが、このソフィという女。

いきなり俺を探って来たのは事実だ。

こんな笑顔をしながら確信犯だな。

・・・

やはり女の人はどこでも怖いということか。


「ミスター佐藤、そう警戒されませんように。 これも私の仕事の一環です。 我々帰還者は普通ではないのですから・・どうぞこちらへ」

俺たちはソフィの後について空港を出る。

俺たちを囲むようにソフィについて来ていたSPだろうか。

ガタイの良い男たちが距離を置いて移動する。

空港の外には黒塗りの頑丈そうな車が3台並んでいた。

先頭の車にソフィがドアを開けて待ってくれる。

「どうぞこちらへ」

俺と神崎は一緒に先頭の車に乗る。

ソフィが助手席に乗った。

「では出発します」

ソフィがそう言葉を出すと、車が静かに発進した。


<ケンとリカ>


テツがイギリスに出発するときに送付たしたメールをケンが確認している。

ケンは何度か読み直していた。

「全くテツさんは忙しい人だな・・自分ばかり苦労を背負い込んで・・僕たちはやっぱり子供に見えているのだろうか」

ケンは1人つぶやきながら後でリカにも伝えようと思っていた。

そして先程からテレビで流れるニュース。

リカは見てないだろうが、大変なことになったと感じていた。


『・・皆さん、何度もお知らせいたします。 中国でどうやら激しい戦闘が起こった模様です。 諸外国からの渡航が禁止されており、詳しくはわかりませんが、現場の記者に聞いてみます』

テレビのニュースは同じことの繰り返しだった。

『・・こちら現場の島村です。 ここはチベットと中国との国境ですが、国連による中国入国規制がかかっております。 この現場から誰も入国できるものはいません。 昨日まで確かに普通に入国できたのですが、いったいどのような戦闘が起こったのでしょうか、不明です。 詳細が分かり次第、報告をしたいと思います』

こんな具合で現場とスタジオのカメラの切り替えばかりだった。

ケンは知っている。

中国の主席が亡くなったこと、ロシアのトップが魔族だったことなど。

だがそれはまだ世界には知られてはいないのだ。

ましてロシアの中の情報など世界に漏れるはずもない。

それに帰還者のような存在はおおやけにはなっていないようだ。

知られても信じることはできないだろう。

何か変な事案が発生したくらいにしか扱われないのではないか。

ケンはそんなことを思ってみる。

それにしてもこれから世界はどうなるのだろう。

ケンの頭の中でいろんな考えが駆け巡っていた。


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