第87話

 唐突な私の慰め会を行わせてしまって気恥ずかしいばかりだが。こんなことをしている場合ではない。泣き止んだらちゃんと自分の考えを伝えて、翌日には私達は練習と調整に入っていた。

「まだ遅いね。もう少し早く頼む」

「分かりました。アマンダさんの弓を撃つ動作、本当に速いんですね……」

「ねー、速いよねー。ノダ爺が何であんなに獲物を逃すのかよく分かったよ」

「の、ノダのおじいさんが極端に遅いわけじゃないと思う」

 故郷の村で、一番の弓の名手と言われるのがノダというおじいさんだ。おじいさん、と呼んでるものの、ヨルさんよりは少し若いかな。狙いは外さない人だから本当に名手に違いないのだけど、アマンダさんはそれに加えて構え始めから射るまでの速度が尋常じゃない。狙い定めるという瞬間は何処にあるんだろうと不思議に思うのに、狙いも恐ろしいほどに正確だ。射られる側が察知しても逃れる隙を与えない。これが超一流なんだなと、いちいち感動してしまう。

 ただし今回はその素早さに対応するのが難しかった。アマンダさんが狙ったら前方に空間が出来る――という設定の魔法を入れても、彼女が矢を放す前に空間を用意できていない。かと言ってラグを全くのゼロにするのは常に斜線を敵に知らせることになってしまう為、ぎりぎりまでそれは隠していたい。アマンダさんが射る瞬間に水が開いて、間髪入れずに矢が通るという形が作り出せるように、調整を繰り返していた。

「アマンダさん、もう一度お願いします」

 繰り返し矢を射る動作を見せてもらって、改良を重ねる。あまりにもぶっ続けでやってしまったので一時間の休憩を挟んでから。改めて試してもらうことに。

「いつも通りに射てみて下さい。空間が開いてなくても」

「ほう。分かった」

 アマンダさんが河に入るのに従って、私の魔法で空間を作る。当然、私も確認の為に一緒に中に入った。私が入る時は必ずイルゼちゃんが河の際でそわそわしている。何かあればすぐに飛び込んで助けに来てくれるんだろう。

「はは! なるほどなるほど、こりゃいいね!」

 矢を射ると同時にアマンダさんがそう言って笑い、私を振り返った。

「何本か射ても?」

「はい、問題ありません」

「よし」

 そのままアマンダさんは、色んな角度に十数本の矢を放った。いずれも水には接しなかったが、かなりスレスレの状態だ。戦闘で入り乱れている場合、水に接触してしまって思うように射れないことも出てくるかもしれない。

「……もう少し、余裕のある幅を作りますか?」

「いや、これで良いよ。引っ掛かっちまったらまた射ればいいんだ。それよりもタイミングが一致していて、相手に察知されにくい方がいい」

 今回、アマンダさんの射るタイミングに合わせることに加え、射線を極力隠すべく、矢が通るのと同じ速度で道が開いていくように作り変えた。一気に道を通してしまったら、矢が届く前に流石に魔族が気付いてしまう。幅を広げるのも同じ事で、一瞬の違いとは言え、矢ぎりぎりの空間である方が察知される時間は減らせるはず。

 案の定アマンダさんもこの措置を気に入って下さったので、数本は戦闘中に失敗するかもしれないものの、此方の案で行くことにした。

「フィオナ様、休憩なさいますか?」

「はい、ちょっと魔力を使い過ぎましたので、少し」

「ではその間、私が練習に入ります」

「気を付けて下さいね」

 私以上に問題ないとは分かっているが、言わずにはいられない。グレンさんは柔らかな表情で頷いて、自らの魔法だけで水の中に入っていく。ちゃんと傍には一族の方々が居て、万が一の場合には引き上げられるように見て下さっていた。私達が中に居る時も必ずだ。常にサポートして頂いて、本当に頭が上がらない。

 ただ、こうしてサポートが必要となる為、中に入る人数は限定していた。救助対象が増えればその分、負担が増えるのも勿論だが、アマンダさんや私が入る間はどの方向に矢や魔法が飛ぶか分からないから――私達が気を付ければ良いという点は今は置いておいて――流れ弾を気にして、他の人には外に出てもらっている。

 なお、少し離れた場所では、イルゼちゃんとジェフさんがびしょ濡れの服で打ち合いをしていた。

「元気だな、あいつら」

「あはは……」

 私達が繰り返し調整している頃から、休憩を挟んではいたもののずっとやっている。元気とかそういうレベルでもないと思うのだけど、体力があって羨ましい。いや、頼もしい。

 こうして最初の内は個々での調整と訓練をしていた私達は、二日後には全員で河に入って何度も色んなシミュレーションをした。

「――水中でも、フィオナみたいな大層な魔術師が居ると戦えるもんなんだね」

「本当、不可能ってなんだっけって感じ」

 最終調整を終えた日。アマンダさんとイルゼちゃんが言った。そこまでの奇跡を起こしているつもりじゃないんだけど……気恥ずかしくて黙ってしまう。

 というか、私が泣いてしまって以来。みんなが細かいことでも私を褒めてくれるようになった。恥ずかしいからもう良いって言っても、アマンダさんとイルゼちゃんは逆に楽しくなったみたいで拍車が掛かり、ちょっと困っている。

 グレンさんが小さく咳払いをして、場を取り直してくれた。私が困ってるから助けてくれたのだと思う。

「フィオナ様は、早めにお休み下さい。今回もあなたの魔力量が要になっておりますので……ご負担ばかりをお掛けしますが」

「えっ、いいえ、とんでもないです。戦ってくれるのは、みなさんなので」

 私よりみんなの負担の方がずっと重いと思っているので慌てて首を振ったが。やっぱり泣いてしまって以来、これについて私の言葉に同意してくれる人は居ないのだ。

 とにかく、先に休ませて頂く件については既に全員で話し合ったことだから了承して、夕食後は早々に寝支度を済ませる。

 そうしてベッドで横になっていると、ひょいとイルゼちゃんが私を覗き込んだ。

「私もすぐ支度してベッドに入るね。先に寝ちゃってていいよ」

「うん」

 いつもより早い時間だから、多分そんなにすぐに寝付けないし、イルゼちゃんが入ってくる頃もまだ起きているとは思う。でもとりあえず気を遣わせないようにと、ただ頷いた。するとイルゼちゃんがふと私の首元に目を落として、眉を下げる。

「痛むの?」

「え、あぁ、ううん、全然」

 私が両手を勇者の紋の辺りに添えていたせいで、心配を掛けてしまったらしい。その場所から手を離した。

「夜中に痛んで、起きることが前にあったからかな。少し不安で、つい触っちゃうだけ」

「そっか。……明日も、何も心配ないからね」

 大きな手が私の両手を包み、温めてくれる。思わず笑みが零れて頷いた。でも出来たら、手を握ってくれるより。いつもみたいに腕の中に入れてほしい。

「イルゼちゃん、早くお風呂に入って来て。一緒に寝よう」

 多分、頭はもう眠り掛けていたんだと思う。一切の他意なく、口をついて出てきた言葉。イルゼちゃんの目尻が微かに赤くなる。

「あ、う、うん」

 変に上擦った声で頷いたイルゼちゃんが、くしゃくしゃと私の頭を撫でて、足早に浴室へ行った。部屋の端で装備の確認をしていたアマンダさんが、一連のやり取りに笑いを噛み殺していた。私が自分の言葉についてちょっと良くなかったなと気付いたのは、後日のことだったけれど。

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