第12話
「何だかんだ、じいちゃん、次でいよいよ最後の祠だね~」
「うむ、火山の麓にある祠じゃ。熱気が酷く、進むだけで体力が削られるじゃろう、近くの村でしっかりとした休息を取ってから向かわねばならん」
地図を広げ、ヨルさんは道程について説明する。五、六日は掛かりそうな距離だ。道中に幾つか村があるから、適宜休みながら進むことになる。
「この祠の後は、魔王が居る大神殿だよな。そこまではどれくらい掛かるんだ?」
私が勇者の紋を得てからまだ二か月弱。期限までもう一か月あるけれど、大神殿への距離によってはどの程度の猶予があるのかは変わってくる。ヨルさんが『順調』と繰り返すから皆あまり追及していなかったが、今はもう大詰めだ。ヨルさんは軽く首を傾けて、考える仕草を見せた。
「まず大神殿は、わしらが居る大陸から真北に進んだ離島にあるんじゃが」
「島ぁ!?」
「魔王を大神殿から逃がしちゃったら人間にとって不利って、そういう面もあるんだね」
「その通りじゃ」
魔王は力を取り戻せば空をも飛べるらしく、その為、海上でも難なく戦える。だが人間はそうはいかない。大神殿が離島にある以上、戦う為に勇者はどうしても海を渡る必要がある。もしも魔王が自由の利く状態となっていたら、魔王にとって最も脅威である『勇者』は最悪の場合、海上で狙われてしまうのだ。
「どっかから船が出てるのか?」
「いいや、大神殿は一般人の立ち入りを禁じておる」
向かうには、国王陛下に進捗を報告し、国から臨時で送迎の船を出してもらう必要があるとのことだ。それでは時間が掛かるのでは、という私達の思考を読んだかのように、ヨルさんは軽く首を振る。
「心配ない。陛下にはその旨、元よりご説明申し上げておる。わしから文を出せばすぐに動き、船と船員を用意して大神殿近くの港で待っていてくれる手筈じゃよ」
魔王が目覚めるより以前から、封印の手順はヨルさんの一族が知っていた。そして千年の周期が近付いていた近年は、いつ復活しても対応できるよう、既にあらゆる準備と対策が、出来る限りで整えられているのだ。だから私のような異例の勇者が対応していても、ある程度は問題なく進められている。そして最後まで務められるように、ヨルさんが考えてくれている。
距離としては、大神殿への船を出す港までは第五の祠から四日ほど。船に乗れば一両日中には大神殿へ到着できるらしい。
話を聞くほど、いよいよ、という心地になり、思わずヨルさんの横顔を見つめてしまった私の視線に応じてヨルさん顔を上げ、目尻を下げた。
「案ずるでない、フィオナ殿は、封印にだけ集中すればよいのじゃ」
「……はい」
イルゼちゃんが軽く私の頬に触れる。また心配を掛けてしまっただろうか。表情が強張ってしまったのかもしれない。私は顔を上げ、イルゼちゃんや皆に、ちゃんと笑みを見せた。少しでも多く、笑った顔を見せていたい。何も出来ないのだから、これ以上の負担を掛けないように。
その日の夜は、近くの街に泊まった。到着した時にはもう夜になってしまっていたから、食糧などの買い足しは出来そうにない。買い出しの時間を翌朝に回して、第五の祠に向けての出発は正午からという予定になった。店が開く時間からの行動になる為、朝はいつもよりゆっくりと過ごせそうだ。
「お? 嬢ちゃん、どうした?」
「あれ、ダンさん。イルゼちゃん知りませんか?」
今日も夕食を作ったのは主に私だったから、片付けは皆に任せて先に部屋に下がっていたのだけど、イルゼちゃんがなかなか部屋に戻って来なかった。気になって様子を見に下りてみると、一緒に片付けをしてくれていたはずのダンさんが丁度部屋へ戻ろうとしていたところに遭遇する。
「行き先は知らんが、片付けを終えたら出て行ったぜ。何処行くんだーって俺が聞いても『別にどこでもいいだろ』って冷てえもんよ。嬢ちゃんに対するみてえな優しさのひと欠片がほしいぜ」
「あはは……」
イルゼちゃんは基本、女子供にしか優しくない。心が冷たいのとは少し違うと思うけれど、対応が冷たい。今までそれとなく理由を聞いたこともあるが、曖昧な回答しかもらっておらず、よく分かっていない。もしかしたら私が男の子にはよく虐められたせいで、単純に印象が悪いのかもしれないと勝手に思っている。だとしたら今回の件も間接的に私のせいなので、とばっちりを受けているダンさんにも謝りたい気になるが、ダンさんは特に落ち込むほどの様子も無く、大きな手で私の頭を撫でた。
「剣を持ってったからな、身体動かしてんじゃねえか。時々、夜に素振りしてるだろ」
「あ、はい……ご存じだったんですね」
「まあな。あれだけ強くてもしっかり稽古してて、一体あいつは何処まで強くなるつもりなんだかなぁ」
そう言うとダンさんは笑いながら部屋に下がって行く。私は少し考えてから、厨房の方に入った。もしイルゼちゃんが稽古をしているなら、今すぐ行っても邪魔になるだろう。だけど先に休んでいる気にはならないし、稽古後に渡せる差し入れでも用意しようと思ったのだ。
そうして差し入れを準備して、私が宿を出たのは小一時間ほどが経過してから。何処に居るかについてはダンさんも知らなかったし、私も確証があったわけじゃない。けれど村の中に人気の少ない開けた場所が無かった為、おそらくは村の門のすぐ外側だろうとあたりを付けてそちらへ向かう。
すると予想通り、村のすぐ外にイルゼちゃんの姿が見えた。しかしヨルさんも一緒に居るというのは予想外で、邪魔をしていいのかどうかと迷って足を止める。風向きのせいか、二人の会話が私にも聞こえてきた。
「おぬしはもう十分に強いじゃろ、一体、何を焦っておる?」
イルゼちゃんの剣が空を切る音の隙間を縫うようにヨルさんはそう問い掛ける。イルゼちゃんは、素振りを止めようとする様子無く、そしてヨルさんに背を向けたままで、振り返りもしない。
「別に、焦ってなんてないけど」
「そうか?」
聞き返した言葉にもうイルゼちゃんは応えない。一定のリズムで絶えず、剣を振り続けている。イルゼちゃんが焦っているという指摘は、あながち間違っていないかもしれないと思う。イルゼちゃんは確かに村に居た時も定期的に稽古をしていたけれど、最近は特に根を詰めている印象があった。だから私も今日、差し入れを持って、そういう部分も少し聞いてみようと思っていたのだ。先を越されてしまったのだけど。
一向に返らない反応に、ヨルさんが小さく息を吐く。
「イルゼ殿の強さには正直、わしも驚いておる。おそらくは歴代の勇者に匹敵する、もしくは上回る強さじゃ。万に一つも、負けはせぬよ」
ヨルさんはそう断言した。祠に現れるどんな魔物にも、イルゼちゃんは全く苦戦をせず、危なげなど一度も見せていない。勇者が戦えないことを思えば異常なほどに『簡単に』祠の封印は進んでいる。勇者の幼馴染であるというだけで付いてきてくれたイルゼちゃんが誰よりも強い為、私の実力不足を余りあるほどに補ってくれていた。
しかしヨルさんの言葉に手を止めたイルゼちゃんは、その言葉に対して呆れた顔を見せた。
「随分、楽観的に言うんだね、ヨル爺らしくない」
「それほど、イルゼ殿が強いと言うことにならんか?」
「どうかな」
全く信用していないと言わんばかりの声でそう返すと、イルゼちゃんはまた素振りを再開する。先程よりも音が高くなっていた。どうやら、より速く、もしくは強く、剣を振ったようだ。
「もしも私が、焦ってるなら」
剣を振りながらイルゼちゃんが話す声は、何処か、苛立ったような色が混ざっていた。剣が風を斬る音もその感情を乗せているように聞こえる。
「理由は簡単。勇者が私じゃないからだよ」
「……なるほどのう」
ヨルさんは納得したようにそう零すけれど、私には分からなかった。いや、思い浮かぶことが多すぎた。ともすれば連想された全てが、イルゼちゃんにとっての理由だったのだろうか。だから彼女は多くを告げず、それだけをヨルさんに言うのだろうか。
自分が勇者であることをイルゼちゃんに咎められたとまでは思わない。ただ、彼女を苦しめている原因が、私の身体に勇者の紋があるせいなのだと思うと、どうしたって胸が苦しくなった。
「もう寝なよ、ヨル爺。年寄りに夜更かしは堪えるんだって、いつも自分で言ってるでしょ」
「ほっほ、そうじゃの」
そうして追い払われるように、ヨルさんはイルゼちゃんの傍を離れた。聞いてしまったことが何だか気まずくて、私は咄嗟に建物の陰に隠れる。
「――盗み聞きをする勇者殿と言うのもまた歴史に残すべきかのう」
「ひゃああ!?」
しかしあっさりと見付かってしまった上、前触れなくすぐ傍で声を掛けられたものだから飛び上がった。もしかしたら最初から、私が聞いていたことも、ヨルさんは知っていたのかもしれない。
「い、いや、わざとじゃなくて、偶々、聞いてしまって」
慌てて弁明を口にしながら振り返った瞬間、ヨルさんの背後で強く土を踏み締める音が響き、そしてイルゼちゃんの影が私達二人を覆った。
「フィオナに悲鳴上げさせるってことは私に喧嘩売ってるってことでいいかなヨル爺?」
「わわわ、ダメだってイルゼちゃん!」
私が不用意に声を上げてしまったせいで、イルゼちゃんは助けに走って来てくれたようだ。それにしても稽古途中だったこともあって、鞘から抜かれたままの剣が不穏過ぎる。大慌てでイルゼちゃんの身体に抱き付いて止めた。ヨルさんもさぞかし怖かったことだろうと振り返ったら、もうその姿が無い。あれ、と視線を彷徨わせると、ヨルさんは軽快な足取りで宿に向かって走っていた。
「逃げ足ばっかり早いな、本当にジジイかっての!」
悔しそうにイルゼちゃんが唸る。いや、本当に、そんなに怒るようなことではなかった。盗み聞きした上、謝罪もせずに隠れていたのは私で、ヨルさんが指摘することは何も間違っていないし、多少の意地悪も仕方がないことだ。私は短くそれを説明して一生懸命イルゼちゃんの怒りを鎮めようとしたけれど、「どんな理由があってもフィオナを怖がらせたら悪い」とのことだ。その理屈で行くと私が臆病であるせいで沢山の人が該当してしまうので、少しハードルを下げてほしいと思った。
「ああ、でも、フィオナはどうしたの? もう遅いんだから、フィオナが一人で歩くのは危ないよ」
注意をする口振りでありつつも私を見るイルゼちゃんの目は優しい。叱るつもりが本当にあるのだろうか。剣を持っていない方の手が、私の髪をゆるゆると撫でている。
「ごめんなさい、えっと、イルゼちゃんを探してて」
「私?」
「多分、稽古してるんだと思ったから、差し入れを……」
手に持っていた包みを示してそう言うと、一瞬目を丸めた後で、イルゼちゃんは嬉しそうに笑った。
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