4 心のありか

「どうか、娘を天秤にかけるような真似はおやめくださいませ。選ばれなかったほうが、まるで捨てられたかのような目を向けられる事態は困るのです」

 意外と言ったら失礼か。高慢そうな公妃にも、母親としての情愛があるらしい。

 しかし天秤にかけるもなにも、ろくに話もしていないことを、認識しているのだろうか。

「早々に御心をお定めください。二人とも、わたくしの自慢の娘です」

 紅を引いた唇を動かしながら、公妃は言葉を結んだ。

 二人。そこに、アーシュの存在はないのだろう。もはや取り繕うことすらしない様子に、ジェラルドは内心で苛立ち、つい口をついて出る。

「姫は三人ではなかったか?」

あれ・・は、民の上に立てるほどの教養はありませんの。子どもの時分から庭いじりをしたり厨房に入り浸ったりと、不作法の繰り返し。貴族としての自覚がまるでないのです」

 アーシュが庭にいたのは、薬草園があったから。身体が弱った母――自分を産んだ母親のためだ。庭師に頼んで花を摘み、部屋を彩ったり香りを満たしたり。すべては、母親を気遣ってのこと。

 厨房への出入りにしても同様だ。

 名家の養女となる前は下級貴族の娘だったという母親のために菓子を作ったり、コックの指導のもとに療養食を作ってみたり。国の上層部が公妃の目を気にして、見て見ぬふりをしているなか、まだ幼いアーシュは懸命に母の看病をしていたという。

 これらは、城外で待機している部下が、かつてアーシュの近くにいた者たちから聞いた話。彼らは都に住み、ひそかに彼女を見守っているのだという。

「だが、末の姫は巫女を支えるべく、祈りの力を使っているのだろう。それは、公国のためになることだ」

「それは、民としての義務ですわ。力ある者が、それを揮うのは当然のこと」

「あなたもかつては巫女の能力を有していたと聞いているが」

「ええ、そうですね。わたくしは五家の娘として生まれ、物心ついたころから、巫女としての教育を受けてまいりました。ですから、巫女が我が国にとってどれほど貴重であるか、よく知っています」

 当代の巫女はまだ十三歳。遠目に姿を見たことがある。美しく輝くプラチナブロンドの長い髪をなびかせ、腰に剣を下げた若者たちを従え、静々と歩いていた。

 幼げな少女にかしずくさまは、ジェラルドの目にはどこか異様に映った。

「今の巫女は若く、まだ鍛錬も足りておりません。ですから、先代の血を引くあの娘を使っているのです」

「……使う?」

「こ、言葉が適切ではありませんでしたわね。あの娘が身に宿す法力ほうりきを使い、巫女が捧げる宝玉の一助としているのです。捧げられる法力は、多いに越したことはありませんから」

「よくはわからんが、ならば尚の事、助けとなる者は多いほうがよいのでは? 公国の姫が三人で助力しているほうが、民の心象はよかろう」

 なにもアーシュだけに押しつけることはないはずだ。

 戦いは独りでなすことではない。皆の力を合わせてこそ、勝利を掴める。自国の姫が率先して巫女を支えていると知れば、士気も上がるだろう。

 すると公妃は、激高した。

「なんということを。貴方様は、法力のことをご存知ないから、そのような恐ろしいことを平気でおっしゃるのです。あれは命そのもの。命の輝きです。巫女が単独で祈りを捧げられるようになるまで、まだかかるでしょう。それまでのあいだ、わたくしの娘に命を差し出せと、娘を死へ追いやれと、そうおっしゃるのですか!」

「……どういうことだ。ならば、なぜアーシュはそれをおこなっている。あの娘は毎日、命を削っているというのか」

 公妃は目に見えて顔色を変えた。本来ならば、言うつもりはなかったのだろう。唇はわななき、身体が震えている。それを抑えようとしているのか、細腕でみずからの身体を抱き、浅い呼吸を繰り返すのみ。

「おやめください、ジェラルド殿下」

 割り入ってきたのは、年老いた男の声。巫女の儀式を取り仕切る宰相だった。

 青白い顔の公妃を、遅れてやってきた侍女に任せ、宰相は渋い顔つきのまま語る。

 法力とは、少なからず誰もが持っている力だという。生きていくなかで自然に放出し、大気に満ちているそれらを取り入れる。無意識に循環する、呼吸のようなもの。

 巫女は、それらの力が多い存在。多すぎる力は身体に負担をかけるため、外へ出す必要がある。

 これもまた、循環。

 ひとの身に余る力を宿した巫女たちが人生をまっとうするためにも、必要な手段なのだ。

「先代の巫女姫は、とても偉大な方でした。大きな力を持っていらした。民はみな、それを記憶している。今の巫女に、先代と同じだけの宝玉を生み出すことは難しい。ゆえに、巫女の娘を――」

「馬鹿なことを。民に事情を明かし、もっと大勢に助力を乞えばよいことだろう」

「ご理解ください。貴方様も一国の王子であれば、おわかりになるでしょう。国には、面子というものがあるのです」

「女ひとりを見殺しにする面子など、クソ喰らえだ」

 歯を食いしばる老宰相にも、葛藤がないわけではないのだろう。彼も彼で、国には逆らえないのかもしれないが、ではアーシュはどうなるというのだ。巫女の少女が一人前になるのに、あと何年かかるのか。それまでずっと彼女は祈りを捧げつづける。たった独りで。



「ジェラルド殿下? どうされたのですか?」

 声が耳に届き、ジェラルドは視線を向ける。

 木立の合間からアーシュが姿を現し、こちらへ向かって歩いてくる。距離を詰め、ジェラルドは彼女の進路をふさいだ。

 いつもどおり、簡素なドレス。使われている布は質のよいものだが、ところどころがほつれている。色の合っていない糸で補修され、それらをごまかすためなのか、刺繍取りがされていた。

「見ないでくださいませ」

「なぜだ、上手く縫えているではないか」

 ジェラルドの視線を受けて、隠そうと覆ったアーシュの手を取る。ひんやりと冷たい手を握ると、彼女はわずかに頬を赤らめた。そのさまに、どうしようもなく心が浮き立つ。

「あの、ジェラルド殿下……」

「――ロイだ」

「はい……?」

「ロイ、と。そう呼んでくれ。親しい者は、皆そう呼ぶ」

「ロイ殿下?」

 おずおずと呼びかける声に、頭を振る。

「殿下はいらない」

「不敬すぎます」

「なにを言っている。おまえも公国の姫。俺と立場は変わらないはずだ」

 言いきると、アーシュは目を丸くして、次にほころぶような笑みを浮かべた。

「ロイ様は、時折とっても強引ですわ」

 彼女が呼ぶ己の名は、清らかな鈴の音のように脳内に響き渡り、同時に心も震える。

「アーシュ。建国祭のことを聞いているか」

「はい。……その、婚約を発表する、と。おめでとう、ございます……」

「――おまえはそれを、めでたいと思っているのか」

「もちろんです。大切なものを失ったロイ様が、幸せを手に入れることができる。心よりお祝いたします」

 言葉とはうらはらに、浮かべる笑みは寂しげに見えるのは気のせいなのか。下がった眉、震える唇は、彼女の心を反映しているのではないかと思うのは、自分の思い上がりなのだろうか。

 どちらでもいい。

 ジェラルドは拳を握り、息を整えると口を開く。

「フォーリアでは、建国前夜は夜を通して晩餐会が開かれる」

「ウィンスレットでもそうですね。その日だけは子どもも、夜遅くまで起きていることを許されます」

 毎年その晩は、城内の大広間で大規模な晩餐会がある。アーシュも広間に入ることを許されるため、すみのほうで豪華な料理を口にすることを楽しみにしていた。

「深夜十二時、すべての始まりとなる日を迎える瞬間は、皆が夜空の星に願いをかける」

「星祭りですね。書物で読んだことがあります」

 母の侍女が持っていた本に、それをモチーフにしたものがあったという。フォーリアの風習だとは知らなかったと言うアーシュに、ジェラルドは胸の動悸を悟られないようにしながら告げた。

「その日、共に星を見上げたい」



     ◆



「ロイ様にしては頑張ったんじゃないですか?」

「問題は、彼女がそれを知っているかどうかじゃないの?」

「文化の差ですな」

 星祭りにおいて、もっともロマンチックな時間である、深夜十二時。

 誘いをかける時点で、誘われたほうも心づもりがあるものだが、はたしてアーシュはどうだろうか。

 ジェラルドの言葉に「承知しました」と返した彼女が、裏に隠された意味に気づいているのかどうか。そこが問題だろう――と言う部下たちの弁に、ジェラルドは問いかけた。

「おまえたちはそれでいいのか」

「なにがです?」

「やっぱりさー、ロイ様にはもっと経験を積ませたほうがよかったんだって。祭りの日まであとちょっとだよ。いまからでも城下に降りて、娼館にでも放り込んでこようよ」

「そうね、アタシがいくらでも相手してあげるって言ったのに、お堅いんだから」

「なんの話だ!」

「え、だからアーシュちゃんをどう誘惑するかっていう……」

「そうではない。俺が言いたいのは、国のことだ」

 アーシュを選ぶ。

 それは、公爵位からもっとも遠のく行為であり、それどころか城内の立場すらあやしい。

 国が欲しかった。

 ふがいない妾腹の王子に付いてきてくれた仲間のためにも、ジェラルドは国を手に入れたかったのに、このままでは望みは叶わない。野蛮人と謗られても留まり続けたのは、そのためだったはずなのに――。

 苦悶の表情で床に目を落とす主を見て、部下は顔を見合わせ苦笑いを浮かべる。己を呼ぶ声に顔をあげたジェラルドは、優しい笑みを湛えたゴルジと出合った。

「ロイ様は勘違いをされておりますな。言葉を選ばずに申し上げますと、大馬鹿者です」

「なっ――」

「あなたの兄上は……王太子殿下は、弟に復讐を課すような真似をするとお思いですか?」

「それは……」

「あのとき、兄殿下はおっしゃった。あなたに託す、と」

「そうだ。だから俺は――」

 兄に替わって国を。

 しかしゴルジは首を振った。

「あの方が望んでいたのは、あなたが心から安心して暮らせるような国です。我々のように、獣の因子を持つと冷遇される者を受け入れ、皆が共に歩んでいける国」


 ロイ。あとのことは、おまえに託すよ。

 禍根はすべて僕が担う。この国の膿は、すべて僕が持っていくから。

 おまえは自由だ。

 どこだっていい、どこに行ってもいいから、おまえはおまえの望むままに生きていけ。

 おまえたちが自由に暮らせる居場所を見つけて、幸せになれ。

 それが、僕の願いだ。


「我々は、あなたの臣です。あなたの決断に従います」

「それが、どんなに愚かなことでもか」

「あら、恋とは愚かな行為なのよ。知らなかったかしら?」

 ネイトが不敵な笑みを浮かべ、ジェラルドは何年ぶりかに大きな声をあげて笑った。





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