2 秘密

 ウィンスレット城の広間で挨拶をしたときから、おかしいとは思っていた。

 玉座に腰かける公爵。その背後に椅子が並び、女性が三人座っている。うちの二人はジェラルドと似た年頃で、なるほどこれ・・が縁談相手かと独りごちた。

 しかし、娘は三人ではなかったのか。

「残りの一人はご病気か?」

 仮病という名の。

 嘲笑を乗せると、公爵――ではなく、その背後に控えていた女性が口を開いた。

「申し訳ございません、殿下。末の娘は不出来なもので、王族の前に顔を出せるような状態では……」

「どのような姫かは知らぬが、顔を出さないほうがよほど無礼であろう」

 わずかに怒気を込めると、さすがに察したのか顔色を青くする。壁際に目配せを送ると、それを受けた使用人が出ていった。ややあって扉を叩くかすかな音が聞こえ、薄く開かれる。

「失礼いたします」

 かぼそい声とともに現れたのは、声のとおりに線の細い娘だった。全員が見つめるなか、背を縮めた娘は壁際を進み、公爵らが座る場所の近くで足を止めた。腰を折って一礼、妃の斜め後ろに立って背筋を伸ばす。

 彼女のために、椅子が用意される気配はない。しかし娘はとくに困った様子もなく、さも当然のように傍に控えており、それを誰も疑問に感じていないのだ。

 ――なんだ、あれは。

 退室するまでずっと、彼女は影のようにそこにあった。いるのに、誰も気にとめない。意識を払わない――払わなくてもよいと判断する存在。

 身に覚えのある空気に、ジェラルドの中に重いものが広がった。



「調べましょうか?」

「殿下の嫁候補。把握しておきましょう」

「それでなくても、ちょっと異様だよねー、あれ」

 部下たちが口々に言い、散った。室内に残っているのは、ゴルジ。書面をめくりながら、窓際の文机に向かっている。

「おまえはどう思う?」

「さて、具体的にどれについての言及ですか」

「……あの、末の姫についてだ」

「はっきりしたことはわかりませんが、差は歴然。妾腹の娘であるとか、そんなところでしょう」

 なんとなく考えていたとおりのことを言われて、ジェラルドは重い息を吐いた。

 あの空気はよく知っている。王族の中に混じった異人を見る目つき。汚らわしい血が半分流れている、忌まわしき子ども。礼節に値しない、下位の存在。

 国王が認めているからこそ表立っての批判もできず、鬱屈とした思いを向けられることは多かった。ジェラルドが騎兵団に身を投じ、戦うことを選択したのは、逃げたかったからなのかもしれない。

 自分たちと同じような性質を持ちながら、王族の立場にあるジェラルドに反感を持つ者たちもいたが、共に戦場を駆けるうちにわだかまりは薄くなったと思っている。

 なにより、自分には兄がいた。

 腹違いの弟に、惜しみない愛を注いでくれた。「ロイに責任はないでしょう」と言い、文句を言うのであれば国王にしてくださいと、王妃に進言しているのを耳にしたことがある。

 兄が好きだった。

 いずれ国を継ぐ兄のために。彼が作る国を守るために、ジェラルドは戦ったのだ。



 情報を総合すると、やはりあの末の娘だけ母親が違っていた。公爵が先代の巫女姫に手をつけ、生まれた子どもらしい。

 公国の神姫しんきである、セフィドの巫女。大いなる能力ちからを存続させることは、国にとって大事なことであり、巫女姫の婚姻は重要視される。

 先代の巫女は、傍に控える騎士と心を交わし、巫女を引退するとともに婚礼をあげることになっていた。

 その事情が変わったのは、騎士が亡くなったからである。

 公爵の命により地方へ出かけていた騎士は、事故で命を落とした。婚約者を亡くした巫女に求婚する者は多く、傷心の巫女を守るために、国の長として公爵は彼女を囲った。護り慈しんだ。

 そして、巫女は身ごもった。

 同意があったのかどうかは定かではない。騎士が亡くなったあと、心を病んだ彼女は声を失くしており、真実を語る術を持たなかったからだ。

 だが、公妃にとって、おもしろくないことは変わりないだろう。

 公妃はかつての巫女候補であり、先代巫女に競り負けた女性だ。名家の出で気位も高く、次の巫女はおまえだと言われて育った彼女は、分家出身の娘が巫女に選ばれたことにひどく憤っていた。

 妃の地位を得たことで下がっていた留飲は、ふたたび吹き上がる。

 やがて巫女が亡くなり、娘を引きとることになったけれど、実の娘との差は歴然であり、扱いはひどいものであるらしい。


「女の嫉妬は醜いわよねえ」

 細身の身体を抱きしめながら、ネイトが嘆く。女言葉を操りながら、はよく女性批判を繰り返す。それでいて「あら、アタシは乙女のなかの乙女よ。心が不細工な女と一緒にしないでちょうだい」と怒るのが定期だ。

 それでもまあ、優しげな目元と柔らかな態度のおかげで、女性たちから噂話を聞き出すのが上手い。情報収集は彼の十八番だ。

「で。これを知ってどうするのかしら?」

「どう、とは?」

「なんていうか、彼女は公国の姫としての立場はないに等しいわ。公爵位を継ぐのは、姉二人のどちらかでしょう」

「だろうねー。姫にはそれぞれ領地が与えられているらしいんだけど、末姫はそれがない。いや、あってないようなもの、かな?」

 少年のような風貌で女性たちの母性をくすぐるファウルもまた、情報収集には長けた存在だ。ネイトとは違った層から仕入れてくる。

 実際に領地を運営しているのは各地の領主だが、名目上の管理者として上に立っているのが、姫や妃。領が得た収入の一部が、それぞれ彼女たちの資金になっている。

 一応は公爵の娘であるアーシュにも与えられているのだが、その場所はひとが住んでいない山岳地帯。かつてちいさな集落があったというが、廃村になっている。行き来も大変な場所を開拓する者はおらず、調査もされていない。山を越えた先にある、国境に広がる森には野生の動物もたくさん住んでいて、大型の獣に襲われた例もあるというから、なおさらだ。


「しかし、この国はフォーリアとは正反対な国ですな」

「巫女姫が軽んじられることはなくて、むしろ最上さいじょうってかんじ」

「立場としては、公爵と同等ってところかしらね」

 肩をすくめたネイトの弁に一同は沈黙し、ジェラルドはちいさく息を漏らした。

 ここにいるのは、全員が獣人の因子を持つ人間だ。

 人非ざる力を宿した者。

 先祖返りと呼ばれ、恐れられる存在。



 フォーリアの創世神話には、獣人が登場する。

 天上から舞い降りた女神と、黒い毛に覆われた獣の従者は、誰もが知る有名なものだ。

 天から降りた女神は地上の世界で若者と恋に落ち、結ばれ、子を成した。それが国のおこりとされている。

 一方の獣は、地上の世界にあらゆる動物を創ったというが、やがて禁忌を犯す。

 女神に焦がれ、けれど彼女を手にいれることができなかった獣は、怒りにとらわれて女神に襲いかかり、殺してしまうのだ。自身の行いに気づいたのちに慟哭し、自決する。

 屍は大地に還り、そこから一本の木が生えた。血のような赤い花を咲かせたあと、同じく赤い実をつける。

 禍々しい色の実を食べることは禁じられたが、ある日、ひとりの娘がそれを食べてしまった。

 やがて娘は子を宿したが、生まれた赤子は真っ黒な毛に覆われ、角としっぽが生え、肌には無数の鱗がある、異形の姿だったという。



 どこまで本当なのかはわからないけれど、フォーリアには時折そういった子どもが生まれる。

 姿形が獣に変わるわけではないけれど、ひとよりも力が強かったり耳がよかったりと、超人的な力を宿しているのだ。特定の動物に懐かれることも多く、それは「血」なのだと考えられている。

 ちょこまかと動く、背丈の小さなファウルはネズミだし、ネイトは蛇。ゴルジに至っては、フクロウである。城下に潜んでいる体格の大きな熊のオルソー、伝令や密偵をすることが多いゴラーブは、本人いわく「俺はカラス」らしい。

 ウィンスレット公国の巫女姫は血統によって受け継がれ、貴族階級で構成されるのに対し、フォーリアのそれは平民に多く誕生する。獣人ビーストが、上流階級に現れることはない。そんな事態になったとしたら、人知れず処分されて表沙汰にはならない。

 そのはずなのに、ジェラルドは国王の子どもとして立った。

 黒獅子の王子。

 それが、ジェラルド・ロイ・フォーリアの異名である。






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