魔法士の宿命《マジシャン・オブ・ディスティニー》

@hibishuiti

進級試験編

プロローグ

 濃紫の海を優雅に泳ぐ雲も隙間から度々漏れ出る満月の光を浴びながら、俺は町外れにある小さな教会の聖堂前に立っていた。

『サンレンス教会』

 俺の記憶が正しければ、これがこの教会の名前だ。

 だが、こんなしっかりした名前が付けられているものの、実際にはここへ通う信者や管理を務める神父のいない、ただの跡地である。

 外壁や窓は所々破損してしまい、庭の草木は荒れ放題。建物自体はどうにか原型を保ってはいるが、少しの衝撃でも加わればすぐに跡形もなく倒壊してしまうくらいには老衰化しているのだろう。

 町の古い書籍によれば、昔は美しい石造の建物だったらしく、この辺りの観光スポットの一つとして取り上げられていた程に有名な場所だったという。しかし、今では幽霊屋敷だの魔物の巣窟だのと呼ばれ、人々から避けられる存在へと下がり果ててしまっていた。


 そんな古色蒼然で人気(ひとけ)のないこの場所に、俺はとある目的でやってきた。

 別にそれが興味本位での観光や、いるのかいないのかも分からない魔物の退治しにきた訳ではない。これらの軽率な理由ではなく、もっと重大な——俺の人生の今後を左右するくらいの死活問題を解決する為である。

 高ぶりつつある緊張感を鎮めるように大きく深呼吸をし、正面にある木製の扉に両手を付ける。木の痛み冷えた手触りを感じながら、軋む音を立てて俺はその扉を開けて、中へ立ち入った。

 聖堂内は漆黒に飲み込まれてしまったかのように暗い。だが、それに比べて奥の祭壇は、後ろのくすんだ窓ガラス越しに差し込む月光に白く照らされていた。

 その光に釣られて、自然に俺は祭壇の方を振り向く。すると、そこにいる人物——フード付きのボロボロなマントを纏い、背中から二メートル程の大鎌を下げた、ボブで白銀色の髪型をした一人の少女が目に入った。

 彼女こそ、今の俺が抱えている重大な問題の解決に必要な人物である。

「あら、今日もやってきたの?」

 自分のことを見つめてくる目線に気づいたのか、彼女は声をかけてくる。真っ暗で何も見えないはずなのに、どこに誰がいるのかを全て見透かしているような、そんな口調だった。

「当たり前だ!何があっても絶対諦めないからな‼︎」

 自身げに叫んで、俺は祭壇へ近づいた。

「あなたもよく折れないものね。他の人なら、普通一回ですぐ諦めるものなのよ。こうしてめげずに七回もし続けているのはあなたくらいだから」

「そりゃそうさ。これには俺の夢がかかってるんだ。そう簡単には折れてたまるか」

「はぁ、そんな大切な人生選択を私のような『死神』に委ねてどうするのよ……」

『死神』

 彼女は自身のことをそう呼ぶ。三日月型の刃がその代名詞に反応する様に、キラッと鋭く煌めいた。

「いいさ、別に!神だろうが死神だろうが、俺の道を切り開いてくれるのなら俺はなんでも構わない‼︎」

 強く、図太く。俺は乱暴に思いを伝えた。

「はぁ……、あなたはどこまで一途で馬鹿なのよ」

 さっきよりも少女は深いため息をつき、祭壇の奥の部屋に消えていく。

「まあいいわ。一応来たわけだし、あなたの成長は聞いててあげる」

 そこにあった古びた椅子を一つ引っ張り出して祭壇に戻り、少女はそこへ腰をかけた。

「今度はじっくりたっぷりしっかりとと勉強してきたから期待しとけよ!」

「へぇ、そんなに自信あるのね。ワクワクしてきちゃうわ」

 完全にこちらを舐めきっている彼女の顔に向かって、一泡吹かせてやる、という自信たっぷりに俺はニヤリと微笑み、オホンと喉を鳴らして息を大きく吸った。

 この数日間に人や書物から学んだ多々な知識を脳内に呼び覚まし、手札のようにズラッと並べ、それらを組み立てていく。そして、今の俺を邪魔する諸々の感情を出来る限り全て殺し、出来上がったそれを何の躊躇ちゅうちょもなく俺は吐き出した。

「君ハ僕ノ太陽ノヨウダ。君ノコトヲ思ウト、胸ガ締メツケラレテ僕ハ夜モ眠レナイ。ドウカ僕ノ物二ナッテクレ……」

「却下」

 まだ途中でも関わらず、彼女はこの二字で押し退けてきた。

「なッ……」

 これに思わず俺は一瞬言葉を詰まらせる。

 しかし、これで終わりだという程俺は甘くない。早速プランBに切り替えて、再度畳返した。

「僕ハ君ノコトガコノ世デ一番好キダ。ソノ秀麗ナ顔立チ、ツブラナ瞳。コノ全テガトテモ愛クルシクテ堪ラナイノダ。ダカラ、ドウカ僕ト付キ合ッテクレナイ……」

「却下」

 さっきよりも早くあの二語の壁に跳ね返される。だが、まだプランCが残ってい……。

「却下」

 プランDが残……。

「却下」

 プランE……。

「却下」

 プ……。

「却下」

 ……。

 この後、しばらくこのループが続いていく。しかも、万が一を考えて用意していたプランYまでが却下される事態になてしまった。


「何で……、何がダメだったんだ……」

 両肘と膝を地につけて、俺は悔しそうに嘆いた。

「そりゃ、色々よ。まあ、まずはその演技力ね」

「演技力……」

 荷が乗っかかったように、気がガクッと重くなる。

「女性経験があんまりない俺にそれを求めないでくれ……。これでも恥ずかしさとか色々を抑えて頑張った方なんだよ」

「頑張ってもなお棒読みって……、前回の方がマシだったよ」

「しょうがないじゃん!あんな台詞人に言った事ないんだから」

 俺と少女の言い合いはまだ続いていく。

「それを言えるようになるまで練習すれば良いじゃない」

「夜な夜な一人で練習したよ!その時は上手く出来てたんだけどさ」

「一人より二人で練習しなさいよ。人より空気を口説きたいっていうのなら一人でも良いけど」

「俺だって二人で練習したいんだけど、こんな台詞言うの恥ずかしんじゃん……」

「じゃあそんな恥ずかしいのを何で私に言おうと思ったのさ」

「集めた資料にそう書いてあったから……な」

「どんな資料なのよ、それ」

「し、少女漫画雑誌の『みゃお』だけど……?」

 俺の発した『少女漫画みゃお』というこの単語。その直後、唐突にして男女の声で騒がしかったこの空間に静寂と気まずい雰囲気が襲った。


「ちょっと引いた……」

 十秒弱くらいの間を空けた後に、少女は軽蔑な視線をこちらに向けながら呟く。

「別にいいじゃんか!男子が少女漫画を読んだったって。何の問題もないだろ!」

「そうじゃなくて、少女漫画を読みながら、ハァハァって興奮するあなたを想像すると、鳥肌が立っちゃうのよね……」

「興奮なんかしてないわ‼︎」と、声を張り上げて俺は反論しようとした。しかし、いざそうしようとした途端、どこからか急に湧き上がった脱力感に身体が飲み込まれ、立ち上がることもなく、そのままその場に倒れ込んでしまった。

「クッ……、もうなのかよッ!」

 無理気味に力みながら、俺は言葉を絞り出す。この脱力感が襲ってきた理由——ここにいれる時間の上限がきた、ということを俺は知っていたからだ。

「そうみたいね。でも今回は前より長くはいれたのだし、よかったんじゃない?」

「よくねぇよ‼︎お前を口説くために前回から準備に準備を重ねてきたんだ。こんな簡単に終わらせてたまるかよ!」

「まあ落ち着きなさい」

 悪足掻きをする俺をなだめるみたいに、少女はこちらへ近づき、俺の頭を優しく撫でる。

「ここであなたがどう足掻こうと、この終わりは阻止出来ないし私を口説けはしない。そういう無意味な事をするより、ここで一回帰って準備をしてきた方が私はいいと思うな。私は逃げたり隠れたりなんてしないから、あなた がまだ私に挑戦したいっていうのならいつでも引き受けるわ。あなたの持つ口説く為の語彙力は正直アレだけど、熱意と諦めない心は嫌いじゃないわよ」

 彼女はそう言って、最後にニコッと笑みを添える。それに反論を返す、なんてことは出来るはずもなく、静かに俺は彼女の言葉の余韻に浸ることにした。

「分かった、待っておけよ。絶対口説いてやるからな」

「ふふ、期待しておくね」

 そう言って彼女は軽快に指を鳴らす。それを合図に、残りわずかな俺の抵抗力を押し潰す程の脱力感が追加で伸し掛かってきた。

 成す術も無くそれにやられ、静かに全身の力が抜けていく。聴覚や触覚といった五感も消えていき、 知らず知らずのうちに俺はこの教会よりももっと暗い常闇の空間に放り出されてしまっていった。

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