恋人終幕
「俺、デイビッド超えを目指す‼︎」
デイビッド超えとは一体何でしょうか?
自ら創り上げたデイビッドが他者の心にも魂が宿るなんて…妄想とは不思議なものだ。
まるで私のものがそうではなくなってしまったかのようだ。
今まで誰かにデイビッドの存在を話してもデイビッドは私のデイビッドだった。それはみんなが私の妄想話に付き合ってくれているだけで誰もデイビッドという人物像に関心がなかったからだ。
私のイタみを受け入れてくれる人達は話を聞くのが上手なだけで私とデイビッドを心の底から知りたいと思っている人たちではなかった。だからこそ今日まで私とデイビッドの世界は誰にも崩されずに私の思いのまま動いていた。
それが貴志という男一人でここまで脳内はかき乱されて妄想の妨げになるなんて貴志とお酒を飲むまでわからなかった。
今度、連休とか取れたら一緒に都内でも行かない?里保ちゃんの理想を体現したいんだ。
出勤まであと10分。
貴志から来た文字の羅列を見つめてため息をこぼす。
理想を体現…そんなこと出来るはずがない。
デイビッドは年間数十億稼ぐ男だ。そんな彼のドラマチックな演出を無理に叶えようとされるのはこちらとしても荷が重い。現実世界で私はそれだけのことをしてもらえるようなことをしていないのだから。
それに貴志の年収が具体的な数字までわからなくてもデイビッドとは稼いでる金額が天地の差であることは明白だ。無理して本来の収入に見合わない演出をすることは身を滅ぼす行為であり、喜び以上のものを背負ってしまうことになりかねない。
これがデイビッドからのメッセージだったら私は目を輝かせて陶酔していただろう。だけど貴志からのメッセージとなると心にもやがかかる。
なんか違う…ってなる。
謎のデイビッド超え宣言から一週間。
高らかに宣言した貴志はそれに満足したように気持ちよく酔っ払って意気揚々と帰路についた。
帰り際、貴志が私を真っ直ぐ見て気合を込めた顔で、
「俺、頑張るから‼︎」と謎の頑張る宣言ももらって私達は駅前で解散した。
私は貴志の意図が理解できなかった。
貴志にとって私はそこまでするのに値する人間なのだろうか。
酒に酔ってラブホテルに行っちゃうような軽薄な私にそこまでの価値があるのだろうか。
妄想彼氏を理由に恋愛から逃げてきた私をそこまで想う理由が分からない。
恋とは錯覚だ。
脳内処理のミスによって生まれるのが恋だ。だけどそれは思っていたよりも不快なものではなかった。それは相手が貴志だからなのかもしれない。
そうなると私も錯覚に陥ってしまっているようだ。脳内処理能力が鈍ってきている。
不安や寂しさは時に私達に恋という錯覚を与える。
あと5分で店に出なきゃいけないタイミングで電話がかかってきた。スマホに表示された文字は久々に見る名前だった。
安堵のため息が漏れる。
家族というものは力を抜けさせる魔力を秘めているに違いない。
「もしもし、お姉ちゃん?急になにー?」
気の抜けた声で電話に出ると数ヶ月ぶりの姉の声が響いた。
「なにー?じゃないよ!あんた私のライン、既読スルーしたまんまなんだけど‼︎」
姉に言われて思い出した。そう言えば数週間前にケーキ買って遊びに来てとメッセージが入っていた。
「あ〜忘れてた!」
「何それー⁉︎あんたんところのケーキ、うちの子好きなんだから!」
「あー、うん。カフェモカ味のクマさんケーキね…」
姉の子供はまだ三才の男の子なのにカフェモカ味のケーキを好んでいる円熟した味覚の持ち主だ。
四つ上の姉は私の年齢の頃に専門学生時代から付き合っていたサラリーマンの彼と結婚して今は一男を育てる専業主婦だ。
未だに結婚どころかリアルな世界での恋愛を実らせたことがない私に対して姉は学生時代からそれなりに恋愛経験を積んで早々と結婚した。
結婚を求めて血眼になって婚活をしたわけでもなく学校で知り合った同級生となんの障害もなく結婚した。
私はそれを当たり前のように成し遂げた姉を羨ましく思っている。
「あんたさ〜もしかして恋でもしてるの?」
「え⁉︎なんで?」
唐突な姉の言葉に頬が紅潮する。
それからハッとして首を横に振った。
なんでよ…
咄嗟に浮かんだ顔が青い瞳ではなく黒い瞳の人物であったこと動揺する。
「別に〜なんとなく。ライン忘れるくらい夢中な人がいるのかなって思っただけ。」
違う違う違う違う違う!
そんなわけない、そんなわけない‼︎
姉の言葉は私に図星だと言わんばかりに胸の中心を突いた。矢が刺さったみたいに的を射ている。でも認めたくない、認めない。
恋をして傷ついたら私はどうやって立ち直ればいいのか分からない。
上手くいかなかったとき、相手が私に愛想をつかせたとき、デイビッドがいなかったら私は私をどうやって慰めればいいのか分からない。
自分で自分を慰めて愛することが出来ないから、その代わりに無条件で私を愛してくれるデイビッドが存在しているのに…
私は誰よりも傷つくことを恐れている単なる臆病者だ。
私が傷つきやすいのは自分に自信がないからだ。自分を客観視できていない。
心のどこかで私に恋愛など出来るはずないと諦めている。
諦めることは楽だから、諦めていれば向き合う必要がないから、自分の本心を騙して誤魔化してデイビッドを利用して生きている。無駄に聳え立つプライドを壊されることに怯えている。そのプライドを保つのも壊すのも自分次第なのに私は自分に自信がないから他人の気持ちに流される。流されたくなくて自ら逃げ道をつくり拒否している。
失敗したくない。
失敗は傷つくから。
失敗は私のプライドを壊すから。
私のプライドは自分一人で保てないほど脆いから。
恋愛に限らず全ての人間に怯えて生きている。
「もう仕事だから切るね。」
姉との会話を終了させて仕事に就く。
私は今日も誰かに傷つけられる瞬間に怯えながら人間と関わっていく。
「おはようございます。」
働くみんなに挨拶をして今日も自動ドアが開く瞬間を怯え、待ち望む。
貴志と都内に行く日の前日、夢を見た。
それが夢なのか妄想なのか分からなかったが、いつもの妄想とは異なっていたため、夢だったのかもしれない。
夢でよかった。これが現実の出来事だったら到底耐えられない。きっと苦しくて痛くなる。
「待ってよ!デイビッド‼︎」
広々としたリビングにはシャンデリアが吊るされていてガラステーブルの上には白い花瓶に赤い薔薇の花が飾られている。その横を勢いよく通り過ぎたデイビッドは左手でドアに手をかけたところで私に右手を掴まれる。私はその右手を強く握って引っ張った。
デイビッドの力は私よりも強くてびくともしない。けれどデイビッドは私の握る手に反応して振り返った。
私はデイビッドの顔を見る勇気がなかった。
デイビッドの手を握る自分の手を見つめていた。
デイビッドの透き通るような白い肌。
頭上から彼のため息が聞こえた。
「里保、僕はもうこれ以上、君のそばにいることは出来ない。」
悲しい声だった。
「どうしてよ…」
ねぇ、どうして?
あなたは私の幻想でしょう?
私を救ってくれたじゃない。
どうして終わりを見せるの?
あなたがいなければ私は生きていけないのに。
死んでしまう、本当に。
私はあなたを求めているの。
「君が僕を求めなくなったからだよ。」
何言っているの?
顔を上げてデイビッドを見つめた。
デイビッドの青い瞳は濡れていてその滴が彼の頬を伝う。
「里保は大人になりたいんだよ。自分でそれを望むようになった。僕の役割はもうおしまいだ。」
嫌だ!そんなはずない‼︎
私、大人になんてなりたくない‼︎
大人になったら痛いから、痛くて痛くて苦しいからいつまでも夢を見ている子供でいさせて‼︎
叫びたいのに叫べない。
妄想なのだから叫べばいいじゃない。
どうして思い通りにいかないの…自分…
デイビッドの手を離すことが出来ない。
彼を見送る勇気が私にはなかった。
「恋愛をすればいい。僕以外の人と。」
デイビッドのドアノブに掛けていた左手が彼の右手を掴む私の手に触れた。温かくて心地よくて胸が締め付けられた。
嫌だ、離したくない。
右手を掴む手が左手で引き離される。
私は今度は両手で彼の右手を掴んだ。
するとデイビッドは暴れるわけでもなく再び私の両手を左手でゆっくりと引き離していく。
私の心は宙ぶらりんのまま自分が何を求めているのか理解していなかった。でもそれを理解するようになってしまった。
デイビッドじゃない。
デイビッドだと思い込めば傷つかないからそう思い込んでいた。
でも彼じゃないのだ。
彼が与えてくれる幸せには限界がある。
それ以上を望んではいけないのに彼にそれ以上を望んでいた。
でもそれ以上を与えてくれるのは彼じゃない。
デイビッドは私の望んだ通りにしか動いてくれない。
嬉しくて悲しい真実。
それよりも望ましいものを私が見つけてしまった。
「さようなら、里保。」
私の手を引き離したデイビッドはそのままドアを開けて外に出る。閉められた扉の前で私は立ちすくんだまま下を向いていた。
イタみを求めていた。
イタみがないと生きていけなかった。
もっとイタみをチャージしたかったのに。
それ以上の幸せがあるというの?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます