イタみチャージ!

水綺はく

偶然再会

 私には素敵な彼氏がいる。

彼氏の名前はデイビッド。

ハリウッドで活躍する年齢不詳のイケメン俳優だ。

デイビッドと初めて出会ったのは中学二年生の時だ。

修学旅行で京都を訪れた際にお忍びで来日していたデイビッドと巡り合った。

色素の薄い白い肌に太陽の下で光り輝くブロンドヘア、オーシャンブルーを思わせる青い瞳に一目でビビッときた。私はデイビッドに一目惚れしたのだ。

ビビッ!

マジでそんな風に感じたのさ!ハハッ!

なぁ、里保もそうだったろ?

デイビッドが出会った時のことを思い出して私の頬を撫でる。

あの出会いから十一年。

私とデイビッドは今でも変わらずに互いに熱い視線を絡めて愛し合っている。

デイビッドは誰もが知るスーパースターだから一緒に歩けばパパラッチが集まって来るし俳優業が忙しくて中々会えない日もあるけれど、私が電話で疲れていると伝えれば真っ先にプライベートジェット機を飛ばして会いに来てくれる。

「また残業だったんだって?可哀想に。落ち込まないで、里保。僕には君がいるじゃないか。君は僕だけじゃ不満足かい?僕は里保さえいれば他に何もいらないよ。…本当さ!僕を信じているだろ?僕も君を信じて愛しているよ。世界一可愛いハニー♡」

デイビッドはそうやっていつも私を甘やかす。

私のことを一番に考えて休日は二人でゴージャスでラグジュアリーな一日を送る。

私が住んでいる部屋の倍はあるお風呂場で薔薇の花びらを散りばめてイチャイチャするし、それが飽きたら泡風呂にして入浴中に巨大なテレビで映画鑑賞する。

ゴージャスな部屋に飽きたら庭に出て花々を愛でながらセレブが集まる住宅街を二人でサイクリングする。

私とデイビッドの日々はいつだってゴージャスで優雅で、私達はいつも互いだけを見つめている。

デイビッド…私の愛する人の名前。

私達は世界中が羨む恋をしている…



「…はい。恐れ入りますが一度、確認の電話を致しますので少々お待ちください。」

 ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキたちが今日も誰かに食べられる瞬間を今か今かと待ち侘びている。

私と店長はそのショーケースの前でヘコヘコと頭を下げていた。

私達の前にはレシートを持った褐色の肌の六十代くらいのおばさんが不機嫌に痩せ細って皮がブヨブヨになった腕を振り回す。

「だから!私が嘘をついてるとでも言うつもり⁉︎本当に髪の毛が入ってたんだから!お宅のところの苺ショートケーキに入っていたの!こうやってレシートもあるんだからそれなりの対応してもらわないと!」

頭を上げる私の隣で店長が説明をする。

「大変申し訳ございません。こちらとしては現物がないと判断できないため一度、本部に連絡させていただきます。」

「本部に連絡って何よ⁉︎そんなことまでしないといけないわけ?これだから若い子はダメね。マニュアル通りにしか動けないんだから。もっとお客様に対して申し訳ないと思って自主的に動こうとしなさいよ!」

重力に負けて垂れ下がったおばさんの瞼が何回も上下するのを眺めながら早くこの時間が終われと願う。

自分のことをお客様と言う者はお客様と言われるのに相応しい態度であるべきだと思う。

また今日も一人のトラブルメーカーが我が物顔でこの店に入ってくる。その度に引き攣る私の顔。

頭の中に黒いモヤがかかる感覚。

ピリピリ、ピリピリ。

下腹部が徐々に痛くなっていく。

ピリピリ、ピリピリ。

赤の他人に不快な気持ちを与えられるこの瞬間、私は世界が爆発しても構わないとすら思えてくる。

自分の気持ちを一方的にぶつけて、一方的に傷つけないと満足出来ない人々。

こんな人たちが当たり前のように生きている世界が不思議でしょうがない。

何故、自分たちがこのような人間として生まれてきてしまったのか。

彼らは自らの原点を辿るべきだ。

「もう話にならないからいいわ!こんな店、二度と来ないから!」

お客さんが顔を真っ赤にして背中を向ける。

彼女の短い髪の下に見える小さな黒子を意味もなく凝視した。

やったぁ!ありがとうございましたー‼︎

心の中の私は満面の笑みで彼女の背中に手を振っていた。現実世界の私はやさぐれている。

駐車場からシルバーのセルシオにエンジンをかけるお客の横顔が見えた。

結構、良い車に乗ってるんだな。

横暴な客が高い腕時計をしていたり高い車に乗っているといつも世の中は不公平だと感じる。

こんな人間がワンルームのアパートに住みながら毎日、忙しなく働く私よりも時間とお金があるなんて。

でも大丈夫だ。

私にはデイビッドがいる。

デイビッドの白い肌に直接触れることが出来なくても私の脳内にはデイビッドがいる。

デイビッドという名の脳内バーチャル彼氏がいるのだ。

「なんか…嵐が去ったって感じ。」

店長がため息を吐いてレジカウンターに戻る。私もその後についていった。

「思っていたよりも早く帰ってくれて良かったです。」

「そうだねー。あ〜ストレス溜まる〜!早くファンミーティング始まってくれー‼︎」

そう言って店長が祈るように天を仰ぐ。

店長は人気男性アイドルグループのファンでしょっちゅうライブやイベントに行っている。毎日、彼らのファンサイトから発表される情報たちを熱心に追っていた。

「高宮さんも仕事終わったら例の彼氏のこと考えて嫌な出来事は忘れなよ!」

店長に言われて元気よく、はい!と答えた。

普段この店に立っているのは私を含めて五人。社員は私と店長の二人。残りはみんな若い学生のアルバイトだ。

店長は私よりも六歳年上の三十一歳。

男性アイドルにお熱だが、既婚者で居酒屋チェーン店の店長をしている旦那さんがいる。

一方の私は二十五歳、リアルな世界では彼氏なし。

生まれて二十五年間、彼氏がいたことがない。

だけど処女ではない。

一度だけ男性と性行為なるものをシたことがある。

初体験は二十二歳のとき、彼氏が出来なくて焦っていた私に高校時代の友人が合コンを開いてくれた。

そこで知り合った同い年の男に勢いに流されるままにセックスをした。

初体験の感想は、ちょっと気持ち悪くてちょっと痛い、だった。そのあとその男とは連絡がとれなくなって私は分かりやすくヤリ捨てされた。

ジンジンと痛む子宮に手を当てながら私はデイビッドの胸の中で涙を流したのだ。

ヤリ捨てされて子宮に手を当てたのは現実の出来事で、デイビッドが優しく私を抱き寄せたのは脳内での出来事だ。

私の世界はいつもこのように現実と妄想が混合している。そしていつも現実世界は苦くて妄想世界は甘いのだ。

苦味だけでは味わっていられない。だから自分で甘みを足しているのだ。

「おはようございます。」

店長と肩を並べていると川部麻亜矢が出勤してきた。

「川部さん、おはよう!ちょっと聞いてよ〜さっきトラブルがあってさ〜」

店長の話を麻亜矢が話を聞きながら相槌を打つ。

麻亜矢はアルバイトの学生でまだ十九歳だ。

このケーキ屋さんでアルバイトをしながら普段はデザイナーを目指して服飾専門学校に通っている。

そのためか私服のセンスは抜群だ。普段、ファッション誌を買わない私としては彼女の服を見て学びたいところだが彼女のファッションは彼女のスタイルに合っている格好だから自分が似合うとは到底思えなかった。今日も彼女は赤髪のショートカットに赤いリップが映えている。長いまつ毛を際立たせるマスカラは川部さんの必需品だ。

「それは大変でしたね。」

川部さんが店長の愚痴に同調する。

「本当に最悪。早くライブとファンミーティングに参加したいわ。」

「私も早く参加したいです。あと彼らのいる国に行って彼らと同じ習慣に触れたいです。ただ言葉が通じないのがもどかしい〜」

そう言って天を仰ぐ麻亜矢は韓国の男性アイドルグループに熱をあげていて言葉の壁やいざこざでファンミーティングに参加できなかったり中止になる度に嘆き悲しんでいた。

麻亜矢と私は二人で店番をしている時、お客さんがいない暇な時間に時折、二人で妄想に勤しむ瞬間がある。

みんな私がバーチャル彼氏であるデイビッドにお熱なのを容認している。だから私はデイビッドのことをあたかも実際に存在しているかのように話す。

いや、デイビッドは存在しているのだ。

目の前に現れないだけでデイビッドは存在している。

私がデイビッドを生きる生命体に昇華させたのだ。

「あ、お客さんが来た!」

自動ドアが開けば全員がリズムに乗って、いらっしゃいませ〜と声を上げる。

若い男性客だ。

黒いダウンコートに黒いズボンを履いていた。

「苺ショートを三つにチョコレートケーキを二つください。」

男性客が顔を上げると川部さんと目を合わす。

「苺ショートを三つにチョコレートケーキが二つですね!」

川部さんが復唱する。

私はその様子を見てレジに値段を打ち込んだ。

「五点で3429円でございます。」

下を向いてレジ打ちをしていた私が顔を上げる。

男性客と目が合った。

その瞬間、あっ。と声が漏れたのは男性客のほうだった。

「高宮。…久しぶり。」

男性客に言われて私はポカンと口を開けた。

「忘れたかな。柏木貴志。高二の時、同じクラスだったんだけど。」

彼に言われて約八年前の記憶を呼び起こす。

柏木貴志…柏木貴志…

昔の記憶を呼び覚ました私は高校時代の貴志の顔をようやくうっすら確認出来た。

「ああ!久しぶり〜」

そんなに仲良くなかったけれど向こうから話を振ってきたから笑顔でそれっぽく対応する。

視線の先で貴志が無表情に私を見つめた。

嗚呼、思い出した。

この人っていつもこんな表情で心が読めないタイプだった。

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