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林檎

第1話「空気清浄機」「五月病」

 五月病、というものは知っているだろうか。

 5月のゴールデンウィークの長期休みと新年度の疲れが合わさって、休み明けに学生や新社会人が感じる一種の『軽鬱』のようなもの、という認識のはずだ。多くの学生は「五月病」を言い訳にして(言い訳になるのかは不明だが)、学校を休みたいだの、学業をサボりたいだのを言い始め、それに先生や親が頭を悩ませるのが5月の風物詩となっていた。


 2025年、春。そんな風物詩を吹き飛ばすような製品が誕生した。

 「真・空気清浄機」である。

 今までの空気清浄機はただ空気を換気し、湿度を適度に保ってくれる花粉症対策専用のようなものだったが、「真・空気清浄機」は違った。

  

 ことの始まりは2024年、とある論文が界隈で持ち上げられた。【鬱症状の発生要因と患者周辺の『空気』の関係性】と題されたその論文を要約すると、軽度の鬱症状は何かのきっかけによって患者自身から発せられるフェロモンが誘発する可能性が極めて高い、との内容だった(本論文の研究対象はマリッジブルーの患者)。つまり、鬱症状はその患者がまき散らすフェロモンで周辺の人間にも影響を及ぼしかねないということだ。

 この論文は瞬く間に世界中で翻訳され、精神学・脳医学・心理学の分野でさらに研究が進んだ。もちろん日本も例外ではなく、一部のもの好きの研究者が開拓を始めた。するとどうやら「五月病」にもその効果が表れていることがわかった。ゴールデンウイークが終わる前2,3日のショッピングモールやインドアのエンタメ施設の空気を測定したところ、特定の物質(以下、物質M)がゴールデンウィーク開始時期と比べ、施設内に多量に充満していることが判明したのだ。そこから「五月病」との因果関係を結ぶのは難しくなく、すぐさま家電製品開発の界隈が動いた。


 誕生した「真・空気清浄機」の効果は空気をただ循環させて湿度を保つだけでなく、その中に含まれる物質Mを特殊なフィルターで絡めとり、設置されている部屋のな空気を99%なくすというものだ。

 にわかに信じがたいような製品の売り文句だったが、

「子どもの受験前のひりついた食卓が一気に変わった」

「冷めた妻といるリビングの居心地が劇的によくなった」

などなど、ネタで買った消費者から驚きの声がSNSを通じて拡散された。すぐに通販番組で特集が組まれ、家電量販店には『真・空気清浄機』がずらりと並べられた。もちろんその技術は空気清浄機だけに留まらず、エアコンなどにも応用され、予備校や結婚式会場、はたまた学校にも進出をした。その結果、『真・空気清浄機』を設置した学校では、例年に比べて5月の生徒の出席率に有意な増加がみられたし、中間テストの結果も全体でかなり向上した。生徒は元気に登校し、教員の疲れた顔も減っているという感想が企業に寄せられた。

 

 それほどの効果がみられた空気清浄機である。急速に普及した結果、一つの問題が浮かび上がってきた。「物質Mを絡めとったフィルター」である。社会貢献ともなるこの研究、政府が企業に出資をしたのでフィルターを増産して頒布する体制はすぐに整った。しかしながら、空気清浄機で使われた後のフィルターの『処理』が問題となった。

 大抵のフィルター、いや、大抵の廃棄物は特殊な処理場で燃やされて煙になる。「物質Mを絡めとったフィルター」もその手順で燃やされたが、なんとそこで発生した煙が物質Mを含んだままだったのだ。ほとんどのゴミ処理場は郊外にあるため、街中に煙が流れることはなかったが、代わりに処理場周辺の森林では奇妙な現象がみられた。

 鹿やイノシシはハンターが近づいてもずっと寝ているし、野鳥にいたっては地面で翼を大っぴらに広げて休ませていた。また、普段と比べて、植物もアケビや野イチゴなどは結実時期(果実が生る時期)が大幅に遅れており、蝶は舞う頻度が減って昆虫も動きが鈍くなっているという観測結果も出た。上記のような結果から、人間以外の生物にも物質Mの効果があるのか、現在研究が進められている。

 

 一番顕著な反応が現れたのは、その処理場で働く従業員たちだった。働いている従業員はその煙を否応なく吸ってしまい、猛烈な倦怠感に襲われて全体的に欠勤がかなり目立ったのだ。そうなると処理スピードが落ちるから他の処理場にそのフィルターの処理を任せる。するとそこでも同じように従業員のやる気の低下が顕著にみられるようになった。負のスパイラルは加速し、いったんフィルターは特定の場所に集められ、新たな処理法の開発をせざるをえない状況に日本中の処理場が陥った。


 職場に欠勤の連絡をする際、その処理場の従業員はみな、「五月病みたいなものです」と口をそろえて言っているそうだ。

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