三ノ七 アスハとユウリン

 翌日、授業が終わるとアスハはユウリンを伴って、城下の材木商雲南屋うんなんやを訪れた。

 通された十四畳ほどの客間から見える中庭は、ちょっとした貴族の庭園と言ってよく、苔むした地面と木々に囲まれて大きな池があり、池の中ほどには小島があってその周りを色とりどりの錦鯉がたくさん泳いでいた。

 アスハ姫の突然の来訪にもまるで動じる気振りもなく、雲南屋はしわの寄った顔をほころばせて、意向を聞くと、二つ返事で了承してくれた。

「さすがは城下有数の有徳人雲南屋どの。快く応じてくれて、姫は感謝にたえない」

「いえいえ、私も商売人でございます。けっして善意だけで寄付をいたすわけではございません。ちゃんとした損得勘定の上で、手配りをさせていただきます」

「それはそうじゃな。難民の支援をしたとなればそなたの評判もあがるし、当の難民たちからも感謝されるし、ゆくゆくは、彼らのなかから雲南屋と取引をしたいという者も出て来ようしな」

「これは、恐れ入りましてございます」

「鵡からの難民は現段階で約千三百人。今後ももっと増えようし、やがてはひとつの町を形成しよう。商売の好機というわけだな」

 雲南屋はかいてもいない汗をふきふき、恐縮している。

 ――ふん、にわか有徳人め。

 アスハは内心で彼を軽蔑した。

 真実善意のある人間なら、アスハからの依頼がなくとも難民救済に動いただろうし、本当に商才があるのなら、なおさらだろう。

 雲南屋は現主人一代で築き上げた身代だというし、息子はあまり良い評判は聞かないし、当代が亡くなったらどうなるかわからないな、とアスハは思うのだった。

「そなたのような、善良な商人が城下にいてくれて、姫も鼻が高い。父にもよく伝えておこう」

 心とはうらはらの阿諛を言って雲南屋を喜ばせておいて、姫はさっさと店をあとにした。

 姫は慧煌獣けいこうじゅうの愛馬トーマにまたがり、難民居住区へと向かう。

 ユウリンはくつわをとって歩く。

 トーマの額からつきだした二本の角が陽光に照らされ美しく輝く。

 すれちがう町人たちは笑顔で姫に頭をさげるし、礼儀をまだしらない子供たちは気軽に手を振ったりしてくる。

 アスハはそれに鷹揚にうなずいたり手を振り返したりしながら、町をゆく。

「ユウリン、貴公のこの度の働きには、感謝している」

「いえそのような」ユウリンは前を向いたままで答えた。「私は何もしておりません。すべて姫様のご達見によるところで」

「見えすいた世辞を言う」

「本心でございます」

「このさいだから私も本心を述べておくがな、私はまだ、貴公を信用していない」

「はい」

「隊に誘ったのは、貴公が何者であるか観察する意味もあってな。ありていに申せば、漸の間者という危惧もすててはいない」

「当然のご思案かと」

「私の……、この国の役にたって、私の不安を払拭してくれ」

「私は」とアスハからは見えなかったがユウリンは思案顔で言った。「もし間者だといたしましても、姫さまが漸国王よりも優れたご器量をお持ちであると判断しましたら、なんの躊躇もなく寝返ります。雲南屋ではありませんが、損得勘定で動く人間だと思っていただいてけっこうです」

「その損得勘定でみて、私と漸国王と、くらべてみるとどうかな」

「漸国王とは直接会ったことはございませんので、風聞からの推測ですが、姫と漸国王は似ておいでです」

「ほう」

「おふたかたとも先進的で、直観力に鋭く、行動力も抜きんでておいでです。ちがうのは、年齢による経験の違いと……、そうですね、漸国王が侵略と支配にその精力を向けるのと反対に、姫は国や領民を守護する方向へ意識を向けている、というところでしょうか」

「いまはまだ漸国王の足元にもおよばない、と言葉のはしばしに見え隠れしているようだが」

「はっきり申し上げまして」

「ほざいたな」

「私はただ、私を使いこなしてくれる人のもとで働きたいだけです」

「ふん、心にとどめおこう」

 それっきり、ふたりは黙ったまま、町を抜け、難民居住区へと向かっていった。

 近づいていくと、居住区の周辺が、なにかざわざわとした、不安をかきたてるような奇妙な気配に包まれているのだった。

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