神崎ひかげVSヒトクイゲコトカゲ

尾八原ジュージ

第1話


「ひぃっ……!」

 神崎ひかげの喉から、押し潰されたような悲鳴が上がった。


 かつて駿河湾の横綱と呼ばれたヨコヅナイワシを素手で引き裂き、ナイアガラの滝で猛威を振るったナイアガラドラクルオオアナグマを斃し、ジャック・ザ・リッパーの再来と言われた殺人鬼を粉砕、沖縄で巨大イタチザメを鮮やかに撃退し、マングローブ林の覇者たるバジリスクホンハブをハブ酒にした酔いどれ限界OL、神崎ひかげ。

 そんな彼女にか弱い乙女のごとき悲鳴をあげさせたのは、なんと彼女の友人の藤原、通称タマちゃんだった。より正確に言えば、彼女が持っていた「生きたコオロギが大量に入ったビニール袋」である。

「タマちゃん……それ、どうするの……?」

「これ?」と、藤原はペットショップのロゴが入ったビニール袋を掲げてみせた。

「食べるんだけど」

「ひいぃぃい」

「あっ、違う違う! 私じゃなくて、ペットにあげるの!」

 違う違うと言いながら藤原は神崎の目の前で袋を振り回し、神崎はその場から逃げ出さないようにするので精いっぱいだった。賑やかな週末の繁華街、通りすがりの人々は不審そうなまなざしを彼女たちに向けて去っていく。

「た、タマちゃん、ペットなんか飼ってたっけ……」

「一昨日拾ったばっかりだけどね。そうだ、見にくる?」

 かわいいから大丈夫大丈夫と言われ、半ば引きずられるように藤原のアパートにやってきた神崎は、落ち着くために玄関の前でスキットルを取り出し、ウイスキーを勢いよく飲み干した。

「ただいま~。ほらほらひかげちゃん、この子だよ!」

 ニコニコ顔の藤原が指さしたのは、両手で抱えるほどの水槽だった。

 中に入れられた木の枝の影からおそるおそる出てきたのは、体長15センチほどの青いトカゲである。小さな顔をチョコチョコと動かしていたが、神崎の方を向くと水槽の奥に引っ込んでしまった。

「こないだ公園で拾ったんだよ。かわいいでしょ~」

 藤原はそう言いながら、なかなかお目にかかれないほどのいい笑顔を見せた。

「あ、うん……」

 爬虫類を「かわいい」と思ったことのない神崎だが、藤原に言われてよくよく観察してみれば、なるほどキョトンとした顔つきにはどことなく愛嬌がある。

「うん、まぁ、確かにちょっとかわいいかも」

「でしょ~?」

 藤原は嬉しそうに言いながら、おもむろに例のビニール袋を開いてコオロギを一匹取り出した。

「ひいいぃぃタマちゃんそれはぁぁ」

「トカゲちゃんご飯だよ~」

 水槽に落とされたコオロギに食いつき咀嚼するトカゲと、それをニコニコしながら眺める親友を、(なんかこの子の知らない一面を見ちゃったな)という顔で神崎は見守った。それを後目に、藤原は二匹目、三匹目のコオロギを次々に水槽の中に落としていく。

「け、結構食べるんだね、トカゲ……」

「そうなんだよね~。元気でいい子だね~」

 まぁ、タマちゃんが幸せそうだからいいか……なるべくコオロギを見ないようにしながら、神崎は親友に向けて微笑んだ。

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