森の精霊

 彼女とのキスは、されるのが当然と言うような、受け入れるのが当然というような、場数を踏んだキスだった。誤解なきよう。彼女は決してこういう性に奔放というわけではなく、俺が教え込んだのだ。俺が依頼人の求める珍しい種類の薬草を、一振りの相棒の大剣と共に探し求めてやってきた時、彼女は陽がほとんど差し込まない、森の深まった場所でただずんでいた。白目と黒目が反転した怪しげな瞳に、すらりと伸びたその身長よりも長いエメラルドの頭髪。裸体を大ざっぱに隠すだけの、若草色の布。戦いになるかと背中の剣に手を伸ばしたが、彼女は俺に目をくれる事もなく、自ら巻き起こす風に小鳥の歌声を乗せ、森中に解き放ち壮大な楽器にかき鳴らして遊んでいた。


 ──ピーィ、ピピーイ、ピー、ピー。

 ──ザー、ザザァ、ザワザワザワ。


 森の木霊に増やされぼかされ、どこまでもさえずり続ける小鳥達。歌声を飛ばすついでとばかりに揺らされる枝葉に草花達。圧倒的な音の渦は俺の耳に入り込んで頭の中までを揺らし、体中を震わせた。圧倒的な森の息吹に、俺は剣から手を離し、バカみたいに彼女の白目と黒目の反転した目を、良く育った大樹の枝のように生命に満ち溢れた彼女の腕で遊ぶ小鳥を、ただぼけっと眺めていた。それは彼女への畏怖でもあり、そんな俺の気持ちも知らず彼女と遊ぶ鳥達への羨望の印でもあったのだろう。


 何か彼女に言いたかったが、声が上手く出てこなかった。何よりそのあまりにも自然で壮大な、しかしささやかな光景を、俺が踏み入ることで潰してしまうのが惜しく、結局その日はしばらく彼女を目に焼き付けるようにして眺めた後、依頼の品を探すのも忘れて帰ってしまったのだった。


 当然依頼主に叱られ、依頼が失敗に終わり、この森に来る必要がなくなっても、俺はもう一度彼女の元へ行った。いや、通うようになったというのが正解だろう。出会いの時は取るに足らないものとして視界にも入っていなかったらしいことに俺は少しショックを受けたが、何度か会って話しているうちに彼女も俺の事を認識してくれるようになった。ただし人間の言葉はわからないようで、表情や手ぶりでそうと感じ取れるだけではあったが。


 言葉がわからない以上、何よりも物を言うのは触ったり抱きしめたりのスキンシップである。


 ……下心がなかったと言えば当然ウソになるわけだが。触れても怒らないしおびえる事もないから、おそるおそるその唇に自分の唇を重ねて見たら、思いの外面白がって気に入ったもので、それから物言わぬ彼女のあいさつはキスになった。そこから触れ合いが加速して、事が終わった後、俺がつけた不浄なる痕が彼女を苛んでも、また会った時にそこを改めて検分すれば、元通り。まあこんなものは普通の人間でも時が経てば消え去るであろうが。彼女の場合は、俺ごときちっぽけな人間がその身を暴いたところで、不浄に堕ちる事もないと言われているかのようだ。


 幾度となく逢瀬を重ねても、つかみどころのない女だと思う。どうされようが出会った時と変わらない、汚れなきもの。彼女は俺をどう思っているのだろう。拒まないという事は気に入ってるのだろうが、おそらく俺が生まれる前、いや俺の遠い遠いご先祖様の時代からこの森にいるのであろう彼女の、長い生を思うと、それこそ森の葉っぱの一枚をたまたま形が気にいったくらいの、まさしく木っ端程度の好意でしかないのかもしれない。


 今度、言葉を教えてみようか。彼女の気持ちを彼女の口から聞いてみたい。

 

 あるいは教えたところで、いつまでも変わらない彼女からは人の言葉なんて流れて落ちて、消えてしまうのかもしれなかった。だが、それでも。俺は彼女を愛している。


「俺はお前が好きだ」


 彼女はやはり俺の言葉はわからないらしかった。不思議そうに不思議な目をぱちぱちさせている。


「好きだ」


 もう一度言ってやると、彼女は風を鳴らし、木霊を起こし、辺り一帯に俺の言葉を響かせてしまった。出会いの時、小鳥のさえずりを広げたように。シンプルな三音が気に入ったのだろうか。彼女は耳を澄まして俺の単純で簡素な言葉の反射を何度も楽しんでから、地面を転がる木の葉のように、コロコロと笑った。


@free_1writeより……場数を踏む キス 不浄なる痕 誤解 汚れなきもの

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