♡もしも花咲くチョコレート♡

ゆゆち

♡もしも花咲くチョコレート♡

 突然だけど私には好きな女の人がいる。しかも過去に。


 このジェンダーフリーが叫ばれる世の中で、女の子が女の人を好きになるのは別にヘンなことではないだろう。過去っていうのは電波系だと思われるかもしれないけど、ほんとうに過去にいるんだからしょうがない。


「それで、チョコレートを渡しに行くと?」

「うん。この『望んだ過去に行けるチョコ』を使って、ね!」


 ファミレスの安っぽい机の上には、不似合いなほどきらびやかに包装された、一粒のチョコレートが置いてあった。サテンの青いリボンがきゅっと結ばれて、花柄がプリントされた小箱に、シンプルなガナッシュが収まっている。

 このチョコレートは学校帰りの道端で変なお姉さんが売っていた。路地にぼろっちい布を敷いて商売をしている割には、お姉さんの顔立ちは綺麗だったし、並んでいるチョコレートも宝石のようにきらめいていた。

 おまけに、『望んだ過去に行けるチョコ』はバレンタイン当日という日を迎えて、半額割引の値札が貼られていた!これは買う以外の選択肢がない。


「あたしが何のために呼ばれたのか全然わからないんだけど。あたしにも過去についてこいってこと?」

「ううん。このチョコの効果が五時間らしいから、五時間経って私が現代に戻ってこなかったら、ミサキに警察呼んでもらおうと思って」

「は?友達が過去に行って戻って来ません〜って?バカじゃないの!?ていうか、バカ!」


 なにを、これは重大な役目だ。幼稚園からの付き合いであるミサキにしか頼めないのに。

 私がバカなのは今に始まったことじゃない。正直ミサキと同じ高校に通ってるのも奇跡というレベルで勉強ができない。やっぱり、勉強ができるほうが女の子にモテるかな?


「とにかーく、私は過去に行って本命チョコを渡してきます!ミサキ、留守番よろしくっ!」


 整ったラッピングを乱雑に開けて、チョコレートをぽいっと口に放り込むと、途端に視界が暗転した。

 最後に聞こえたのは、ミサキの「五時間もファミレスですることないわボケ!」という叫びだった。



 次に意識が持ち上がった時には、知らない家の前にいた。ビニール床にはヤニと汚れが目立ち、金属製の扉は塗装が所々はげている。ずいぶん安っぽいアパートで、表札すらかかっていない。

 本当にここにあの人がいるのかな?と不安な気持ちを抑えて、旧式のベルを押す。中から人が歩いてくる音が聞こえた。


「はい?……あら、あなたは」

「おねーさん!以前助けていただいた未来人です!今日はお礼に来ました」


 私にできる範囲でとっておきの笑顔をつくってみると、お姉さんは困ったように、でもやっぱり見惚れるほど美しくほほえんだ。


「そんな、律儀にいいのに。立ち話もなんだし、上がってくださいな」

「えっ、いいんですか?お邪魔しますお邪魔します!」


 ローファーを脱いで丁寧に揃える。玄関に出ている靴はお姉さんと私のものだけだった。お姉さんの靴は私より一回り小さくて、それも何だかいとおしかった。


「麦茶しかないのよ、ごめんなさい」

「ありがとうございます、お気遣いなく!」


 殺風景で狭い家だった。玄関からまっすぐ伸びた廊下の左右に洗面所とキッチン、奥の部屋は六畳よりは少しありそう。中心の小さなちゃぶ台には競馬新聞が置かれていたけど、お姉さんが慌てて隠してしまった。

 壁掛け時計はちょうど正午をさしていて、白いカーテンはまばゆいばかりの日光を遮ることなく、こぢんまりとした部屋を明るくしていた。


「お姉さんはバレンタインって知ってますか?」

「好きな人にチョコレートを贈る日でしょう?」

「そうです!私のいた未来では、今日がバレンタインだったんです。だからお姉さんにチョコレートを渡しに来ました」


 通学カバンの中からハート形の箱を取り出す。中身はミサキに付き合ってもらって、どうにかこうにかチョコっぽくなった代物だ。お菓子作りなどしたことがなかった私だけど、心だけは込めたつもり。


「お姉さんが好きです!」

「……わたし、女よ?結婚もしてるのよ?」

「どっちも知ってます。それに私、数時間しかこの時代にはいられないし……。でも、お姉さんに告白しに来たんです」


 よく思い返すと、チョコレートを渡した後どうやって告白するかをまったく考えていなかった。勢いだけで乗り切ってきた人生、私の辞書に計画性の三文字はない。


 うろたえる私を、お姉さんは優しく抱きとめてくれた。年上の女性の甘い香りを強く感じて、なぜかこうなることを予期していたような自分がいた。お姉さんは私にとても甘いからこうしてくれるんじゃないかって、浅ましく期待していたのかもしれない。


「大したもてなしもできないけれど、お昼ごはんくらいは食べる時間はあるわよね?」

「……はい!」


 お昼ごはんのうどんは、今まで食べたどのうどんよりも美味しかった気がする。お姉さんが作ったから? 食後のプリンも幸せの味がして、ほっぺたが地べたにゴロゴロと落ちた。


 麦茶をすすりながらお姉さんとお話しする時間は、何にも代え難く楽しかった。お姉さんは関西出身で、専門学校への入学を機に上京したこと、学生の間に今の旦那さんに見そめられて結婚したこと、今は専業主婦であること、編み物と料理が好きなこと……。

 元々知っていることでも、お姉さんの口から改めて聞けると色を持って輝くようだった。


 お姉さんはふと時計を見ると、綺麗な眉尻をきゅっと下げた。


「もうすぐ主人が帰ってくるから、女子会は解散だわ」

「ありゃ、残念です。突然だったのに、本当にありがとうございました!」

「うふふ、こんなに楽しかったのは久しぶりだったわ。未来人さん、また来てくれる?」

「はい!」


 キリのいいところまで送るというお姉さんを何とか押し切って、玄関でさよならをした。


 私の心臓はどくどくとうるさかった。恋のドキドキなんかではなくって、お姉さんに嘘をついてしまったことを責め立てる音だった。


 私とお姉さんが会うことは二度とない。でも、それでいいのだ。私はお姉さんが大好きで、お姉さんのためなら何だってできる。

 私が計画性と生活力ゼロのバカ女でも、これだけは失敗できない。告白はスムーズにいかなかったけど、こっちは脳内シミュレーションだけは何度もやっている。


 ボロアパートの前はひらけた駐車場になっていて、申し訳程度の監視カメラが四隅についている。しばらくアスファルトに座り込むと、革靴の歩く音がカウントダウンのように響いた。


 近づいてくる。心臓が高鳴る。近づいてくる。頭に血が昇る。近づいてくる。近づいてくる。


 一番音が高くなるタイミングで立ち上がり、鞄に詰め込んだ包丁を取り出して、私は一目散に男を狙った。

 ど素人がひとを刺した時、どこなら確実に殺せるのか。頸動脈さえ掻き切れば、人間は10秒前後で意識が途絶え、失血死してくれるらしい。ただがむしゃらに、必死に、男の喉笛だけを目がけた。


 銀色のにぶい光が空を切って、悲鳴すら上げさせることなく、私の獲物は男の首へ赤色の真一文字を描いた。


 むせかえるほどの血の匂いのなかで、男は膝から折れて倒れた。思わず唇を開くと男の血が口の中に入った。不味い。鉄分たっぷりの味がした。

 人間の頚椎は女子高生程度の腕力では折れなかった。男の首は断面だけがてらてらと不気味に光って、わずかな骨と皮だけで胴体につなぎとめられていた。


「やっと、やっと殺せた……」


 見間違えるはずもない。紛れもなく、私の父親だ。


 最初に殺意が芽生えたのは四歳のときだった。花壇のチューリップを踏んでしまって、それがぐしゃぐしゃのまま治らなかったのがすごく悲しくて、私は思いのままに泣きじゃくった。泣き止まない私を見て、お父さんはお母さんに怒鳴った。頬も殴った。お前の教育が悪いからこんなに聞き分けのない娘なんだとなじった。

 幼心に、私が踏んだのがチューリップじゃなくてお父さんだったらよかったのに、と思った。私は泣かない子供に育った。


 その次は小学五年生。その頃にはもうお母さんのことが過去現在未来の生き物の中で一番好きだった。父親は少し成長してきた私の顔立ちを見て、「お母さん似だったらよかったのに」と言った。

 お母さん似だったら何の遠慮もなく犯せるから。自分に似た顔じゃ勃たないと何度も何度も私を罵った。私だって父親に似ているのは嫌だった。私の顔を見て、お母さんがお父さんにされた嫌なことを思い出すんじゃないかって……。瓜二つというわけではないけど、鏡を見るのはずっと好きじゃなかった。


 どれだけ理不尽に怒られても、叩かれても、お母さんは離婚できなかった。私という娘が足枷でもあったし、父親に「無能だ、お前なんかが社会に出ても何もできないで淘汰される」と呪いのように言われ続けて、自信を失いきっていた。


 私が父親を殺すことはもう確定事項だった。でも、私にお母さんを養えるだけの力がないと無責任だ、とも考えていた。

 だからほんのたまたまで過去のお母さんに会えた時、どうしようもなく嬉しかった。私が過去に行って、お母さんが妊娠する前にお父さんを殺してしまえば、全ての苦しみをなかったことにできる!

 もしそんなことをしたら、私自身も消えてしまう。「望んだ過去へ行けるチョコ」を買った時、店員のお姉さんにもそう言われた。


 けど、お母さんとお父さんの愛の結晶である私なんか、消えちゃったほうがいいに決まってるのだ。

 飛び散った血液は全身にかかって不快だけど、着替えは用意していないので手だけハンカチで拭いた。指先が少し薄れかかっていて、もうすぐ終わりかー、とかなんだか他人事のように感じた。


--


「ようやく戻って来た!?閉店間際まで居座るなんて恥ずかしすぎるんだから……って」


 ミサキは長いまつげにふちどられた瞳を思いっきり見開いた。長い付き合いだけど、そんな顔をされるのは初めてだった。


「あんたなんで透けてるの。なんで血なんかついてんの」

「過去に行ってお父さん殺してきた」

「……は、告白は?」

「お母さんに告白してきた。今とおんなじだったよ。すっごくかわいかった。部屋にお母さんの私物なんかなんにもなくて、お父さんが帰ってくるのが怖くてびくびくしてた。お父さんが死んじゃったんだから、私も生まれてないことになるし、すぐに消えると思う」


 血痕に怯えるミサキはかわいそうだけど、私が消えてしまうのなら、このこともじきに忘れるはずだ。ミサキとの思い出が走馬灯のように蘇ってきてほんの少しだけ寂しくなる。ミサキは「女の子が好きなんておかしい」とはじめは言ってたのに、高校に入ってからは私のことを応援してくれた。でも結局、お母さんを好きなことは今日まで言えずじまいだった。幼なじみというのも、そんなもんだろうか。


「お母さんに会ったらさ、男はよく選べって言っておいてくれない?」


 若い頃のお母さんと会えた時のことを思い出すと、また不思議と笑顔がこぼれた。


「これもどうせ、忘れられちゃうけど」


 目に止まったのは空っぽのチョコレートの箱だった。

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