第28話 妹を通した兄の学校生活

 妹の二発目の拳がやってくる。さすがに僕の体も学習するようで、反射的に片手で受け止めることに成功した。慣れた。

 それでも、痛みが消えるわけじゃない。全然手加減なんてされてない打撃は、いくら小学生女子の腕力といえども痛みを伴う。


「芽兎の敗北をきっかけに分からないで。思いつかないで。それならかわいい妹が何か言う前に理解しよ?」

「芽兎はまだまだ成長するんだから、そこまで焦らなくても……」

「いくら頭でわかっていても、体はお利口さんになってくれないの。ほら、女の子ってそういうものだよね? 頭の中ではダメだって思ってても、実行しちゃうんだよ」


 同意を求められても、僕としては微妙な笑みを顔に貼り付けるしかない。

 芽兎が一般的な女子に入るか否か。それは十分に首を傾げるべき点であるのだけど、もしNOを突き付けようものなら、またパンチが飛んできかねない。

 よって選択肢は実質一つだけ。薄い笑顔を浮かべて黙るだけ。

 相手が話を振るまで、ひたすらに。


「で、どうなの? 会長さんの、その、えと、カラダはひょっとして成長してたりなんかしちゃうの?」

「そんなの僕に分かるわけないよ」

「ほら、見た目とか」

「見たぐらいで分かるもの? むしろ、女子の方がそういうの敏感だったりとか――」

「少なくとも芽兎は分からないよ、……まだ、育ってないから、分かりたくもないかも」


 危うく地雷を踏みつけるところだった。今思いっきり僕が言葉で踏み抜いた場所は、まだスイッチのギリギリらしい。


「おにーちゃん、会長さんの体にタッチしたりタッチさせらせられたりして、なにか変わりはなかった?」

「なんで触ってること前提なの⁉」

「さわってないの?」

「変化前と変化後が分かるほど、しっかりした接触なんて――」


 自分の声を自分の耳が拾う間に、気づいてしまう。

 失言に。うっかりで片付けられない自爆に。 


「へぇ……その感じだと、触ったは触ったんだ。タッチする機会、あったんだ……」


 じりじりとした口角の上がり方に、寒気を覚える。ほんの二時間前に経験済みの悪寒だ。

 塩峰の笑みと酷似した表情を作ったまま、


「ふーん、へぇ~、はーん」


 なんて風に大げさな相槌を打ち続けている妹。


「どうだった?」

「どうもしないよ」

「ウソツキ。大嘘つき」

「冤罪だ。僕は無罪だ」


 どうしようもない。どうにかここで話を切り上げないと――


「まあ、おにーちゃんの感想はどうでもいっか」


 即席すぎる僕の意気込みとは反対に、芽兎は話を軽く流してしまう。


「ここまで事情聴取をしても、会長さんがあんなに積極的になるほどの動機はまったくわからないね……」


 事情聴取ということは、僕は未だに妹の中で容疑者候補扱いらしい。参考人や被害者のくくりに入ることはないだろう。


「分かることはアプローチが積極的ってことぐらいかな。ぐいぐい迫ってくるってことは、まだ友達ってことでいいのかなー? かなー……??」


 上り坂に向かって進んでいくように、芽兎の声は自信を失って徐々に小さくなる。その代わりに、言葉の後ろに付与される疑問は強くなっていく。


「一応、念のため、おにーちゃんに甘い妹として、会長さんのことは『友達』ってことにしといたげる、じゃあ、次いこっか」

「次……」


 あれ?

 はてなマークが頭の中に浮かんだ時には、もう手遅れだったと言ってもいいだろう。

 友達の枠に入る人名が、まったくもって浮かんでこない。このままだと、僕の友人総数はまさかの二名になってしまう。


 二名。一+一。一人と独りの集合体。

 いくらなんでも悲しすぎる。しかも両名共に女性だ。同性の友達が一切いない男子高校生というのは、もはや特別天然記念物に指定されるだろう。

 脳内にあるクラスメイト名簿を思い浮かべても、まったく『友人』カテゴリに該当しない。


 精々、『隣人』カテゴリの端の端に引っかかるのが関の山。

 懸命に思考の海に沈んでくも、成果はまるでなし。

 現実逃避も兼ねて思考の海に沈んでいく意識を、少しずつ引っ張り上げるのは、外部からもたらされる妹の声だった。


「どうしたのおにーちゃん、そんなにじっと黙っちゃって。お口にチャックって言われた小学校一年生でも、そこまで静かにならないよ。多分アロンアルファクラスだよ」


 視覚という余計な情報をシャットアウトして記憶を掘り起こしているのに、にやにやしている妹の顔が脳裏に浮かんでくる。 

 もはや芽兎との距離は数ミリしかないのではと思うほど、体温を近くに感じ取って――


「もうあきらめよ、おにいちゃん」

「――っ!」


 耳元での囁きとそれに伴う微風に、僕の体は跳ねた。決してその言葉にではなく、耳をくすぐる呼気の感触に、ひどく驚いてしまった。


「友達が――友達とぎりぎり呼べなくもないかもしれない異性が――たった二人という厳しい真実に辿り着いても仕方ないよ。誰もおにーちゃんを責めないよ……わたし以外」


 もはや芽兎は笑みさえも浮かべずに、真面目に悲しそうな顔で僕に語り掛けていた。それは嘘偽りなんか微塵もない、憐憫一〇〇%で出来ている。

 濃縮還元ですらなく、本当に感情そのままだ。


「でも二人って、二人って……お昼とかいつもどうしてるの? もしもいっつも一人ぼっちなら、芽兎の教室来て食べる? 友達紹介してあげよっか?」

「そんな同じ学校みたいに……」

「同じ学校でしょ? 付属の」

「高校と小学校じゃ、かなり高い壁があると思うんだけど」


 多くの小学生に混じって昼食を摂る男子高校生……異端にもほどがある。


「そっか、なら芽兎が高校に行くしかないね……」

「大丈夫だから」

「ちなみに、今日はどうしたの? 一人?」

「ぼっちが前提みたいに言わないで。今日のお昼は塩峰と、えっと……」


 あれを、昼食を共にしたと言っていいものか。

 姉村会長のことをどういうか迷って、もたついていると、


「会長さんも途中から来たの?」

「よく分かったね」

「だって、おにーちゃんと一緒にご飯を食べる人なんて、妹を除けばその二人しかいないよね? 友達二人だけなんだもん」


 極めて単純明快な論理だった。シンプルすぎて、僕の心が傷ついている。


「塩峰さんと、会長さんと、ね……おにーちゃん、芽兎のお弁当食べられた?」

「ごめん、僕の不注意なんだけど、芽兎がせっかく作ってくれたお昼をひっくり返しちゃって――結局、塩峰にお世話になった」

「はあ。おにーちゃんがドジるのはいつものことだし、別にいいけど……ほんとにそれ、ミスで起こったことなんだよね?」 

「どういう、こと?」


 妹の言っていることが分からない。

 あれは僕の不注意と運動性能の低さに起因する、ただの事故でしかない。


「んー、疑ってばっかりでも仕方ないかな……。それで、その二人からお弁当を分けてもらって、お昼は乗り切ったの?」

「いや、貰ったのは塩峰の分だけ」

「え、うそ。それだけで足りた? いつもより早めに夜ご飯にする?」

「いや、足りたから夕飯いつも通りの時間でいいよ。塩峰のうっかりに救われたから」

「うっかり? あんなにしっかりしてそうなのに」

「今朝お弁当を作りすぎて、二つ分持ってきたらしくてね。友達とシェアしようとしてた分が、僕の分になってくれた」


 事情を説明していくうちに、妹の表情が翳っていく。最初は晴れのち曇りのはずが、いつのまにやら曇天に。僕に見えている世界も、黒霧で曇っていた。


「むぅ、んーやっぱ怪しいけど、塩峰さんがそんなことするかな……会長さんは何か言ってなかった? おすそ分けもなし?」

「特になかったかな。先輩は食欲がないって言って、マフィンだけ食べてたから……」

「お弁当は持ってなかった?」

「大きなのを持ってたけど、一切手を付けてなかったような……」

「はぁ……」


 それを聞いて、芽汰はこの世の終わりみたいな顔をして、ため息をついた。

 そしてキッと僕を睨んで、口を開く。


「おにーちゃん、夜ご飯は遅くなるから――備えといて」

「別に大丈夫だけど……どうして?」

「事他芽兎が、これからお説教をするから」


 目が霞む。僕は今から、死を覚悟しなきゃいけない。

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