5章 手の中にある幸せを
第21話 守らない子、守る親(前編)
「うるっせぇなぁああ!」
宿屋に、そんな怒鳴り声が響き渡りました。少年の、まだ声変わりをしていないその声はよく通り、耳をつんざくようです。
「……何回目だ、これ?」
「数えましょうか?」
「いや、冗談だ」
ふふ、と笑いながら杖を出し、結界の魔法陣を描きます。発動させると、しん、と不自然な程に辺りが静かになりました。
「遮音結界か。助かる」
「どういたしまして。……この宿が人気のない理由、わかりましたね」
「そうだな」
わたし達は今日、西部領の領都であるハルケージの街に到着しました。丁度秋の始まる頃で、収穫祭の準備で賑わっていましたが、この街に長く滞在する予定はありません。いつも通り安宿を選びました。
役場のお姉さんが、「サービスと料理だけは、素晴らしいわね」と言っていたのです。宿屋さんに他の何を求めるのだろうと思って首を傾げたものですが……こういう問題もあるのですね。こうして結界を張ってしまえば、どうということもないのですけれど。「ま、俺達には関係ないことだな」と、フレッド君も言っていました。
次の日。食堂で朝ご飯を食べていると、ガッシャーン、と何かが割れる大きな音が聞こえてきました。「もう、止めてちょうだい……!」という女将さんの声もします。
「うるせぇ! 何でオレがこんなことしなきゃなんだよ!」
「わかった、わかったから」
「何がわかったんだよ!? あぁ?」
「お客様の迷惑になるから……」
「はぁ? こんな宿に客なんか……あ」
そこで丁度、食堂に顔を出した少年と目が合いました。「どうも、お邪魔しています」と会釈をすると、返ってきたのは舌打ちです。フレッド君はちらりと少年を見ただけで何も言わず、黙々とご飯を食べていました。
少年は、わたしと同い年くらいでしょうか。煤けた作業着を着崩し、靴の踵を踏み潰したその格好は、いかにもワルっぽい感じがします。
「ごめんなさいね、騒がしくしてしまって」
「ちっ、何謝ってんだか」
「マルク」
「良いのですよ。特に迷惑はしていませんから」
「は、良い子ぶりかよ」
そう言うと、マルクと呼ばれた少年はキッチン横の棚からパンを取り、傍にあった椅子に乱暴に腰掛けました。
彼がパンに噛み付く様子を眺めていると、「何見てんだよ」と更なる舌打ちが。慌てて目を逸らします。そして隣からは、小さな溜め息が聞こえてきました。食堂に気まずい空気が流れ、しばらくの間、無言でご飯を食べます。
「リル。今日はどうする?」
「そうですね……」
食べ終わったフレッド君にそう聞かれ、少し考えます。魔法具や薬の売却は昨日の内に終わらせたのです。のんびり街を散歩するのも良いかもしれませんね。
「予定が無いのなら、広場に行ってみたらどうかしら?」
「女将さん」
「本格的な収穫祭はまだですけど、広場の方なら市が立っているはずですから」
「もう立っているのですか、それは良いですね! フレッド君」
女将さんからフレッド君に視線を戻すと、彼は呆れ顔で「わかったよ」と言いました。
収穫祭はその名の通り一年の収穫を祝う行事で、市にはその土地の美味しい食べ物や、珍しい薬草がたくさん並ぶのです。今までは王都の収穫祭にしか参加したことがありませんでしたから、今年はとても楽しみにしていました。収穫祭の本番にはもう少し北へ行った街で参加する予定ですが、ハルケージの街でもその市を見られるのなら、それに越したことはありません。
「さすがに領都は規模が大きいな。今でこれなら、王都にも引けを取らないんじゃないか?」
「ふふ、これでは毎年違う街を訪れたくなってしまいますね」
とても大きな広場でした。真ん中にはステージがあり、その周りをまばらに屋台が囲んでいます。まだ半分、といったところのようですが、これだけ見て回るのにも一日は使いそうです。ひとまず、外側から順番に見ていくことにします。
「それにしても、良い匂いですね」
「……さっき食べたばかりだろ」
「収穫祭の醍醐味と言えば、食べ物ですよ? これを楽しまずに、どうすると言うのですか」
「腹が膨れすぎて動けなくなっても知らないぞ」
う、と言葉に詰まりました。フレッド君の正論には対抗できませんが、このお肉の焼ける香ばしい匂い……! あら、あちらからは甘い匂いもしてきますね。デザートならば、許してくれるでしょうか……?
「おい、フラフラするなよ」
と、がしっと腕を掴まれます。そのまま手を繋ぐと、「とうとう街中でも歩けなくなったか?」とフレッド君。冗談で言っていることはわかったので、わたしもわざとらしく頬を膨らませます。
それからいくつかの屋台を回って、薬草を買ったり、秋物の服を買ったりしました。これからは朝晩の冷え込みが強まっていきますし、向かうのは北部領です。昼間の寒さもどんどん厳しくなっていくでしょう。
並ぶ品物を見ていると、土の民が支える西部領だけあって、やはり実りは豊かなように感じました。チャトゥちゃんの村のこともあり心配していたのですが、領地全体でみるとそこまでの被害はなかったようです。
「いやぁ、今年は凶作だな」
「本当にねぇ。土の民の村も、結構やられたみたいだし」
「あぁ聞いたぞ」
え……?
「……これで凶作なら、普段はどれだけなんだよ」
思わずフレッド君と顔を見合わせました。彼も同じことを考えていたようです。「いくつかの村は魔法で何とか立て直したみたいだってな」という声も聞こえてくると、頭にぽんと手が置かれました。見上げると、「良かったな」とフレッド君が口の端を持ち上げました。それに一瞬頬を緩めますが、すぐに目を伏せます。
「どうした?」
「この領地の豊かさが……」
「……?」
「少しでも、東部領にもあれば良いのに、と思ったのです」
東部領は魔物が多く存在する領地です。強力な騎士団を抱える大きな街はともかく、痩せた土地と魔物の恐怖に怯える村は、とても貧しいのです。一度だけ訪れたことのある村は、そうでした。
あれはもう四年程前のことですが、今でも思い出します――自分と同い年くらいの子供達の、痩せ細った身体とギラギラ光る瞳……。
「お前が気にすることじゃないだろ」
「そ、そうかもしれませんが……」
「ほら、昼食にするぞ。お待ちかねだろ?」
暗い気持ちになってしまったわたしを元気づけるかのように、フレッド君が言いました。その優しさを無駄にしたくなくて、笑顔で応えます。歩き回ったので、ちゃんとお腹も空いていました。
「見てください、フレッド君! 珍しい魔法具が、こんなにたくさんありますよ!」
「落ち着けよ。転ぶぞ?」
お昼ご飯を食べて元気になったわたしは、再びフレッド君を連れて屋台を回っていました。その一角に、やたら珍しい魔法具ばかりを扱っているお店を見つけ、思わず足を止めたのです。
「へぇ。これは、おもちゃですか? それにしては、随分と手の込んだ魔法具ですね……。魔法陣の構成が、見たことないものばかりです」
「そうだろう? これはな、街――」
「まっ、待てぇ!」
「おい、そこのガキどもを捕まえろ!」
その時、少し離れたところから怒号が飛んできました。人が駆けてくる音と悲鳴まで聞こえ、急いで小さな結界を張ります。それから声のした方に顔を向けると、こちらへ向かってくる少年の集団がありました。
彼らは皆、手に魔法具を持っていました。発動している魔法陣を見ると、どうやらこの店に置いてあるものと同じ系統のようだとわかります。その魔法具を持った少年の顔を見て、わたしは「あっ」と声を上げました。
「ちっ。またお前らかよ」
「何だぁ? マルク、知り合いか?」
「ウチに泊ってる奴らだよ、知り合いじゃねぇ」
「ほぉ。じゃ、ぶっ放しても問題ねぇな?」
「あぁ」
リーダーらしき少年に頷いたマルク君は、少し緊張した様子で、それでもきつくこちらを睨んできました。「やれ」という合図に、少年達の魔力がぶわっと広がります。
「……!」
新たに魔法が発動すると、周囲の人達の動きがおかしくなりました。ある者は虚空を見つめて何かを呟き、またある者は地面に転がって笑い呆けています。その波は瞬く間に広がっていき、少し離れた向かいの屋台の方まで影響を与えているようです。
……闇魔法。それも、かなり強力な、精神に作用するものですね。このような使い方をする人がいるために、闇魔法を使うことを疎ましく思われるのです。
「おい。何してんだよ、どけよ」
その様子を眺めていると、体格の大きな少年が前に出てきました。その動きに合わせるように、フレッド君が少しだけ腰を落とします。
「おい、構うな」
「……あぁ」
またリーダー格の少年が声を掛けます。彼はわたしが手にしている魔法具をちらりと見て、「お前も仲間になるか?」と聞いてきました。
「いいえ。乱暴するのは好みではありませんから」
そう答えた瞬間、辺りを取り囲むように現れた結界。少年達の誰かが、と思いましたが、違いました。その元を探し出す前に、空から答えが降ってきます。
「お前達! 動くな!」
使役した魔物の背中に乗り、紺色の制服を着た人達。それは、騎士団の下位組織である魔兵団の警備兵でした。
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