第2話 二人で旅をしている理由(後編)

 そのおじさんは、にこやかに同行を再提案してきました。

 隣にいるローブ姿のお兄さんも、口元に笑みを浮かべています。魔力から判断して、彼が結界を張ったのでしょう。


 二人の笑顔を見て、わたしは後ろ手に杖を出します。そしてフレッド君は、皮肉っぽい口調でこう言いました。


「何が偶然だ? 明らかにこちらの様子を探っていただろう」

「いやぁ、バレてたのかー! あー、本当はな、あんたらが森で迷ってないか心配だったんだよ。ほら、自分達で旅をしたいっていう子供の気持ちを壊すなんて、野暮だろう?」

「……」

「まっ、偶然ってのは冗談だが、また会えたら良いとは思ってたんだ。無事で良かったぜ!」


 彼は悪びれることなくそう言って、片目を瞑ってみせました。


「……リル」


 溜め息とともに、小さな声で呼ばれます。目を向けると、警戒しつつも呆れ顔を隠さないフレッド君。……わたしも彼に任せようかと思っていたのですが、少し遅かったですね。


 仕方ありません。未だ纏わりついてくる魔力に不快感を覚えながらも、それを蹴散らさないよう意識の外に追いやります。おじさん達に近づきながら、まずは一言。


「わたし達のことを、心配してくださったのですね」


 先程から出していた杖をわかりやすく掲げてみますが、彼らは警戒する素振りすら見せません。笑顔のまま頷き、こちらの行動を眺めています。


 魔力で相手の様子を探り続けるのは、一般的に失礼なことと考えられています。“気”や魔力を認識しやすくなる結界内では、特に。そして、杖を掲げたり向けたりすることもまた、同じです。

 つまりわたし達は、お互いに敵対行為をしているのです。


「ですが、これは何でしょう?」


 そして二言目。


「わたし、敵意を向けられたと感じたのですけれど……間違っていますか?」


 ジィっと爆ぜる音がして、纏わりついていた魔力が霧散します。

 こちらもわかりやすく、そして派手にやってみたのですが、彼らの表情は変わりません。寧ろ喜んでいるかのようにおじさんが答えます。


「敵意だなんて、とんでもない! あんたが大変なことになってないか心配で、見てやってたんだぞー?」

「心配、ですか。……その言葉は、随分と便利なのですね」


 中々こちらを警戒して貰えないようです。そろそろ、行動に移して欲しかったのですけれど……。

 肩にかかる髪に触れながら、二人をじっと見つめます。言外に、こう伝わるように。


 ――あなた達の目的に、気づいていますよ、と。


 途端、結界内に緊張が走りました。ローブのお兄さんが魔法陣を描き始めたのを見て、小さく笑います。それから、既に描き終わっていた魔法陣に魔力を流しました。


「そもそも――」


 魔法が発動すると、アルレの花の香りが漂ってきました。

 実物よりもずっと大きな白い花が二つ、彼らをふわりと包み込みます。お兄さんが描きかけていた魔法陣は、魔法で作られた大きな葉に突き刺されて霧散しました。


「杖を出している相手に警戒しないのは、同じ魔法使いとしてどうかと思いますよ?」


 花の中から逃れようともがいているのか、アルレの細長い綺麗な形がぼこぼこと歪みます。……これでは、通りかかった人がアルレの花の形を間違って覚えてしまうかもしれません。見本を作っておくべきでしたね。


 今のうち、と魔法陣を描き出したところで、一連の流れを黙って見ていたフレッド君に止められてしまいました。

 彼はわたしの手を引いて、傍に停めてあった馬車の前に連れて行きます。


「ほら、まだ残っているだろ」




 馬車の中を覗き込むと、わたしと同じくらいの年齢でしょうか、少年少女達の姿がありました。彼らは皆、縄で手足を縛られて座っています。

 フレッド君が剣を使って縄を切ると、ぎこちない動作でお礼を言ってきました。手足が痺れているのかもしれません。


「助けに来た、というわけではありませんが、そのお手伝いくらいでしたらできます。と、その前に……皆さんは、ここから逃げたいですか?」


 わたしの言葉に、全員がコクコクと頷きました。

 彼らの魔力を少しずつ貰い、それをわたしの魔力と混ぜて魔法陣を描きます。従属の魔法で、その対象が魔力の持ち主の言うことを聞いてくれるようになるものです。

 人に対して使うことは忌避されますが、家畜や魔物にはよく使われる闇魔法です。


 とにかくその事を説明すると、ようやく皆の顔が晴れやかになりました。ついでにリュックからアルレの回復薬が入った小瓶を何本か取り出し、魔力が一番多そうな女の子に手渡します。


「これはアルレの回復薬です。勿論皆さんで消費しても良いですし、売ってお金にしても構いません。上手に使ってくださいね」

「……」

「遠慮しなくても良いのですよ。ほら、まだこんなにたくさんあるのですから! あ、それとも毒を疑っていましたか? ……はい、これで証明になりますか?」


 リュックの中にある大量の薬と、それを一本飲むところを見せます。ぐっと増える魔力を抑えると、遠慮がちだった女の子が少しだけほっとしたように薬を持ち直しました。


「あ、ありがと。……アルレの薬の価値はよくわかっているわ。助けてくれたことといい、この薬も……あなた達を家に呼べたら、たくさんお礼ができるのだけど」


 身なりが良いとは思いましたが、本当に良いところのお嬢様のようです。……勿論そんなことをしてもらう訳にはいきませんから、丁寧にお断りします。


 それから、放置していた大きなアルレに魔力を流し、花弁を少しだけ開きました。

 おじさんは気を失ってしまったのでしょう、ぷはっと顔を出したのはローブ姿のお兄さんだけでした。


「そういえば、馬車の持ち主さんに許可を取っていませんでした。馬車、お借りしますね。……あ、返して貰えるかどうかは、彼女達に聞いてください」


 そう言うと、お兄さんは苦い顔を、子供達は複雑そうな顔をしました。先程の女の子が、心底嫌そうに口を開きます。


「あのねぇ。この人達は人攫いで、わたし達をどこかに売りつけようとしていたのよ? 返すわけがないじゃない!」

「だ、そうです」

「……」

「と言うよりも、しっかりと懲らしめるべきなのよ」


 それは、わたし達に「そうしてくれないかしら?」とお願いしているようにも聞こえました。それには笑顔だけを返します。


「……私達をどうするつもりだ?」


 子供達が乗った馬車を見送った後、ローブ姿のお兄さんが初めて口を開きました。


「どうするも何も……このままですけれど」

「……殺さないのか?」

「あまり人の命を奪いたくはないのです。それに、あなた達は雇われでしょう? 意味がありません」


 人攫いはたくさんいます。大元をどうにかしないと、何も変わらないのです。けれども何故か、溜め息が二つ重なりました。


「……お前らが何をしたいのかわからないな。ちぐはぐ過ぎる」

「ちぐはぐ、ですか……?」

「大体、何で子供二人で旅なんかしてるんだよ。家に帰れよ」


 え……それ、お兄さんが言うのですか? わたしのことも攫おうとしていましたよね?


「安心しろ。こいつが何をしたいのかは俺もわかっていない」

「ふ、フレッド君?」

「だが、俺達が二人で旅をしている理由なら答えられる。それはな――――」




 タックスの丘は、確かに素晴らしい場所でした。

 丘の斜面は青い花で埋め尽くされ、遠くに見える湖のところまで続いています。

 心地良い風が吹き、ゆらゆらと揺れる花弁。透けて見えたり、きらきら光ったりと、陽の当たる位置によって変わるそれはとても綺麗です。けれども。


「フレニアの花、ですよね……?」


 首を傾げたのは、この丘に咲いているフレニアらしき花が、記憶にあるそれよりもずっと大きかったからです。

 フレニアの花は普通、大人の膝くらいの高さまでしか成長しません。花の大きさも、拳程度なのです。


 それに比べてこれは……。


 一輪だけで咲いていたらきっと、「綺麗な女の人が立っている」と勘違いしていたことでしょう。青い花弁は風に揺れる豊かな髪。下向きに重なった葉は、まるでドレスの様です。本当に、綺麗ではあるのですけれど。


「大きすぎるな」

「そう、ですよね」


 この景色を、わたし達は岩に登って眺めていました。この身長では、花を見ようとするだけで首を痛めてしまいそうだったのです。

 遠く、湖の方を指差しました。


「あれですね。あの湖からこちら側に、“気”が流れてきています。……いえ。流れているというより、吸われている、と言った方が正しいですね」

「さっきの森のアルレか?」


 フレッド君の呆れたような、苦みの混じったような笑みに、「恐らくは」と肯定します。


「その途中にたまたま咲いていたから、こんな馬鹿みたいに大きくなったのか。確かに、これは珍しいな」


 アルレの花には、“気”を大量に吸い込むという性質があります。アルレの回復薬も、先程の人攫いを捕まえたのも、この性質を利用したものです。

 けれども、まさかこんなに離れた場所からでも吸い込めるとは思いませんでした。それだけ、ここの“気”の流れが濃いのでしょう。


「本当に珍しいです。それに、水属性も含んでいるみたいです。湖の“気”を吸っていますからね」

「あぁ、普通は風属性だけだったか。……ほら。採集、するんだろ?」


 差し出された手を取ると、フレッド君は丁寧に地面へ降ろしてくれました。お礼を言ってから、こう続けます。


「勿論です。そのために、あの子達に薬を渡してリュックの中を開けたのですよ?」


 褒めてくれますか? と言う風に見上げると、彼は溜め息をつきながらくしゃっと頭を撫でてくれます。

 乱暴ながらも優しさを含んだその手が嬉しくて、ふふ、と笑みが零れました。


「でも、こんなに珍しいフレニアが咲いているなら、もっと渡しておけば良かったですね。勿体無いことをしました」

「勿体無くはないだろう。あの薬だって売ればそれなりの金になるんだから」


 そう言いつつ、フレッド君はフレニアを摘み取り始めました。その姿に笑みを深めながら、わたしも続きます。


「それにしても、さっきは感心しました」




 ――――人攫いのお兄さんの質問に、フレッド君はこう答えたのです。


「俺達が二人で旅をしている理由なら答えられる。それはな、俺達が、二人でも旅ができるからだ」


 お兄さんは、理解できないという顔をしました。しかしそれは一瞬で、すぐに納得したとばかりに頭を振ります。


「……そういうことかよ」


 彼は小さく「忌み子の癖に」と呟くと、疲れたように目を閉じてそれきり、黙り込んでしまいました。




 風が吹きました。フレッド君の淡い紫の髪と、その腕に抱えたフレニアの青が溶け合うように揺れます。


「旅ができるから、旅をする。……わたし達は、もっと強くならなければいけませんね」


 空を仰ぐと、その色とフレニアの色で、視界は青く染まります。


「そして、綺麗な景色をたくさん見ましょう。美味しいご飯をたくさん食べて、楽しい話もたくさんしましょう。それを繰り返していけば、きっと――」


 左手を胸に当てて、息を吐きました。


「本当に、綺麗だと思いませんか?」


 上を向いたまま、そう尋ねました。

 ですから、フレッド君が何を見てどんな表情をしているかなど、わたしには知る由もなかったのです。

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