1章 旅は始まっている

第1話 二人で旅をしている理由(前編)


 感じたのは、敵意とも、殺気ともとれるような“気”でした。


 ぞわり、と皮膚を撫でるそれに意識が覚醒し、半ば自動的に周りの気配を探ります。不快な“気”の元はすぐに見つかりました。けれども、はっきりした意識とは反対に、思うように掴めない身体の感覚。重たい瞼をゆっくりと持ち上げます。


「……ん」

「早かったな」


 小さく呟かれた声に目を向けました。窓際のベッドのところ、今まさに腰の剣に手をかけようとしている、少年の姿があります。彼は、はぁ、と溜め息をつきながら、こちらに向かってきて――。


「……っ!」


 容赦なく、わたしを包んでいる、温かい毛布を剥ぎ取ってしまいました。春になったとはいえ、早朝の空気はまだ冷たいのです。ぶるっと身を震わせます。


「……さ、寒いです。ひどいです」


 上手く動かない顔を精一杯顰めてみせましたが、彼は反応すらしてくれません。無表情でこちらの手を取った――と思った瞬間には足が床につき、彼の目の前に立たされていました。


 ……え?


 どうなっているのでしょうか。ぽかんと口を開けて見上げると、彼はふっと笑います。


「今のは完璧だったな」


 びっくりさせられたのは不本意ですが、寝起きの悪いわたしがすんなりと起きられたのは事実で、彼のおかげです。少し口を尖らせて頷くと、彼も満足げに頷きます。


「おはよう、リル」


 それが何だか面白くて、そして嬉しくて。わたしは簡単に顔を緩めてしまうのです。


「おはようございます。フレッド君」




 食堂で朝ご飯を食べていると、色々な話が聞こえてきました。ここのような安宿の宿泊客は旅人や小さな隊商がほとんどですから、聞こえてくる話も、依頼や近場でできる素材集めについての情報が多くなります。


「この街の役場は厳しすぎる。もっと南へ行くか……」

「いや、それなら領都へ……」

「確かにな。だが……」


 その中で、とても気になる話がありました。


「素材集めなら、タックスの丘が良いわよ」

「タックスの丘?」

「そう。ここから西に行ったところにあって、とても珍しい花が咲くの。丁度季節のはずだし、景色も抜群よ」


 ……珍しい花、ですか。今の時期、この辺りに咲くのはタタンか、もしくはフレニアだと思いますが、そんなに珍しいものではありません。一体どんな花なのでしょうか。


「気になるのか?」


 顔に出ていたのか、既に食べ終わっていたフレッド君にそう聞かれます。それが何となく恥ずかしくて、残っていた一口大のパンを口に詰め込みました。


「西に行く予定だったし、寄ってみるか」

「……っ!」


 その言葉に反応しようと慌ててパンを飲み込むと、「ちゃんと噛めよ」と睨まれてしまいました。それとなく目を逸らしながら、軽く胸を叩きます。……珍しい花が楽しみなのですから、仕方ありませんよね。


「それにどうせ、珍しい花で研究したいんだろ?」

「っ! その通りです!」


 ガタッ。


 理解して貰えた、という喜びのまま立ち上がると、食堂に響く椅子の音。

 そして、バランスを崩して転びそうになったわたしの腕を、フレッド君が掴んでくれています。


「あっ……」


 周りの視線に誤魔化し笑いを返していると、フレッド君の大きな溜め息が聞こえました。




「あんたら、タックスの丘に行くんだっけかー?」


 宿の退出手続きを終えて地図を確認していると、そう声を掛けられました。振り向くと、食堂で見かけた、がっしりとした身体つきのおじさんが立っています。


「俺のいる隊商も、丘に寄る予定なんだよ。街で買い付けもしたいから昼になっちまうが……どうだ、一緒に行かないか?」


 どうやらこれは、同行のお誘いのようです。にっこりと笑顔だけを返すわたしを見て、フレッド君が口を開きます。


「悪いな、俺達はもう出るんだ」


 そう言ってざっと自分のリュックを背負うと、わたしのリュックも持ち上げて背負わせてくれます。おじさんはちらりとわたしの顔を見てからフレッド君に視線を戻し、ニッと笑いました。


「そりゃ残念。邪魔して悪かったな」


 手を振るおじさんにお辞儀をして、わたし達は宿を出ました。

 街の門に繋がる大通りは、三の鐘が鳴る前にもかかわらず、たくさんの人で賑わっています。出発前の旅人や隊商が、武器や魔法具、食料などの最終確認をしているのでしょう。

 その横を通り過ぎて、真っ直ぐに門を目指します。


 街を出て西へしばらく行くと、地図にあった通り、南北に広がった森が見えてきました。ここからでは分かりませんが、道は森の手前で南に曲がり、あの森を大きく迂回するはずです。

 進行方向が南に向いてきたところで道を外れ、低い草の生えている獣道へ。

 歩きですから、できるだけ近道をしたいのです。つまり、森の中を通ります。


「じゃ、入るか」


 森の入り口で一度足を止め、フレッド君が左手を差し出してきました。その手を取りつつ、自分の左手を胸に当てて、ふぅと息を吐きます。




 中に入ると、ひんやりとした空気が身を包みました。外套が欲しくなる程の、春とは思えない気温です。

 時折、チチチと鳥の鳴き声が聞こえてきたり、風で葉っぱが擦れる音がしたりするだけで、とても静かでした。


「あっ」


 と、大きな木の根元に花が咲いているのを見つけ、繋いでいた手を離しました。「おい」とフレッド君が止めるのも構わず、ゆっくりと進みます。


「見てください、まだアルレの花が咲いているのですよ。ほら、ここ!」


 白くて細長い花を指差してそう言うと、フレッド君は呆れた様子で近づいてきました。


「それが何だ? まさか、『良い薬になるのですから、採集しましょう!』なんて言うわけじゃないよな?」


 今まさにそうしようとしているわたしを見て、彼は溜め息をつきます。


「あのな。お前、自分の荷物量を把握してるか?」

「……」

「持てなくなって泣きついてきても、俺は知らないからな」

「こ、こんな時期にアルレが咲いているなんて、とても珍しいのですよ? 珍しいものを簡単に手に入れられるなんて、お得ではありませんか」

「アルレの薬、既に持ってるよな? 珍しくても、大量にあれば余る。余ったら邪魔だ。損だろ」

「そ、そうですが――」

「却下だ」

「……はい」


 しゅんとなって、頬を膨らませます。フレッド君が正しいのはわかっているのですが、せっかくの調合の機会を逃したくなかったのです。


 と、俯いた頭にぽん、と手が置かれました。そのままくしゃりと撫でられるので、首を傾げつつ見上げます。そこには苦笑いをしたフレッド君の顔が。


「それに、丘に行くんだろう? 本当に珍しいものだったら、俺も採集を手伝ってやるよ」

「……あ、ありがとうございます」


 厳しいことも言いますが、何だかんだ彼は優しいのです。ふふ、とすぐに頬を緩めてしまうわたしもわたしなのですけれど。


 ――ジジッ。


 その時です。

 前方に、大きな魔力の気配を感じました。それはすぐに結界となって目の前に現れます。

 中に入らないよう少し後ずさり、左手に魔力を集中させて杖を出しました。それを見たフレッド君が首を横に振ります。


「俺でも気づくような結界だ、普段通りにしておこう。それに、無関係かもしれないしな」

「……そう、ですね」


 杖を消し、再び歩き始めました。

 そのまま結界に入ると、中の魔力が大きく揺れます。……随分と甘い張り方ですが、わざとやっているのでしょうか。それとも本当に、たまたま張られただけなのでしょうか。


 ……いいえ。


 結界内の魔力が纏わりついてくるのを感じ、すぐにその考えを捨てました。結界の張り手がこちらを探っているのは明らかです。ですが、何故でしょう……?


「おーい!」


 森の出口付近まで歩くと、大きく手を振る人影が見えました。近づくにつれ、その姿まで認識できるようになります。


「あんたら、偶然だなー! やっぱり、子供は歩くのが遅いな。ほら、せっかく再会できたんだし、一緒に行かないか? 疲れてるだろうし、馬車にも乗せてやるぜ?」


 手を振りながらにこやかに話すその人は、宿屋で同行を提案してきたおじさんなのでした。

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