第23話


 23


 白馬騎士の四人はヘルミネ、ジェニア、システィ、コリンナの順で小隊を引率する。セリカはラバにまたがってシスティに並んでいた。

 システィの白馬アーサーの手綱を取るのはトラナだった。夜明け前に指揮権の主張を教唆した従卒はいつも通りの口数少ない母の旧友に戻っていた。

 あの時のことを思い返してみる。夜明け前、ブリック。ライムの小隊が独断で行動して狼を捕捉せんと動いた時、トラナは同調して狼退治に参加するかどうかを訊いた。システィはそれに答えを出せず、コリンナの指示を仰ぐことに決めた。トラナはそれもきちんとした決定だと笑ってくれたが、やはり自分の主人が明確な決定を下すことを期待していたのだろうか。砂漠と荒野の環境が多いナハーラームの人々は功名心が強くて負けず嫌いであり、しばしばこの手の問題を起こす。


(もしかして、コリンナさんに対抗して……!)

 コリンナがそうとは見えない外見をしているので忘れがちであったが、二人ともナハーラーム人である。同郷の者同士で手柄争いをするのもナハーラーム人の気質だ。さらにいえば母ミマームもナハーラーム人で、システィはパトリア人とのハーフだ。しかし自分の色白の肌と細い白金色の髪を見て思い出すのは、パトリア邦国の徴税官をしている父ビルギット・ディケンズのことだ。外見だけでなく性格も父に似たらしい。出世とか名声という言葉を聞いてもいまひとつピンとこない。母への憧れがあって騎士という職に就いたのは確かだが、そこから先のことはあまり考えていなかった。まるでそこが終着点だったかのように思っていたが、それはまるで違くて、むしろそこからがスタートラインだったのだ。もしかしたら母はそのあたりの意識の違いを理解していて、トラナをシスティの従卒につけてくれたのかもしれない。乳母のツェパと同じようにトラナは生まれた時からシスティを見ている家族同然の人で、システィも心から信頼している。

 だからこそ、システィの父譲りの性格にやきもきしているのかもしれない。そう思うと、ドラゴン退治で都市勲章をもらうのを固辞したのは良くなかったのかもしれない。すこしくらい自分の手柄を自慢するぐらいが逆に安心できたのかもしれない。


(かもしれない、かもしれない……ううん……でも、むずかしいなぁ……)

 首から金メダルをぶらさげてふんぞり返る自分を想像しようとしたシスティだったが、それは望まない形で中断することとなった。


「システィ、危ない!」

 竪琴のような綺麗な声で鋭い警告を発したのは、すこし後ろにいたセリカだった。その時には彼女が乗るラバがシスティと、その左の横面めがけて飛び掛かってきた黒い影との間に割り込んできていた。


「セリカ!」

 目の前で赤黒い血が噴き上がった。それがセリカの血ではないことを喜ぶわけにもいかない。身代わりとなって首筋を抉られたラバが騎乗者の存在も忘れて暴れ狂い、アーサーの馬体にもぶつかった。


「くっ……! アーサー!」

「システィ様!」

 慄く白馬の動きを制したのはトラナだった。既に脆弱な気質を露呈しているアーサーが混乱しないよう、ゆるやかだがすばやい所作で手綱を曳き、右方向に流して小さくターンさせる。そして顔を上げたシスティは突然起こった尋常ならざる事態を目にした。


「ヤシロさん!」

 システィの目に映ったのは小柄な狼とその首元にしがみつく従卒のヤシロと、その傍らでラバから投げ出されたように倒れるセリカの姿だった。


「システィ様は動かないでください!」

「!」

 強い制止の声はトラナだった。それがなければ若い白馬騎士は小剣を抜いて狼に向かっていったであろう。数日前に従卒をかばい、ドラゴンに追われることになった自分を瞬間的に思い出して硬直した主に代わって前に出たトラナが細身の曲刀を突き出した。それは正確に狼の鼻頭を貫き、猪突猛進の勢いを削いだ。とっさにヤシロが腕を放し、蹴り飛ばして距離をとった。


「セリカ様を!」

「は、はい!」

 言われるがままシスティはセリカに手を伸ばした。ようやく体を起こしたセリカの手を掴むと、強引に立ち上がらさせる。

 そこでようやくシスティは、自分たちが置かれている状況が、小隊全体を混乱に陥れている襲撃の一部分であることを悟った。

 システィから見て前方のジェニア、後方のコリンナ――その二人ともが狂騒に取りつかれていた。ここからその姿は見えないが、ヘルミネの声も聞こえた。


「どういうこと、狼がこんなに近くまで……!」

「この子たち、みんなバフェットウルフよ!」

 セリカが悲鳴に近い声で叫んだ。


「そ、そんな……どうして!」

「わからないけど、それは確かよ! あぁ、こんなおそろしい精霊の力……!」

 セリカのただでさえ線の細い顔が恐怖でさらにひきつって見える。そうしている間にも剣を抜いたヤシロとトラナは狼の猛爪を食い止めようとして、腕に新たな傷を増やしていた。


「と、とにかく助けないと……!」

 槍はヤシロが持っていて、今は地面に転がっている。銃は俊敏に動く狼だけを狙うことなどできない。やはり剣を抜いて戦うしかない。そう思い、柄を握った時――


「システィ、待って」

 セリカの手が裾を掴んでいた。不思議なことに、先ほどまでの狼狽えた表情は消えて、冷静な眼差しで狼を見据えている。


「私に任せて」

「せ、セリカ……まかせてって……ッ!」

 慌てて振り返ったシスティは、次の瞬間起きた変化に目を剥いた。

 傍らに立っていたハイエルフの友人の頭が垂直に落ちていったのだ。いや、彼女の腰から下が一瞬にして大地に沈み込んでいるではないか。


「セリカ……!」

 システィの言葉に上半身だけのセリカは答えなかった。その小さな口は人間のものではない言語を紡ぎ出していた。


「精霊……」

 それが精霊語であるとわかった時、生まれてきた時から同化を遂げていたハイエルフの娘は、ほのかに全身を発光させた。

これが精霊使いが自然と深く結びつくことなのかと思った時、目の前の狼が悲鳴をあげた。


「あなたたち……ロブロスにならって精霊を使っているみたいだけど、とてもお粗末ね」

 わずかに含みを持たせた笑みが向く先では、狼が大地に足を突っ張って吠えていた。いや、あれはおそらく動けないのだ。土の精霊に足首をとられて必死にもがいていたが、さらに周囲から伸びてきた木の枝や蔓が獣の肢体に絡みつき、拘束してしまった。


「システィ、確保して」

「あ、え、えっと……」

「睡眠薬を持っているでしょう」

「あ、う、うん」

 馬の背に積んである荷物袋をあさりはじめたが、


「お嬢さん、薬ならこちらに」

 と、ヤシロが自分の荷物から瓶詰のそれを差し出した。


「は、はい、ありがとうございます」

「あっしがやりましょうか」

 訊ねながら既にヤシロは蓋を開けて布に薬をひたしていた。山の中で傭兵をしているので、こういうことには慣れているようだ。システィがあいまいにうなずくのを見て、狼の後ろに回り込み、頭の上からかぶせるように睡眠薬をかがせた。狼はすさまじい抵抗を見せたが、精霊の力ごとセリカに制圧されており、抗い続けることができず、眠りの中に落ちていった。

 安堵してから辺り一帯が静かになっていることに気づいた。システィが前後を見ると、ジェニアもコリンナもバフェットウルフを制圧することに成功したらしい。


「ソーラ博士!」

 ジェニアがこちらに馬を寄せてきて言った。


「感謝します。騎士アストラーダのほうも無事です」

 どうやらセリカは襲ってきた四頭のバフェットウルフを同時に拘束していたらしい。まるで低木に隠れた沼から出てくるように地下から体を引き上げたセリカは、静かに頭を下げた。


「騎士マレーンの情報のおかげです。そうでなければ計画的に迎撃することはできなかったでしょう」

「えっ?」

 そのやりとりに疑問を抱いたのはシスティだった。


「計画的ってことは……襲われるのがわかっていたんですか!」

「どうしたの、システィ?」

 問いを返したのはジェニアとセリカの二人同時であった。二人ともお互いの視線を合わせて、それからあたふたするシスティの顔を見る。


「てっきり、ソーラ博士から聞いているものと」

「騎士フォルセナから説明があったものと」

「ないです。ありません」

 二人は思い当たるフシがあるという表情をして、


「どうりで、システィの要領が悪いと……」

「あれ! 私なの!」

「てっきり、知っていてあれかと……」

「あれってなんですか!」

「ごめんなさいね、システィ。あくまでも、保険のようなものだったのだけれど」

 ひょっとして怒ってもいい場面なのだろうか――なだめられるように肩を叩かれてシスティは思った。


「牧場への戻る途中にロブロスに襲われた時の対策は考えていたのだけど……ね、ちょっと、システィには伝達できていなかったみたいね」

「あ、あの――」

 あらためて問いただそうとしたが、それは一発の銃声で消し去られてしまった。


「なに? ヘルミネ!」

 銃声は前方から聞こえた。なにか騒ぎが起きているのは明白だが、狼との戦闘とは毛色が違うもののようだった。


「誰か! なにが起こったの!」

 ジェニアが動こうとした時、しんと静かになった。それから、誰かがこちらに歩いてくる。


「ヘルミネ? ……――ッ!」

 静まり返った風景に眉をひそめて再度訊ねたジェニアだったが、その目がすぐ驚愕に見開かれた。


「フェマ!」

 姿を見せた若い白馬騎士は、左肩の甲冑とタバードを赤黒く染めていた。痛々しい銃痕を晒しながらも胸を張って立っているのはたいしたものだが、縛られた両手と鳶色の髪の隙間から首筋に這わされる槍の刃先が虜囚であることを示していた。


「フェンマラノーラ・テロミアを逮捕した」

 虜囚の背後で馬上から槍を押し当てていたヘルミネ・アストラーダが冷たい口調で報告した。


「自分のしでかしたこともわからずにのこのこと出てきたのが運の尽きだ」

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