第771話 今夜は月が綺麗ですね?

 建物の屋上で、その端に立っている、咲良さくらマルグリット。


 深夜の月が、俺たちを照らす。



 カウンセラーの繁森しげもり仁子さとこは偽者で、そいつが、今度はマルグリットの中に入っていると……。


 つまり、マルグリットの魂と、眼前にいる体の2つを、人質に取られているわけだ。


 その上で、精神交換をできるだけの魔術師と、戦うしかない。



「俺は、紫苑しおん学園の高等部1年、室矢むろや重遠しげとおだ! そちらの名前は?」



 上に立ったままのマルグリットは、モデルのように、笑った。


「欧州の公爵家にいた、レティシエーヌ・ティアルヴィエよ……。言うまでもないけど、元の体は、とっくにないわ! これが、今の私! できるだけ大切に、長く使うつもりよ? フフフ……」


 両腕で、自分の体を抱きしめたマルグリット……いや、レティシエーヌが、代々の宝物を見せつけるように、腕を下ろした。


「この体はね? 美しいだけではなく――」

「エネルギーの海……。そこに接続していることで、文字通り、別次元の力だ。メグ……咲良マルグリットが魔法師マギクスとして規格外だった、本人も知らない秘密」


 余裕だったレティシエーヌが、雰囲気を変えた。


 マルグリットの顔で、ゾッとする表情に。


「お前……。どこで、それを? ……ああ、そうか! 式神にした室矢むろやカレナが、いたわね? だけど、この期に及んで、彼女を呼ばない……。いえ、呼べないのかしら? 多少は戦えても、『ブリテン諸島の黒真珠』を従えるほどではない」


 嘲笑ちょうしょうしたレティシエーヌは、警戒しているようだ。


 ここで、カレナが出現すれば、立場は逆転。


 俺は、まだ上に立つレティシエーヌへ、尋ねる。



「咲良マルグリットの制御は、お前でも、不可能だったはず……。誰の力を借りた?」



 もう1人の俺がたどった世界線とは、明らかに違う。


 この女が、いつ崩壊するか不明な体に、自分の魂を移すわけがない。



 怒りの表情になったレティシエーヌは、深呼吸をすることで、落ち着いた。


「お喋りは、もう充分でしょ?」



 空に足を踏み出すように、両足から落下した彼女は、地面に激突したときの土埃つちぼこりに隠れつつ、突進してきた。


 着地した轟音がまだ耳に残る中、正面のクロスレンジで、右拳。


 半身になりつつ避けて、同時に、片足を前に踏み込んだまま、姿勢を低くした。


 足を止められたレティシエーヌは、崩れた姿勢を立て直しつつ、左手と足による組みつきを断念。



 ――身体強化をゆるめての、時間差


 緩急がついた左右のパンチを手で逸らしつつ、かがんでの足払いの範囲から、滑るような移動で、逃れた。


 ――全身のバネで、跳ね上がる


 見えにくい蹴りを避ければ、アクロバティックに起き上がった彼女が、打撃による踏み込みを行い、密着した状態での組みつきを狙う。


 肘、回転しながらの裏拳、上に注目させてのローキック……。


 俺の手足とぶつかる度に、生身とは思えない打撃音。


 傍から見れば、お互いに両手を振り回して、駄々っ子の喧嘩だろう。


 けれど、常に動き続け、隙あらば、最も近い手首、あるいは、片腕をとり、関節をあらぬ方向へ曲げるか、叩き折るのだ。


 相手を地面に倒しても、同じこと。



 距離ができた。


 お互いを正面から見据えつつ、摺り足で、動く。



 レティシエーヌは、脇を締めたまま、こぶしを軽く握った、アップライト。

 上体を逸らしやすく、左右のパンチも出しやすい。

 移動は、細かいステップ。


 いっぽう、俺は、指を揃えた片手を前に出しつつ、もう片方は引き気味の、大陸武術に近いスタイルだ。

 片足ずつ、ゆっくりの摺り足。


 こちらは、相手の攻撃をさばきつつ、カウンターを狙う。



「見ていた通り、体術では、あなたに分があるわね? 確かに、この学校の女子では、学年主席だろうが、敵じゃないわ! でも、あなたは、この体に傷をつけられない……。そろそろ、オイタは――」


 

 俺が投げた、黒いダガーは、あっさりと避けられた。


 レティシエーヌは、マルグリットとしての長い金髪を下げつつ、体勢を整える。


「ラウム・シュナイデンと呼んでいた、魔術武器ね? ……何のつもりかしら? 今の私が消滅しても、あの子は戻らないわよ?」


 挑発している声音だが、実際には、緊張しているようだ。


 さらに距離をとり、ハンドガンのバレを抜いた。


 両手で握りつつ、チラッとだけ、後ろの地面に刺さったダガーを見るも、すぐに視線を戻す。



 黒いダガーは、ユゴス・ロードと、ユゴスの群れを一瞬で倒した。


 しかも、魔術武器だ。


 その事実が、レティシエーヌに、妥協させる。



 銃口を下ろしたままで、彼女が、微笑んだ。


「もう、止めにしませんか? 私も、大人げありませんでした……。『ブリテン諸島の黒真珠』と敵対するつもりはなく、あなたにも魅力を感じております。仲直りをしましょう? この体でご満足いただけるよう頑張りますし、ここの女子を呼んで――」


「そちらの降伏だけ……。他の決着はない」



 ため息を吐いたレティシエーヌは、拳銃を握り直した。


「あまり、調子に乗らないでくださいまし……。その気になれば、あなたを一瞬で殺せます! 新しい体で、出力の調整が難しく、遠慮していただけですの!!」

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