第735話 九条和眞の高校時代(後編)

 日本の秘境。


 現代であっても、限界集落の跡地や、獣道のようなルートの先にある場所は、珍しくない。


 地元の自治体もさじを投げた、まっすぐ歩くことすら、難しい地形。


 日が暮れれば、月灯りだけ。

 手を伸ばした先も見えない、真の暗闇だ。



 開けた場所に、1人の男子高校生が、歩いてきた。



 月光に照らされたのは、流行りのメガネをかけた、優しい顔つき。

 彼は、現代では滅んだはずのオオカミたちに、微笑んだ。


 友人に語り掛けるような雰囲気で、低いイケボ。


「やあ! いきなり、君たちの住処すみかに押しかけて、すまない……。だが、僕にも、力が必要でね?」


 青白く光っている狼たちは、伏せている状態で、グルルとうなりつつ、次々に立ち上がった。


 ボス狼が吠えたら、一番弱そうな個体が、突っ込み、メガネ男子の足首に噛みつこうとするも――


『ギャイイィイインッ!!』


 衝撃波が出そうな、光速の前蹴りを食らい、カウンターで、遠くへ吹っ飛んでいった。


「分かっている……。君たちは、人間を恨んでいるし、自分よりも脆弱ぜいじゃくな奴には、従わないだろう」


 囲んでいた狼がひるむ中で、体格の良いボスは、語り掛ける。


『人の子よ……。何用だ? ここは、我らの縄張り……。そなたが強いことは、よく分かった。されど、我らは、他に行き場もない。放っておいては、くれないだろうか?』


「あなたが、ボスか? 初めまして。僕は、千陣せんじん流の十家、その1つである九条くじょう家の次期当主、和眞かずまだ。……僕に従え。応じるのならば、千陣流の本拠地にある、妖怪の山への移住を認めよう」


 考える表情の、巨大な狼は、犬のように伏せた。

 前に伸ばした両足の上に、自身の頭を載せる。


 片目をつぶったまま、和眞を見た。


『ふむ……。千陣流の十家……。つまり、式神になれと……。だがな、和眞よ? 我は、群れの長だ。こやつらを見捨てる気はない。移住したところで、新参者とされて、他の妖怪どもに追われ、弱った者から食い殺されるだけ』


「では、1つ、賭けをしないか?」


 和眞の言葉に、妖怪となった狼のボスは、首をかしげた。




 ――千陣流の本拠地


 結界を張っている、鍛錬の場。


 室矢むろや重遠しげとおが、その評価を一変させた、大百足オオムカデを一刀両断した場所だ。


 その平らな地面に立つのは、高校生の九条和眞。



「では! これより、九条家の次期当主、和眞さまの希望により、立ち合いを始めます!! 御宗家ごそうけ、並びに、十家の当主さまも、ご覧になられますので、お忘れなきよう!」



 高価な和服を身に着けた和眞は、メガネをかけたまま、笑顔だ。

 その後ろには、あの時の狼の群れ。


 全ての個体が、青白く光っており、怪異であることを示す。


 巨大な狼が、言葉を発する。


『では、和眞よ? 見せてもらおうではないか……。我らを全て使役するだけの力を』


「ああ……。狼牙ろうがたちは、見ていればいい」


 和眞の返事を聞いたボスは、その場で伏せた。


 他の狼たちも、それにならう。



「立ち合いを始める前に、お集りの皆さまへ、お知らせいたします! 和眞さまと対戦するのは、数名の隊長で捕獲された大蜘蛛おおぐもと、その群れ!! このむねは、誓詞せいしでありますこと、先に申し上げておきます!」



 つまり、相手が弱かった、という物言いをすれば、動いた隊長と、その関係者を敵に回すのだ。


 くだんの大蜘蛛は、一軒家のような巨体。

 宇宙生物を思わせる姿だ。


 左右の多脚で立ったまま、威圧する。


 地上にも、子蜘蛛が、数十匹。



 観客席にいる人々が、小声で、囁き合う。


「九条家も、いよいよ、ドラ息子を処分するのか……」

「今の千陣流に、弱い指導者はいらぬ。ちょうどいい、見せしめだ」

「それにしたって、蜘蛛はない! あいつら、消化液を注入して、中身だけ啜るんだろ?」


「九条家の次期当主は、誰になる? 今のうちに、有力者へ取り入れば……」

「ああ……。上手く立ち回れば、俺たちも、出世できる」

「九条家の当主は、動いていない。親戚どもが、息子のアピールを始めているぜ?」


「あの狼たちは、怪異だな……。式神か?」

「群れならば、勝機はあるが……。リーダーらしき巨体だけでも、制御に苦戦しそうだ」


「そうだな……。これまで、群体を使いこなした前例はない。下手をすれば、自分が食われるぞ?」


 この時点で、千陣流に、5体を超える、式神の使い手はいない。

 長い歴史を振り返っても、数で攻めるよりも、質にこだわったほうが良いのだ。


 そもそも、安倍あべの晴明せいめいですら、同時に数体。


 調伏ちょうぶくしたはずの式神に反乱されれば、自滅するだけ。

 だからこそ、強い個体を選び抜き、自分に従わせる。


 10体を超える数を使役して、人形姫と呼ばれる、千陣夕花梨ゆかりが生まれるまでは、誰もチャレンジせず、成功しなかった領域だ。



「見たところ、武器は持っていない……。やはり、式神に戦わせるつもりか?」

「うーむ……」



 自ら申し出た、数名の隊長が動くほどの化け物との、決闘。

 たとえ、惨めに殺されても、武家として、十家の次期当主として、面目が立つ。


 高校にすら通わず、自分の屋敷に引き籠もっていたかと思えば、今は東京のほうへ行き、何やら泊まり込んでいる始末。

 京都でやっていけず、誰も知らない都心へ行って、自堕落な日々を過ごしているのだろう。


 この場で、和眞が勝つと思っている人間はおらず、父親ですら、息子が自分の不始末にケジメをつけると、覚悟していた。



 いよいよ、開始の合図。



 自由の身になった大蜘蛛が動き出し、宇宙からの侵略者のように、複数の目を光らせた。

 住宅の柱のような多脚が、杭のように、動き出す。


 随伴する子蜘蛛たちも、ガサガサと、前進する。


 ザッザッと、九条和眞も、正面から近づくように、歩き出した。


 やがて、お互いに距離が詰まり、ピタリと立ち止まる。



「おい? どうして、式神を前に出さない!?」

「死ぬ気か? だが――」



 フ―――ッ


 和眞は、長く息を吐いた。


 同時に、下ろしている右手を開く。



 ガンッ ガンッ


 何かを削り出すような、硬い音が響いた。



 周りの地面が、えぐられたように消えて、その代わりのように、和眞が握り込んだ右手に、短い脇差わきざしが出現。


 刺すのがせいぜいの、短い刃。



 それはまるで、物体を変換させたような……。


「錬金術?」


 誰かの言葉が、その現象を説明していた。



 奇しくも、松川まつかわみやびが切り札とした、短い懐剣かいけんを思わせる。


 操備そうび流の評議員、マスクド・レディ(仮面の淑女)は、彼女の一部始終を遠くから視ていた。


 それを知らされた和眞は、初めての命懸けの戦いで、無意識に、それを具現化していたのだ。



 周囲の注目を集めた和眞は、一言だけ、つぶやく。


「…………僕も好きだよ、雅」



 その意味を理解したのは、最も豪華な位置に座る、宗家の千陣ゆうだけだ。


 けれど、その短い刃で、何を斬る?



「君たちには、同情を禁じ得ない……。ただ、僕の強さを証明する……。それだけのために、死んでくれ」


 笑顔だ。


 優しさを感じる笑顔の和眞は、右手だけで脇差を持ち、自身の霊圧を解放する。



 彼を中心に、霊圧の渦巻きが発生した。

 それは周囲の空気を吹き飛ばし、地を揺るがす。


 観客席にいる人間が、両腕をクロスさせ、自分の正面をかばう。

 一部は、気絶している。


 隊長格というのが生温い、圧だけで即死するほどの、プレッシャー。



 それをまともに受けた大蜘蛛は、一瞬で、結界の端に辿り着き、その長い脚で必死に、見えない壁を破ろうとする。


 子蜘蛛たちも、遅れて辿り着き、大蜘蛛に縋りつく。



 出してくれ。


 ここから、出してくれ……。



 形振なりふり構わず、逃げようとする蜘蛛たち。


 それに対して、和眞が歩く度に、地面が下から弾け飛ぶ。


 もはや原型を留めぬ、大地。



 ゆっくりと近寄った和眞は、殺気の欠片もなく、右手を動かしながら、謝罪する。


「本当に…………すまない」



 その右手が見えないほどのスピードで振るわれ、その延長線上にあった蜘蛛たちは、瞬く間に細切れとなり、続く霊圧によって、消し飛ばされた。




 この日、九条和眞は、満場一致で、隊長格の力があると認められるも、自身の未熟さを理由に、『最年少の隊長』となる栄誉を辞退。


 悪行罰示あくぎょうばっしと言えるほどの、巨大な狼の怪異を従え、その群れも、式神とした。

 強大な敵を己の力だけで屈服させる、隊長試験も、同時にクリア。


 近いうちに、九条隊を結成するため、水無瀬みなせ隼星しゅんせいが隊長である、水無瀬隊に入った。


 隊長が自ら教えることで、実務とノウハウを覚えた和眞は、その恩に報いつつも、いよいよ独立した。



 全ては……自分の子供を迎えるため。


 千陣流は、それをきっかけに、再び揺れる。

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