第693話 原作のハーレムルート

「くっ!」


 三者が密着した状態は、別世界の『鍛治川かじかわ航基こうき』が、俺につかまれたこぶしを振り払い、飛び去ることで、解消した。


 低く飛んだから、空中を狙うことは、できず。



 もう片方の手で支えていた、この世界の鍛治川航基を手放し、下へ落とす。


 ゴンッと、痛そうな音がしたものの、俺の視線は『航基』だけ。


 もう少し、密着したままなら、それで終わったのだが……。



「てめえ……。どこから……いや、お前も、の力を借りているってのか!? そんな……。ええいっ!」


 俺の姿を見た『航基』は、明らかに動揺したまま、いきなり姿を消した。



 全てを知覚した後に、つぶやく。


「逃げたか……。判断が早い……というよりも、未来を読んだ? こちらの状態を把握している可能性も……」


「しげ……とお」


 地面に倒れ伏している航基が、うめいた。


 そちらを見下ろして、とりあえず、ねぎらう。


「ああ、よくやった……。室矢むろや家の当主として、悪いようにはしない。後は、俺に任せろ」


「たの……」


 言い切る前に、航基が気を失った。


 異能で身体強化をした、魔法師マギクスの指揮官が、声をかけてくる。


「室矢さま! 自分たちは――」

「負傷者を緊急搬送! 現場の確保は、不要だ。身柄を含めて、警察に手掛かりを残さないよう、速やかに撤収! 以後は、悠月ゆづき明夜音あやねの指示に、従え! 俺は単独で、逃げた奴を追う」


 悠月家の中で、明夜音の直属である兵士たちは、俺に敬礼した。


「ハッ! ただちに、撤収します!!」



 忙しく動き回る、マギクスたち。


 それを後目に、部屋着のままで、考え込む。



 どうにも読みづらく、後手に回らざるを得なかった。


 けれど、これでようやく、手掛かりを得たわけだ……。



 いつ、どこで、誰を襲われるか、不明。


 その状態が長引くほど、被害が増えるだけで、いずれ致命的なダメージにも。


 航基は、このまま犠牲になっても、構わないが……。



 24時間、常に警戒し続ける生活は、俺たちの心身を病み、やがて自滅する。


 だから、このまま、襲撃してきた『鍛治川航基』が逃げ戻った世界へ、乗り込むしかない。


 情報を持ち帰らせた以上、時間を与えれば、それは、奴の味方になるだけ。



 防衛戦は、常に相手のエリアで行うことが、望ましい。


 なぜなら、相手の勢いを削ぎ、ダメージの回復にリソースを避けるから。

 加えて、停戦交渉でも、一時的に占領した部分を明け渡すだけで、良い。


 逆に、自国で行った場合は、そのデメリットを受けることに。


 日本も、戦国時代までは、この戦術が当たり前。

 隣村ですら、好きに奪っていい場所。



「俺の能力を考えれば、周りに味方がいないほうが、やりやすいか……」



 そもそも、奴がいる世界は、まだ未知数。


 例えば……。


 行きました。

 有害な海だけの世界で、ビルのような津波と、大量の雷に、襲われました。


 では、シャレにもならん。



「鬼が出るか、蛇が出るか……。この台詞、ベル女の交流会でも、あったな」


 苦笑した俺は、片足で円を描くことで、『鍛治川航基』がいる、並行世界へ。



 ◇ ◇ ◇



『偉大なる、は、次の行事で――』


 街頭の大型モニターが、鍛治川航基を称えている。


 俺がいる世界で遭遇した時にも、感じたが……。



「ここは、の、クリア後か……」



 元の世界の東京と同じ、多くの人が行き交う、市街地。

 これだけでは、判別できず。


 けれど、さっきの番組は、鍛治川さまと、ほざいていた。


 そう。

 【花月怪奇譚かげつかいきたん】のハーレムルートでは、鍛治川航基が日本の表と裏をどちらも支配したうえで、日本のとなるのだ。


 もちろん、鍛治川流の宗家として、その復興も、成し遂げた。



 以前に、周回プレイ前提と説明したが、珍しい話ではない。


 マイスターの俺から言わせれば、個別ルートをやれば、全員を一度に攻略したいのは、SFアニメで、ビームライフルを出すぐらい、当然のこと。


 制作サイドとしても、素材を増やさず、お手軽に満足度を高められる、いわばサービスシーンだ。


 もっとも、実際に【花月怪奇譚】の世界――それに近似しているだけの可能性を含む――で生きてきた俺は、このハーレムルートに、疑問を隠せない。



 端的に説明すれば、ハーレムルートは、個別ルートではあり得ない、



 幼少期の咲良さくらマルグリットは、両親を失わず、魔法を使うほど寿命が縮む点も、解消された。

 ヒロインの時翼ときつばさ月乃つきのとの関係は、言うまでもなく、良好。


 千陣せんじん夕花梨ゆかりは、ありのままの自分を認めてくれる存在を得た。


 メインヒロインの南乃みなみの詩央里しおりは、親友の小森田こもりだ衿香えりかを失わず。


 北垣きたがきなぎは、罠にめられない。

 ヒロインの錬大路れんおおじみおも、平穏に暮らしている。


 魔法師マギクスは国家の敵とならず、悠月明夜音が化け物にならないことから、彼女と親友のヒロイン、佐伯さえき緋奈ひなも、幸せに過ごす。



 ヒロイン達が、それまで苦しめられていた原因を断ち切るか、事前に潰して、鍛治川航基は、伝説となる。


 日本の四大流派を代表する存在となったうえ、その組織力と、圧倒的な武力を活かして、表の舞台も席巻したのだ。


 異能者と非能力者が和解した、歴史的な瞬間。



 俺は、前世でプレイしたから、それを美談として、見た。


 実際に来てみれば、思っていたよりも、普通の東京だ。



 今の俺は、部屋着だが、外をうろつける程度のファッション。


 歩道を歩いても、不審がる通行人や、店員はいない。


 

「奴は、どうやって……」


 原作の知識を得たのか?


 そこが、大きな問題だ。


 加えて、並行世界を渡った技術、あるいは、スキルも、突き止めなければならない。



 光速を超える、ワープ航法に近い、特別な技術と、それを実現できるだけの装置がいるはず。


 まとめて潰さなければ、ハーレムルートの鍛治川航基を倒しても、別の奴が同じことを始めるだけ……。



 並行世界については、大きく分けて、2つの仮説がある。


 タイムリープのように、何らかの理由で、分岐した世界ができた場合、どちらも並行して存在する説。


 もしくは、何らかの強制力が働いて、1点の姿へ収束していき、別の世界はいずれ消滅するという説。


 まあ、宇宙そのものが、真空だけど絶えず、粒子が発生しては消えている。という、謎の仕様だ。

 深く考えても、仕方ないだろう。


 下手をすれば、この現実に別の宇宙が重なっているけど、気づかないし、触れられない。という可能性も、あるのだから。


 いずれの仮説が正しいにせよ、やることは一緒。


 相対性理論の本を持ち、鍛治川航基の息の根が止まるまで、殴り続けるだけ。


 右が一般で、左が特殊だ。


 重力がある場合と、ない場合で、その差を実感しろ!



「大罪人、千陣せんじん重遠しげとお! 大人しく、投降しなさい!! 今ならば、慈悲深き鍛治川さまの恩情により、1日30の刑罰のうち、5つを選択する権利を与えます!」



 気づけば、通行人はおらず、桜技おうぎ流の演舞巫女えんぶみこに、囲まれていた。


 彼女たちは殺気立っていて、御刀おかたなの切っ先を向けている。



 黙っていたら、囲んでいる1人が、突っ込んできた。


 片足で円を描くように動きつつ、沈み込む。


 その勢いで刃を避けつつ、彼女の足を払い、背中を押した。


「くうっ!?」


 

 他の演舞巫女たちが、そいつの名前を呼びつつ、刀を握り直すも、連携のない攻撃が続くだけ……。


 未来予知を使うまでもなく、その手足を制しながら、動いている方向へ崩す作業。



 急所は守れているが、硬いコンクリートで強打すれば、相応のダメージがある。


 どいつも士気を失い、怯えた表情のまま、遠巻きに囲むだけ。



「下がりなさい! ここからは、私が相手をするわ!!」



 錬大路澪の声だ。


 切っ先を向けていた演舞巫女が下がり、代わりに、澪がマッチアップ。


 俺も、奪った御刀を握り直し、丁寧に受け流していく。



 ……弱い。



 原作の試練がなかったせいか、この世界の航基による趣味か。


 ともかく、俺が知っている澪よりも、異常に弱い。



「澪ちゃん!」


 よく知っている声と共に、斬撃が飛んできたから、余裕を持って、受け流した。


 北垣凪だ。



 2人いるのに、全くプレッシャーを感じず。


 違う世界とはいえ、よく見知った顔ぶれを傷つけるのは、忍びない。


 持っていた御刀を捨てながら、霊力で身体強化をしての、高速移動。




 郊外に出るぐらいの、空き地がある場所。


 そこで、俺は出会った。


 いや、出会ってしまったのだ。



 この世界にも、確実にいると、分かっていたのに……。



「航基さんには、指一本、触れさせません!」



 一番よく知っている声を聞きながら、その後ろにいる、鍛治川航基を見た。


 けれども、俺を睨む南乃詩央里によって、奴の姿は隠される。



 …………


 …………



 やはり、消すしか、ないのだろうか?


 須瀬すせ亜志子あしこの時と、同じく。

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