第663話 特に意味のない為替レートが重遠を襲う!

 WUMレジデンス平河ひらかわ1番館の、パーティールーム。

 相変わらず、民間の共用施設とは思えない、豪勢な雰囲気だ。


 大きな窓からの光は、夕暮れを示している。


 俺は、一通りの会話を済ませた後に、ボーッとしたまま。



 正妻の南乃みなみの詩央里しおりに任せたから、アボカド、サンドイッチ、ラップサンドなど、女向けのメニューだな。

 スイーツタルトもあるのが、それっぽい感じ。


 高級ケータリングのようだ。

 仕上げと種類、テーブルの上に並んでいる数を見れば、すぐに分かる。


 一口、二口で食べ終わる量で、ズラッと用意するのは、かなり大変。



 真牙しんが流のグループである、悠月ゆづき明夜音あやね

 俺の妻でもある彼女は、ユニオンの王女と接している。


 明夜音の後ろには、お付きの鳴宮なるみや日和ひより

 それから、明夜音のバレの開発チームに加わった、工藤くどう・フォン・ヘンリエッテの姿も。


 この2人は、久しぶりに見た気がする……。



 ユニオンのアド……アドラステア王女は、堂々と話している。

 やっぱり、後ろで気配を殺している、クリスタ。


 ここだけを抜き取れば、海外の社交の場だ。



 横に座っている詩央里と、静かに過ごす。


 スタスタと、室矢むろやカレナが、歩いてきた。


「楽しい時間は、いつまでも続いて欲しい……。さて、重遠しげとお? 今回の思わぬゲストは、お主にも好機じゃ! あやつらに頼めば、明かされる真実もあろう……。どうする?」


 探るような目つきに、俺は毅然きぜんと答える。


「利用できるものは、利用する。……代価は?」


 カレナは、意味深な様子で、詩央里のほうを見た。


「少し、時間をくれ」


 溜息を吐いた詩央里は、ソファから立ち上がった。




 俺は、怖い。


 こうして余裕が出てきた反面、残った2つの要素が、いつまでも食い込んだまま……。



 【花月怪奇譚かげつかいきたん】に登場した、悪役。

 『千陣せんじん重遠』は、紫苑しおん学園の高等部で、主人公の『鍛治川かじかわ航基こうき』と対立した。


 どうして……。


 どうして、本来の重遠は、航基を殺さなかった!?



 俺の身体は、『千陣重遠』のもの。

 その魂はもう……消えてしまったのだろうか?


 

 さらに、もう1つ。


 原作の詩央里ルート。



 千陣流ルートにもなっていて、恐らく……。


 

 『千陣重遠』のも、含まれている。



 今までに、原作のバカ……もとい、主人公の視点では明かされなかった事実が、ゴロゴロと出てきた。


 俺は、全てが明らかになった時に、それを受け入れられるのか?

 詩央里と、千陣夕花梨ゆかりは、何を思うだろう?



 …………



「前に、言ったじゃないですか? 『とうに、覚悟はできています』と……」


 そのささやきと一緒に、背中で温かく、柔らかい感触。


 詩央里だ。



 視線を感じて、そちらを見れば、苦笑している夕花梨。


 息を吐いた俺は、ひとまず、考えるのを止めた。



 そうだな。

 原作の『千陣重遠』がどうであれ、俺は俺だ……。



「さあ! 室矢むろや家の当主が動かないと、みんな、困りますよ?」


 詩央里に手を引かれ、俺は立ち上がった。



 ◇ ◇ ◇



 飛んでいる航空機の窓から、外を眺める女子。


 アドラステア・リーディ・シェラフィールは、機内に視線を戻して、ふうっと息を吐いた。


 ここは、座り心地が良く、関係者だけのプライベートジェットだ。



「アド? 飲み物を持ってきました」

「ありがとう」


 お礼を述べたアドラステアに対して、お付きのクリスタも、隣に座った。


「助かりましたね……」


 万感の思いを込めた台詞に、アドラステアは首肯した。


「ニナは一足先に、帰ったようです。それにしても、彼の力が、あそこまでとは……」


 言うまでもなく、室矢重遠のことだ。


 クリスタは、周りを気にしながら、小声で返す。


「空間を移動したのでしょう。室矢カレナと名乗っていた、Black Pearl of the British Isles(ブリテン諸島の黒真珠)の権能という可能性も、ありますが……」


 室矢家のパーティーが終わった後で、あっさりと、滞在先のホテルの部屋に帰された。

 一瞬で移動したことから、ワープのたぐい


 ひたすらに頭を下げたが、ギリギリで、誤魔化せた。

 一部をキャンセルしながら、残った予定をこなし、帰国の途についたのだ。



 緊張しているクリスタに対して、アドラステアが真面目な顔で、応じる。


「いずれにしても、これは由々しき事態です。……誰にも理解されず、私は大罪人になるでしょう。クリスタ。それでも、私についてきてくれますか?」


 アドラステアは、室矢カレナの仲介で、南乃詩央里と取引をした。


 どういう形でも、その罪を裁かれることは、まぬがれない。


「Yes, My lord.(はい、どこまでも……)」


 今のアドラステアは、王族。

 正しくは、Yes, Your Highness. のはず。


 つまり、そういうことだ。



 クリスタの視点では、幼馴染で、自分が仕える女主人のため。

 それに加えて、これは――


「ユニオンのため……。全てを話したところで、誰も信じません。だからこそ、私たちが動きましょう!」



 向かうは、懐かしい母国。


 ちっぽけな島国でありながら、世界を統べて、今も影響力を与えている場所。

 その中でも、円卓ラウンズの拠点である、キャメロットだ。


 円卓の騎士である彼女たちは、そこに足を踏み入れられる。


 調べなければいけない。

 『伝説の魔術師』と呼ばれていたマルジンと、室矢重遠の繋がりを……。



 恐らくは、それに関わる品物が、持ち出されているはず。

 だとすれば、ラウンズだけではなく、ユニオンにとっての、大きな損失。


 この世界では、強大な異能こそ、国家を守る盾であり、剣。

 それを盗まれたなど、今の最高責任者を切り飛ばしても、まだ足りず。


 けれど、認めるわけにはいかない。


 誰にも気づかれずに、真相を暴き、重遠の謎の1つを解き明かす。

 できれば、裏切り者も、始末しておく。


 難しいオーダーだ。

 だけど、やるしかない。


 成功報酬も、その危険に見合ったものだ。



 アドラステアは、笑顔になった。


「ある意味では、ユニオンのために、この身を捧げるわけですし……。室矢家の皆さんは、良くしてくれました! 彼らの幸せを壊す気は、ありません」


 首肯したクリスタが、同意する。


「はい、アド……。上手くいけば、誰もが笑って過ごせるでしょう」


 うつむいたクリスタは、思い詰めたように、アドラステアのほうを見た。


「後悔は……しませんか?」


「うん! 全てが終わったら、になっちゃうのは、少し残念だけどね?」


 言葉を切ったアドラステアは、慈愛に満ちた顔に。


「聞いて、クリスタ? たぶん、これが運命なんだと思う……。ニナと仲良くなって、彼を知り……。円卓の騎士も、このままじゃいけない。だから……」


 笑顔のクリスタが、それに合わせる。


「夢見る王女と、海を越えた女好きの組み合わせは、少々できすぎ……。それはともかく、これでスノードニアの湖の妖精女王とも、交渉できると思いますよ?」


「私たちでは、もう無理ですからねー。長期的に考えるしかない!」


 ドサッと倒れ込んだ、アドラステア。


 思い出したように、独白する。


「彼が本気を出したら……どうなるのでしょう?」


「確認済みの情報だけで、山を吹き飛ばし、ネイブル・アーチャー作戦の連合艦隊を一蹴。しかも、我々の辺境伯たる、ケイレブきょうがお認めになられて、剣聖を決闘で倒したのです。南極遠征については、詳しい情報がありませんけど……。ラウンズの誰かが、彼の女となり、よしみを結ばなければ、一方的に殲滅されることも、覚悟しなければなりません。ですが……」


 知っている情報を並べたクリスタは、ジト目だ。


 笑ったアドラステアが、目をらしつつ、それに応じる。


「原点に戻るだけ……。ラウンズの物は、ラウンズに! 少し、形は変わりますけどね?」


 この接点が4,000なら、安い、安い。と言った、アドラステア。


 彼女は、小言になりそうなクリスタを回避するべく、シートにもたれかかり、目を閉じた。




 ――東京のプライベートバンク


 アドが書いた小切手を持ったまま、俺は指定された場所へ。


 一般のオフィスビルで、銀行を示す文字は入っていない。



 受付で名乗ったら、少し待たされた後に、高級スーツを着こなした外国人の男。


「お待たせしました! 初めまして……。どうぞ、こちらへ」

「はい」


 握手に応じたら、すぐに案内された。


 応接室らしき部屋で、席を勧められ、紅茶と洋菓子も出される。


 ドアが閉められ、正面に座った男の自己紹介。


「私が、シェラフィール様の担当です。ランプリングと、お呼びください。ああ、こちらは、ファミリーネームですから!」


 流暢な、日本語だ。

 あの王女のフルネームは、アドラステア・リーディ・シェラフィールと、小切手のサインで分かった。


 ソファに座ったまま、向かいのランプリングに会釈。


「分かりました。俺は、室矢重遠です。さっそくですが、こちらをお願いします」


 相手のほうへ向けた小切手を差し出したら、ランプリングは、両手で受け取る。


「拝見します……。では、すぐに実行いたします。現金で、ご用意しても? 口座振込をご希望なら、手配いたしますが……」


 探るように、こちらを見てきた。


「口座振込は、やっぱり、マズいですよね?」


 苦笑したランプリングは、上品な仕草で、両手を組んだ。


「私の口からは、あまり申し上げられませんが……。その出所を探られて、シェラフィール様に辿り着かれては、困りますね。この国の税務署は、優秀ですから」


 ああ、そういうことか。


「そこは、承知しています。現金で、不自然にならないよう使えば……でしょ?」


 微笑んだランプリングは、首肯した。


「ありがとうございます。日本円のお渡しでも? ……では、少々お待ちくださいませ」


 その発言で、壁際に立っていたスーツ男が、会釈をした後に、外へ。



 待ち時間で、紅茶と洋菓子をいただく。


「プライベートバンクと言っても、会社のようですね?」


「はい。私共わたくしどもは一般向けではなく、そちらの評判を気にする必要はありませんので……。室矢様についても、シェラフィール様のご紹介があれば、口座開設を検討いたしますが?」


 社交辞令かどうか、判断に迷う台詞だ。


「やっぱり、紹介制なんですね。いえ、今はお気持ちだけで」


「左様で、ございますか……。私共は、まとまった資産をお預かりして、無限責任による運用を行っております。保全、管理、運用における手数料が、主な収入です。大衆向けとは運用成績が全く違い、今回のように、情報の秘匿性も万全……。室矢様の訪問についても、シェラフィール様からのご連絡がありまして、失礼ながら事前の調査を行いました」


「もし、この小切手を別人が持って来たら?」


 その質問を聞いたランプリングは、違う笑みを浮かべた。


に、お帰りいただくだけの話です……ああ、用意ができたようですね!」


 怖い、怖い。


 怯えている間に、トレイが置かれた。


 先にランプリングが、見事な手つきで、お札を数え――



 あれ? ちょっと、待って!?


 4,000円のはず……。



「4,000ポンドの、お支払いです。本日、朝8時のレートで――」


 待って、待って?


「日本の通貨で、約72万円となります。現金はその場限りのため、納得できるまで、ご確認をお願いいたします」


 ランプリングの話を聞いたスーツ男によって、トレイは俺のほうへ。


 呆然としている間にも、ランプリングが説明する。


「こちら、計算式となります。申し訳ありませんが、この場でご確認ください。……お札の番号はバラバラですから、ご安心くださいませ」



 ヤベーよ、おい!


 どうしよう。

 4,000なんて、言わなければ、良かった。


 100£でも、1万8,000円ぐらいじゃん!?

 そりゃ、アドが自慢げに、言うわけだ!


 時間を戻したい。

 あの時の自分を殴りたい。



「疑問点がございましたら、どうぞ遠慮なく……」


 ランプリングに言われて、目の前のお札を数え始めた。


 なぜ、こんな事に。

 どうするんだよ、この大金!?


 

 今むしょうに、叫びたい気分だ。

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