第650話 このウォーターサーバーは飲用ではありません

 東京の隅田すみだ川。


 日本にしては珍しく、穏やかで横幅がある水面だ。

 左右の岸は整備されていて、緑化された散歩コースになっている。


 それぞれに高層ビルや、昔ながらの建物が混ざり合い、歴史を感じられる雰囲気。


 今は、初夏の夜明け直後。

 豪雨の音がうるさく、水面にも叩きつけられている。


 日が高くなってきた。


 周囲の風景がハッキリと見えるものの、朝の食事や、情報番組をつけている家庭の灯りが目立つぐらい。


 この船に注目する市民がいないことは、喜ぶべきだ。


 ダイビングスーツで後部デッキへ乗り込んだ小坂部おさかべけいは、防水のバックパックを背負ったまま、右足のホルスターに収まっている拳銃を抜く。

 

 プラスチック製のグリップを握れば、必要最低限のフォルムによる、黒の銃身が姿を現す。

 ホルスターと擦れたことで、ザシュッという、小さな音。


 左手を上に添えたまま、シャキッと、スライドを後ろへ引く。


 薬室やくしつに弾丸があることを見て、戻りたがるスライドを自由にさせた。

 両手で握ったまま、銃口を下ろす。


 以前に、マギカ製作所のラボで、不破ふわ哲也てつや室矢むろや重遠しげとおに渡したバレ、そのモデルとなった『フラック19』だ。


 世界中の警察や軍隊で採用されていて、このような水中からの侵入にも、向いている。


 メーカー正規品で安く、も混じっているが、全体的に信用できる。

 お値段を考えたら、スライドが引っかかる、などの問題もあるだろう。


 いずれにせよ、分解整備と、消耗したパーツの交換は、重要。

 腕の良いガンスミスがいる店を選び、きちんと調整してもらうべき。




 慧は、乗り込んだ船の後部デッキの端。


 全体的に白く、側面に電子掲示板を備えている。


 沿岸警備隊が使っている、だ……。



 ブロロロロ


 エンジン音が高くなり、後ろのスクリューが回り出した。


 周りの景色を楽しむ余裕はなく、慧はハンドガンを構えたまま、揺れる後部デッキから前へ進もうと――


 慌てて、元の場所へ隠れ、息をひそめる。



 ボ――ッ


 パ――ッ


 通り過ぎた巡視船が、挨拶の代わりに、汽笛を鳴らした。


 慧が乗っているほうも、返答。



 物陰から、その巡視船を見れば、臨戦態勢だ。

 武装した警備隊が、雨合羽を着たままで、甲板に立っている。


 深呼吸をした慧は、改めて前方の構造物へ向かう。


 ダイビングスーツのため、豪雨でも関係ない。

 まとめた黒髪から、その顔を伝い、シャワーのように落ちていく。



 出入口まで辿り着いた慧は、壁に張り付いた。

 左手でドアノブを触り、そっと動かす。


 ガチャッ


 施錠されておらず、あっさりと開いた。

 


 右手の銃口を向けつつ、視線と同じ方向にしたまま、足を動かして回り込む。

 ハンドガンや手首を握られるか、叩かれないよう、胸元に引きつけた構えだ。


 自身の体でドアを押さえつつ、左手もハンドガンに添える。


 単独で乗り込んでいる慧は、接敵したら撃つだけ。

 半身になったまま、一気に踏み込んだ。


 キュキュキュッ


 右手でグリップを握りつつ、左側をチェック。

 すかさず、左手に持ち替えつつ、右側もチェック。


 この間に、ハンドガンは胸元のまま。


 クリア……。


 ようやく、身体から離したポジションへ。


 右手でグリップを握り、左手で包み込むスタイルだが、銃と顔の距離が近い。

 左ななめに傾けた銃口で、周囲を探る。


 いったん、両手を下ろし、レッグホルスターへ仕舞った。



 ここは、風防のような空間だ。

 外の作業で使う備品の置き場も兼ねているらしく、頑丈なロープの束や、汚れたままのバケツと、雑多にある。


 びしょ濡れの雨合羽が吊るされていて、かび臭い。


 ガチャ ギィイイッ


 内部へ通じるドアが開き、テレビや、話し声が漏れてくる。


「I'm not so lucky. ......(俺は、ついてないぜ……)」


 バタン


 ドアが閉じられ、入ってきた男は、薄暗い空間で準備を始めようと――


「Don't move.(動くな)」


 若い女の声と同時に、背中から逆手で握られたナイフの、冷たい刃。

 喉元に添えられたことで、男は思わず息を呑み、おずおずと両手を上げる。


 いっぽう、小坂部慧は、自身の胸を押し当てていることに構わず、右手のダイビングナイフで男を制圧したまま。


「Where did the crew of this ship go?(この船の乗員は、どこへやった?)」


 声と感触で若い女と知った男は、余裕を取り戻した。


「This ship is the Coast Guard. Don't be stupid(この船は、沿岸警備隊だ。バカな真似は)――」


 慧はナイフを喉元に食い込ませつつ、左手で相手の手首をプレス機のように締め付け、その痛みで声を漏らした男に言う。


「Twice, I don't ask.(二度は、聞かない)」

「Wow, okay.(わ、分かった)」



 この巡視船は、擬装。

 隅田川で待機して、外からの指示を待っている。


 話しながら、男は右肘で後ろの慧を突き、そのままナイフを握っている腕をはたく。

 異能者のようで、彼女の腕からナイフが飛んだ。


 パイプが走っている壁面に当たり、カーンッと、甲高い金属音を立てた。


 沿岸警備隊の服を着ている男は、裏拳を放ちつつ、後ろを向く。

 左手で抜いたナイフで切り裂きつつ、今度は右手に持ち替えた。


 後ろへ飛んだ慧は、両手を前へ出すも、男がナイフで上下に攻撃してきたから、無理せず後退。


 かさかって、一気に押し込んだ男は、慧が両手で持つ薙刀なぎなたに貫かれ、呆然と自分の体を見下ろした。


 半身で後ろ足を斜めにした慧は、舌打ちしながら、先端の刃でえぐった後に抜く。


 すかさず、顔面を突き刺し、トドメを刺した。


 ドサッと崩れ落ちた男に構わず、薙刀を消す。


 飛ばされたダイビングナイフを探す間もなく、物音を聞きつけた人間が、先ほどのドアから入ってくる。


「What's up?(何かあったか?)」

 パンッ


 右足のレッグホルスターから抜いた慧は、両手で構え、まだ状況を把握できていない男を撃った。


 もはや躊躇ちゅうちょしている段階ではなく、倒れる男の横を通り、次の部屋へ突入する。


 パンッ

 パンパンパンパンッ


 目についた人間に、片っ端から撃ち込む。

 人数が多いため、1人につき1発ずつ。


 混乱する、沿岸警備隊に成りすましている集団。


 反撃で撃たれるも、慧は全く怯まない。



 弾切れで、上のスライドが後退したままで止まる、ホールドオープンに。


 右腕を動かさず、上半身を少し傾け、左腕を下に降ろす動きでマガジンをつかむ。

 リリースボタンで落ちていく空マガジンが床に辿り着くよりも前に、最短の動きで挿入。


 指で、側面にある、リリースレバーを動かす。

 スライドが前へ戻りつつ、初弾を装填。


 弾切れと見越して、抱き着くように飛びかかってきた男が、パパパンと撃たれ、その場で倒れ伏す。



 

 前方がよく見えるブリッジにいる慧は、空薬莢からやっきょう――正しくは、撃ちがら薬莢――や、死体が散乱する状況を気にせず、周りを見る。


 巡視船は、制圧した。


 けれども、ここからが本番だ……。



 GPS、レーダーが並ぶ場所に、ウォーターサーバーぐらいの装置があった。


 自作のパソコンのようなケーブル、取り付けのボルト、チカチカと光る部分があるリレースイッチも見えている。


 傾いた時に切り替わる、水銀スイッチが、透明な容器の中で輝く。


 金属のクリップが、別の金属板につけられている。


 複数のボタンは、何に使うのだろうか?

 ゲームセンターと同じで、ランダムに光っている。


 デジタルの黒い画面には、赤い数字。

 幸いにも、まだ動いていない。



 両手をフリーにした小坂部慧は、ごくりと、唾を飲み込んだ。



「これが……



 近衛師団の切り札の1つ。


 それは、東京の河川に潜伏させた船の爆弾。

 巡視船に偽装していれば、すぐには注目されないだろう。


 任意の場所で爆発させれば、十分な陽動になる。

 あるいは、ここから運び出し、どこかを吹き飛ばすつもりか?



「ここで、役に立たないとね! また、重遠しげとおに可愛がってもらうためにも……」


 慧は冷や汗をかきながら、巡視船のブリッジに置かれた爆弾と向き合う。


 こんな事もあろうかと、彼女は爆発物処理の基礎講習を受けていた。

 しかし、経験はない。


「えっと、爆発物は……」



 現代の爆発物処理は、基本的に爆破だ。


 なるべく起動しない状態にした後で、安全な場所へ運ぶか、周りを固めた後で、ドカン。


「映画やアニメのような爆弾は、ない。……そんなものを作る意味がないから」


 背中のバックパックを下ろし、中から道具を取り出していく。


「大量の液体……。たぶん、常温で液体の爆薬。この手のは、直前で2つを混合……これが完成品ね」


 ふたを開けたままで転がっている大型ボトルを見た慧は、自己完結した。



「種類によるけど、下手をすれば、都心の一角が吹き飛ぶ……。どこのどいつが、こんなクレーンゲームの爆弾を作ったのよぉ!」


 絶対にカバーを開けたくないが、手を付けるしかない。


「手持ちの液体窒素を使い切っても……。これ確か、携帯電話のフラッシュが、信管の代わりになるんだっけ……」


 通常ではないルートで調達した、液体窒素のスプレー。


 これで、装置やバッテリーを凍らせれば……。



「爆弾の起爆は……。時限式か、無線による発火のどちらか。今は、低温に強いバッテリーもあるから、凍結が通用するとは限らない」


 習った知識を口にした慧は、溜息を吐いた。


「抱えて運べる大きさだけど、かなり重そう。揺すっただけで、爆発しそうだし……。川に捨てるのは、マズいよね、やっぱり?」


 液体なら、もう流したい。


 そう思った慧は、天井を見た後で、視線を戻す。


 両手で上のカバーをつかみ、一気に外した。



 05:00


 04:59


 爆発までのカウントが、始まった。

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