第638話 偽りの英雄と星を見つけた男ー④

 全裸の姉小路あねこうじは、手で胸と股間を覆わないまま、立ち尽くす。

 湯気だけでは、あまり隠せない。


 パチパチと、数回のまばたき。



 正面から向き合っている男も、全裸だ。

 ようやく、声を出そうとする。


 その前に、真剣な表情の姉小路が、動き出した。


 鋭い目つきで、男のほうを睨む。


 常に身に着けている、リストバンド型のバレによって、護身用の魔法を発動させた。



『きゃあっ! ちょっと、エスティ!?』



 女の声だ。


 脱衣所のほうで、すっ転ぶ音。


 

「少し、待ってて!」


 呆然としている男の横を通り過ぎ、ガララと引き戸を開けたまま、脱衣所へ飛び込んでいく。



 ドタンと騒がしい物音に、男がそっと覗けば、姉小路が倒れているかど麻弥まやを押さえ込んでいる。


 麻弥は服を着ており、その上に、四つん這いの姉小路が覆いかぶさっている構図。


 まだバスタオルで吸収していないため、身体に残る水滴が丸みを帯びたラインに沿って、どんどん床に落ちていく。


 その一部は、麻弥の服に、ボタボタと落ちている。



 全裸の姉小路は、必死な表情だ。


「問題を大きくしないで、麻弥……」


 浴場にある緊急通報のボタンを押そうと、気配を殺したままで動いていた彼女は、姉小路の魔法で両足を封じられたまま、抗議する。


「エスティ! これは――」

「私は、彼の誤解を解いていなかった。それは、望まない……」


 頑固な姉小路に、麻弥が折れた。


「ハイハイ……。明日の朝一で、あいつの中隊長と、話が分かるプロを呼んで、尋問をさせる……。これで、どう? なかった事には、できないわ」


「了解した。ひとまず、ここから部屋に戻ろう」


 息を吐いた姉小路は、床に横たわっている麻弥の上から離れた。


 魔法を解除したことで、麻弥の両足は、周りの空気による抵抗がなくなる。



 温泉があるスペースのほうから、男が覗いていた。


 つまり、全裸で四つん這いだった私は……。と理解した姉小路は、苛立たしげに息を吐く。


 近くのバスタオルを掴み、男の顔面へ投げつけた。


「話がついた……。明日の朝に、頃合いを見て、3人で尋問を受ける。できるだけ穏便に済ませるつもりだから、自棄やけにならないで! それから、絶対に気づかれず、話さないこと! 着替えたら、呼ぶ。いったん戻って」


「あ、ああ……」


 答えた男は、別のバスタオルを巻き付けた姉小路が、指をさした方向へ。




 ――翌日の朝


 ほぼ徹夜で接待をしていた中隊長、五十嵐いがらし善仁よしひと


 南極で活躍した機械化歩兵実験中隊を率いる彼は、二日酔いと寝不足のうえに、部下が魔法技術特務隊の女がいる浴場へ突撃したと聞いて、泣きたくなった。

 

 VIP用の建物で、個室で椅子に座ったまま、天井を見上げる。


「お前は、そういう問題だけは起こさないと、思っていたのに……」



 机を挟んで、反対側に座っている男、小島こじまがくは、縮こまっている。



 岳を駐屯地に送迎した、防衛省の柳本やなもとつもるは、第三者の立場で仲裁する。


「ひとまず、話を整理しては? せっかく、南極の遠征から帰国したのに、誤解で英雄を失墜させるのは、好ましくありません」




 地上でビーム砲を撃った直後、岳が乗っている、GX78『ファルコン』は、脚部にある炸裂式の装備を使うことで、即席のバンカーを形成。


 倒れ込むように、背中の装甲を開けて、パイロットの岳を放り込みつつ、自身はそのまま盾となったのだ。


 支援していたアリスの仕込みか、それとも、岳が本能的に操作したのか?

 あるいは、ファルコンが、大事な戦友を逃がそうとしたのか……。


 姉小路エステルの主張で、再び現場を訪れた、魔特隊の2名。


 そこには、投げ込まれた手榴弾の上に倒れ込んだような、全高4mのMA(マニューバ・アーマー)が1機。


 外部装甲は、プラズマ粒子によって、穴だらけ。

 爆発で融解しつつも、その下にいる岳を守り抜いた。


 魔法で身体強化した2人が、コックピットがある背中側を見た時には、あまりの都合の良さで、言葉を失う。


 どこか満足げなファルコンの様子から、機体がパイロットを守ったとしか……。




 溜息を吐いた善仁は、腕を組んだまま、反論する。


「誤解であろうと、これは警務隊に一任する話だと思いますが――」

「私は、彼とお付き合いしている!」


 珍しく、大声を上げた姉小路。


 いや、姉小路エステルは、感情的だ。


「処罰するのなら、私も同罪! その前提で、話して欲しい!」



 困った顔の善仁は、もう1人の当事者を見た。


「本当ですか?」


 肩をすくめた門麻弥は、苦笑しつつも、同意する。


「そうみたい……。私は後から脱衣所に入っており、何も見られていません。無関係で、お願いします」


 ここで、柳本積が割り込む。


「五十嵐さん? ひとまず、小島さんの発言だけ、チェックしてみては?」


 とにもかくにも、焦点はそこだ。




 積の連絡で、個室に嘘発見器が持ち込まれ、補助の人間によるセッティング。


「では、小島さん? これからの質問に全て、『はい』と答えてください」

「はい」


「あなたは、女ですか?」

「はい」


「あなたは、南極でMAのファルコンに乗りましたか?」

「はい」


「あなたは、防衛官ですか?」

「はい」



 記録されたパターンを見た積は、補助の人間と話し合う。


 すぐに戻ってきて、席に着く。


「お待たせしました! では、本番の質問に移ります。……あなたは昨晩、この施設の浴場へ、覗きか、性的に暴行する目的で入りましたか?」

「いいえ」


「姉小路さんを男性だと思っていましたか?」

「はい」



 いくつかの質問が立て続けに行われ、同じ内容もあった。


 やがて、積は、笑顔で告げる。


「少なくとも、彼が女の隊員を覗きか、襲うつもりはなかったと思います」



 その場にいる全員が、ぐったりとした雰囲気に……。



 座り直した積は、2枚の書類を差し出した。


「姉小路さん、門さん。これに、サインをお願いします! ただし、今回の件で小島さんを訴えることは、難しくなるので……」


 どちらも、すぐにサイン。


 それを回収した積は、五十嵐善仁のほうを見た。


「魔特隊には、私が説明しておきます。御二人とも、お願いできますか?」


 首肯した麻弥とエステルは、席を立つ。




 ――1週間後


 小島岳は、近づいてくる姉小路エステルを見た。


 どちらも私服で、周囲には大勢の人がいる。

 ここは、東京だ。



 エステルは、白ブラウスと青のロングスカートで、薄手の赤チェックの上着。

 ブーツとバッグは、黒。


 初夏にしては、慎み深い組み合わせ。


 女だと分かる服装で、周りの人間もチラチラと見ている。


 グレーがかった黒髪のショートヘアだが、こうして見ると、美少女。

 極夜で暗かったとはいえ、なぜ間違えたのやら……。




 予約していた寿司の名店に入れば、すぐに個室へ。


 おまかせコースのため、おつまみ、握りが、交互に提供されていく。


 小柄で無表情なエステルも、満面の笑みだ。


「美味しい!」


 ちなみに、1人5万円。


 これでマズかったら、笑えない……。



 日本酒をつけている岳は、思わぬ出費で、頭が痛い。


 すると、エステルは、とあるネタを二人前で頼む。



「赤貝です!」



 コトッと置かれた皿には、二枚貝の一種が、シャリの上で広がっていた。


 笑顔のままで、首をかしげたエステルは、箸で赤貝を示しながら、ゆっくりと言う。


「小島は、あの時の脱衣所で、四つん這いの私を見ていた……。ちょうど、お尻を向けていたから……」


 つまり、そういうことだ。


 スッと、伝票を寄越す。



 無言の圧力……。



「私は去年まで、女子高生。それをあれだけ、マジマジと――」

「払う」


 岳は、端的に答えた。


 そこに、クレジットカードがあるじゃろ?




 室矢むろや重遠しげとおも、似たようなイベントがあった。

 それも、中学生になったばかりの女子に……。


 被害者の天ヶ瀬あまがせうららは、初対面でパンストごとショーツを下げられた挙句に、丸見えの四つん這いへ。


 ちなみに、その時の重遠は、ピッタリ閉じていて、ストロベリーブロンドだから、桃だな! という感想。


 同年代の男子と手をつなぐ前に、酷い目に遭った彼女は、父親と、正妻の南乃みなみの詩央里しおりに認められ、晴れて重遠の女になった。


 これから、初デートの予定。


 今頃になって、良心の呵責にさいなまれる重遠……。



 彼は、都条例で禁止されそうなほど、危険。


 桜技おうぎ流の筆頭巫女として有名な天沢あまさわ咲莉菜さりなや、初夜で精神だけ外宇宙まで飛ばされた悠月ゆづき明夜音あやねは、もう中毒と同じ。


 重遠と同じレベルを求めるのは、酷な話だろう。




 脱衣所で二枚貝を披露したエステルが、共食いをした後で、岳のカードに新たな支払いが増えた。


 南極で回収してもらった恩。

 知らなかったとはいえ、女が入っている浴場へ乱入したことのフォロー。


 5万円で済めば、安いものだ。


 きっと、エステルは時価なのだろう。

 貝だけに……。



 寿司屋を出た後で、岳はふと尋ねる。


「そういえば……。お前のことは、何て呼べばいい?」


「エスティ……。名前のエステルは、星を意味する。名前で呼んでも?」


 あっさりと応じた岳に、彼女が説明する。


「岳……。諸般の事情で、しばらくは恋人の振りをする。……麻弥でなくて、ごめんなさい」


 しょぼんとしたエステルに、岳は言う。


「いいさ、別に……。どうしても、門さんでなければダメだ、という理由もない。それに、エスティほどの美少女は、中高でもいなかった。南極だから、ちょうど星を見つけたってところか!」


 顔を赤くしたエステルは、かろうじて返答する。


「そ、そう……」



 岳は、友達と恋人の中間にいる女子に、話しかける。


「色々と、悪かったな? 迷惑をかけた分は、これから返す」


 笑顔のエステルは、すぐに応じる。


「別にいい……。さっきのお寿司で、十分だから」


「男と間違えたことは――」

「それは、許さない」


 間髪を入れずに、笑顔のエステルが答えた。


「え?」

「許さない」

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