第323話 原作の主人公は遂に囚われたヒロインを助ける(前編)【航基side】

 日本の探偵は、ドラマとは真逆の仕事だ。

 何しろ、調査対象にバレてはいけない。


 指定された日数(時間)で、契約した内容を履行して、クライアントに報告する。

 必要があれば、ラブホの入口の前で12時間以上も立ったままで、出入りの一瞬を撮影するのだ。

 

 よく『元警察官』というキャッチフレーズを見かけるが、実態としては、言うほど多くない。

 昔は、先輩から頼まれたなどの理由で、特定の人物への職質や犯罪歴の調査をして、お小遣い稼ぎ、再就職先の確保とした時代もあったが……。


 端末を操作した履歴がバッチリと残る環境では、リスクが高い。


 数ヶ月、数年で交代しながら詰めていき、警察手帳を出して周辺の住民にも協力してもらえる警察とは違い、探偵は限られたリソースで結果を出さなければならない仕事だ。

 こちらは、張り込んでいたら近隣住民に通報される立場で、そのギャップは大きい。



 その探偵稼業の中でもベテランで、細々と個人経営をしている板谷いたや直也なおやは、当惑した。


 今回は、鍛治川かじかわ航基こうきという、男子高校生からの依頼だ。

 本人の気性に怪しい感じを受けたものの、来月の支払いのために引き受けた。


 同じ高校に通っていて、急に通信制へ移った女子生徒2名が心配だ。と説明していて、嘘を言っている様子でもなかったからだ。


 クライアントからの情報が多い素行調査なら、サクッと済ませて、そこそこの料金で終わりか。と思っていたのだが――



「どんだけ張っているんだよ、このマンション……」



 思わずつぶやいた直也は、一緒に隠れている男子高校生に、たしなめられた。


「オッサン、静かにしてくれ!」

「ああ、すまんな……」


 思わず謝った直也は、こそこそと質問する。


「どうして、ここまで張り込みしている人間が多いんだ?」

「は? ……ああ、新顔だから、知らねーか。説明してやると――」


 なぜか得意げになった男子高校生によれば、大部分はこのマンション――ディリース長鵜おさう――に住んでいる美少女たちを口説きたがっているとか。


 気になった直也は、訊ねてみる。


南乃みなみの詩央里しおり咲良さくらマルグリットの2人もか?」


「オッサン、その年で女子高生を狙って……。まあ、それはいいや。えーと、その2人も、このマンションに出入りしているよ。郵便ポストの表示で、住んでいる部屋も分かるから」


 途中で渡した千円札のおかげで、男子高校生は、協力的になった。


 お礼を言いつつも、周辺に女子学生が大勢いる理由を尋ねる。


「女子の連中は、何が目当てだ?」


室矢むろやカレナという、占い師がいるからだよ。でも、そっちは手を出さないほうがいいぜ? よく当たる占いで、順番待ちになっているんだ。そのせいで、こうやって出待ちってわけ!」


 うなずいた直也は、他にもプロとしか思えない連中がいるな、と警戒を強めた。


 車内や建物に設置された望遠カメラ、上空からの視線、あまり目立たない人物と、実にバラエティー豊か。

 気づいたことに気づかれたら、ヤバそうだ。


 再び、男子高校生に尋ねる。


「これだけ集まっていて、警官に職質されないのか?」


「不思議と、声をかけられないんだよ。初めてここに来る路駐の車は、よく取締りにあっているけど」


 よっぽど面倒だから、事件でなければ、最寄りの交番や警らも嫌がっている、と。


 その筋のマンション、政治やカルト系でよくある対応だ。

 しかし、ここがそうだ、という情報はない。


「こりゃ、思っていたより厄介だな……」


 呟いたら、意外にも男子高校生が同意した。


「まあね。……咲良さんだ。本当に綺麗だなあ」


 どうやら、意中の美少女が出てきたらしい。

 熱のこもった視線で、そちらのほうを見つめている。


 咲良マルグリットは、直也にとってもターゲットだ。

 素行調査を依頼されたうちの1人。

 しかし、素人の男子高校生とは異なり、間違っても直接ジッとは見ない。

 相手に気づかれないよう、ぼんやりと視界に収める。



 徒歩。

 自転車のスペースにも行かない。

 電車、バス、タクシーのどれだ?


 周辺のアクセスを思い浮かべながら、マルグリットを尾行するのではなく、最寄り駅へと急ぐ。

 ここからの移動であれば、それを選ぶはず。


 いったん、無関係な方向へ去っていき、マルグリットの死角に入ったら、見られないルートで走って先回り。

 全体の印象も、アウターを脱ぐなどで変えておく。




 ――15分後


 板谷直也は、最寄り駅の改札を一望できる場所で、嘆息した。


 どうやら、読みを外したらしい。

 仮にタクシーと当てても、人目がある場所での追跡は難しかったが。


「次の手は、と……」


 きょろきょろした直也は、この近辺に住んでいそうな女を探した。


 特に急いでいない、人の良さそうな老婆がいたので、愛想よく話しかけてみる。




「いや、悪いね。話し相手になってもらって……」


 ずっと聞き役に徹していたら、満足したようだ。

 手応えを感じた直也は、咲良マルグリットについて、さり気なく質問する。


「婆さん。この辺で、金髪の女子高生っている? 実は、近くの高校に通っているおいが、一目惚れしたようでさ」


 おやおや、とテンションが上がった老婆は、滔々と語り出す。


「そうかい。あの娘は、べっぴんだからねえ――」


 紫苑しおん学園に通っている。

 最近は、私服で駅に来ている。

 理由は分からないが、通信制に移って、もう学校には通っていない。

 よく一緒にいる男子がいて、その時には上機嫌。

 明るい雰囲気で、深刻な悩みがあるとは思えない。


 咲良マルグリットは、紫苑学園の三大女神の一柱。

 同じく三大女神に数えられている南乃詩央里についても、情報も得られた。


 最後に、さっきのマンションに入って、郵便ポストの名札を見て、終了。



 ◇ ◇ ◇



「南乃詩央里、咲良マルグリットの2名は、このマンションの同じフロアーに住んでいます。それぞれの部屋番号は、記載の通りです」


 こじんまりした喫茶店のボックスシートで、板谷直也は調査報告書を出した。

 対面に座っている鍛治川航基は、パラパラと捲ってから、思わず口にする。


「マンションに入ったわけじゃないのか……」


 不満げな色が見えたので、直也は先手を打つ。


「ご依頼いただいた工数では、そこまでの調査結果となりました。ご指定のマンションは他にも監視の目が多く、入口のオートロックで部外者を拒んでいます」


 顔を上げた航基は、質問をする。


「詩央里とマルグリットの尾行は?」

「私が探偵だと気づかれない範囲で追跡して、振り切られました」


「あの2人と話した結果も、欲しかったのですけど……」

「申し訳ありませんが、調査対象との接触は禁止事項です。たとえば、マンションの呼び出しでカメラに顔を映されて、まじまじと見られるのは、商売として困ります」


 複数の人間から聞き込みをして、ボディカメラなどで写真も撮影した。

 一言でいえば、彼女たちは元気だ。

 見るからに、こいつとは関わり合いになるな! という人間の影もなし。


 個人的には、後ろ暗い事情があって通信制に移った、とは思えない。

 しかし、このクライアントに、そこまで伝える必要はないだろう。


 直也は、航基の顔を見ながら、必要なことだけ告げる。


「事前にご契約いただいた内容は、お手元の調査報告書で全て履行しました。残りの金額をお支払いいただきたく存じます」


「……お釣りは、ありますか?」


 意外にもすんなりと応じたので、直也はホッとした。

 

 今回は情報が多いため、空いている日をお金に換えるぐらいの感覚。

 本格的な尾行を必要としなかったことで、5万円ぐらいのリーズナブルな価格だった。




 1人になった鍛治川航基は、自宅へ戻り、じっくりと調査報告書を読む。


 室矢むろや重遠しげとおらしき男子と一緒に出入りする場面もあった。

 その時刻と状況が、客観的につづられている。

 写真はあらい画質だが、プロの仕事だけあって、場所と相手がよく分かるアングルだ。


 近隣で彼女たちを目撃している人物からの聞き込みも、記されている。

 くだんの男子と親しげで、男女の関係だろう、と。


 グッとこぶしを握りしめた航基は、詩央里とマルグリットのどちらか、できれば両方に会おうと、決意した。


 だったら、なぜプロに頼んだ? と言いたくなる場面だが、それを指摘する人間はいない。

 小森田こもりだ衿香えりかたちを巻き込んではいけない、と考えているからだ。


「やっぱり、あいつらの自宅を訪ねてみよう!」




 ――翌日の朝


 紫苑学園を休んだ鍛治川航基は、できるだけ平静を装い、ディリース長鵜へと近づく。

 朝の光景である、通学・通勤のラッシュが終わって、幼児を保育園に預ける親がいるぐらいのタイミングで、風防を兼ねている空間へ。


 オートロックの扉の近くで、南乃詩央里、咲良マルグリットの部屋を順番に呼び出す。


 1回目は、呼び出し音が鳴り続けるのみ。

 2回目では、応答があった。


『ふァーい。誰? ……航基? 何で、そこにいるの?』


 今日は平日でしょ? と続けるマルグリットに対して、航基は必死に訴える。


「詩央里とお前のことが、心配だった。無事なのか?」


『は、はぁ……。御覧の通り、自宅にいるんだけど……。そもそも、私、あなたに自宅を教えたかしら? 用件は何?』


 波乱万丈だった沖縄観光から、室矢家の正妻としての詩央里による追放。

 さらに、防衛任務への参加。


 自宅に帰ってこられたが、今度はベル女の先輩による痴話喧嘩だ。

 その先輩は重遠たちと千陣せんじん流の本拠地へ出発して、マルグリットはようやく休日らしい休日になったばかり。

 昨日も新作ゲームに熱中して、夜更かしだ。

 まさに、緩み切っている精神状態。


 寝起きのマルグリットは、だんだん思考力が回復してきた。


 彼女からは、カメラによる映像が見えているため、平日の朝に元クラスメイトが押しかけてきた事実と併せて、怖くなったのだ。

 自宅の壁にある端末に向かいながら、下のエントランスホールの手前にいる航基への対処を考える。


 それに対して、航基からは音声のみ。

 けれども、声音には微妙なニュアンスも混じっているため、そこにおびえの感情があることを読み取れる。


 航基は、それを重遠に囲われているが、直接助けを求められない。と変換した。


「中に入れてくれ! お前を助けたいんだ!」

『え? 何を言っているの?』


 思わず聞き返したマルグリットは、可愛らしいパジャマのままで、全身に汗が噴き出すのを感じた。

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