第300話 着弾まで10秒以上の距離にいる魔弾の少女【カレナside】

 封印術式【カレナちゃん】は、以前のⅡではなく、Ⅰまで、解放された。

 万能とも言える存在になった咲良さくらマルグリットは、全てを知る。


 ここで、いにしえの者たちが羽を休めて、そのまま植物になったことを。

 虫を媒介する花のように、新たな奉仕種族を作ろうとしたことも。


 それから、数え切れないほどの歳月が流れ、ひっそりと咲いていた花畑を観測基地の女が見つけた。

 近くで香りを嗅ぎ、一瞬で、花々のとりこに……。


 その美しさは、視覚的に、人を魅了する。

 香りは、五感で最も抵抗しにくい嗅覚から、洗脳する。


 何よりも、繁殖のための花粉と、それを運ぶ奉仕種族へ提供される蜜だ。

 少量でも摂取すれば、体内を侵食するのと同時に、脳まで達して、その人間の思考を支配する。


 動かぬ花となった古き者は、彼らのエネルギーを受け取り、ひたすらに尽くしてもらう。

 また、忠実な眷属けんぞくは、仲間を増やそう、と試みるのだ。



 空中に漂う花粉、気化している蜜は、肌からも染み込んでいく。

 テレパシーによる思考誘導もあって、花畑に足を踏み入れた女たちは、全てを忘れるほどの快楽、従う喜びを与えられた。


 精神的に弱ければ、発狂するぐらいのテレパシーだ。

 複数の個体による干渉を受ければ、一溜まりもない。


 同時に、女たちは無意識の行動で花粉を食べ、蜜を飲み続け、代わりに自分の魔力や体液を渡し、その花畑を手入れする。

 いずれは、種子や苗を携えて、どこかで別の花畑を作っただろう。



 古の者は、自らが頑強であることから胞子を出さないが、花になった現在では、積極的に増やそうと考えている。

 ゆえに、限りなく本能的になった女は、近くの人間を引き込んで、より多くの奉仕者を作り出す。


 彼女たちの視点では、むしろだ。


 花々の美しさや、香り、美味しさを知ってもらいたい。

 それこそが最大の幸せで、喜びなのだから……。


 辿り着くところは、自分の体による誘惑と、子作り。

 若い女が誘えば、応じる男は必ずいる。

 そして、蜜蜂ミツバチの女は、それに最適化された心身を持つ。


 もしも、人を辞めた彼女たちが社会へ戻れば、こっそりと持ち帰った花や蜜、あるいは色仕掛けで、仲間を増やした。


 その体液すら同じ状態になれば、肉体的に交わるだけで花畑に近い効果だ。

 花の繁殖と同じように、雄しべと雌しべで。



 古の者たちの奉仕者が社会に紛れて、増え続ければ、いずれ乗っ取られたかもしれない。


 彼らに、人と同じ感情はない。

 家族を形成せず、恋愛もせず、個体としても滅多に死なないのだ。

 自分たちが楽をするために、新たな奉仕種族を作ろうとしたに過ぎない。


 その眷属も、人の振りをしているだけ。

 貞操といった倫理観、常識はなく、どれだけ恥ずかしいことでも、平然と行う。

 全ては、花畑を栄えさせるために……。



 しかし、もう勝負は決した。



 マルグリットは、敵の中心にいる状態で、銃口を下ろした。

 ここからは、彼女のターンだ。



「低温にすることを突き詰めれば、その先にあるのは “凍結” ではないわ」



 言いながらも、彼女を中心に白い世界が一瞬で広がっていく。

 水面の波紋よりも速く、静かに。


 それは、すぐ傍にいた大きなつぼみ、周辺で一心不乱に喘いでいた女たちを巻き込み、唐突な氷河期が訪れた。


 極地のような厚い氷に覆われた、オブジェが立ち並ぶ。

 原寸大のジオラマ、と言い換えてもいい。



 忌まわしい花畑の地下どころか、周辺の山々に至るまでのエリアが対象。

 人類のスーパーコンピュータでは到達しえない、巨大な天体を全て演算に使用するが如き、圧倒的な干渉。



 さらに、室矢むろやカレナが制御した、異次元からのエネルギーが加わる。


 演算した結果へ物質は変えられていき、手始めに凍結した。

 普通の生物にとって、致命傷になり得る。


 だが、マルグリットの言った通り、これはまだ途中。



 三次元の世界では、物質はその質量で存在する。

 質量に比例した重力があって、それ以外の電磁気力なども。

 

 では、質量のように、存在に必要なを奪ったら?


 異次元と接続しているマルグリットであれば、それが可能だ。

 


 そして――


 咲き乱れていた花々のみならず、離れた観測基地、周辺の原生林に至るまで、跡形もなく、消え去った。


 見渡す限りの荒野は、さっきまで原生林や花畑があった、とは思えない。



「対象は、干渉できる全て……。もう、人を洗脳して増殖する花々はいない」


 なぜなら、存在を消したから。


 かつて対戦した、ベルス女学校の元3年主席、脇宮わきみや杏奈あんなが体験したものとは、出力が違う。

 

 あの時が家庭用の製氷機だとしたら、今回は宇宙にある惑星だ。



絶対零度アブソリュート・ゼロの本質は、存在エネルギーを全て奪うこと。……これが、私の初めてね」



 さっきまで一面に広がっていた花畑は、大きくえぐられたことで、底が見えないほどの大穴に。

 ちょうど、古の者たちが埋まっていた部分だ。


 その真上で、光る足場を作ったまま、金髪少女は、空中に立つ。


 空を仰いだマルグリットは、スリングで、小銃を肩に下げた。

 すでに滅んだ、魅了する花々と虫、それを生み出した古の者たちへ告げる。



「物質に縛られている程度で、私に勝てるわけないでしょ?」



 銀河を駆けようが、長い寿命を持っていようが、高い技術力を持っていようが、超能力を持っていようが、物質であれば、マルグリットの敵ではない。


 制限を外したアブソリュート・ゼロは、いとも容易く、全ての人類を奉仕種族に変える脅威を退けた。


 特化型はまれば強いが、そこを外されたら、ただの案山子かかし

 遠距離からの砲撃や爆撃なら、防衛軍でも滅ぼせる敵だった。


 とはいえ、マルグリットは、その手先になる寸前だった。

 今になって、冷や汗をかく。



 どのような相手でも、油断をすれば、足を掬われる。

 これは、スポーツや組手ではなく、生存競争なのだから……。


 相手が一発逆転の手段を持っていないとは、限らないのだ。



 ふうっと溜息を吐いたマルグリットは、ようやく、長距離の無線を使う。


「リンガー1よりビラへ。……昨日の海老は、高度3,000mにある山頂の海底から捕れました。……状況終了。生存者は、私だけ。広域の生物系バイオハザードとして、現地へ来られたし。位置は――」


 成りすましを防ぐための符丁を交え、報告を済ませた。

 防衛任務では、この手の全滅は、決して珍しいことではないのだ。


 蜜蜂になっていた女たちも、消え去った。

 介錯とはいえ、同じ魔法師マギクスを手にかけたことで、マルグリットの気分は落ち込んだ。




 遠くで狙撃の姿勢になっている女は、うつ伏せのまま、スコープから目を離した。


 水平と垂直のラインが中央で交差している、クロスへア。

 そこに捉えられていた咲良マルグリットの顔から、山々の景色に変わる。


 再び小銃のボルトハンドルを後ろへ引いたら、カシャッと実弾が押し出された。

 まだ撃針で叩かれておらず、弾頭が残ったままだ。


 カシャキン

 カシャキン

 カシャキン

 カシャッ


 キンキンキン……


 溢れ出たライフル弾が地面で跳ね、小さな金属音を立てた。


 全ての弾丸が排出され、SWSエスダブリューエス(スナイパー・ウェポン・システム)の弾倉は空っぽに。


 ボルトハンドルは最大に引かれたままで、その深い穴のような薬室を見せている。


 下にライフル弾が落ちていて、狙撃の姿勢のまま、少女は両手で顔を覆った。

 そのまま地面に体を預けて、脱力した状態で深呼吸を繰り返す。



 しばらくの時間が過ぎて、ヘリによる迎えにマルグリットが乗った後。

 日が暮れてから、ようやく顔を上げた。


 地面から立ち上がり、あの花畑の場所から5km離れた山頂で、絶景を見下ろす。


 彼女の眼下では、送り火のような炎が見える。


 陸防の化学防護隊が、火炎放射器を用いているのだ。

 この一帯は重点的に焼き払われた後で、改めて点検されるだろう。


 アブソリュート・ゼロは、花々と周囲を全て消した。

 辺りの地面は剥き出しになっているものの、油断は禁物だ。


 彼らは、生物兵器を絶対に許さない。

 部隊の誇りにかけて、きっと上手くやる。


 マルグリット自身も、散々に除染された上で、化学防護服を着た隊員たちに囲まれていた。

 隔離された状況で、そのまま運搬。




 夜の女神のような、1人の少女は、山頂に近い場所で立つ。


 長い黒髪で、神秘的な青い瞳。

 夜の闇によって、この世ならざる雰囲気を醸し出していた。


 初秋の肌寒い風が、彼女の黒髪を空へ誘い、触れた肌の体温を下げる。



「よく頑張ったのじゃ……」



 フウッと息を吐いた室矢カレナは、静かに喜ぶ。


 彼女には、分かっていた。

 咲良マルグリットが試されることを……。


 だが、ここを自力で乗り越えられなければ、マルグリットは両親と小竹森こたけもりまいの幻影に苦しめられる。

 いつまでも陸防にこだわってしまい、沖縄の過ちを何度でも繰り返す。


 仮に、南乃みなみの詩央里しおりが今回の件を許しても、室矢家の害になるだけ。

 重遠しげとおも大きなダメージを受けて、場合によっては共倒れ。


 むろん、マルグリット本人も、地獄の苦しみだ。



 ゆえに、マルグリットが幻影の舞に甘えるようなら、その時点で始末するつもりだった。



 カレナの未来予知は、可能性の1つだ。

 そして、彼女は自分の思うように操作しない。

 相手の意志を尊重する。


 仮に、マルグリットが過去に生きることを選んでいたら――


 カレナが発射した弾丸は、物理法則に縛られない。

 5kmの遠距離でも、必ず当たる魔弾として、マルグリットの頭を撃ち抜いた。


 死亡したマルグリットを起点に、異次元からのエネルギーを呼び込む。

 それに触れたものが加速したことでの爆発、融解、蒸発へ。


 戦術兵器としての破壊力は、蜜蜂に生まれ変わったマルグリットと、その元凶たちを一瞬で吹き飛ばしただろう。



 カレナは、室矢家にあだなせば、私が責任をとって始末する。と言った。


 今回、マルグリットの主人として、まさに実行したのだ。

 現場の士官が、銃を乱射しようと試みた部下を射殺するように……。



 感極まった様子のカレナは、夜空に向けて、つぶやく。



「お帰り、マルグリット。お主はたった今、戦場から帰ってきたのじゃ……」



 幼児期に形成されていた、死んだ両親と義理の姉のために陸防で頑張る、という図式。

 それは、ようやく失われた。


 これからのマルグリットは、自分のために生きていくだろう。


 けれども、彼女はようやく戻ってきたばかり。

 まだ、真牙しんが流、防衛省、陸上防衛軍に利用されない保証はない。


「これだけの辛い思いをして、『私は戦場でしか生きられない』で済ます気はないぞ? ああ、私は許さない。許すわけがないだろう?」


 カレナは、その美しい顔のまま、ゾッとする声音を出した。



 マルグリットは、見事に試練を乗り越えた。

 過去のトラウマを乗り越えて、自分の意志を取り戻したのだ。


 ならば、室矢家の人間も動く必要がある。


「重遠……。お主はどうする? 普通の少女でありながら、命令で人を殺めた過去を持ち、今では戦略兵器となったマルグリットを受け入れるだけの度量を示せるのか?」


 詩央里が聞いたら、思わず耳を疑う台詞だ。


 もちろん、カレナが重遠を裏切る話ではない。


 けれど、他流の重鎮である室矢重遠が、側室としてマルグリットを囲うのなら、それはきっと命懸け。


 国家の趨勢すうせいに関わる、と証明された彼女は、真牙流の威信を示せるだけの存在だ。

 彼らの権益につながることから、少なくとも同じ以上の価値を示さなければいけない。


「それが、室矢家なのか、重遠なのか……。『完璧な答えを出せ』とも、『成功しろ』とも言わない。しかし――」


 カレナは、星空を見上げた。


「今度の相手は、国家権力に根を張っている真牙流だぞ? 国家を敵に回しても……。その覚悟、見せてもらうのじゃ」

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